引導文(いんどうもん)
--法華経の教えによって亡き人を
  迷いの世界から引き出し、
   悟りの世界へ導き入れる。

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引導文サンプル


<一般><子供・小児><信者用1><信者用2><未信者><謗者用>

一般

勧請し奉る、南無輪圓具是未曾有大曼荼羅御本尊、南無久遠實成大恩教主本師釋迦牟尼佛、
南無證明法華経多寶大善逝、南無十方分身三世の諸佛南無上行無辺行浄行安立行等、本化
地涌六萬恆河沙の諸大薩垂、南無文殊普賢彌勤薬王薬上勇施妙音観音等述化他方来の大権
の薩垂、南無身子目蓮迦葉阿難等新得記の諸大聲聞、殊には南無末法有縁の大導師宗祖
日蓮大菩薩(大聖人)、當山開山以來歴代の諸上人、別しては閻羅法皇五道の冥官冥衆等
に申して日さく、方(まさ)に今この道場に棺廓を安置し、葬送の儀を修する所の一霊魂
あり、その凡名を改め、新たに法號を授與して         と號す。此れは是れ
法華経受持の行者なり。仰願上来勧請の諸尊、哀愍加被の御手を垂れ、霊也をして寂光の
寶刹え、摂取引導し給えと爾か云う。  新帰寂 (霊名)今霊也が爲に佛祖の要文を
諷誦し以て霊山往詣の教訣と爲さん。諦聴々々善思念之。夫れ惟うに天地の中、宇宙の間、
物として起滅せざるなく、法として消長せざるなし。茲を以て三明六通の阿羅漢も猶お
飛花落葉を悲み、妙覺果満の釋尊も遂に雙林の雲に隠れ給う。況やそれ以下の凡夫をや。
諸行無常是生滅法即ち是れなり。今霊也も亦た去るO月○日、O○歳を今生の一期として
溘焉として没しぬ。鳴呼悲しい哉(もし行状を述べるならぼ、ここで「状を案ずるに」
として入れる)。然りと雖も霊也が肉團の身は此に滅すと雖も、その本體を尋ぬれぱ
本佛果海常住不滅の身、妙法蓮華経の當體なり。経に日く、所謂(いわゆる)諸法の
如是相性體力作因縁果報本末究竟等と云々。叉日く、如来は如實に三界の相を知見す。
生死の若は退、若は出あることなく、亦た在世及ぴ滅度の者なし。實に非ず、虚に非ず、
如に非ず異に非ず、三界の三界を見るが如くならず、是(かく)の如きの事、如来明かに
見て錯謬(しゃくみょう)あることなし、宗祖大士示して日く、今本時の娑婆世界は三災
を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。佛すでに過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化
以て同體なり。是れ即ち已心の三千具足三種の世間なり、又日く、正直に方便を捨てて、
唯法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は、煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と轉じ
て、三観三諦即一身に現われ、その人所住の所常寂光土なり。能居所居身土色心倶體倶用
無作の三身、本門壽量の當體蓮華の佛とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是れ即ち法華
の當體自在神カの顯わす所の功能なり。敢て之を疑うべからず、之を疑うべからずと。
 更に霊山往詣の安心を示して曰く、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。日蓮が弟子
檀那等の中に、日蓮より後に来り侯はば梵天帝釋四大天王閻魔法皇の御前にても日本第一
の法華経の行者日蓮坊が弟子檀那なりと名乗つて通り給うべし。この法華経は三途の河
にては舟となり、死出の山にては大白牛車となり、冥土にては燈となり、霊山え参る橋
なり。霊山えましまして艮の廊にて尋ねさせ給え。必ず待ち奉るべく候と云々。今霊也が
棺廓をこの處に安置し、親戚故舊相會して葬送の儀を修し、香を焼き、経を誦し、以て
霊也を霊山に送る。霊也夫れ永く忘失すること勿れ。南無妙法蓮華経 元品の無明を
切る大利剣 南無妙法蓮華経。生死の長夜を照す大燈明 南無妙法蓮華経
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子供・小児

