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「平成狸合戦ぽんぽこ」論

―「系譜・テーマ・映像・論評」の分析― 

文責/叶 精二

※以下の文章は「平成狸合戦ぽんぽこ/解説図録」(94年12月29日/高畑・宮崎作品研究所 編/RST出版 自主発行)に掲載されたものです。


§1 高畑勲監督作品系譜論

はじめに

 映画「平成狸合戦ぽんぽこ(一九九四年、スタジオジブリ)」を論じるにあたっては、まず何よりも高畑勲監督作品の系譜を振り返らなければならないであろう。何故なら、昨今の高畑監督のモチーフは底流で一貫しており、その流れから隔絶された作品として「ぽんぽこ」を単独で評価することは不可能だからである。多くの映画論評にも一般的評価にも、この観点が決定的に不足、乃至は欠落している。
 高畑監督の経歴は、主要に以下のような四つの時期に概括・大別出来ると考える。
 第一期。一九五九年東映動画入社から、七一年同社退社まで。
 高畑氏は、東京大学仏文科卒業後、当時日本唯一の長編動画制作会社である東映動画に定期採用で入社。
 長編映画の演出助手、テレビ「狼少年ケン」演出等を経て、東映動画労働組合運動に参加し、委員長に就任。その活動成果の一切を賭けて制作された「太陽の王子・ホルスの大冒険(一九六八年、東映動画)」で、監督(演出)デビューを飾る。生涯の盟友となる大塚康生氏、宮崎駿氏、小田部羊一氏らとガッチリスクラムを組んだ革新的作品であったが、同作は興業的に失敗。高畑氏らは、責任を取る形でテレビ演出班へ降格。「ひみつのアッコちゃん(演出助手)」、「もーれつア太郎(演出)」などを手がけることになる。
 やがて、長編映画制作よりも安価なテレビ作品主軸となった東映動画社の首切り・合理化旋風を前に、高畑氏らは退社を選択する。
 第二期。七一年、Aプロダクション(東京ムービー系制作会社)移籍から、ズイヨー映像を経て、日本アニメーション社に在籍した九年間。
 「長靴下のピッピ」のアニメーション化を目的として、高畑・宮崎・小田部の三氏は、大塚氏の待つAプロダクションへ移籍。「ピッピ」が原作者の版権不許可で頓挫し、テレビシリーズ「ルパン三世(一九七一年、Aプロダクション)」を中途から宮崎駿氏と共同演出。
 「ピッピ」のコンセプトを詰め込んだ映画「パンダ・コパンダ(一九七三年、Aプロダクション)」「同・雨降りサーカスの巻(一九七三年、Aプロダクション)」を演出。日常生活描写に軸を据えた新スタイルのアニメーション制作を模索。
 さらに、テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ(一九七四年、ズイヨー映像)」「母をたずねて三千里(一九七六年、日本アニメーション)」「赤毛のアン(一九七九年、日本アニメーション)」の三作を演出。
 世界童話文学の映像化に際して、ロケーションによるリアルな舞台背景の創作、時間の流れに忠実なドラマ、徹底した日常性描写を突き詰める作風など、独自の演出姿勢を確立した。
 第三期。七九年日本アニメーション社退社、テレコム・アニメーションフィルム(東京ムービー新社の設立した本格的新人養成機関)への移籍、さらに同社退社に至る五年間。

 大塚・小田部両氏と若手・新人スタッフとが肩を組んだ映画「じゃりん子チエ(一九八一年、テレコム・アニメーションフィルム)」を監督。同テレビシリーズのチーフ・ディレクター就任(途中降板)。人気原作漫画の映像化に際して、名作路線の演出スタイルを発展させ、大阪の街と庶民性をリアルに表現することに成功した。
 わずか数人のスタッフで、長期に渡って制作を続け、ようやく完成した映画「セロ弾きのゴーシュ(一九八二年、OHプロダクション・自主制作)」を監督。宮沢賢治原作の短編を「青年の成長譜」という独自の解釈に基づき映像化。熟練の演出手法の土台に、日本の原風景を表現した淡彩調の美術、音楽と一体化した人物・動物演技の描き込みなど、存分に手間暇をかけた幅広さが加味された。
 ほか、日米合作の大作「リトル・ニモ(八九年に『ニモ』と改題されて公開)」監督就任とその途中降板など。
 この時期は、多用な仕事をこなした、いわば過渡的な時期である。
 そして、第四期。
 宮崎氏の強力な要請による映画「風の谷のナウシカ(一九八四年、トップクラフト)」プロデューサー就任から、「火垂るの墓(一九八八年、スタジオジブリ)」の成功によって、「日本を代表するアニメーション映画監督」という社会的認知を得た現在に至るまでの十年である。
 ここでは、「ぽんぽこ」について述べるという本旨に照らして、最も関わりの深い第四期に絞って展開したい。これ以前の作品からも一貫した流れはあるのだが、スタジオジブリ創設以降は、格段に制作条件が改善されたと思え、題材や表現においてかなり作家性を押し出す条件が整ったと言える。その意味では、高畑監督の三十年以上にわたる経歴の中でも、特殊な時期である。ここに焦点を絞ることは、近年一層顕著になって来た高畑監督のモチーフの確立と実践を追いかける試みともなろう。
 なお、作品制作には、制作会社の要求や自己都合、顧客層の設定、制作スタッフの技術水準など厳しい諸条件が付いて回っており、一概にプロデューサーや監督の志向のみで作品評価の確定は出来ない。しかし、ここでは範囲をあえて「作家・高畑勲論」に限定している。
 各作品の煩雑な制作経緯(とりわけ監督作品)の詳論は、次の機会に譲ることをあらかじめご容赦願いたい。

映画「風の谷のナウシカ」は現実を照らし出せなかった

 今日に連なる一連の高畑・宮崎作品の先駆けとなった映画「風の谷のナウシカ」。紆余曲折の交渉の末、この作品のプロデューサーを引き受けた高畑氏は、「巨大産業崩壊後千年という未来から現代を照らし出してもらいたい」と宮崎監督に激励をかねた一文を寄せていた。(記者会見用資料/映画パンフレット等)。実際、宮崎監督自身の原作漫画では踏み込みの浅かった「風の谷」の日常描写には、高畑氏のアイデアが採用された箇所(「蟲避けの塔」など)もあった。こうした共同体の労働・生活空間にリアリティを盛り込むという高畑監督のアイデアは、映画全体のバックボーンを構成する上で大きな比重を占めたと言えるのではないか。
 余談だが、「風の感じ方」をめぐる高畑・宮崎両氏の論議では、その後スタジオ名として採用されることになる「ジブリ(イタリア語。サハラ砂漠から地中海を越えて吹く熱い季節風のこと。)」についての話も話題に上っていた(徳間書店「月刊アニメージュ・八三年七月号」)。
 しかし、完成された映画全体の構成は、環境破壊問題や人間と動植物の共生問題を提示しながらも、最後は救世主降臨をうたうという、啓示的な結末を迎えてしまう。宮崎監督自身も、「ひっかかって仕方ない。宗教絵画になってしまった。もっと物理的な表現にしたかったのに。」と語っていた(徳間書店「ロマンアルバム 風の谷のナウシカ」)。
 エンタティメント映画としての完成度は高かったが、当初二人が一致して目指した、現代に通じる何らかの実践的内容が充分に表現されたとは言えなかったのである。
 高畑氏は、この作品を「プロデューサーとしては万々歳だが、友人としては三〇点の出来」と酷評した。その根拠として「今後の宮崎監督の可能性からの逆算」と「当初宮崎監督と話し合っていたような『現実を照らし出す構成』にならなかった」という二点を挙げていた(「ロマンアルバム・風の谷のナウシカ」)。
 当時、高畑監督は宮崎監督の依頼で「柳川堀割物語」の準備に差しかかっていたと思われるが、すでにこの時点で、「作品を通じて現実を照らし出す」という高畑氏の映像作家としてのモチーフは成立していたのであろう。
 なお、高畑氏は、この作品において、得意分野の音楽演出面でアドバスを行っている。このアドバイスが、かなりの箇所で生かされたことは、以降の作品を知る基礎として興味深い。

