横浜FC 選手名鑑

GK  1 大石尚哉(26) 清水商−筑波大−ヴェルディ川崎−サンフレッチェ広島−ヴェルディ川崎
  菊池新吉と本並健治というふたりの元日本代表の後塵を拝し、昨年は完全に出番を失っていた。
  前川和也の負傷でGKが不足したサンフレッチェにレンタルされたが、控えという立場に変わりはなし。
  昨年末に解雇された。負傷がちな菊池新吉の穴を埋めて、95年に5試合、97年に8試合出場。
  清水商の同期には、薩川了洋、山田隆裕、名波浩、大岩剛といった豪華な顔ぶれが並ぶ。

GK 12 吉田明博(24) 高松商−ベルマーレ平塚
  94年に練習生としてベルマーレに入団。後にプロ契約を結ぶ。
  183cmの長身を活かしてハイボールに強く、正確な状況判断にも定評がある。
  潜在能力の高さは折り紙付きで、将来性を評価されての入団だったが、結局出場はできなかった。
  ところで背番号12は、サポーターのために空けておくという話ではなかったのか。

GK 21 佐々木仁(26) 青森山田−フジタ・ベルマーレ平塚
  ベルマーレでは小島伸幸、古島清人(96年以降は掛川誠)に次ぎ、常に3番目のGKだった。
  小島の出場停止で96年の開幕戦に出場。グランパス相手に4失点したのが、最初で最後の出場。
  178cmと体格に恵まれないため、大声でのコーチングとシュートへの素早い反応でカバー。
  高卒選手は4年間が勝負と言われるだけに、解雇もやむを得ないだろう(そりゃ、野球の話だ)。

GK 22 中村孝也(21) 神戸弘陵−ヴィッセル神戸
  石末龍治、兼本正光に続く第3のGKとして、ヴィッセルと練習生契約を結ぶ。
  ふたりとも30代中盤という年齢に不安があるだけに、出場機会が巡ってくるかと思えたのだが……
  ヴェルディから獲得した前田信弘が定位置を確保したため、昨年限りで解雇された。
  身長は180cm。目標とする選手は森敦彦。

DF  3 遠藤昌浩(29) 帝京−順天堂大−ジュビロ磐田
  JFL時代は将来を嘱望されたFWだったが、オフト監督によって左サイドバックにコンバートされた。
  活躍が認められ、日本代表に選ばれて国際Aマッチにも8試合出場している。
  右足大腿部筋断裂のために戦列を離れ、服部年宏、山西尊裕にポジションを奪われた。
  昨年復活を期したが、出番がまわってくることなく解雇された。左ストッパーの経験もあり。

DF  8 高田昌明(26)
市立船橋−法政大(中退)−横浜フリューゲルス−ヴィッセル神戸−東京佐川急便−東京フリエ
  182cmの長身を活かし、ボランチないしは左サイドバックとしてフリューゲルスで活躍。
  サンパイオ、三浦淳宏にポジションを奪われ、97年のヴィッセルを最後にJの舞台から姿を消した。
  アトランタ五輪予選代表で、背番号7をつけキャプテンをつとめていたが、規定により本選出場はならず。
  どちらも前園真聖に奪われ、しかも出場を阻んだ規定は次回のシドニー五輪では改定されるという……

DF  6 公文裕明(33) 鎌倉−青学大−古河電工・ジェフ市原−ベルマーレ平塚
  堅実な守備が持ち味で、長らくベルマーレの左サイドを支えてきたベテラン。
  ロングスローにも定評があり、毎年コンスタントに出場していた。
  経営改善のあおりを受けて解雇されたが、その実力はJ1の選手と比較しても遜色ない。
  横浜FCの左サイドは激戦区なので、右サイドで起用されることも考えられる。

DF 20 渡辺一平(30)
中京−大商大−横浜フリューゲルス−ジュビロ磐田−ヴィッセル神戸−水戸ホーリーホック
  空中戦に絶対の自信を持つストッパー。フリエを天皇杯優勝に導いたヘディングシュートは記憶に新しい。
  ヴィッセルを解雇された後、充電期間をおいて昨年ホーリーホックに入団したが、シーズン終了を待たずに退団。
  退団の経緯には諸説あるらしい。MLSへの挑戦とか、負傷とか、システムが合わなかったとか。
  前園真聖が尊敬する人。昨年、前園宅に同棲……ぢゃなくて居候していたとか。