今この處に遺骸を安置し、歛葬(かんそう)の儀を修する所の一霊魂あり。その名を改め、
法の諱(いみな)を授与して・・童子(女)と號す。霊也幼少にして未だ信解あらずと雖
も、宿福深厚にして一乗受持の家に生れ、能く誦経唱題の聲を識神に宿す。亦た是れ妙法
受持の一清信重子(女)なり。仰願くは佛祖三寶大慈大悲。童子(女)が霊をして速に
寂光の寶刹に迎え、摩頂の御手を降し給えと爾か願う。経に日く、今此の三界は皆な是れ
我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ我が子なり。而も今この所は諸の患難多し。唯我れ
一人のみ能く救護を爲すと。又日く、乃至童子の戯にも砂を集めて佛塔と為し。若は草木
及び筆、或は指の爪甲を以て書いて佛像を作せる、若し人散乱の心に乃至一華を以て書像
に供養し。或は人有って礼拝し、或は復た但だ合掌し。乃至一手を挙げ、或は復た少し頭
を低れて像に供養せし、漸(ようや)く無量の佛を見奉り。おのずから無上道を成じきと。
宗祖大士示して日く。小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を養う。老婆が妙薬
誰か辨(わきま)えて是れを服せん。水心なけれども火を消し。火心なけれども物を焼く。
是れ豈に覺の力ならんや。妙法蓮華経の五宇は経文に非ず。其の義に非ず。唯一部の心
のみ。初心の行者その意を知らざれども、之を行ずるに自然にその意にかなうなりと。
霊也夫れ親(まのあた)りに三佛の顔貌(げんみよう)を拝し、心蓮を開いて勝妙の大果報
を得よ。毎自作是念・以何令衆生・得入無上道・速成就仏身・是人於佛道・決定無有疑・
南無妙法蓮華経。元品の無明を切る大利剣 南無妙法蓮華経。生死の長夜を照す大燈明 
南無妙法蓮華経
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信者用1

今ここにO年O月 日、何十何歳を娑婆の一期とし。有爲の火宅を去って無爲の本土に帰する
一霊魂あり。その凡名を改轉し、新たに法(のり)の諱(いみな)を授与して・・と號す。
霊や密かに以れば、この妙法蓮華経は一心の本源、諸佛の本師、萬法の正體、衆生の帰する所
なり。霊や宿福深厚にして是の大法を受持せり。直至道場豈に疑う可んや。今この永訣に臨ん
で悟道の要句を授けん。謹んで諦聴し、以て即身成佛の眞因とせよ。乃ち経に日く、有四導師
、一名上行、二名無辺行、三名浄行、四名安立行、是四菩薩、於其衆中最為上首。唱導之師と。
又日く、如来如實知見、三界之相、無有生死、若退若出、亦無在世、及減度者。非實非虚、非
如非異、不如三界、見於三界、如斯之事、如来明見、無有錯謬と。是れは此れ誠諦の金言にし
て得道の最要たり。然れば即ち、生死の二法は一心の妙用、有無の二道は圓融の眞徳なり。故
に妙樂大師釋して日く、當知身土、一念三千、故成道時、稱此本理、一身一念・遍於法界と。
我祖大士示して日く、一念三千を識らざる者にぼ佛大慈悲を起こし、妙法五宇の袋の中に此の
珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしむ。四大菩薩此の人を守護し給わんこと。太公周公の成王
を攝扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異らざるものなりと。頼もしい泳な霊や、上行菩薩の火徳
を以ては煩悩の、迷闇を照らし、無辺行菩薩の風徳を以ては悪業の塵垢を拂い、浄行菩薩の水
徳を以ては苦果の依身を浄め、安立行菩薩の地徳を以ては已心の佛種を生長し、釋迦牟尼世尊
の空大に乗じては本極法身の寂光に遊ばんこと。夫れ掌(たなごころ)を指すが如し。敢て疑
う可らず。敢て疑う可らず。霊や去来有ることなし。此れは是れ、寶城近きに在り。此の寶乗
に乗じて直ちに道場に至らん、納収在識、永劫不失。南無妙法蓮華経。元品の無明を切る大利
剣 南無妙法蓮華経。生死の長夜を照す大燈明 南無妙法蓮華経
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信者用2

今汝に悟道の要句を示さん、謹んで諦聴し善思念之せよ。長夜の夢ここに結して今曉忽ちに覺
めたり。眞如の大徳は山川に満ちて。凡聖なく邪正なし。心性の華開いて寶蓮に坐せよ。密か
に以れば霊や。宿福深厚にして佛語實不虚の妙典を持ち、一心欲見佛の大忠を懐く。夫れ爲説
無上法の大乗は本地本來難思の妙境なり。慧光照無量の實智は爲説種々法の権を開し。久修業
所得の三身は現有滅不減の迹を融す。三千の依正ぱ有情の一念に超え、十界の身土は悉く無作
の三身を成ず。痴迷ここに盡き本覚ここに立つ。三身他に非ず、即ち放逸著五欲の當處、伽耶
忘るるに非ず、是れ種種宝荘厳の報土なり。迹居本を移さず、蝶夢荘を變ぜす、常説法教化の
法輪は没在於苦海の水底に轉じ神通力如是の妙用は令入於仏道の眞田を開く。順逆ともに脱し、
信謗ならぴに入る。宝樹華果の花は馥郁として而生渇仰心の袖に薫じ。常在霊鷲山の月は團圓
として堕於悪道中の闇を照す。誠に是れ如医善方便の良薬は寧ろ救諸苦患者の大法に非ずや。
況やまた世尊に毎自作是念の誓いあり。衆生に得入無上道の分ちあり。脚下寸歩を移さずして
我浄土不毀の眞境に至り、頭髪毛端を動かさずして即成就佛身の頓悟を感ぜん。荊渓尊者の曰
く。豈伽耶を離れて別に常寂を求めんや。寂光の外別に娑婆あるに非ずと。吾祖示して日く、
因身の肉團に果満の佛眼を具え。有爲の凡膚に無爲の聖衣を着ぬれば三途に恐れなく八難に憚
ることなし。七方便の山の頂に登りては九法界の雲を拂い、無垢地の園に花開き、法性の空に
月朗らかならん。是人於佛道決定無有疑の文頼みあり、唯我一人能爲救護の説疑いなし納収在
識永劫不失。南無妙法蓮華経。元品の無明を切る大利剣 南無妙法蓮華経。生死の長夜を照す
大燈明 南無妙法蓮華経
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未信者用

