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『かぐや姫の物語』作品論
「弁証法の人」高畑勲監督の到達点

文責/叶 精二

※以下の文章は「キネマ旬報セレクション 高畑勲」(2013年11月26日/キネマ旬報社発行)に掲載されたものです。





 高畑勲は「弁証法の人」である。一つの成果を得ると、必ずそれを否定し、より高次の段階へと歩を進めて来た。
『かぐや姫の物語』(二〇一三年)は、その今日的到達点である。

●セル・アニメーションの可能性の模索

「ぼくはアニメとはいわずにアニメーション、と必ずションをつけていうんですが、最近はみんな“アニメ”になっちゃった(中略)何でも作れると思われるようになって、アニメーションとは何かというようなことがほとんど言われなくなってしまった」
(「高畑勲インタビュー」『ぴあ 一九九四年七月十九日号』ぴあ社)
「アニメーションの歴史が、映画より古いことはよく知られている。しかし、映画の発明以来、アニメーションはフィルムとして作られ、フィルムのメカニズムに従属し、映画の一ジャンルとなった。これは当然である。フィルムのメカニズムは、それ自体、アニメーションの原理によって成り立っているからである。したがって正しくいえば、実写の映画がアニメーションの一ジャンルなのである。(中略)日本ではアニメーションのうち、“アニメ”だけが隆盛を誇っているように見える。しかし、試行錯誤も実験も開発研究も人材の養成訓練も許されない低予算の業界の中でひしめき合っている私たちに、どうしてこの隆盛を謳歌できようか。前途にはっきりとした希望を抱いている人たちが何人いるのか。今、“アニメ”ははっきりと危機を迎えている。しかし、その危機を乗り越えていかなければならないのも私たちである」
(高畑勲「若いアニメ演出家へのノート」『講座アニメーション3 イメージの設計』美術出版社 八六年)