本物のファンタジーを模索した「天空の城ラピュタ」

 続く、宮崎監督作品「天空の城ラピュタ(一九八六年、スタジオジブリ)」でも高畑氏はプロデューサーを務めることになる。徳間書店側の「ナウシカ・パート2を」という要請を蹴って制作されたこの作品は、宮崎監督にとって集大成的意味を持つ大作であった。
 かつて高畑氏は、「宮さん(宮崎氏)がオリジナル企画で存分に仕事をできるようなプロデューサーが出て来て欲しい」と語っていた(「ロマンアルバム・未来少年コナン」)が、皮肉なこと(宮崎監督にとってはこれ以上ないくらい力強かったに違いないが)に自らがその役割を担うはめになったのであった。そして、高畑氏は「ナウシカ」以上に良きパートナーぶりを発揮したのであった。
 制作にあたって高畑氏は、徳間書店側に「アニメーターを使い捨てない、責任ある制作体制」という観点から、新たなスタジオ創設を宮崎監督と共に提案し、原敬氏を代表としてこれを実現。これが、スタジオジブリの始まりであった。(「ロマンアルバム・天空の城ラピュタ」)
 また、高畑氏は「産業革命の時期を背景とするならイギリスを取材してはどうか」と、宮崎氏に提案した。宮崎氏は、この提案を受けて、敬愛するジョン・フォード監督の映画「わが谷は緑なりき(一九四一年、アメリカ)」の舞台となったイギリスの元炭鉱町であるウェールズ地方などの取材旅行を行った。その結果、この作品冒頭の炭鉱町「スラッグ渓谷」の描写は、複雑な舞台構造の下で、厚みのある日常・人物描写が実現したことは周知の通りである。
 ここでも「現実を照らす」という高畑氏のモチーフが、ソフトな形で宮崎監督に溶け込んでいたのである。それは、エンタティメントの天才である宮崎監督の、敬遠しがちな分野をサポートする見事なパートナーぶりであった。

 余談だが、こうしたサポートは、宮崎氏の初演出(監督)作品であるテレビシリーズ「未来少年コナン(一九七八年、日本アニメーション)」で既に行われていた。比較的地味な日常描写の問われた「サルベージ船」の下り(九話・十話)や、自然環境と共生する共同体「ハイハーバー」の日常描写をじっくりと描くエピソード(十三話)では、体力の限界に四苦八苦していた宮崎監督を、高畑氏がピンチヒッターで支え、共同演出・絵コンテを担当しているのである。
 思えば、二人の志向の違いは、「アルプスの少女ハイジ」での役割分担(演出とレイアウト)当時から既に歴然としていたのである。
 また、「ラピュタ」の音楽演出一切を高畑氏が担当していたことは余り知られていない。ラストシーンの主題歌は高畑氏の提案によるものであった。観客が、映画の終わりに冒険物語を反芻する効果を狙ったものだと言う。
 驚くべきことに、「一切音楽なし」という腹案もあったと言う。(前述ロマンアルバム)これもまた、高畑氏の映像の力を信じる姿勢を示していて興味深い挿話である。
 最近のインタビューで、高畑監督はこうした自身の制作姿勢を「今の時代にありもしないニセのファンタジーを制作する意味はない」(シネフロント社「月刊シネフロント/九四年七月号」)とはっきり語っている。まさに、高畑・宮崎両氏は「本物のファンタジー」を追究したのである。

実践からモチーフを確立した「柳川堀割物語」

 続いて、高畑氏は初めて実写ドキュメンタリー「柳川堀割物語(一九八七年、二馬力・自主制作)」を監督する。

 一人の行政職員の尽力で、汚染された堀割が浄化され、地域の共同性が回復するという、感動的な事実を淡々と綴ったこの作品には、その後の高畑作品のモチーフ一切が詰め込まれていた。それは、簡潔に表現すれば「現代における自然と人間とのつきあい方」である。より具体的には、古来からの習慣や構造学に秘められた自然環境を重視した合理主義の素晴らしさ、日本型稲作農業の優位性、世代を超越した地域共同性を現代に取り戻す努力、自然環境と共生する村落の景観の美しさへの感動等であり、それらをどう現代に採り入れて実践に移すか、という内容である。
 高畑監督は、柳川に展開された現実の素晴らしさに心打たれ、自らの生きざまを揺さ振られたに違いない。同時に、まさに「現実そのものを照らし出す」ドキュメンタリーの持つ映像的な力に限りなく魅力を感じた筈である。自然と人間の共生というテーマと、「事実を客観的に描く」ドキュメンタリーの持つ力。この二点が、以後自らの土俵であるアニメーション作品に、基本的作風として構造的に織り込まれることになったのではないか。高畑監督のモチーフは、まさにこの作品以降、はっきりと体系化されたと言える。
 高畑監督の現在に至る系譜分析の際、この作品を抜きには一切を語れない。しかし、自主制作の文化記録映画であるためか、残念ながら既成の論評にはこの観点から述べたものが全く見当たらない。
 
現実を照らす客観主義の導入「火垂るの墓」

 翌八八年、高畑監督は、かねてからの念願叶って「火垂るの墓」を監督する。この作品で、「現実を照らす」姿勢は早速実践に移された。
 この作品には、「原作に忠実」という大方の映画評とは逆に、ドキュメント的な野坂昭如氏の原作をトレースしながらも、それにとどまらない高畑監督独自の演出が随所に見てとれる。
 まず高畑監督は、成仏出来ずに彷徨い続けている「幽霊」の主人公二人が「物語」を回想し、観客と同じように見つめているという、悲惨な二重構成の演出を創作した。ラストシーンで物語の主人公と「幽霊」の主人公は一体化し、現代もなお主人公たちは物語を演じ続けているという、「現代と過去の橋渡し」を提示して見せるのである。さらに、現代神戸のイルミネーションを浮かび上がらせて、「これは過去の物語ではすまされないのですよ」と観客に強烈な問題提起をして映画を終えるのである。
 そこには、主人公たちに感情移入した甘美なナルシズムや、戦争の悲惨一般を提示した「悲劇」として、抽象的に感動して一時間半涙を流すだけでは済まされない、残酷なまでに冷静な客観主義が流れていた。
 高畑監督は、同作品制作の意図として、地域共同性が解体し、皆が個人主義に浸る現代でこそ、この作品を評価しなければならないと再三語っていた。(記者会見用資料/映画パンフレット/「月刊アニメージュ・八七年六月号」ほか)高畑監督は、戦中にあって軍国主義に染まり切れず、従って地縁・血縁の協力も得られず、不器用だが正直に生きて必然的に死んでいくという、この作品の主人公たちこそ、個人文化に浸る現代の青少年たちの生き写しだと捉えた。原作が発表された上昇指向の高度経済成長時期には、こうした個人の孤立の悲惨や共同性の解体という問題の大きさを、広く一般が認めることは出来なかった。高畑監督は、混沌と混乱に差しかかる現代の社会環境と政治情勢の下でこそ、この作品の真価が発揮出来ると考えたのである。
 それは、戦争の運命の悲惨などを抽象的に訴える姿勢では断じてなく、あくまで現在を生きる観客に「あなたは、この物語で死んだ子供たちに見護られて生きているのですよ」「物語を生まないためには、今の世の中をどう生きていくべきでしょうか」という実践的問題意識を触発する、一種サブリミナル的効果を意図していたと言えるのではないか。当時の講演で、高畑監督は「反戦のメッセージを伝えようとしてこの作品を作ったわけではない」と明言している。(東京自治問題研究所発行「東京/vol6」)その意図に照らして、かかるラストシーンの創作は不可欠であったのである。
 しかし、残念なことにこうした高畑氏の制作意図は、作品評価には十分反映されなかった。「反戦映画の秀作」「戦争は悲惨だという監督のメッセージ」などという「過去の遺恨」への鎮魂碑的な作品評価しか生まれなかったのである。高畑監督の意図以上に、アニメーションによる表現力の豊かさに支えられたドラマの完成度が、大方の一般観客を圧倒したと言うべきか。評論家たちもまた、こぞって自らの責任の問われる「現代への橋渡し」を意識的に無視し続けたと言えるのではないか。
 また、この監督の意図に敏感な非実践的知識人たちは、こぞって「こんなものは見たくもない」と痛烈に批判していた。逆に言えば、このアレルギー反応こそが、高畑監督の「映画を通じて現代を生きる立場を問う」という実践的制作姿勢の重さを正当に評価していたとも言える。
 高畑監督は、この観客の「ドラマ性への率直な感動」を「制作スタッフの努力の成果」と認めながらも、真の制作意図が十分に反映されなかった反応に「反省した」と語っている(前述「東京」)。そして、この反省は次回監督作に引き継がれることになるのである。

