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エイリアン4
1998年4月12日 (日)
先々行オールナイトで『エイリアン4』("ALIEN RESURRECTION"、1997年度、20世紀FOX)を観て来ました。
これでシリーズ4作目ですが、『エイリアン2』『エイリアン3』と18年を経て、とうとう1作目の『エイリアン』を超える作品になったと言ってもいいでしょう。
まさにサブタイトルの「Resurrection(復活、再生)」の通りです。
前作『エイリアン3』のラストで死んだはずのシガニー・ウィーバー演じるリプリーが復活すること、いや4作目の製作そのものが意外だったのですが、復活したリプリーは以前よりもずっと女性的になっています。そして更に意外な面を持っています。
前3作と同様に、リプリーは閉鎖された空間の中で生き延びるために戦います。そしてまた、ある物を守るためにも戦いますが、それがが彼女のアイデンティティの大きな部分を占めていることを示している様に見えます。
しかし、復活の過程で彼女に起こった変化によって、彼女自身がalien−異質な存在−になってしまいます。
今回のリプリーはいままで以上に見物です。
今回も期待通りエイリアンがぞろぞろ出てきます。あのエイリアン・クィーンも復活します。更に新しいタイプのエイリアンも登場します。
この新しいエイリアンはいやというほどグロテスクで、普通のエイリアンの64倍くらいおぞましく気持ち悪いです。そしてとても哀しいクリーチャーなのです。
また意外な事に、エイリアンは獰猛なだけの馬鹿ではないことが明らかになります。なんと、会話をしているかの様に見える場面さえあります。
水中を泳ぐエイリアンのシーンは、コンピュータ・グラフィックスで作成されていますが、しなやかに泳ぐ姿になんとも言えない不気味な美しさがあります。
ウィノナ・ライダーが演じるコールは、重要でかつ全く意外なキャラクターです。まさかあんな役柄だとは・・・全然予想できなかった。
終盤にはっきりするコールの本質を暗示する、意味深な演技を見落としてしまうとコールの魅力は半減します。
まったく話題になってはいませんが、この映画の中でテクノロジーに対する全く対極的な二つの態度が描かれています。SF映画であるなしに関係なく、『エイリアン4』のような形でこの両方の態度を並べて見せた映画も最近めずらしいと思います。
(アジモフのSF小説やスタートレックのファンだったら当然だと思うことですが。。。)
ひとつは『エイリアン』からずっと『会社』に代表されて描かれていたものです。そして、もうひとつは今回のある登場人物を通して表現されています。
これはあるSF作家は当然のこととしていたものですが、SF映画では長らく忘れられていたものです。これもひとつの『復活』と言えるでしょう。
(それにしてもあんなセリフが出てくると懐かしくて涙が出てしまう。)
その意味で、いままでのどのSF(Sci-Fi)映画よりもずっとSF(Science Fiction)映画です。
母なるもの、アイデンティティ、意志、テクノロジー、異質さ。これらがこの映画のキーワードでしょう。ただし、映画の中では全てが錯綜しています。断罪も礼賛もしていません。どう受け止めるかは見る人に任されています。
とてもテンポの速いストーリー展開で、だらだらしたところは全くなくて1時間47分があっという間です。ただし、クレジット・タイトルはたっぷり5分もあります。
ヘビーで衝撃的な映像に加えて、意外な上に更に意外なストーリーなのでけっこう疲れますが、3回くらい見てもいいと思う映画です。
あの映像のインパクトをテレビのブラウン管で堪能することは不可能です。これは映画館で観るべき映画です。
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踏み絵
1998年3月14日 (土)
あったら踏みたいビル・ゲイツの踏み絵。
ここが最後