バンドネオン

の歴史

  1. バンドネオンの名前の由来
  2. 日本で初めてのバンドネオンは
  3. バンドネオンは日本に何台あるのだろう
  4. アルゼンチンで初めてのバンドネオンは

バンドネオンの名前の由来

バンドネオンの名前の由来を尋ねると、アコーディオンの歴史をたどることになる。何しろ19世紀初頭の30年間程度の間に様々なリード楽器が開発された。
1815年頃 
リードオルガンがヨーロッパで盛んに作られるようになった。
1820年頃 
ドイツはベルリンに住むC・F・ブッシュマンが、オルガンの調律に使う口で使う道具(口風琴)を開発した。一種の調律笛ですね。ブッシュマンはこれを「ムンド・エオリーネ」と名付けた。やがてこの道具は独立して楽器として扱われるようになり、ハーモニカとして知られるようになった。
 エオリーネは、ギリシャの神話の風神エオルスから採った。
1822年、
ブッシュマンは「ムンド・エオリーネ」では、いつも片手で持っていなければならないので、両手を放して調律が出来るように、蛇腹を付けてテーブルの上に置くと自然に音が出る道具を開発した。
 同じ年、彼はこれを楽器にすることを考え、様々な改良を施して引いても音が出るようにし、「ハンド・エオリーネ」と名付けた。いわば手風琴であり、アコーディオンの元祖である。
1825年 
ウイーンに住むシリル・デミアンが、ブッシュマンの手風琴をヒントに、一つのキーで和音の演奏が出来る楽器を開発した。
1829年5月6日 
デミアンはこの楽器を、アコーディオンと名付け、特許登録をした。
 アコーディオンとは、「アコード」(和音)と「イオン」(楽器の名称に器という意味でよくつけるギリシャ語の語尾)からなる合成語で、「和音の出せる楽器」という意味である。
1834年
ドイツのウーリッヒが、6角形をした小型ボタン式アコーディオンの蛇腹楽器コンツエルティーナを考案。
この頃
ドイツのハインリッヒ・バンド(1821〜60)がコンツエルティーナをもとにバンドネオンを考案。もっとも、当時はバンドは自分の楽器琴をアコーディオンと呼んでいたということで、1850年地元の新聞に次のような広告を出していると紹介されている。
「アコーディオンの友人達へ  我々のアコーディオンも徹底的に改良でき、88から104音の円形または八角形の楽器を当店で販売しております」

  (渡辺芳也 「アコーディオンの本 」66P〜83p)

   以上で分かるように、バンドネオンのバンドは開発者のバンドの名前によるものである。

   それではネオンはどういう由来のものだろうか.。

開発者のバンドは、やがてこの楽器をバンドウニオン(Band -union)と名をつけた。バンドは開発者の名前だが、ウニオンについては、色々な説明がなされている。製造会社名だという説、ウニオンという女性が資金援助をしたからという説、ドイツ語のunionは合同とか連合と言った意味であり、両側のボタン、リード等を内蔵した箱と、蛇腹が連なった形から採ったという説などがある。

(舳松伸男 「タンゴ 歴史とバンドネオン」 184P 東方出版社 1991年)

  やがて、バンド・ウニオンはバンドニオン(Bandonion)と名前が変わった。


日本で初めてのバンドネオンは

日本で一番古い蛇腹楽器は、島根県の美保神社(美保関町)にある。1849年に朝日千介なる武士の子孫が奉納した記録が残されているそうだ。渡辺氏は、このアコーディオンが誰によって作られたものかを追い求め、3人にまで絞り込んでいる。アコーディオンという楽器がドイツで考案されたのが1920年代だから、日本に来るまで20〜30年程度しかかかっていない。その伝播のスピードは相当なものだ。

           (渡辺芳也 「アコーディオンの本 」111p)
(渡辺芳也「ドイツ東部・フォーグトランド地方の楽器めぐり」ラティーナ 2000年4月号)

蛇腹楽器が商業的に輸入されるのはもちろん明治になってからである。アコーディオンは1885年(明治18年)頃、大阪市東区の荒木商店に飾られたのが最初とされる。ボタン10鍵、押引異音のアコーデオンであった。
また、コンサティーナは、1889年(明治22年)6月19日の大阪朝日新聞の三木楽器店の広告に載せられている。

