HOMEへ戻る

スタジオジブリの業績と展望

文責/叶精二


※ 以下の文章は、CD-ROM付情報誌「MPEG SPECIAL/Vol.2」1996年9月2日発売(アスキー)の特集「輸出されるANIME・日本製アニメが世界を征服する。」のスタジオジブリ紹介項目「ジブリというブランド。/宮崎駿、高畑勲の創り出す世界」として掲載された原稿を大幅に加筆したものです。掲載時のタイトルは編集部で勝手に付けたられもので、強く抗議しました。

1. ジブリ作品の社会的成功の要因


 スタジオジブリ(徳間書店・大映グループ)が開拓したアニメーション表現には、概括して二つの流れがある。
 一つは、宮崎駿監督自らが築き上げてきた、《感覚直撃型のアクションシーン》である。ダイナミックな「縦割り」の空間レイアウト、肉体を駆使した軽業、肉体の一部と化したメカニックや動物たちの胸のすく飛翔など。これは旧東映動画の正当派「漫画映画」を継承しながら、長年のアニメーター経験と独自の天才的表現力を加えて完成された、職人芸的なものである。これらは新旧を問わず、全宮崎作品を通じて見ることが出来る。
 もう一つは、《リアリズムをきわめた日常描写の演技》である。これは主に、宮崎の演出上の師であり、30年来の親友であり、かつ最大のライバルである高畑勲監督の探求と指導によって作られた流れである。動きの少ない静かな叙情的シーンで、表情の微妙な変化や何気ない仕草を描き切る。それは、絵であるだけに芝居の巾が狭いアニメーションが、最も不得意とされて来た表現だ。「アルプスの少女ハイジ」以来、一貫してこれを追求して来た高畑は、「おもひでぽろぽろ」に至り、完成の域に達した感がある。高畑と美意識を共有する宮崎の作品にも、常に緻密な日常芝居が取り入れられ、作品世界に一層の厚みを与えている。
 作品の内容的充実に関しては言うまでもない。理屈抜きに楽しい冒険物語であっても、緻密な舞台設定と環境描写を背景に、骨太の人間ドラマが織り込まれる。さらに、自然環境問題から女性の自立、有機農業と援農、多摩ニュータウンの乱開発と、常に社会動向にアンテナをはって作品に反映させるという政治的敏感さは、日本映画制作者の良心と言うべきである。そこには、誰もが心打たれる「誠実さ」「健全さ」が伺える。また、業界オキマリの続編類やテレビシリーズなど「安全企画」が一本もないこと、原作なしのオリジナル作品が多いこと、日本を舞台とした作品が多いことも特筆に価する。
 一方興行的成功の要因は、高畑・宮崎の仲介役として全作(テレビ作品「海がきこえる」を除く)のプロデューサーを務めた鈴木敏夫の手腕が大きい。
 信じがたいことだが、ジブリはヒットの莫大な収益をまるまる次の作品につぎ込んでしまうのだ。よって、宣伝・広告費が捻出出来ない。これをカバーする苦肉の策として生み出されたのが《タイアップ戦略》である。これは、広告費を払わず、逆にタイアップスポンサーとして、作品宣伝を各社の媒体で自由に展開してもらうというもので、「魔女の宅急便」以降全作で行われている。つまり、複数製作会社の提携による運命共同体化である。これにより、作品毎のスポンサーが自社CMや広告などで勝手に大々的な宣伝を行ってくれるのである。
 最大の効果を生んだのは日本テレビとの提携である。テレビというメディアが観客動員に果たす役割は巨大である。CMで、バラエティー番組で、ニュースで、まさにあらゆる機会を捉えて作品宣伝が行われることになった。
 更に博報堂が仲介する作品スポンサーが宣伝に加わる。「魔女の宅急便」ではヤマト運輸、「おもひでぽろぽろ」ではカゴメとブラザー、「紅の豚」では日航、平成狸合戦ぽんぽこ」「耳をすませば」ではJA共済と講談社という具合である。
 この重層的な宣伝戦略のパブリシティ・メリットは他の邦画とは比較ならないほど大きい。「いい作品を作り、確実に宣伝し、当てる」という鈴木の緻密な興行戦略抜きにジブリの今日は語れない。