久石譲氏との連携プレー「魔女の宅急便」

 翌八九年、高畑氏は宮崎監督作品「魔女の宅急便(一九八九年、スタジオジブリ)」で、正式に音楽演出を務めている。
 この作品には、プロデューサーのみを担当するはずだった宮崎氏が、諸般の事情から監督も兼任するという超ハードな制作体制となってしまったという経緯があった。高畑氏のサポートは不可欠であったと思われる。
 高畑氏は、この作品の音楽演出について「架空の国のローカル色を出す努力をした」と言う。また、「悲しい場面に意図的に音楽を入れない」という手法を採用した。ユーミン(荒井由美)の主題歌選択も高畑氏によるものであった。
 これまで述べて来た高畑氏の制作姿勢は、「助っ人」の音楽演出出あっても非妥協的に貫かれていたのである。
 「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「魔女の宅急便」の三作品は、周知のようにいずれも久石譲氏の楽曲によるものである。だが、三作品の音楽演出には、いずれも高畑氏が大きな位置を占めていた。
 久石氏は、今や押しも押されぬ日本映画界第一の映画音楽家だが、同氏の飛躍には、高畑氏との連携プレーが大きなプラス作用を生んでいたと考えるべきではないか。
 後に、久石氏が初めて「音楽監督」を担当したジブリ作品「紅の豚(九二年、スタジオジブリ)」と、高畑氏によるこれら三作品の音楽演出を比較してみることは、興味深い課題であるかも知れない。

実在地域と人物を土台に据えた「おもひでぽろぽろ」

 続く高畑監督作品「おもひでぽろぽろ(一九九一年、スタジオジブリ)」では、さらに創作箇所が増えることになる。少女時代の過去を生き生きと綴っただけの原作漫画に、「二七歳のOLとなった主人公の生活に重なる回想」という大胆な創作を加え、ほとんどオリジナル作品の印象を受ける仕上がりとなっている。これまで展開して来た「現実を照らし出す」という観点に沿って考えるならば、この作品における高畑監督の創作箇所に、極めて一貫した流れを見てとることが出来る。
 過不足ない都会生活を営むOL女性に普遍的に沸きおこる、「閉ざされた将来性」に対する抽象的な不安。トレンディな夜遊びや、軽い恋愛だけでは癒されない孤立感のような感覚。それは、地域共同性に基づく村落共同体の中で、自然環境との共生を実践するという、個人に分断された都会の競争社会とは逆のベクトルの中で生活している人間(とりわけ異性)の生きざまに触れることで、初めて癒されるという可能性もあっていい筈だ。
 この高畑監督の観点は、「火垂るの墓」の主人公に、個人文化に浸る現代の青少年をオーバーラップさせて描くことで、問題提起を促した姿勢を、更に「解決策」へと一歩進めたものである。映画は、都会の現代を生きる若い女性に対する、不安解消に向けた、より具体的・実践的な提起として、将来選択の可能性を広げて見せたと言えるのではないか。
 また、こうした提起は、高畑監督が特別に創作したものではない。実際、都会から「援農」に来るOL女性は少なからず実在しているし、時には農家の青年と結ばれることもある。高畑監督はその裏付けとして、舞台となる農村を、単に畑作・稲作農家として抽象的に描いていないことも注目に値する。物語の設定と一致する八〇年代初期から、若い世代を中心に活発となっていた一種の生産者・消費者交流運動とも呼べる側面を有する「有機農業」。そして、誇りある伝統的な地域特産物の生産・加工業。魅力ある農村復興の生きた実践的概念をキチンと提示しているのである。それは、まさに現実に進行している事象であった。むしろ、高畑氏の演出は、現実のモデルケース紹介とでも言うべき控目さに徹していたと言える。

 また、この作品制作に当たって高畑監督が試みた今一つの新たな試行は、実在する地域に生きる人間たちの営みをモデルとして映画の土台としたことであった。高畑監督は、テレビシリーズ「アルプスの少女ハイジ」制作の際、商業アニメーション史上初めて現地スイスへのロケハンを行ったことは周知の事実である。その後も、「母をたずねて三千里」のアルゼンチン、「赤毛のアン」のプリンス・エドワード島、そして「じゃりん子チエ」の大阪と、常に舞台となる地域に事前ロケーションを行い、現地の具体的な風景に基づく生活臭をすくい上げる演出を行って来た。この作品では、舞台背景となる山形県の伝統的地域特産品である紅花を生産する農家や有機農業農家という、極めて具体的な設定を行っている。ロケーションも実際にそこに生きる家庭に分け入り、作業工程から家族像、東北人の表情に至るまでをビデオ撮影した上で、アクション・コーダーを使用して作画に「再現」するという、恐ろしく徹底的なリアル志向が追求されたのである。
 また、ドキュメンタリー的に綴られる紅花摘み―加工の緻密な描写は、「日常動作を再刻印するというアニメーションの新たな可能性(新潮社「アニメの世界」)」をギリギリまで追求した成果でもあった。これらの手法もまた、現実を照らし出すドキュメンタリー志向をさらに発展させたものであることは言うまでもない。その底流には、自然と共生する具体的な職業として山形の紅花農家・有機農業農家、さらに村落共同体への尊敬と共感が流れているのである。
 高畑監督の「現実を照らし出す」というモチーフは、この作品で、現実の運動・実在の個人を深く自分の内側に採りいれ、消化した上で作品を制作するという、より鮮明な形へと発展したと言うべきではないか。原作の空気を損なわないことや、ドラマとして成立していなければならないこと、観客動員が成功しなければならないこと、などという諸々の厳しい条件から、それは必ずしも全面的に展開されているわけではないが、奥底に流れるものが一層はっきりとした形を成して来たことは、誰もが感じることが出来たのではないか。
 この作品の評価は、「火垂るの墓」以上にはっきりとした分解をとげた。中でも、高畑監督の姿勢に、「アニメーションでこんなものを観せられたくない」「農村はこんなに綺麗ではない」という類の強烈なアレルギーを感じた知識人・コラムニストは多かった。それは、表面的には映画一般への不満でしかないが、進んで考えれば高畑監督が照らし出した事実(実在する職業や人物)そのものに対する「考えたくない」という逃避に他ならない。このように、高畑監督の手法は、(題材を選んだ時点ではっきりしているが)観る者の姿勢を少なからず問う方向に進んでいると考えて良いのではないか。
 また、この作品の絶賛評もまた、「リアルな美術が素晴らしい」「少女が空に舞い上がるシーンの開放感」「過去(六六年)と現在(八二年)の融合の見事さ」など表層的な技術評価の域にとどまっているものがほとんどを占めていた。またしても、テーマ性や実践的観点の評価は棚上げにされてしまったと言えるのではないか。
 高畑監督は、「紅花研究をされている方も、有機農業を営む青年もうんと誉めてくれた。それが何よりうれしい。批評は作品についてのものでなく、田舎についての愛憎交々の都会人の本音を語ったものではないか。」と語っている(「ロマンアルバム・おもひでぽろぽろ」)。対外的評価の分岐も含めて、高畑監督が作品制作に見出した大方の意義は(「火垂るの墓」以上に)達成されていたのである。それは、農村についての関心や論議の高まりへの期待、OL女性が自分の可能性を拡大していける勇気を持つきっかけ、そして現場で頑張る多くの農民たちへの熱いエールであった。