DF  2 重田征紀(23) 読売ユース−ヴェルディ川崎
  166cmと小柄だが、スピードと正確なセンタリングが武器の右サイドバック。
  読売ジュニアユースからの生え抜きで、初出場は97年。昨年解雇された。
  タイトなマークを身上とし、「エースキラー」の異名も。
  実際にプレーを見てみないことには、なんとも……

DF  5 幸田将和(30) 南宇和−マツダ・サンフレッチェ広島−ヴィッセル神戸
  サンフレッチェでは攻撃的MF、ボランチとしてプレーするがJ出場は果たせず。
  JFLのヴィッセルに移籍し、攻撃的なサイドバックにコンバートされて才能が花開いた。
  97年、バクスター監督の下で、28歳にしてJに初出場した遅咲きの選手。
  昨年は、フローロ新監督のお気に召さなかったようで、出番を失い解雇された。

DF 16 高尾敬治(30) ヴェルディ川崎−ヴォルティス徳島
  ヴォルティスでは、MFないしはDFのレギュラー。
  メンバー表を見る限り、ボランチかサイドバックとして出場していたものと思われる。
  あとは、実際にこの目で見てみないことには、なんとも……

MF  4 真中幹夫(30) 境−筑波大−ジェフ市原−ブランメル仙台−大宮アルディージャ
  ジェフではセンターバックとして副主将までつとめたが、成長著しい若手に圧されてJFLへ。
  昨年限りで引退を表明していたが、現役に未練が残っていたか、それともリティの要請を受けてか。
  ボランチの経験もないではないが…… ところで、出張サッカースクールの話はどうなったのでせう?
  鹿島アントラーズからセレッソ大阪へ移籍した真中靖夫は実弟。

MF 14 高木成太(22) 国見−ブレイズ熊本−ヴェルディ川崎
  右利きのボランチ。粘り強い守備は魅力だが、ボールを奪ってからのプレーに課題がある。
  横浜F・マリノスの岡山一成と同様、ASAYANのJリーガーオーディション出身。
  オーディションと、ブレイズ熊本がプロ化を断念したのは、どちらが先だっただろうか。
  ヴェルディ出身者は、出場機会を与えられないまま解雇されたわけだから……

MF 19 稲垣博行(29) 藤枝東−法政大−セレッソ大阪
  スピードがあるわけではないが、1対1の強さを武器にレギュラーの座を獲得。
  3年前に右膝じん帯断裂の重傷を負うが、復帰後もリベロのポジションは約束されていた。
  昨年は松木監督と合わなかったか、出番を失い解雇された。それはいいとして……太った?
  登録がMFになっているが、ボランチ向きの選手ではないと思うのだが。

MF  7 後藤義一(35) 清水商−中央大−古河電工・ジェフ市原−コンサドーレ札幌
  ジェフ、コンサドーレ合わせて、5季連続主将をつとめた右の攻撃的MF。
  昨年後半は確かに出場機会を失いつつあったが、それでも19試合に先発している。
  年齢がネックになったのだろうが、J昇格の原動力となった選手だけに解雇は残念。
  もちろん主将の有力候補。日本リーグにも117試合出場しているベテラン。

MF 23 中丸貴之(22)
日産ユース−リバープレート−横浜マリノス−東京ガス−東京佐川急便−東京フリエ
  日産プライマリーからの生え抜きだったが、わずか1年で東京ガスへ。
  東京ガスを退団したのは昨年末で、東京佐川急便は移籍が内定していただけのはずでわ。
  レセプションで配布された資料に経歴として書かれているので、一応従っておくが。
  リバープレートは、横須賀学院在学中に留学したもの。

MF  9 橋本研一(24) 桐蔭学園−鹿島アントラーズ−横浜マリノス
  94年に森岡隆三(清水エスパルス)とともに、桐蔭学園からアントラーズに入団。
  エドゥー監督に開幕から起用され、12試合で1得点。翌95年には15試合に出場し2得点をあげる。
  レギュラーではなかったが、スピードを活かした右サイドの突破が魅力のFWだった。
  97年末にマリノスを解雇され、昨年はどこにも所属していなかった。

MF 17 根子達也(27) 盛岡商−東北電力・ブランメル仙台
  ブランメルでは、FWないしはMFとして出場。
  越後和男、瀬川誠などと肩を並べてプレーしていた。
  この人も、実際にこの目で見てみないことには、なんとも……

FW 11 増田功作(23) 大宮東−ヴェルディ川崎
  高校時代はブラジルのサンアンドレの練習に参加。
  卒業後も、ボリビアやブラジルのクラブチームの練習に、単身参加した経験がある。
  50m走5秒9の俊足が売り物で、昨年ヴェルディと練習生契約を結ぶが、1年で解雇された。
  昨年の2nd stage、途中出場で25分間見ただけだからなぁ。しかもヴェルディ劣勢だったし。

