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高畑勲全著作 書評

文責/叶 精二

※以下の文章は、「キネ旬ムック/スタジオジブリとホーホケキョ となりの山田くん」(99年8月10日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。掲載時には一部カットされていますが、以下が原文です。


前文−作家・高畑勲の肖像

 余り知られていないが、作家・高畑勲氏は、常に謎に挑む探求者であった。その著作群は、推理小説顔負けの謎解きの楽しさに満ちている。作品への深い愛着を入口に、作者の技術と思想を探索して普遍化して行く作風は研究者の鏡と言える。主題への検証的アプローチは、まさに監督の演出法そのもの。
 多くは自主的研究成果をまとめたもので、学術的専門書ではない。しかし、学者顔負けの経験と調査に裏打ちされており、革新的で説得力がある。
 自己の直感的結論(好き・嫌い)を最大の基準として、得意分野の知見を肉付けする“共感押し付け型”エッセイ評や、独りよがりのカルト評などその場限りの即効性が流行る中、この真摯かつ地道な創作・研究姿勢は実に貴重であり、学ぶべきものは多い。

アニメージュ文庫「ホルス」の映像表現 解説・高畑勲

83年10月31日発行 徳間書店(絶版)

 初監督(演出)作品「太陽の王子 ホルスの大冒険」の自身による解説書。大量のカラー写真で名高いシーンをコマに分解して再現。その緻密な演技設計と動画のダイナミズム、カメラワークの計算は見事の一語に尽きる。監督は、本作で時空間をつなぐ実在感・臨場感によって「観客を映像に参加させる」ことを意図したと言う。そこには、当時皆二十代から三十代前半だったというスタッフ諸氏のすさまじいまでの意気込みと創意工夫が感じられる。
 また、監督は「ホルス」で目指した理想の共同体を「守るに価する村」として、思想的にも言及。カットされた結婚式での誓いの言葉やアイヌ民族の智恵、音楽の力による「ハレ」の表現などを紹介。一方で、共同体内外に潜在する根本的破壊者としての「悪魔」の象徴的位置も明かにしている。どちらも、作品から三十年余りを経て尚深刻化する社会問題に深く通じる誠実な指摘である。
 巻末には完成当時の高畑監督の未発文、原典となったアイヌ・ユーカラも掲載。コンテ風の挿し絵は大塚康生氏が担当。表紙は故・森康二氏による少女ヒルダのカラーイラストという豪華さ。ファンや一般はもとより、演出を志す人には必携の参考書。初版のみで絶版となったが、心から再版を望む。

アニメージュ文庫「話の話」 解説・高畑勲

84年4月30日発行 徳間書店(絶版)

 切り絵アニメーションの巨匠、ユーリー・ノルシュテイン監督の名作「話の話(79年ソ連)」の解説書。「話の話」は、子守歌で呼び出されたオオカミの子を主人公として、幾つかのシーンが同時進行で展開する幻想的な作品。公開当時、誰もがその映像美を絶賛しながらも、内容的には難解と評されていた。高畑監督は、この作品に散りばめられたノルシュテインの意図を丁寧に拾い集め、解き明かして見せる。
 監督は、「これは詩的構成の作品である」という持論の元に、四つのシークエンス(「古アパートに住むオオカミ」「海辺の家族と詩人」「戦死する夫と泣き崩れる妻」「いがみ合う夫妻と林檎をかじる少年」)をカメラワークやレイアウト、キャラクターの演技から徹底検証し、見事な筋立てを浮かびあがらせる。そのアプローチの仕方は、まさに自作の演出法と同様「ノルシュテインの視点になり切る」ことだ。
 巻頭一八八枚ものカラー写真で二九分の全編を再現した編集も圧巻。日本に於けるノルシュテイン・ファンの拡大に本書が果たした役割は計り知れない。本書も残念ながら版を重ねることなく絶版となっている。
 なお、本書の発行以降、高畑監督は来日毎にノルシュテイン監督と親交を深めている。

「木を植えた男を読む」高畑勲・訳著

90年7月31日発行 徳間書店(発売中)