十年の成果が結実した「平成狸合戦ぽんぽこ」

 そして「平成狸合戦ぽんぽこ」は、ある意味では必然的な流れとして、こうした十年の蓄積一切がブチ込まれた初のオリジナル作品となったのである。
 当初、杉浦茂の漫画「八百八だぬき」にヒントを得て、狸の面白おかしい様を扱うアニメーションという抽象的企画が、宮崎監督から鈴木敏夫プロデューサーを経て高畑監督に手渡された。高畑監督は、まずこれを、「昨今狸が民家に出没して餌をもらい、街中で道路を横断しては牽き殺される」という現実に頻発している事件と結びつけて企画を進行させたのである。それは、まさに「自然環境と人間とのつきあい方」の現状を明確に示している事件であったのだ。
 今度は、まず最初に現実に狸が出没している東京都下の多摩丘陵を訪れ、そこで狸保護・自然環境保全を実践する団体への取材を行った。都会の狸の現状から、生態観察、共存するための具体的な方策まで、多くのエッセンスをここで学び、物語の舞台は実在の多摩丘陵に設定されたのである。
 高畑監督は、この作品を実在の狸を追いかけた「ドキュメンタリー」であり、アニメーションの可能性を追求した「総天然色漫画映画」だと自ら銘打った。まさに十年来追求して来た二つのモチーフを存分にブチこんだと宣言したのである。では、それは具体的にはどのようなものだったのか。以下、感想を交えながら展開してみたい。


§2 「ぽんぽこ」テーマ論

なんでもありの「ちゃんこ鍋」映画 

 「平成狸合戦ぽんぽこ」に孕まれる内容は、童話、民話、童謡、伝説、伝承、祭祀、宗教、伝統芸能、歴史小説、と実に煩雑でありながら、それが現実に裏打ちされている。まさに日本の伝統文化と現状を多角的に切り取って煮詰めあげた作品である。しかも、複雑に絡み合った幾つもの要素を持ちながら、実にさわやかに作られていて力強く感動的だ。感動の中身は何とも言えず複雑であり、質・量ともに既成のエンタティメントの概念を越えたテイストと言うべきである。料理にたとえれば、精進料理でも、西洋料理でも、中華料理でも、トンカツ定食でもなく、「何でもあり」のちゃんこ鍋料理とでも言うべきだろう。

カタルシスの解体、あえてスッキリさせない

 「そんなスッキリしたカタルシスなんかないんです。けれども現代を見事に反映している。エンタティメントの枠を越えましたね。」とは、「ぽんぽこ」初号試写を終えた宮崎監督の弁である。実に見事に本質を突いた感想である。
 この映画には、スッキリとした結論や一本化された太い集約環がない。ラストに収斂されるクライマックスも大どんでん返しもない。物語は、個性も志向も思想も異なる狸たちによって、多層的かつ複合的に同時進行し、それぞれの現状を迎えて一応の終わりを見るだけである。
 物語は中盤の「妖怪大作戦」によって最大の山場を迎える。ここまでは、明確に「開発阻止」という大義の下に、すべてのキャラクターたちが矛盾を抱えながらも、一応意志を一つにして行動している。最大の決戦を人間に挑む下りには、ほのぼのとした中にも決然とした空気と迫力がみなぎり、満点のカタルシスを内包しているかに見える。ここで一気に、人間たちを改心させて狸たちが「大勝利」を収めたならば、物語は実にスッキリと痛快に終われた筈であった。しかし、高畑監督はそれを百も承知で、あえてスッキリした展開を拒否したのである。なぜならば、この映画の本質は、まさに結束した闘争敗北後の混乱と、個人(狸)個人(狸)への分解を正面から描き、さらにその先の現状報告を観客に示すことに最大の力点が置かれていたからである。
 宮崎氏は、左派思想を抱きながらも自由な個人主義を貫こうとして「紅の豚(一九九二年、スタジオジブリ)」を制作し、自己の混迷する思想状況を整理しようと漫画版「風の谷のナウシカ」を、混迷するままに完結させた。宮崎氏は言う。「グチャグチャになりながらも生きていくしかない」と。では、「グチャグチャする」のは何故なのか。「現代を生きていく」とはどういうことなのか。高畑監督は、この問題を歴史科学的観点から客観的に整理した上で、狸によるエンタティメントとして洗練・昇華させて見せ、さらに「一歩先」まで進もうとしたと思えるのである。
 また、この作品では「追い詰められた狸の末路を、あくまで狸の側に立って冷静な客観主義で追う」という演出が貫かれていた。けれども、同時にそれが、九〇年代の人間社会の混迷をも象徴するダブルイメージ効果を生んでいることは特に興味深い。
 余談だが、高畑監督は「最も好きなアニメーション作品の一つ」として「バッタ君町へ行く(一九四一年、アメリカ)」を度々挙げている。この作品もまた、「虫の観点」から人間社会を風刺した名編であった。この作品でも、人間は開発によって虫を脅かす存在として、あくまで外在的に扱われていた。あるいは、「狸の側に立って描く」という卓抜した発想は、この作品にヒントを得たものかも知れない。

