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高畑勲全著作 書評−5

「アニメーション、折りにふれて」

高畑勲・著(岩波書店)

文責/叶 精二

※以下の文章は2014年3月16日付「しんぶん赤旗」に掲載されたものです。



 アニメーション映画監督・高畑勲の三冊目の著述集である。前作「ホーホケキョ となりの山田くん」から最新作「かぐや姫の物語」まで、14年分の寄稿・講演・対談などが綴られている。どこを読んでも論理的検証が行き届き、明瞭で迷いがない。

 あらゆる文化・芸術・音楽に通じる高畑は、常に対象に真摯に向き合い、興味から論証へと発展させ、そこからアニメーション制作の実践的結語を導き出して来た。

 たとえば、「日本語の音韻」と題された文章。日本の「アニメ」には、口の開閉を三枚の画で済ます「口パク三枚」と呼ばれる常套技法がある。日本語には、英語のようなアクセントや律動がなく、唇や顔の筋肉の動きが少なくて済む。ゆえに、作画は一語何枚の単純計算が可能で、顔は静止したまま口だけ動かす省略技法が発達し、声優によるアフレコも普遍化した。しかし、高畑はこれを良しとせず、プレスコ(先行録音)にこだわり、微妙な音韻や顔の筋肉の作画による新たな表現に挑み続けて来た。

 一方、講演録「戦争とアニメ映画」では、戦争末期の悲惨な体験を描くことで反戦的な気分を感じさせる『火垂るの墓』などの映画は「真の『反戦』たりえない」と断じ、「主人公に勝たせたい」「泣ける映画を観たい」といった流行は戦中の高揚感と何ら変わらないのではないかと警鐘を鳴らす。だからこそ「歯止めの憲法九条」が不可欠なのだと。

かつて宮崎駿は高畑を「大ナマケモノの子孫」と評したが、本書はむしろ、高畑がアニメーション制作の折りにふれて、どれほど広範な活動を行い、多忙を極めて来たかを物語っている。


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