2. ジブリの海外進出について


 去る7月23日、ジブリはウォルト・ディズニー社との配給上の提携に応じた。ディズニー側の意向は「アジアマーケットでの不振挽回を狙った」とのことだ。確かに、アジア最大の市場、ここ日本ではディズニー作品はジブリ作品に興行で負け続け、下降気味であることは否めない。
 配給収入で見れば、92年夏の「美女と野獣」は16億5千万円だが、「紅の豚」は27億1千万円。94年夏の「ライオンキング」は20億円だが、「平成狸合戦ぽんぽこ」は26億5千万円。95年の「ポカホンタス」にあっては7億円で、「耳をすませば」の18億5千万円に10億円以上の差がついている。93年の「アラジン」は26億5千万円と好調だったが、この年はジブリ作品の公開がなかった。同様に現在公開中の「ノートルダムの鐘」も好調だが、ジブリ作品の公開が重なっていない。「興行上の最大の敵」と手を組むことは、ディズニーの日本市場での死活問題であったとも考えられる。
 しかし、実はディズニーが注目したのは興行価値だけではない。80年代頃から、「ディズニーの若手は宮崎作品の影響を受けている」という噂は、ファンの間では定説として囁かれていた。そして、それは事実であった。作品そのものの技術面・演出面でも近年のディズニー作品は明かにジブリ作品の大きな影響を受けている。
 まず、「ニュー・クラシック」と呼ばれている「リトルマーメイド」以降の一連の新作で常套化している「運命を拓り開くタイプのヒロイン像」である。これは、「白雪姫」「眠れる森の美女」「シンデレラ」に代表される「運命のままに翻弄される」ディズニーの伝統的ヒロインとは無縁なものである。積極的で新しいヒロイン像の創造は、まさに時代の要請にかない、ディズニー長編復活の最大の要因となった。
 古くからアンチ・ディズニーであった宮崎は、「白雪姫」に匹敵するソヴィエトの名作アニメ「雪の女王」の影響を得て、運命を拓り開くヒロイン像にアニメーター時代から常にこだわり続けて来た。この作品に登場するヒロイン・ゲルダと山賊の娘こそ、新米アニメーター宮崎の理想に叶ったヒロインだったのだ。宮崎は、自身が監督に昇進するに当たり、常に強い意志と行動力を持つ魅力的なヒロインを創造して来た。そして、ジブリ作品が爆発的ヒットを得て、国際的な評価を得るとほぼ同時にディズニー新作のヒロイン像が激変しているのだ。
 さらに、「ビアンカの大冒険/ゴールデンイーグルを救え!」や新作「ノートルダムの鐘」などには露骨な宮崎作品の縦割りレイアウト・カメラワークのイタダキカットが登場する。「ゴールデンイーグル」の雲間からの俯瞰ショットは「天空の城ラピュタ」を彷彿させる。「ノートルダムの鐘」のラストシーン、大寺院の最上部での攻防は「ルパン三世 カリオストロの城」そのままであり、何人かの映画評論家もこれを指摘している。(「キネマ旬報 8月下旬号」など参照)それもその筈で、同作の監督の一人ゲーリー・トゥールスデイル(「美女と野獣」も監督)は「ぴあ」誌のインタビューに「トトロ」のTシャツで現れるほどの宮崎フリークなのだ。(「ぴあ 8/13・20号」参照)
 デイズニースタジオ周辺には宮崎ファンは驚くほど多いと言われる。「トイ・ストーリー」を制作したピクサー社のジョン・ラセッター監督は、宮崎の大ファンを自称しており、作品を絶賛すると共に「最も大きな影響を受けた映画監督」と語っている。
 余談ながら、「ウォーターワールド」「ヘブンズ・ブリズナー」など昨今のハリウッド映画には宮崎作品のイタダキシーンが無数にある。ジブリ作品が水面下でアメリカ映画の制作者たちに与えた影響も大であり、配給提携は必然だったとも言える。
 これまでもジブリ作品は、「となりのトトロ」の全米公開と20世紀FOX社による英語版吹き替えビデオの発売、「紅の豚」のイタリア公開などで一定の成果を得ている。また、「紅の豚」「平成狸合戦ぽんぽこ」は、アヌシー国際アニメーションフェスティバルで長編部門賞を連続受賞している。また、アクション映画のスター監督である徐克やフランス漫画界の大御所メビウスも宮崎の大ファンである。
 今後ジブリの作品は、こうした海外での評価に応える形で、ディズー配給で欧米各国に配給されることになる。劇場公開だけではない。すでに大成果を収めているディズニーの低価格ビデオ販売プロジェクトの一環として、世界各国のビデオ店にジブリ作品がズラリと並ぶことになるわけだ。果たして世界的ヒットとなるか。その動向は注目に価する。 