 一人で全ての動画を描き切るアニメーション界の巨匠、フレデリック・バック。彼の代表作「木を植えた男(87年カナダ)」は、わずか三〇分の作品に五年の歳月を費やし、二万枚もの動画を費やした渾身の力作である。この物語がフィクションであったことを知り、大きなショックを受けた高畑監督はバック監督の演出意図や原作者ジャン・ジオノの創作意図に興味を抱き、独自の調査・研究を続けていた。本書はその成果をまとめたものだ。
 まず高畑監督は、宗教色の強い既製の恣意的和訳に異議を唱え、ジオノによるフランス語原文を自ら完訳。見開きで原文・和訳を併載。
 さらに、解説としてジオノの生い立ちから反近代主義思想の形成と実践、舞台となったプロヴァンス高地の気候と風土を紹介。「木を植えた男」の創作経緯を、あえて事実として書かれたと分析。そこにジオノの「寛大な(私欲のない)嘘」の意志を読みとり、すすんで「共犯者」となったバック監督の「願い」を感動的に浮かび上がらせる。バック監督の願いは人々の具体的行動を呼び覚まし、やがてカナダ全土を巻き込んで地道な植樹運動が広がって行く。
 良質のミステリーにも似た謎解きを味わえるだけでなく、現代日本が直面する環境問題に対する高畑監督の態度、植樹運動の世界的現状も知ることが出来る。自作「柳川堀割物語」の実例、ジオノと宮沢賢治の作品比較論など豊富な引用にも興味をそそられる。
 バック監督のフィルムから六十二点の美しいカラー写真を大判で掲載。他の全作品の解説、バック・高畑両監督対談も収録するなど充実の一冊。
 なお、高畑監督はバック監督との親交も厚く、昨春の来日に際しても対談が行われている。

「映画を作りながら考えたこと」高畑勲・著 

91年8月31日発行 徳間書店(発売中)

 高畑監督のインタビュー・対談・寄稿など三十余年分の著述を集成した一冊。全四九八ページの大ボリューム。「おもひでぽろぽろ」の公開に合わせて発行された。高畑監督作品の研究が立ち遅れている現状では、本書に記された監督自身の鋭い分析と総括以上に的確な作品評はない。
 東大映画研究会時代の同人誌「影繪」の寄稿文「映画音楽と早坂文雄の死」に始まり、各作品・年代毎に収集された関連記事を読み進む構成となっている。各記事とエピソードの断片をパズルのように継ぎ合わせながら完読すると、理論派の監督が演出の裏側に込めた意図、創作の全貌を知ることが出来る。それは、日本アニメーション史の貴重な証言でもある。 
 オープロダクションの自主発行誌に九年に亘って掲載された連載「パクさんのポケット」、アニメーションの意義を切々と語った「若いアニメ演出家へノート」、唯一の実写ドキュメンタリー作品「柳川堀割物語」のシナリオ全文、「さわらぬTカクUにたたりなし」と題された核兵器・原発廃絶のアピール文、天安門事件が遠因で中断されたらしい幻の作品「国境」の企画書など貴重な資料も満載。また、扉絵を飾るゴーギャンの「ブルターニュの二少女」、デ・シーカの「自転車泥棒」、ベートーヴェンの「田園交響楽」、藤田順子の「子供の領分」など、あらゆる芸術分野に造詣の深い監督らしい引用や解説文も散りばめられている。巻末には本書用企画として山田太一氏との対談を掲載。
 ただし、「パンダコパンダ」の記事はゼロ、「太陽の王子」「アルプスの少女ハイジ」の記事は1つずつと、初期の作品に関する記事が圧倒的に少ないのは何とも残念。選考に漏れた資料と最近の記事を再集成した続刊の発行を望みたい。

「平成狸合戦ぼんぼこ」高畑勲・著

 94年6月30日発行 スタジオジブリ・徳間書店(発売中)