壮大なる現状報告、「どっこい生きていく」こと

 この作品は、狸社会そのものの描写が基軸であり、何より観客が狸に象徴される野生動物の惨状に思いをめぐらすことが主たる制作意図である。しかし、一方で惨状に至る過程の物語展開に、狸を通じた現代社会を生きる人間の思想的・政治的現状報告が込められているとも解釈できる。それは、ラスト数分の以下のシーンに最も顕著であった。
 多少の矛盾と無理を繕いながらも突き進んでいった「開発阻止」「生活圏防衛」の理想が最大の決戦を経て破れ、ある者は敗北感に打ちひしがれ、ある者は闘争継続を訴える。指導者は金による闘争収集へのめり込み、より弱い者たちは新興宗教へ、武闘派は過激な玉砕戦法へとそれぞれ突き進み、各々が最大公約数の参加を拒否したセクト戦術を展開し、狸たちはバラバラになってしまう。ずっと本質的に孕んでいた矛盾が蓋を外されて噴出したと言うべきか。「開発阻止」「生活圏防衛」の気持ちは一つでも行動はバラバラである。そして、ついに再び一つにまとまることはない。
 残されたのは、新興宗教にも武闘派にも所属しなかった、まさに平均的な「化けられる狸」と「化けられない狸」である。「化けられる狸」は.、人間社会に同化して、ある者は中流的な家庭を築いてドリンク剤漬けの通勤労働の日々を送っている。また、ある者は占い師として生計を立てている。「化けられない狸」は、都会の片隅で残飯をあさり、ある者は車にひかれて呆気なく死に、ある者は人口エセ自然のゴルフ場の一角で昔ながらの生活を営んでいる。まさに、多様煩雑な社会に疲弊しながら、それでもしぶとく「どっこい生きている」のである。
 ラストにせり上がるイルミネーションショットは「火垂るの墓」を想起させるが、「火垂る」のそれが現代を抽象的に象徴するに止まっていたのに比して、「ぽんぽこ」のそれは、そこに生きている人間たち一人一人、狸たち一匹一匹が思い浮かぶほどの現実的な生活臭に裏打ちされている。
 この一連の展開には、実に数え切れないほどの隠喩が伺える。
 第一に、この展開は狸たちになぞらえた戦後日本のあらゆる抵抗運動の歴史そのものである。狸たちが右往左往しながら、やがて意志一致を見て闘争を展開していく様、混迷して分解していく様は、まさに労使紛争、差別糾弾闘争、民族解放闘争、空港建設反対闘争など、様々な抵抗運動の典型的な模写である。三井・三池争議、砂川闘争、三里塚闘争など多くの史実の影響が伺える。日本の社会主義運動史、日本階級闘争そのものの隠喩と受け取れなくもない。六〇年代―七〇年代の高揚、八〇年代の分散、九〇年代の混迷という戦後五〇年の歴史そのものが凝縮されているのである。
 九〇年代的な破綻と混迷もまた、史実に依拠しているが、高畑氏は特定の立場にたっていずれかの思想を批判も支持もしていない。地道で平和的な変革運動も、実力武装闘争も、新興宗教も、社会の底辺で従順に生きる生き様も、片隅の農薬漬けの自然環境で昔ながらの生態系で生き抜くことも、どれもを「有り得べき必然」として提示しているだけである。あえて言うなら、すべてをひっくるめて認めた上で、「どっこい生きていく」姿勢をとっているのである。それは、「立場」というほど生易しいものでなく、それしか選択の余地が有り得ず、逼迫した惨状を受け入れて生きていくしかないという厳しい現状認識でもある。
 第二に、「狸社会からの告発」という視点によって、人間社会を相対化している。
 物語同様の自然環境破壊が人間の住む土地に対して行なわれたならば、事前の移転補償などで大問題となり、あるいは裁判闘争の一つも起きようというものだ。ましてや、「事前通告なし」の着工などもっての他である。しかし、狸が住んでいたからといって何の支障も来さない。あくまで人間本位の人間社会の傲慢さ。これには、@「弱い立場の者を封じ込める」という人間社会内部の差別思想と、A動植物の生態系の軽視や自然環境との共存・共生の観点の欠落、という二つの皮肉が込められているのではないか。そして、その二つはいずれも人間の精神を物資消費中心の貧困なものと成す要因となり、生活環境の悪化をもたらし、長期的には結局「自分で自分の首を絞める」結果を招いていくのである。
 どちらも、現代社会において権力者から社会の末端に至るまで無数に行われてきたことであるし、現在も進行中の現実である。
 第三に、安易な懐古主義・復古主義との決別である。
 ラスト近く、狸たちによって開発以前の田園風景や野山が再現される。人々は狸と一体となって、「懐かしい」「あの頃は良かった」と共感する。攻撃的な「妖怪大作戦」とは打って変わって、初めて人間と狸の平和的交感が叶う情況が出来上がる。しかし、ここでも狸と人間はそこに埋没し切ってしまうことは許されない。狸と人間の間で、対等な和解が安易に成立することはない。過去はあくまで過去であり、現実に眼を瞑って一足飛びに戻ることは出来ないのである。
 狸と人間が共存出来た「過去が良かった」という事実を忘れないことは大切だが、戻れない現実を引きずってなお、「どう生きるか」がもっと大切なのである。あくまで、現状を直視した未来志向のために、過去の反芻が重要なのだ。この構造的に打ち出された主張は、映像文化ならではの素晴らしい隠喩である。
 第四に、現代に生きる人間たちの荒廃した感性と価値観を問い直す姿勢である。狸たちが決死の妖怪大作戦を試みても、昔の風景を幻出させて見せても、物語に外在的に登場する人間たちには、大きな意識変革が起こることはない。
 隠神刑部の命と引き替えに、妖怪大作戦が尻つぼみに終われば、「あ〜あ、もうお終いなのぉ」と残念がる子供たちを、「歯磨いて寝なさい」と現実に引き戻す母親。驚き叫び失神したりはしていたが、それが脅しだけを目的とした平和的手段であるから、尚更生活に及ぼす大きな影響はない。あるいは、子供たちもまた、あくまで現実を前提として、ヴァーチャル・リァリティよろしくゲーム感覚で受け止めていただけなのかも知れない。そして、おそらくこの超現実も、マスコミと同様二、三日学校現場と井戸端会議で話題にされた後、忘れさられてしまうのだろう。
 化物のオンバレードの中、屋台に居着く飲んだくれの中年二人が、「神経のせいだよ」と延々くだを巻く。実に長く感じるシーンである。おそらく翌朝になれば、酒の効果で夢であったか現実であったかの区別もつかず、あるいはそっくり忘れているのかも知れない。
 権太率いる特攻狸軍団を殲滅した機動隊たちには、何の感慨もない。職務を遂行して、工事の障害を取り除いただけである。テレビレポーターたちは、芸能取材やUFO探索と同じ水準で狸へも突撃取材を慣行する。それはひとえに視聴率のためである。
 ラストの「幻の田舎」は、狸たちの懐かしさに駆られた衝動によって消え去るが、子供たちの「なんか、餌あげたかったのにぃ」の一言により、一層現実に引き戻される。子供たちにとって、狸はペット同様の愛玩動物か、動物園の檻の中にいる生きた観賞物なのである。それは、現代人の小動物に対する接し方の典型である。
 これらの諸シーンは、物語上かなり一種不快なギャップ、違和感を感じる箇所ではないか。なぜなら、観客は、狸社会の視点で映画に参加している以上、狸の論理とかけ離れた人間の自己都合むき出しの冷淡な反応に、ある種の失望を感じるからである。ところが、同種の現象に際しての大多数の日本人の現実的反応は、まさにこの通りなのではないか。高畑監督は、こうした意図的な客観シーンの挿入によって、観客を改めて狸の視点へ強烈に転倒させることに成功しているのである。
 高畑監督は、あえて狸社会と人間社会を繋ぐ理解者や同情者を登場させたりはしない。仮に、狸と人間の中間に位置する人間が主人公として登場していたら、「良心があれば動物と理解出来る」という類の実に陳腐な教条的作品になっていたことであろう。観客は、良心的人間に感情移入することで、狸社会の現実からの逃避を許され、自分勝手な都合を免罪出来るからである。必要なのは、人間の良心一般を信じることでなく、あくまで狸社会全体への理解と感情移入なのである。
 けれども、高畑監督は没個性的で感動の薄い人間たちに対しても、説教じみた否定論を展開したりはしていない。現実をキチンと認めて、描き出すことに止めているだけである。手遅れとは言え、一応は狸に配慮した住宅を作ったりもするのである。実は、この生の日本人の現実を描くことこそが、そのまま感性を鋭く問う内容を孕んでいると思える。良心に訴える百の有り得ない感動を、狸視線からの一の客観が重さにおいて越えるのである。「狸からはこんな風に見えるのか」「これが自分たちの客観的な姿なのか」と。まさに実践的な価値観の転倒である。
 最後に、狸にこめられた日本人総体の体質の暗喩である。制作にあたって「今何故狸なのか」という質問が腐るほど繰返されたが、高畑監督は「シリトリの延長」と茶化してみせただけである。しかし、諸々のインタビューでは「現代日本人を象徴している」旨も語っている。これは映画を観れば一目瞭然だが、狸と人間がラストで見事な融合を遂げている。結局のところ、どっちもしんどい世の中を共に生きていかねばならない地上動物なのである。日本人があくせくと身銭を稼いで何とか生きているように、狸も同じ水準で「頑張っている」のである。「一挙的な解決方法はないけれど、よりよい環境を目指して共存していくしかないではないか」という突き抜けた楽観主義の獲得。それによって、混迷の時代をおかしくも悲しく乗り切って行こうという、実は当たり前の結論(現状認識)を、狸を通じて再認識・再刻印して見せたのではないだろうか。そこには、狸と共に、狸のように、時代に向き合って、しぶとくもたくましく生きていこうという高畑氏自身の生き様が込められていたのではないだろうか。それは、宮崎監督が漫画版「風の谷のナウシカ」で追求し続けた問題意識にも深く通じている。
 両氏が追求して来た「時代をえぐり取る」あるいは「照らし出す」という作風は、ついにここまで来たのである。

 以上、本作を現状報告という観点から五点にわたって分析して見た。それらは、いずれも現実の社会政治情況を背負いながら生きていく日本人として真摯に向き合わなければならない課題であると思う。その意味において、「実践の時代(記者会見での談話)」という高畑監督の発言と符号の一致を見た気がするのである。