 アニメーションの語源はラテン語の「アニマ(生命)」。視認の最小単位である1/24秒=1コマを、人間の手で創造出来る唯一の方策である。平たく言えば、コマ撮りによって万物に生命を与えることが可能だ。そこでは無限の弁証法が成り立つ。
 それに比して、「アニメ」は余りに限定的で窮屈である。「アニメ」を仮に定義すれば、物語性に富み(漫画原作が多くを占め)、キャラクターが際立ち、技術・日程・予算・制作規模の全てが過酷な条件下で制作され、技術的には「セル・アニメーション」ということになる。「セル・アニメーション」とは、透明なフィルムである「セル」にフラットな黒線で描かれ均一な色面で塗りつぶされたキャラクターと、ポスターカラーなどで写実的に描き込まれた背景をセットにして撮影する、技術上の区分を指す(現在はセルは存在せず、デジタル上でレイヤーとして処理されている)。広大なアニメーションの一ジャンルだが、日本ではこの技法の作品だけが異常発達した。
 「絵を描かない」高畑監督は、大塚康生・小田部羊一・宮崎駿・近藤喜文ら優れたアニメーターや、井岡雅宏・椋尾篁・山本二三・男鹿和雄ら背景美術のスタッフたちと共に、より緻密なセル・アニメーションを目指して来た。曖昧な舞台設定を否定し、衣食住から地形・小道具・風俗まで存在感のある舞台を構築しようと務めた。記号的喜怒哀楽、または無表情で済まされていたキャラクターに繊細な「中間的」演技を要求した。一例として、『太陽の王子 ホルスの大冒険』(六八年)のヒロイン・ヒルダの怒りと悲しみのないまぜになった般若風の嗤い顔、父の臨終のホルスの潤眼(瞳のハイライトを揺らす技法はその後常套となった)など。「危機」突破の模索は、早くから行われていた。しかし、弁証法的追求は自ずと様式の限界を引き寄せる諸刃の刃でもあった。フラットな線描、塗りつぶされたキャラクターでは表現の幅を広げることが困難だ。
 高畑監督は、「長くつ下のピッピ」(七一年)の企画時に、従来のセル様式と異なるスタイルを模索していた。『じゃりン子チエ』(八一年)では、漫画原稿のようなスタイルを目指すも、技術的困難さから実現せず。結局、背景のみペン入を施し、水彩画風に仕上げられた。 水彩をはじくセルをどう塗るのか、素描のトレスはどうするのか、撮影上の諸問題等、アナログ故の難問山積であったと思われる。  
 『火垂るの墓』(八八年)でも、別スタイルを模索したが、準備不足で従来型に。セル様式に留まる以上、弁証法は演技を一層突き詰める方向に機能させるしかない。この作品では、作画監督の近藤喜文と共に日本人的なキャラクターを創造し、骨格・体型・演技にこだわった。プレスコによって音声を事前収録して作画行程に活かす試みも、この作品が起点となった。
 続く『おもひでぽろぽろ』(九一年)では、「現代編」キャラクターは、作画監督の近藤喜文と共に頬骨や笑い皺まで線で描く表情表現に挑み、東北出身の男鹿和雄の背景の写実的リアリズムは頂点に到達。いよいよセル様式の表現は袋小路となり、弁証法の行き場を失った。一方で、回想の「過去編」では、線を減らしたキャラクターと白味を活かした水彩風美術を採用し、実験的成果を上げている。
 『平成狸合戦ぽんぽこ』(九四年)もセル様式であったが、男鹿和雄の美術は描き込みを減らし、キャラクターも狸中心のドキュメンタリー風年代記とすることで、構成的には新たな挑戦となった。