FW 18 小野信義(25) 読売ユース−ヴェルディ川崎−デンソー−ヴェルディ川崎−ガンバ大阪
  92年、高校3年生でヴェルディ川崎と契約するが、Jでの出場はなし。
  昨年はテストを受けて、練習生としてガンバ大阪と契約していた。
  主に左サイドでプレーしており、ポジションはMFないしはFW。
  実際にプレーを見てみないことには、なんとも……

FW 15 有馬賢二(27) 日大藤沢−日本大−柏レイソル−コンサドーレ札幌
  関東大学リーグ2部で2連連続得点王に輝いた俊足FW。180cmと上背もある。
  即戦力として期待されたが、レイソルでは外国人FWの厚い壁に阻まれわずか2得点。
  昨年コンサドーレへ移籍したが、レギュラー獲得には至らず解雇された。
  横浜FCに参加したということは、エスパルスの入団テストは不合格だったらしい。

FW 13 藪田光教(23) 読売ユース−ヴェルディ川崎
  95年、U-20世界選手権(ワールドユース)代表として、ベスト8入り。
  100m走12秒台の俊足と、左右両足から繰り出される強烈なシュートが武器の、典型的なストライカー。
  ヴェルディではベテランや外国人選手の壁に阻まれ、わずかに出場しただけで、昨年解雇された。
  その後、ヴィッセル神戸の入団テストを経て、横浜FCの入団テストに合格した。

FW 10 パベル・ジェハク(36)
スラビア・プラハ−ジェフ市原−東芝・コンサドーレ札幌−スラビア・プラハ
  93年、ジェフでリトバルスキーとコンビを組み、16得点(5位)をあげたストライカー。
  主将をつとめるなど信頼も厚かったが、翌年は得点王に輝いたオッツェにポジションを奪われた。
  95年は東芝で11得点(15位)、96年はコンサドーレで5得点(41位)をあげ、チェコへ帰国した。
  まだ、現役を続けていた……のか?

 

GM 奥寺康彦(46)
相模工大付−古河電工−1FCケルン−ヘルタ・ベルリン−ベルダー・ブレーメン−古河電工・ジェフ市原
  相模工大付を卒業して9年目、日本リーグ出場も100試合に達した77年10月、
  西ドイツ・ブンデスリーガの1FCケルンと契約し、日本人プロ第1号となる。
  その後2部のヘルタ・ベルリン、ベルダー・ブレーメンと渡り歩き、8シーズンで235試合に出場。
  GK以外はすべてのポジションをこなし、戦術的な適応性の高さから「東洋のコンピュータ」と称された。
  83年のブレーメン2位躍進に貢献し、86年帰国。古河電工とプロ契約を結ぶ。
  全盛期を西ドイツでプレーしたため、日本リーグよりもブンデスリーガでの試合出場数の方が多い。
  J開幕後はジェフ市原のGM(General Manager)、Super Viserを経て、96年監督に就任した。
  2002年ワールドカップ横浜市開催準備委員、横浜市スポーツ審議会委員。

監督 リトバルスキー(39)
ツェーレンドルフ−1FCケルン−ラシン・パリ−1FCケルン−ジェフ市原−ブランメル仙台
  西ドイツ代表として、ワールドカップに3大会連続出場。
  82年準優勝、86年準優勝、90年優勝と輝かしい実績を残し、国際Aマッチは73試合で13得点。
  ブンデスリーガでも通算で113得点をあげている、まさにドイツの至宝。
  J初年度に見せてくれた華麗なドリブルと正確なFKは、われわれの心を捉えて離さなかった。
  一度は引退したものの、J昇格を目指すブランメルに請われて現役復帰。
  事実上の指揮官として采配を揮うが、結果を残せずチームを去ることになる。
  ジェフ市原のジュニアユースコーチを経て、S級ライセンス取得のためにフリューゲルスの練習に参加。
  その縁から、今回横浜FCの監督を引き受けたものと思われる。

コーチ 阪倉裕二(32)
四日市中央工−順天堂大−古河電工・ジェフ市原−名古屋グランパス−ブランメル仙台−マインドハウスTC
  現役時代はハードマークが持ち味のセンターバックで、90〜92年には日本代表にも名を連ねた。
  ハードマークというと聞こえがいいのだが、要はそれだけプレーが荒かったということ。
  今冬の高校選手権では、帝京高校のコーチとしてベンチに座っていた。

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