 高畑監督の初の完全オリジナル作品、「平成狸合戦ぼんぼこ」のシナリオ決定稿全文を単行本化。アニメーション映画のシナリオが公開前に出版されるのは極めて異例。これは「ナレーションの多用により、一個の物語として楽しめる」という鈴木敏夫プロデューサーの画期的判断で実現したもの。
 「ぽんぽこ」は複雑で多層的な集団劇を、絢爛豪華な映像で一気に展開した野心作。物語に詰め込まれた情報量に面食らった人もあろう。本書では、その莫大な情報を、絶妙なさじ加減でさばく監督の手法が堪能出来る。韻を踏んだ講談調の語り口や、童謡の挿入箇所の指定などもよく計算されている。映像とちょっと距離を置いて、個々の狸の行く末をじっくりと読み進めることにより、細部にわたる再発見が出来ること請け合いである。
 また、唯一削除された「シーン77/南無八幡たら南無阿弥陀」の掲載も嬉しい配慮。特攻隊による玉砕戦を敢行した権太が、重傷を負って帰還。再度の特攻を皆に呼びかける。タヌキ達は賛同する権太派と反対する禿狸派の二派に別れ、いつしか数珠の綱引き遊びになってしまう。本編全体の流れを組む緊張感と不真面目さが一体化したエピソード。監督が(ただでさえ多い)群衆シーンの手間を考慮して、やむなくカットしたと思われる。
 巻末掲載の「たぬき通信」と題された演出ノートも貴重な資料。監督によるタヌキの定義や化け学の考察など豊富なアイデア整理の過程が見えて来る。

「十二世紀のアニメーション

−国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの」高畑勲・著 

99年3月31日発行 スタジオジブリ・カンパニー・徳間書店(発売中)

 高畑監督の最新著作。十二世紀の絵巻物と日本文化に関する長年の研究成果をまとめた労作。監督は、巻頭文で日本画の伝統から日本語の特殊な言語体系にまで言及し、「日本人は、八〇〇年も前からアニメ的・マンガ的なものを好んでいた」と眼からウロコが落ちるような新説を展開。
 続く本文では、『信貴山縁起絵巻』『伴大納言絵詞』『彦火々出見尊絵巻』『鳥獣人物戯画』という四作の連続式絵巻をカラーで完全収録。今度は中世の宮廷絵師の視点になり切り、画風と技法を徹底解説する。その内容たるや驚きと発見の連続である。まさに時空間を絵で表現する「映画技術」「アニメーション技術」のオンパレードなのだ。
 たとえば、俯瞰撮影に似た構図が基本とされていること、縦移動や拡大、空撮まで縦横無尽のカメラワークが存在すること、建物の透視図化、異時同図による時間推移の演出、複雑なカットバック、特殊効果によるカメラの上下運動、フェイドイン・フェイドアウト、といった具合。特に『伴大納言絵詞』に於ける群衆の描き分けの密度、複数人数を使った時間経過の表現は素晴らしく、高畑監督は十六世紀の群衆画の巨匠・ブリューゲルを引き合いに出して絶賛している。当時の世界を見渡しても、時間を塗り込めた絵画芸術など、どこにも発生していないと言う。我々は何とも特異な伝統文化の根付く国に生まれていたわけだ。
 また、高畑監督にとって本書は第一歩であるらしく、研究は今後も続けられる模様だ。「アニメ・マンガのルーツを知る」という観点で絵巻の楽しさが満喫出来る一冊である。


★★追加★★

企画・監修CD(実質的には編著)

「高畑勲のくらしっく ベートーヴェンのスケルツォ」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 演奏/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン)、メロス弦楽四重奏団、ミッシャ・マイスキー(チェロ)、マルタ・アルゲリッチ(ピアノ) 95年4月26日発売 ポリドール

クラシック通の高畑監督が、ベートーヴェンの楽曲からスケルツォまたはスケルツォ的な楽章をセレクトした2枚組の特別盤。監督は、ベートーヴェンの神髄は「運命」に代表される苦悩や悲壮感そのものでなく、そこからの「脱却の希求」にあると語る。初心者にも音楽に心を遊ばせる「素晴らしいベートーヴェン体験」をしてもらうためにこのCDを企画したと言う。ユーモラスなジャケットは「ぽんぽこ」で作画監督を務めた大塚伸治氏。監督による解説文付。全二〇曲。



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