 一方、高畑監督は一九八二年頃に渡米した際に鑑賞したフレデリック・バック監督『クラック!』(八一年カナダ)に大きな衝撃を受けた。白い空間に描きたいものを描き、人物が動く瞬間に空間が立ち現れるという特異な演出、色鉛筆で素描風の原動画を一人で描くという技法、人間の芝居の追求、社会的メッセージなど、あらゆる点でセル様式を超越する為の指標と仰ぎ見ることとなった。その後、高畑監督はバックが来日した際に何度か対談を行い、解説書『木を植えた男を読む』(一九九〇年 徳間書店)を上梓、二〇一一年の「フレデリック・バック展」(東京都現代美術館)にも協力するなど、現在まで親密な交流が続いている。


●『となりの山田くん』を超える線描への挑戦

長年の弁証法が完遂されたのは、彩色や撮影が全てアナログからデジタルへ移行した『ホーホケキョ となりの山田くん』( 九九年)であった。デッサン調の主線をスキャナーで取り込み、色だけを別動画で塗り分け、塗り残しを活かすため背後に白いシルエット動画を重ねる。デジタルで三枚を一枚に合成する水彩画調動画システムを構築した。素描風の四頭身のキャラクター、見せたいものを集中的に描き、背景は大胆に描き飛ばす。各場面が一枚の絵のような質感を保ったまま動く。描き込んだニセのリアリズムを捨て、演技によって実在感を想像させることを目指した。それは、世界でも類例のない長篇アニメーションであった。打ち上げパーティで登壇した高畑監督は次のように語って周囲を驚かせた。
「これが当たろうが当たるまいが、人が一人も来なくたって、アニメーションの表現上は成功したと思います」
 しかし、高畑監督は『山田くん』をも超えて行く。いくらデジタルで生の線を活かしたと言っても、作画監督の修正画・原画・動画と行程毎に別人が描き分けた画の束をそのままスキャンするわけではなく、動画が一旦全部を清書して線の統一を図る。そうでなければ、一コマ毎に線がガタつき奇妙なブレが発生する危険性がある。
 しかし、監督は上手な作画監督や原画の線をそのまま使いたいと提起。『かぐや姫の物語』のスタッフは、撮影・スキャンの調整、作画監督のニュアンス統一などの試行錯誤を繰り返し、ついに作画設計の田辺修の画をそのまま動画の一部として違和感なくとり込むことに成功した。線の強弱・濃淡とフォルム変化を活かした揺れ動く姫の表情、流れるような線の束で描かれた姫の長髪の動き、着物とその柄まで色線で描くなど、かつてない表現を獲得した。
 また、『山田くん』の背景は、アニメーターの描いた背景原図の線画にサッと色を引いたもので、美術的な見所はほとんど存在しなかった。あっさりした水彩画でありながら、見せ場の多い美術をどう描くか。これまた無理難題である。『ぽんぽこ』以来の美術監督に復帰した男鹿和雄と高畑監督は、小さなサイズに描かれた水彩画をデジタルで拡大して合成するという技法を開発。線描と余白を活かし、端的で美しく、どこか懐かしい画期的な背景美術を完成させた。
 高畑監督は次のように記している。
「このアニメーション映画が見るに値するものとなることは断言できます。なぜなら、ここに結集してくれたスタッフの才能と力量、その成し遂げた表現、それらは明らかに今日のひとつの到達点を示しているからです。それをこそ見て頂きたい。それが私の切なる願いです」
(「半世紀を経て」『かぐや姫の物語』チラシ掲載文)
 「絵が動く」という原初的な感動を伝える、世界でも類例のない長篇アニメーションの誕生である。