今この處に霊廟を安じ、葬送の儀を修するところの一霊魂あり。その凡名を改めて○○○
と法号を授與す。此れは是れ未だ妙法信受の人に非ずと雖も、宿縁ここに薫じて本宗の禮を以
て葬送の儀を修す。仰願くば上来勧請の佛陀諸尊、哀愍加被の御手を垂れ、霊也をして寂光の
寶土え、摂取引導し給えと爾か願う     信士(女)、今霊也が爲に霊山往詣の教訣を示
さん。諦聴々々能く之を思念せよ。夫れ惟れぽ此の妙法蓮華経は。諸佛出世の本懐、衆生成佛
の直道なり。霊也生前の中宿善未だ發ぜす、妙法を信受するの機に値わずと雖も、今や宿善こ
こに薫發して一乗の教訣を受げんとす。佛祖の豈之を救い給わざらんや。況や信謗順逆皆な是
れ本佛の愛子なるをや。経に日く、今此の三界は皆な是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是
れ我が子なり。而も今この所は諸の患難多し。唯我れ一人のみ能く救護を爲すと。叉日く、須
臾も之を聞かば、即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得んと。宗祖大士示して日く、所
謂諸佛の誠諦得道の最要は、唯是れ妙法蓮華経の五字なり。檀王の賓位を退き、龍女が蛇身を
改めしも。唯この五字の致す所なり。夫れ以れば、今の経は受持の多少をば一偈一旬と宣ぺ、
修行の時刻をば一念随喜と定めたり。凡そ八萬法藏の廣きも。一部八巻の多きも。唯是れ五字
を説かんが爲なり。霊山の雲の上、鷲峰の霞の中に釋尊要を結び、地涌付属を得ること有りし
も。法體は何事ぞ、唯是の要法に在り。天台妙樂の六千張の疏玉を連ぬるも、道遂行満数軸の
釋金を並ぷるも、しかしながら此の義趣を出でず。誠に生死を恐れ、涅槃を願い、信心を運び、
渇仰を致さば、遷減無常は昨日の夢・菩堤の覺悟は今日の現(うつつ)なるべし。ただ南無妙
法蓮華経とだにも唱え奉らば、滅せぬ罪やあるぺき、来らぬ福(さいわい)やあるぺき。眞實
なり、甚深なり。是を信受すぺしと。今霊也が爲に本門の大戒を授けん。今身より佛身に至る
まで、能く持ち奉る。南無妙法蓮華経。霊也夫れ永く忘失すること勿れ。南無妙法蓮華経。元
品の無明を切る大利剣 南無妙法蓮華経。生死の長夜を照す大燈明 南無妙法蓮華経
>もどる<
謗者用

今この處に棺廓を安置し、葬送の儀を修する所の一霊魂あり。法号を授與して・…信士(女)
號す。此れは是れ宿縁寡薄にして敢て一乗を信受ぜす、却て闡提趣向の道を行ず。堕在泥(な
い)梨免る可らずと雖も。幸いにして一縷(る)の妙縁あり、親族相議(はか)って本宗の正
儀に依て葬典を修す。佛祖の大慈何ぞ之を捨て給わんや、況や逆即是順の理(ことわり)、爲
千佛授手・不堕悪趣の金言疑いある可らざるなり。仰願くは、摂取引導の御手を垂れ給えと爾
か願う。経に日く、佛諸の比丘に告げ給わく、未来世の中に若し善男子善女人有つて、妙法華
経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄餓鬼畜生に堕ちずして
十方の佛前に生ぜん。所生の所には常に此の経を聞かん。若し人天の中に生るれば勝妙の樂を
受け、若し佛前に在らば蓮華より化生せんと。釋に日く、因謗堕悪・必由(ひっしゅ)得益と。
叉日く、或は順、或は違、経に斯れに因て脱すと。高祖大士示して日く、善悪不二の南無妙法
蓮華経なれば悪人も必ず成佛す。邪正一如の南無妙法蓮華経なれば邪見いよいよ頼みあり。皆
成佛道の南無妙法蓮華経なれぼ十界平等に利益す。速疾頓生の南無妙法理華経なれぼ二生三生
をも期す可らず。唯是れ一生入妙樂の大法なり。仰いで信受すべしと。今霊也が為に法華経本
門の大戒を授けん。生々世々、謹んで受持して破毀(はき)すること勿れ。今身より佛身に至
るまで、能く持ち奉る。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。納収在識・永劫
不失。
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