§3 「ぽんぽこ」映像表現論

ドキュメンタリー的なキャラクター描写

 本作では、実に多くの狸たちのドラマが多基軸的に展開される。高畑監督によれば「主人公は不在」とのことだが、まさにカメラは一人の成長に固執しない。多くの狸が同じ時を生き、様々に成長し、死に様をさらす。それぞれは、まさによく類型化されがちな人物像(狸像)そのもので、どの狸が欠けても集団劇のリアリティを生み出せなかったのではないかと思う。
 しかし、あまりに多くの魅力的な狸が登場するために、いかんせん個々の性格や内面描写の踏み込みが浅いことも否めない。とりわけ、若い世代の狸たちの描写が不足している。
 比較的多くを裂いていた正吉については、模範生に過ぎて厚みが感じられず、人望に厚いリーダーという根拠に説得力がない。幼なじみのポン太との子供時代のエピソード、おキヨとの恋の駆け引き、出産と育児、権太との対立、闘争参加の立場の変転についての苦悩など、いくらでも描き込みの余地はあったのではないか。
 「化けられない狸」を代表する眼鏡の佐助にあっては、欠かせないキャラクターだと思うのだが、実に台詞の少ないもったいない使い方がされていた。
 美形キャラクターの玉三郎は優遇されていたと思うが、阿波での小春との別れのシーンは必要だったのではないか。
 文太は、旅から戻って落胆の感情的な台詞を喋って存在を初めてアピールするが、あれほど存在感のあるキャラクターに道中一言の台詞もなかったことは実に惜しい。
 普通の狸代表のポン太は、ラストのカメラを意識した観客への呼びかけで重要な位置を占める点で、救われていると言える。
 これらに比して、鶴亀和尚、おろく婆さん、六代目金長などのロートル世代は、少ない時間で見事にしたたかな厚みのある「狸臭さ」を醸し出すことに成功していた。権太の団塊の世代さながらの、独特の焦燥感・疾走感も的確に表現されていた。
 超豪華キャストの素晴らしさとプレスコ技術にも裏打ちされて、実に完成された納得のいくキャラクター達だった。物語の骨格は若者たちによって作られていくのだが、世界の深みと厚みは専らロートルによって作られていたと思える。高畑氏の本音部分での共感が、これらのキャラクターに込められていたことは、プレスコによるキャラクターとアフレコによるキャラクターという事前の選別によって歴然としている。
 しかし、二時間枠を制作・興行の限界と設定した際に、本作以上に踏み込んだ描写は不可能であったろう。それほどこの映画には無駄がない。なさすぎるのである。実際、「語り」抜きで、まともにこの作品を展開した場合、裕に四時間を越える超大作になってしまうだろう。あるいは、テレビアニメ一年分の時間と労力を費やしても足りないかも知れない。
 その点、客観的な時間の推移に沿って、余計な感情移入抜きに淡々と事象を追うドキュメンタリー方式は、実に的確な表現手段であったと言える。ドキュメンタリー方式でまとめられている以上、物語はあくまでキャラクターの具体的行動中心に進んでいくのであって、内面に分け入って行く架空の時間は設定出来ないのである。
 この映画には、無駄は一切ないのだが、全体を通じて「狸効果」とでも言うべき不思議と奇妙な間と余裕を醸し出す演出に成功している。これについても、必要場面だけ拡大することをドキュメンタリー的編集が可能にしているからかも知れない。この卓抜した構想の妙に比べれば、上述の不満など実に取るに足りないものである。

 高畑監督は「キャラクターが常に変化し、主人公も不在ということで、意図して特定キャラクターへの感情移入を避けることで、狸全体の運命に注目してもらいたかった(前述「シネフロント」)」旨を語っている。

衝撃的カメラワークの拒否、漫画映画のダイナミズムを抑制した演出

 本作はドキュメンタリー方式の年代記で綴られている。その全体構成に従って、あるいはスタジオジブリの表現形態の追求の成果として、実に細やかな日常的演技が描き込まれている。しかしその反面、漫画映画としての荒唐無稽なダイナミズムをあえて意図的に抑制していることは、テーマを暗示する大きな特徴である。
 たとえば、怪談「むじな」の変奏である「のっぺらぼう」の下りでは、あくまで緻密な演技でゆったりと振り向いて見せ、衝撃的なカメラワークが抑制されているために、観客は仰天する警官と一体となってハラハラドキドキすることは出来ない。工事現場で監督たちが、そのそっくりさんと出会う「追い駆けっこ」の下りでも、ロータリー正面を見下ろす俯瞰ショットであるために、どんな形相で逃げ回っているのか(緻密に描きこんであるのだが)解らない。その他、人間が化物に驚くシーンは数多いが、人間の必死の形相のアップや、変化した狸と出会う瞬間、驚き見つめる人間側の視点のズームアップなどは一つもない。
 これらのシーンは、お化け屋敷的な驚きのカタルシスや、破滅的なギャグ効果を狙ったものではない。あくまで、人間・狸双方を微笑ましく見つめられる程度の節度が保たれているのである。それは、他人を落としこめたり、見下したりすることで醸し出される類の「ギャグは嫌いだ」と語る高畑監督の、一生懸命やっていることが端から見ていると(自分自身の体験にも照らされて)ある種の共感に通じて「ユーモアを感じることが好きだ」という立場にも貫かれている演出姿勢である。
 同種の節度は、前述の「妖怪大作戦」に於いても貫かれている。同じロングのワンカットでも、屋台の中年の背後に切り取られたスペースで、対比的・重層的に展開されるのでなく、夜空一杯に存分に開放的に展開して見せたなら、それだけで満点の漫画映画となることが出来た筈であるが、高畑監督はあえてそれを拒否している。

 踏み込んで解釈するならば、こうした意図的に抑制された演出が、狸そのものを象徴するような、何事も不徹底で、どこか間の抜けた緊張感のない奇妙な感触を物語に与えているとも思える。その独特の感触は、むしろ漫画映画としての物足りなさの上に成立していたのではないか。

客観的に描かれる狸の四変化、現実を照らすカメラ

 総じて、本作にはアニメーション特有の衝撃的なアップショットは極端に少なく、ロングの長回しショットが多い。これは、ドキュメンタリー映画の常套ではあるが、セルアニメーションの場合、空白の多くなる画面を埋める緻密な画力と計算された空間把握が伴って、初めて可能となるものである。
 たとえば、本作で唯一派手なカメラワークを行う以下のようなシーンがある。
 稲荷神社をねぐらとしていた熊太郎という名の狸が、移転の儀式阻止の目的で「お使い白キツネ」に化けて人間たちを脅かす下り。キツネが「ケーン」と啼いて跳躍する瞬間、カメラは全体を捉えたまま驚くほど大きく垂直上昇し、反転する。ともすれば、キツネを中心に置いた安っぽい反転変化シーンに堕しがちなこのシーンは、実に見事な全体空間の把握によって、リアルかつ客観的な情景を作り出すことに成功している。
 これらの空間を捉えたシーンや妖怪大作戦のシーンだけでも、制作スタッフ諸氏の想像を絶する労力が継ぎ込まれたことであろう。これほロングと俯瞰シーンを多用した商業アニメーションは、おそらく日本で初めてではないか。それは、記号化された「顔だけ芝居」や極端に感情的なカメラワークを意図的に拒否していることを示している。
 また、狸の四変化や化学そのものは、メタモルフォーゼの特質を十二分に生かした素晴らしいアイデアと描写力で、漫画映画ならではのキャラクター造詣を可能にしている。しかし、それも即漫画映画のダイナミズムと結びついてはいない。狸たちだけのシーンもまた、あくまで客観に徹している。
 緻密な塗り分けによる描き込みが要求される「本狸(リアルな狸)」シーンは比較的近めにカメラが据えられることが多かった。しかし、本狸が低い視線で餌などを捕らえるシーンの例を引用するまでもなく、あくまで生態観察的な描写である。むしろ子狸シーンなどは、カメラを少し引いて数匹を写したロングショットが多い。狸社会の観察に立ちあうことで、観客は、人間・狸双方の視点を要求されるのである。並んだ三匹の子狸がカメラ(つまり観客)を一瞬見つめるシーン(その後のあくび)など、まさにドキュメンタリー的観察体験を味わえる演出ではないか。
 この対局にある、デフォルメされた「ぽんぽこ狸」、さらにそれが精神的に負けた時の「杉浦狸」に関しては、必ずモブ(集団)シーンで現われ、一匹だけで登場するショットはない。この二パターンの狸が登場するシーン、つまり合戦・集会・宴会では全体を映すロングショットが多用され、それぞれが勝手気ままに動き回り、すこぶる雑然としていて個々の面白さが印象に残るほど把握出来ない。セルアニメーション特有のデフォルメ・単純化の変化度合いに反比例して、カメラの位置は一層遠くなるのである。
 それは、かのミッキー・マウスが顔の造形の複雑化(目に表情を持たす)によって、全身で活躍するシーンを減らしていったことに代表されるセルアニメーションの歴史をそのまま再現しているようで興味深い。
 一方、前二者の中間で、唯一キャラクター判別が可能な「信楽ぶり(二本足で立っている最も多く登場する狸デザイン)」シーンについては、物語の進行義務に従って、メインキャラクター数人以上がカメラに納まるショットが多用されている。珍しい例外は、正吉とおキヨがハート型ボールを交換するシーンの半身ショットや、玉三郎と小春の別れを暗示するシーンなどである。これは、物語の展開上、短時間で愛情交換の報告を観客に提示するための「分かり易さ」を提供したサーヴィスショットと言うべきであろう。また、佐渡に赴いた文太が三度笠を降り仰ぐシーンもアップだが、これは台詞の一切ない「語り」シーンに、インパクトを残すことを意図したものだったのではないだろうか。

