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高畑勲監督 表現の"革命家"
仏アニメーション映画祭 名誉功労賞

文責/叶 精二

※以下の文章は「日曜版 しんぶん赤旗」(2014年7月6日発行)に掲載されたものです。


(原題)
高畑勲監督が仏アニメーション映画祭で名誉功労賞を受賞
半世紀以上に亘りアニメーション表現を開拓


 去る六月九日、フランスで開催されたアヌシー国際アニメ−ション映画祭で高畑勲監督が名誉功労賞を受賞した。高畑監督は大きな拍手を受けて登壇し、「長生きに対する賞だと思っています。この仕事を五十五年やってきました」と語った。観客からは「真の名人」「彼は表現の豊かさで革命をもたらした」などの声が聞かれた。これに先立ち、カンヌ国際映画祭の監督週間でも『かぐや姫の物語』(二〇一三年)が上映され、「世界中の人が観るべき」「殿堂入りに値する作品」など絶賛評が相次いだ。
 高畑監督は、大塚康生・宮崎駿・小田部羊一・近藤喜文・田辺修ら優秀なスタッフと共にアニメーション表現の開拓に挑み続けて来た。
 初監督(演出)作『太陽の王子 ホルスの大冒険』(一九六八年)では、実在感のある村落共働体の生活と労働の描写に挑戦。人物の複雑な心理描写に力点を置き、矛盾した感情を内包した表情や繊細な仕草を追求した。それは、抽象的な舞台で記号化された喜怒哀楽を演じていた当時のアニメーションにとって、まさに革新であった。
 『アルプスの少女ハイジ』(一九七四年)ではスイスとドイツのロケーション・ハンティングを元に、人々の暮らしと労働、子供たちの感情の高まりや何気ない仕草、それを包む自然環境の魅力をスローテンポで丹念に描出。刺激的なドラマ頼みで一顧だにされなかった「アニメーションによる日常芝居」の可能性を開拓した。
 『母をたずねて三千里』(一九七六年)では、定石の明るく素直な良い子像を退け、大人に頼らない自立型の主人公像を創出。
 『火垂るの墓』(一九八八年)では、戦中戦後の神戸を舞台に、尊厳ある日本人の顔と演技のリアリズムを追求。ラストシーンに現代のイルミネーションを被らせ、「すっきりさせない」「考えさせる」結末を用意した。
 『ホーホケキョ となりの山田くん』(一九九九年)では、素描風の線描を水彩調で仕上げ、画風を刷新。人物を色面で塗り潰し、写実的背景とセットで撮影する「セル・アニメーション」様式から脱却した。
 そして、『かぐや姫の物語』(二〇一三年)では、古典を題材に平安時代の風俗を再現。素描風の新様式・複雑な心理・多義的結末など全てのモチーフを深化させ、総決算的超大作として完成させた。
 ほかにも、カメラワークや編集に頼らず、固定カメラの長回しで演技の起点から終点までじっくりと見せる設計など、極めて難易度の高い表現に挑んで来た。弁証法的に過去を否定し、常に高次の志を掲げて新たな表現に挑み続けた高畑監督の足跡は、世界のアニメーション監督・映画人の尊敬の的となって来た。その前人未踏の巨大な功績は、今後も国内外で世代を超えて賞賛され続けるであろう。

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