●原作「竹取物語」の補完と再構築

 シナリオの弁証法はどうか。まず、 『かぐや姫の物語』は「竹取物語」の忠実な再現ではない。「竹取物語」には次のような不可解な謎が多く、理解しにくい。
・月の使者は「罪の償いの期間が終わったので、迎えに来た」と語るが、その罪が不明。
・かぐや姫は「月の王との“契り”によってこの地にやってきた」と語るが、契約内容は不明。
 企画のスタートは約五十五年前にさかのぼる。当時、東映動画で内田吐夢監督を招聘して「竹取物語」の映画化が検討され、新人だった高畑監督も企画案を書いたという。高畑監督は、原作の多くの謎を解き明かす新設定を探し当てることが出来れば、映画化は可能と考えた。それは、まさしく「竹取物語」を弁証法的に発展させることであった。ちなみに、「竹取物語」は後年の略称で、古くは「かぐや姫の物語」「竹取の翁の物語」と記されていたらしい。
 原作の主な登場人物は、翁と媼、名付の秋田、五人の貴公子、御門だけ。竹から生まれて三ヶ月で成長し、すぐに成人の儀式となり、後は貴公子たちの求婚話が延々と語られ、御門が登場し、月へ帰還する。映画前半部の山での暮らし、子供たちの遊び、捨丸と木地師集落、都への転居、教育係の相模や付人の女童、媼とかぐや姫の関係、大切な庭、かぐや姫が地球に送られた由来などの設定は、全て監督のオリジナルである。要約すると、原作は貴公子や御門をやり込める挿話に多くの項数と力量を割いているが、映画ではそれらは圧縮、改編されている。
 大きな変更はラストの御門のシーンである。原作では、かぐや姫は唯一御門とは三年間も歌を交換し、次第に心を通わせる。姫は昇天の際、御門にと手紙と不老不死の薬壺を手渡す。御門は悲嘆し、天に最も近い駿河の山頂で薬と手紙を焼くことを命じる。その山は「不死山=富士山」(または武士が大勢登山したので「士が富む」)と命名された、と結ばれている。
 物語の成立当時は御門を讃える前提は不可欠だったのであろう。高畑監督は、かぐや姫は御門に抱きすくめられたことで、帰還の意志を示してしまうという真逆の構成を選び取っている。かぐや姫が心を通わせるのは、大地と共に生きる捨丸だけであるが、彼には妻子があるという皮肉。原作より姫の動機や心情が明解となったが、この改編は御門との立場違いの報われぬ恋よりも、ずっと現実的で残酷である。
  高畑監督は、これまでも原作を忠弁証法的に検証し、再構築した来た。 
 『かぐや姫の物語』と表層的な共通項が多い(※註)『アルプスの少女ハイジ』(一九七四年)も然りである。
 原作『ハイジ』(岩波少年文庫版で約五百項)では、中盤のフランクフルトの都市生活編が半分を占め、アルムの山の生活編は冒頭+帰還+クララ治療でようやく半分。高畑演出のテレビシリーズでは、アルム編18話+フランクフルト編17話+アルム・クララ編17話という均等三部編成。『かぐや姫の物語』同様、明らかに山の生活に力点が移されている。 また、原作者ヨハンナ・スビリは、敬虔なクリスチャンであり、作中に訓話的描写が多い。終盤、クララに嫉妬したペーターは、車椅子を崖から落として壊し、罪の意識にさいなまれ、懺悔によって免罪される。おじさいんは教会に通い始め、信仰によって救済される。こうした描写は高畑演出では全て改変された。これも御門崇拝の削除に通じる枝葉の剪定と言える。
 高畑演出の奥深さは、「忠実な再現」ではなく、素材に弁証法的に向き合い、弱点を止揚した上で再構築し、映像的に補完するところにある。