3. ジブリの現在と今後について


 現在ジブリは、宮崎監督の新作「もののけ姫(97年夏公開予定)」を2年がかりで制作中である。自らの監督する長編を丸二年もかけて作るのは初めてである。それほど宮崎の仕事は速く、これまでも徹夜に次ぐ徹夜で驚異的な仕事量をこなして来たのである。激務がたたって体調の後退著しい宮崎は、「これが最後の長編」とも語っており、作品完成への熱意は並大抵ではない。作品は「侍と百姓が主軸でない時代劇」であり、蝦夷の少年を主人公に、木を切る人間たちと闘う森の神々の話だという。技術的にもデジタル合成とCGを多用し、製作費は日本映画としては空前の巨額、20億円にのぼるという。またしても前例のない冒険的テーマとハードな制作体制だが、観客としてはただただ成功を願うだけである。
 一方高畑は、昨年ジブリ内に開設された新人演出家養成講座「東小金井村塾」の塾頭を務めていた。高畑・宮崎を引き継ぐ若手演出家は果たして育つのか。その成否はジブリの今後を大いに左右するであろう。
 また、高畑は「セルアニメの常識を外した、ラフスケッチのような手法による長編」制作の野心を語っている。高畑はこれまでも現代アニメーションを代表する二人の巨匠と親交を結び、その作品研究に情熱を注いで来た。プリズマカラー(色鉛筆)による驚異のセルアニメ「木を植えた男」「大いなる河の流れ」を制作したカナダの巨匠、フレデリック・バックと、「霧につつまれたハリネズミ」「話の話」を制作したロシアの切り絵アニメの巨匠、ユーリ・ノルシュテインである。これら巨匠の芸術的手法と作風に高畑は大きな影響を受けている。高畑の語る「観客の印象に残る映像だけを強く押し出し、他はザッと描き流す粗々しい手法」。それは明かに、観客の眼の届かない細部まで描き尽くして来たジブリの手法とは似ても似つかない、素朴なものではないだろうか。
 ジブリの冒険企画はまだまだ続く。それは、あくまで大衆の希望する続編企画やテレビシリーズなどの安定路線を拒否し、毎作ありったけの金と技術を駆使して大バクチを打ち続けるという、企業経営のセオリーを逸脱した暴挙である。(宮崎と鈴木はこの経営路線を「勝ち逃げ」と呼んでいる。)故にジブリの歩む道は常に険しい。
 しかし、その道の傍らでセルアニメの限界点を更新してきたジブリが、いよいよ限界を突破する作品を送り出す日も近いのではないだろうか。
                               (文中敬省略)


HOMEへ戻る