二時間に限定されない現実、観客に提示された宿題

 今一つの特殊な例外は、ラストのポン太による観客への呼びかけシーンである。極めて唐突かつ意外なこのシーンは、かのジャン=リュック・ゴダールのデビュー作品「勝手にしやがれ(一九五八年、フランス)」の冒頭、主演のジャン=ポール・ベルモンドが観客に向かって喋るという有名なシーンを思い出させる。ゴダールは、この一作で「架空の物語を観客に提示する(観客は映画に参加出来ない)」という映画の基本文法全てを破壊したと言われた。ポン太のこのシーンにも、それまでの物語を破壊しかねないほどのインパクトがある。ポン太は、振り向くだけでなく、わざわざカメラに立ち寄って自らアップとなって話しかけるのである。ここには、この映画のテーマが凝縮されている。

 観客に、カメラがあることを意図的に意識させ、「これは空想的ファンタジーではなく単にカメラを置いて現実を照らし出しただけだ」と、観客の非現実的空間への埋没を拒否する。そして、現実逃避でなく、現実認識を強力に訴え、「映画のあとは皆さんがそれぞれ主体的に考えて下さい」という一種の宿題を観客に提示しているのである。それは、おそらく監督自身にとっても重要な宿題なのである。
 試写会の席上、高畑監督は語っている。「狸に対する人間の関わり方―そんなもの知らないというのでなく、ただ可愛いというだけでもない、共に生きていく方策はないものかと考えてもらいたい」と。それは、映画を単なる二時間に限定された解放時間として完結させることでなく、観客一人一人の生活レヴェルにおける実践の可能性を示唆したものと言える。
 思えば高畑監督は、デビュー作「太陽の王子ホルスの大冒険」の冒頭シーンからすでに「観客を作品に参加させる演出」を心がけ、実践していた(徳間書店「ホルスの映像表現」)。本作品でも、その手腕は円熟の冴えを見せているのである。
 かつて、大島渚監督は「太陽の墓場」「日本の夜と霧(共に一九六〇年、松竹)」などの作品で、登場人物一人一人の思想的責任を追求する目的で、緊迫したシーンに全員のアップショットを度々挿入した。それは、観客自身が物語の現場に立ち会い、思想的立場を選択せざるを得ないという特殊な緊張感を生み出していた。
 偶然かも知れないが、高畑監督がスタッフとして関わったテレビシリーズ「(旧作)ひみつのアッコちゃん」「(旧作)もーれつア太郎」「アパッチ野球軍」などにも同様の意図を持った演出が度々見られたという記憶がある。(ただし、あまりに古い作品なので正確な記憶ではない。また、必ずしも高畑氏の演出であったわけではない。)
 こうした、「参加型」と呼べるような特異な手法は、映画が単に現実逃避の手段でなく、現実再考の基盤として日常に根を下ろすことも出来るという、娯楽にとどまらない可能性を示している。それは、ある種「後味の悪いもの」であるのは当然であり、そこにこそ演出意図もあるというものである。
 ポン太の呼びかけの後、カメラは狸たちの棲む多摩のゴルフ場からティルトアップ(上昇移動)して、新宿都庁を中心に広がる東京の夜景を映し出す。それはあたかも、呼びかけに応えなければならない筈の、われわれ観客一人一人の住居と生活・労働環境総体をこの物語と結びつけることを意図しているようである。
 高畑監督は語る。「狸の現状を知って哄笑なんか出来ますか?むしろ身につまされて欲しいくらいです。」と。
 本作品は、あくまで現実を照らし出すカメラで終わるのである。

初めて日本の四季を表現した美術

 高畑監督は、これまでもロケーションに基づく素晴らしい美術を引き出し採用して来た。「火垂るの墓」の時代交渉に基づいた神戸を再現した山本二三氏の美術。「おもひでぽろぽろ」のリアリズムに徹した上野駅や山形の里山の風景。そして、「ぽんぽこ」においては、美術監督・男鹿和雄氏が在住する多摩丘陵で、自ら行なってきた自然観察の蓄積に裏付けられて、まさに空気まで臭いそうな自然環境を表現して見せた。中でも、四季の日差しの軟らかさの違いの表現、木々や草花に溶け込みそうなアケビの実やツクシなどを黒の外郭線を被せて浮き上がらせた技術などは見事であった。

 一地域の四季をすっかり表現するという試みは、スタジオジブリ初の試みであった。かつて宮崎監督は、同じ男鹿美術監督による「となりのトトロ(一九八八年、スタジオジブリ)」で、これを試みたものの不完全(秋・冬はエンディングのスチールのみ)であった。やはり男鹿美術監督による「おもひでぽろぽろ」も、回想で断片的に季節が変わるものの、じっくり描けていたのは夏の風景だけである。日本の一地域の四季をじっくり表現することは、宮崎監督も以前から語っていたが「日本アニメーション界の課題」であったのだ。その意味でも「ぽんぽこ」の複雑な構成を見事に支え切った美術スタッフの仕事は、大きく評価されねばならない。
 また、狸たちが昔の風景を幻出させる「壮大な約六〇秒の真正背景動画(徳間書店「ぽんぽこ原作本」に掲載された高畑監督の企画書での表現)」シーンは、技術の粋を尽くした素晴らしい「アニメーション」であった。このワンシーンは、まさにセルアニメーションを超えた芸術の域に至っていたと言える。

音楽・初の実写・CGシーン尽きない見所

 この作品の音楽には、様々な東洋音楽を折衷した「上々颱風」が起用された。常に、テーマにふさわしい緻密な音楽演出を心がける高畑監督ならではの起用であった。それは見事成功した。淡々としながら、どこか懐かしい独特の効果を生んでいた。ラストの主題歌挿入は、前述のように「ラピュタ」の前例の上に、一層成功裡に実現されたと言える。
 また、本作で話題となったシーンに、狸たちがながめるテレビに好物の天ぷらが実写で映るシーン、図書館の書棚を横移動するCGシーン、妖怪大作戦冒頭で「トトロ」「キキ」「ザボイア(『紅の豚』の飛行艇)」を友情出演させたパロディシーンなどがある。これらのシーンに共通なことは、いずれも観客が見落としても差し支えない程度のシーンであることだ。いずれも、ジブリ作品最初の試みであったが、「見せ場」ではない。
 CGシーン挿入に関して、高畑監督は「手描きでは手間がかかる割に、効果が薄いシーンに「目立たないように」使用したと語っている。
ともすれば、莫大な資金を投じた豪華なCGシーンを最大の見せ場としがちなディズニーの長編制作姿勢に比して、地味な「引き立て効果」としての採用を意図していることは、単に資金差の問題でなく、あくまで「手作り」中心の制作姿勢に繋がっていると言えるのではないか。


