毒を吐く 〜横浜FCとの別離〜

 

別離

結論から書いてしまうと、「(株)横浜フリエスポーツクラブと横浜FCの選手たちに失望したので、横浜FCを応援することを止めます」という、ただそれだけのことです。

(株)横浜フリエスポーツクラブに対しては、比較的早い段階──レセプション以前──から違和感を覚えており、それが疑念を経て確信へと変わるまでには、そう長くはかかりませんでした。
それでも── 会社と選手たちは別と割り切って応援してきたわけですが、肝心の選手たちのプレーに期待が持てなくなった以上、冒頭の結論に達するのも致し方ないことでしょう。

 

苦言

Jリーグのクラブから戦力外を通告された選手たちなのだから、実力が劣るのは当然のこと。
レベルの高いサッカーを望むなら、Jリーグを見に行けばいい。
J1のゴール裏に匹敵する入場料を支払ってまで、三部リーグに相当するJFLの試合を見に行くのは、彼らがそれ以外の何かを見せてくれることを、期待するからに他ならない。

それは──
プロとしてサッカーを続けられる喜びであり、もう後がないという自覚からくるひたむきさであり、
ここで活躍して、もう一度Jリーグの舞台に返り咲いてやるという決意であり、
さすがは元Jリーガーと唸らせる、格の違いを見せつけるかのような素晴らしいプレーである。

しかし、一握りの選手たちを除けば、その何かを見せてくれたのは最初の数試合だけだった。
そして、その一握りの選手たちの中から、早々とキャプテンの遠藤昌浩がヴェルディへ活躍の場を求め、シーズン終了後には、中盤でいい動きを見せていた藪田光教がヴィッセルへ移籍した。
彼らの心中は、容易に察することができる。
彼らを駆り立てたものは、「ここにいたらだめになる」という思いではなかっただろうか。

サッカーマガジン4月5日号に掲載された藪田光教のコメントが、なによりその事実を物語っている。
横浜FCでの一年間を振り返ってのもので、以下はその抜粋である。
「ここで消えるわけにはいかない」
「人より早く練習に出ていったり、モチベーションだけは落とさないようにしていました」

残された選手たちには、もう一度自分自身を見つめ直してもらうしかないだろう。
それができなければ、来年は別の仕事をしているだけのお話。
幸運にも契約してもらえたとして、J2で痛い目を見ているか…… いや、それ以前に出番すらないか。

誰しもが思い描くことだとは思うが、私がGMだったとしたら──
J1へ藪田光教、遠藤昌浩、松田正俊の3選手を気持ちよく送り出した上で、吉田明博、高田昌明、幸田将和、重田征紀、小野信義、有馬賢二、大石尚哉、増田功作の8選手を除いて、全員に戦力外を通告するね。
それくらいはしないと、淀んだ空気は一掃できないと思うから。

 

心情

結論は、昨年のうちに出ていました。でも、文章にしようとしても、筆は一向に進みませんでした。
"迷い"とかではなくて、書きたいことが多すぎて、それに押し潰されていたのかもしれません。

横浜FCに関する内容だけを削除して、素知らぬふりをすることもできました。
更新しないで、そのままほったらかしにすることもできました。
それでも、横浜FCを応援するサイトを立ち上げた自分自身へのけじめと、少ないながらも読んで下さっている読者様への礼儀として、こうして筆を執ることにしました。

(株)横浜フリエスポーツクラブ、ソシオ・フリエスタ理事、並びにサポーターの中には、友人知人、お世話になった方などもまだ残っているので、いささか心苦しくもありますが……

変化があるとすれば、横浜FCのホームゲームに毎試合のように足を運ばなくなるのと、横浜FCの視点から観戦記を書くことがなくなるだけです。
JFLというリーグへの興味は尽きないので、横浜FCの試合を観戦することもあるでしょう。
競技場で私を見かけたとしても、くれぐれも苛めないで下さい(苦笑)

最後に──
横浜FCは横浜フリューゲルスではありません。
ましてや、横浜フリューゲルスサポーターのチームでもありません。
あなたたち、横浜FCサポーターのチームです。
これからも会社を、選手たちを、厳しい目で見つめていって下さい。
後に続くチームのためにも、横浜FCは失敗することが許されないのですから。

 

最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。

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