(※註)たとえば、かぐや姫と子供たちが山葡萄を採って食べるシーンは、『ハイジ』で創作された挿話(『第8話 ピッチーよどこへ』)のセルフ・オマージュのように思える。なお、このシークエンスのアイデアは美術監督の井岡雅宏による。


●ファンタジーの否定〜ハイジになることを許されないかぐや姫〜

 『ハイジ』と『かぐや姫の物語』は表層的に似てはいても、根本的なテーマは全く異なっている。
 『かぐや姫の物語』前半の瓜を分け合って食べるかぐや姫と捨丸。都への転居後、はしゃいであちこち走り回るかぐや姫。ラスト近く、抱き合って回り、草むらに転がって天を仰ぎ、手をつないで雲海の上を飛翔するかぐや姫と捨丸。それらのシーンに宮崎駿監督作品『天空の城ラピュタ』(八六年)のシータとパズーの地下坑道やラピュタ到着後、『となりのトトロ』(八八年)冒頭のサツキとメイ、『千と千尋の神隠し』(〇一年)の千尋とハクのスカイダイビングなどを想起する観客もいることだろう。
 しかし、空想で空を飛ぶというシーンは、『アルプスの少女ハイジ』や『赤毛のアン』(七九年)のオープニングで試みられていたし、二人で食物を分け合って食べたり、草むらに寝転がるシーンも、ハイジとペーターが何度もやっていたことだ。転居ではしゃぐ設計もハイジの冬の家の引越(『第38話 新しい家で』)が元にある。元は、高畑・宮崎両監督が共同で開発して来た表現であったと考えられる。
 しかし、高畑監督と宮崎監督の演出意図は全く異なる。宮崎監督の前述シーンは、幸福の予感や大団円のカタルシスを準備するものとして設計されている。つまり、『ハイジ』同様に心地良い。一方、『かぐや姫の物語』で描かれる歓喜の瞬間は束の間であり、すぐに現実に引き戻され、悲嘆にくれる。つまり、『ハイジ』のように心地がよろしくない。
 かぐや姫と翁と媼の別離の愁嘆場、「阿弥陀来迎図」を模した月の使者たちが奏でるのは余りに陽気で場違いな「天の音楽」。そのコントラストは強烈で、感情移入に浸りたい観客を醒めさせる。何度も歌われる「わらべ唄」「天女の歌」(作詞/高畑勲・坂口理子、作曲/高畑勲)やかぐや姫の見事な琴の調べも、感情操作の後付け「劇伴」ではない。観客は劇中で歌われ、流れた歌や音楽を登場人物と共に聴く。 冷静な客観主義に基づく対位法的音楽である。
 これらの設計は、おそらく高畑監督のファンタジーに対する強いメッセージに裏打ちされている。監督は、心地よいファンタジーが巷に溢れていることに警鐘を鳴らして来た。主人公の心情に寄り添い、主観的に切り取られた世界しか描かれず、背景の社会構成や客観的情勢などは視界の外に追いやられてしまう。愛や勇気や超能力を発揮すれば乗り越えられる問題が提示され、解決不能の絶望的現実や報われない努力などは提示されない。以下、監督の言葉を引用する。
「『ハイジ』はやはり広い意味でのファンタジーでしたし、そのつもりで、こうあってほしいという理想像を描いたんです。しかし、それ以降、結果的にファンタジー的なものはやらなくなった。日常生活のなかでリアルに感じる世界を扱うことが多くなり、舞台も日本に限定するようになった。なぜかと言えば、ファンタジーは日本中に溢れている(中略)こうなると、すぐれたものでもファンタジーは害にしかならないんじゃないかとさえ言いたくなります。だから僕はこのところずっと、現実と繋がってしまっているもの、すこしザラザラした感じのものをとつねに思いながら作っています。「よかったア」と言われて終わってしまわないようにしようと努力してきた」
(「『ホーホケキョ となりの山田くん』を語る  高畑勲」『シネ・フロント 273』九九年)
 『かぐや姫の物語』は、「竹から生まれた絶世の美女で月世界人」というファンタジックな設定を下敷きにしながら、それによって誰一人幸福を手にすることがない。まさにファンタジーによって引き裂かれた人々の悲劇を描いている。かぐや姫が、明るさで周囲に幸福をふりまくハイジになることは決して許されないのである。
  また、作中で消滅した木地師集落について、炭焼が「樹木を伐採した後に植林し、数年後に戻って来る」と語るシーンは印象深い。高畑監督は、かつて『もののけ姫』(九七年)について「事実と違っている」と批判していたが、その内容の一端が示されているのではないか。タタラ製鉄もまた、実際には植林を行い、刈り尽くすことはしなかった。つまり、森を滅ぼせば自滅することは、古来熟知されていた。このシーンは、自然と共に歩む資源再生・循環の提言であると共に、ファンタジーであっても、史実を勝手に誇張・改ざんすべきはでないというメッセージも含まれていたのではないだろうか。
 他にも、捨丸とかぐや姫の都での一瞬の再会は、『母をたずねて三千里』(七六年)の、殴られるパブロを貨車の中で声を殺して泣きながら見送るマルコ(『第45話 はるかな北へ』)を連想させる。後者は、高畑監督が媚びない少年を主人公に設定し、心地良いファンタジーと決別した作品である。


●半世紀に亘る弁証法的挑戦史

 最後に、高畑勲監督の出発点について記しておきたい。
 監督の経歴は、『太陽の王子』から語られることが多いが、初演出作品はテレビシリーズ『狼少年ケン』(六三〜六五年)の12話(正確には11と1/3話)分である。その中で、自身が「気に入っている」と語る一本がある。
 『第72話 誇りたかきゴリラ』(六五年四月五日放映)。
 日頃ケンに懲らしめられている、ならず者のゴリラが主人公。ゴリラとその親族は、名誉回復を賭けて、あの手この手でケンたち狼族に滑稽な復讐を試みるが、万策尽きて破れる。ジャングルの平和を守る狼族が、立場を変えれば横暴な権力者に見えてしまい、最後はゴリラを憐れに感じてしまう。その視点の逆転、客観主義、考えさせる結末、全編ナレーション多用のドキュメンタリー仕立てなど、まるで『平成狸合戦ぽんぽこ』である。
 『誇りたかきゴリラ』で一極ヒロイズム世界を否定してから約半世紀。監督は、「正・反・合」の弁証法的挑戦を貫き続け、ついに『かぐや姫の物語』に到達した。歴史的快挙である。しかし、終わりなき弁証法には、さらなる未来があることも心密かに期待
したい。

(了)
禁無断転載


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