§4 「ぽんぽこ」論評について

圧倒的に少ない論評、安易な絶賛

 最後に、各マスコミで展開された「ぽんぽこ」の論評について若干展開したい。日本映画界の御多分に漏れず、やはり「ぽんぽこ」についての論評は少なかった。特に、大ヒットしたという根拠もあってか、前作「おもひでぽろぽろ」以上に酷評が少ない。しかし、絶賛評の多くも、映画の構成が複雑なためか焦点が判然とせずに、「漫画映画としても楽しめて、環境問題も考えられる」という紹介一般に終始している感がある。
 高畑監督インタビューなどで、唯一共通のアレルギー反応は「人が死ぬ(狸に殺される)シーン」についてであった。「子供向けの漫画映画なのに生々しく残酷ではないか」という類の反応のようだ。終始、殺戮が表現される映像文化が主流の情勢にあって、都合の良いアレルギーとは思えるが、それほど子供文化の誠実な担い手としての高畑監督に対する期待が高かったことを示しているのだろう。しかし、この反応は「(子供たちのためにも)綺麗事を並べただけのニセモノのファンタジーを作る意図はない」という高畑監督自身の解説によって、それほど影響が広がることはなかったようだ。論評の類で、この観点からキチンと批判したものは今のところ見当らない。
 そうした中で、「キネマ旬報/九四年七月上旬号(キネマ旬報社刊)」に掲載された馬場広信氏の論評「ついに至った『気晴らし』の心境に心から拍手」と、「Cut/九四年九月号(ロッキング・オン社刊)」に掲載された渋谷陽一氏による高畑監督インタビューには、それぞれ独自の観点が盛り込まれており、大変興味深いものがあった。どちらの記事も、充分意義深いものと考えるが、それを承知の上で以下に私的反論を連ねたい。

馬場広信氏・渋谷陽一氏の「気晴らし」共感論批判

 馬場氏の論評は、「気晴らしの一言が言えずに、二〇世紀の反体制闘争は袋小路に終わった。」「殉死はいらない、気晴らしを。」という表現から、狸たちが「気晴らし」で意志一致して昔の風景を幻出させるシーンに最も心うたれたと読める。
 また、渋谷氏はさらに突っ込んで「気晴らしとまで言うのは高畑監督の転向ではないか。だとしたら素晴らしい達観ではないか。」という観点からインタビューを行っていると思える。
 二氏の観点は、「人間による乱開発と狸の絶滅の危機」というハードな現実に対して、「気晴らし」と言い切れる高畑監督に対する共感という点で共通している。しかしながら、この観点がそのまま高畑監督の意図した作品のテーマでないことは明らかである。高畑氏自身、この渋谷氏の問いに対しては「狸の立場からはそう言うしかないではないか」と真っ向から否定している(再録資料参照)。
 馬場氏や渋谷氏のいわば「高畑監督転向論」は、無責任な立場からの「実践放棄」に対する共感と思えて仕方ない。高畑氏の採用した「気晴らし」という表現を、実践的視座を棚上げにした「喜ぶべき転向」と捕らえ、自らの立場と共通の親近感を感じたというべきだろうか。
 馬場氏は、「殉死はいらない」と表現されていることから、「気晴らし」の対局に権太の特攻を見て、高畑監督が実力行使の愚かしさを表現されたと感じたのかも知れない。しかし、映画にはどちらか一方の肩を持つような表現は見当らない。映画はただ、「追い詰められた狸たちはこうなってしまうかも知れない」という「有り得べき必然」を提示しているだけである。また、高畑監督がいかに権太というキャラクターとその行動に共感していたかは察するに余りある。むしろ映画は、展開されたすべての事象を開発者・侵略者である人間としての観客自身の責任性に思いを致す構成に集約されていたのではないか。
 加えて、「二〇世紀の反体制闘争が気晴らしの一言が言えずに袋小路にはまった。」という表現は、余りに重い問題を根拠を提示せずに断言していることに疑問が残る。ここでの「気晴らし」とは何を意味しているのか不明であるし、反体制闘争は、(その一面的な評価こそ困難だが)現在も世界中で命をすり減らして頑張る人々や組織によって継続されているのである。
 一方、渋谷氏はポップミュージック・ジャーナリストの立場から、「メッセージソングだって痛苦な現実に対する気晴らしなんだ」「創作物に責任を感じて、その問題自体をヘヴィに抱え込んでしまわなくったっていいんだ」と強調して、高畑監督を激励している。一言で言えば「いくらヘヴィな映画を作っても、気晴らしでと開き直ればいいではないか」という内容だと思える。これまで述べて来たように、この渋谷氏の主張は、高畑監督の制作姿勢とは決定的なズレがある。
 「実践を問われたくない観客」と「実践と無関係な創作者」の関係が、「どんなにヘヴィでもたかが映画、たかが気晴らしなんだ」というファクターで結ばれて、双方が免罪されてしまうという無責任な関係を無数に作る。そういう大衆芸術なり、創作物の役割が日常生活に不可欠であり、重要であることは事実だ。私自身、受手としての担い手でもある。しかし、高畑監督の志向がそこを目指しているとは到底思えない。高畑監督は、映像表現という自分の土俵で、現場で頑張る実在の人々の心に極力接近することを模索している。それは、実践放棄の「無責任な気晴らし」などではなく、むしろ表現者としての自己都合を最大限に生かした「具体的実践」である。
 また、渋谷氏は「おもひでぽろぽろ」の「農家の嫁問題」と、「ぽんぽこ」の「自然破壊問題」という、題材の直接的な不連続性を指摘して、自由な問題意識による目先の変転をバックアップしている。これも、これまで述べて来た観点から見当違いと言えるのではないか。「農家の嫁問題」(「おもひでぽろぽろ」のテーマはこれではないが)とは、突き詰めれば、自然環境と人間が付き合うことの大切さ、それを職業としていく素晴らしさを、若い世代がどう感じるかということに尽きるのであり、それは「ぽんぽこ」のテーマと見事に一貫している。むしろ、より実践的方向を指し示していると言えるのではないか。
(なお、この論拠の詳細な裏付けに関しては、本誌掲載の「鈴木敏夫氏インタビュー」と「桑原紀子さんインタビュー」を参照されたい。)
 


結 語

―世界の入口としての作品の意義―

 以上、「平成狸合戦ぽんぽこ」について思いつく限りの拙文を連ねてきた。
 「ぽんぽこ」は、混迷する時代そのものと、それを反映して荒廃するアニメーション産業、日本映画産業全体に投じられた、アニメーション監督・高畑勲氏渾身の一石である。
 同時に、ボロボロに破壊されてしまった日本の自然環境に思いをめぐらせ、人間の自己都合を戒め、少しでも環境回復への実践を期待するという、まさにわれわれ日本人の生きざまの問題、現代を生きる責任の重さを提示していると言っていい。この責任を回避して生き続けるよりも、まずは責任を引き受けて生きていくことにこそ、人間性の回復や幸福と言うべき内容があるのではないか。それは、未来を志向する人間としての新たな常識と呼べるものかも知れない。
 何より、そうした実践的視座を培う入口としての作品というところに「ぽんぽこ」の真の意義があったのではないだろうか。
 このような偉大な作品こそ、何度でも論評に伏され、存分に研究されねばならない。当「高畑・宮崎作品研究所」に於いても、本誌制作を契機として、さらなる検討を自己課題として肝に命じたい。

 なお、高畑監督は当面休養すると思われるが、永年の知己であるアニメーション研究家おかだえみこ氏のインタビュー(「キネマ旬報/九四年七月上旬号」)によれば、「(次回作は)セルアニメの常識を外したラフスケッチのような手法で娯楽長編を制作したい」旨を語っている。かなり思い切った企画であるが、もし実現すれば、セルアニメーション一辺倒の日本商業アニメーション史に、革新的な一項を加えることになるであろう。
 アニメーション表現の可能性をさらに追求していくであろう姿勢と、あくまで良心的日本人としてテーマの実践を追究する作風。高畑監督のこうした作品制作を、同じ時間を生きる一ファンとして、心からの感謝をこめて、じっくりと見守り続けたい。

        一九九四年十一月二〇日


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