(高田知子「明治期の関西における手風琴の流行」音楽研究年報VOL11(1993)大阪音楽大学)

さて、バンドネオンであるが、渡辺芳也氏によると、バンドネオンが最初に日本で演奏されたのは、第1次世界大戦後、中国の遼東半島の青島(チンタオ)で日本の捕虜になったドイツの捕虜達が、徳島近くの坂東の収容所で作った楽団が最初だとされる。

鳴門市の「ドイツ館」の展示資料によると、演奏したのはモルトレヒト軍曹(海軍歩兵第3大隊第2中隊)指揮のマンドリン楽団で1917年(大正8年)5月26日と、同年7月22日の2回が記録されている。このマンドリン楽団は、そもそも当初丸亀の収容所にいた人達で結成されたそうです。

写真は、鳴門市「ドイツ館」の許可を得て平成12年10月22日撮影

楽団全体の写真はここをクリック

   

   商業的には、1934年(昭和9年)頃、大阪の楽器店に10台程入ったのが初めてで、アルフレッド・アーノルド社のクロマチック。当時の金で300円だったそうだ。

(渡辺芳也 「アコーディオンの本 」117p)


バンドネオンは日本に何台あるのだろう

バンドネオンはいったい日本に何台あるのだろうか。最初に輸入されたのは昭和初期と推察されるが、これらはクロマチックであったのだろう。太平洋戦争後のタンゴ・ブームの際にオルケスタ・ティピカ・東京やオルケスタ・ティピカ・ポルテニアで用いられていたの前述のようにクロマチックであった。

今でこそバンドネオンというと、専らダイアトニックであるが、これは第2次大戦後アルゼンチンと日本との交流が開けてから持ち込まれたものとも考えられる。

大阪商船の定期船の事務長としてアルゼンチンを20数回訪れ、アルゼンチンのタンゴ関係者との交流の深い木田氏は次のように証言している。

アルゼンチンから毎年たくさんの楽団がやって来る。その中でバンドネオン奏者は、30名くらいになると思う。彼らは、たいていバンドネオンを一人2台くらいずつ持ってくる。そして、一台、場合によっては二台とも売ってしまう。」
 そして、続けて「チリも積もれば山となるの譬えで、今日本に何百台ものバンドネオンがある。おそらく三百台は軽くこえていよう。」といわれている。この叙述からすると三百台云々はダイアトニックのこととなる。

(木田寿司「タンゴ この一冊であたなもタンゴ通 」94〜95p:昭和62年:毎日新聞社)

また、蟹江氏は次のように言っている。「我が国では現在三百台近く存在すると言われているが、実際に演奏に使われているものは、百台にも満たない状況であり、「骨董品的楽器」と陰口を叩かれている始末なのである。」

(蟹江 丈夫”バンドネオンの話”「タンゴ 世紀を超えて」78p 1999年 音楽の友社)

これらの叙述から推察すると、バンドネオンは数百台のオーダーであり、しかもそれは、ダイアトニックであるらしい。
しかし、木田氏や蟹江氏が上記で述べているのは、1990年前後の状況で、かついわれているバンドネオンもおそらく戦前制作のものだろう

最近は、色々なルートで手に入れている方や「PREMIER」等の新しいバンドネオンの輸入がみられるのでかなり事情が変わっているのではないかと思う。
ただ、新しいバンドネオンは音が悪いといって一部の人からは評判が悪い。「PREMIER」は、1999年9月以来、モリダイラ楽器により輸入が行われている。


 アルゼンチンで初めてのバンドネオンは

 アルゼンチンに何時どういうきっかけでバンドネオンが持ち込まれたかはハッキリしていない。いくつかの説があるようである。
 いちばん可能性の高いのは、トーマス・モアという名のイギリス人の船員が32ボタンの楽器を持ち込んだという話(19世紀末のバンドネオン奏者Augusto Pedro Bertoの証言)で、1870年という説と1884年という説がある。
 また、1870年ごろブラジルの船員バルトロによってブエノスアイレスに紹介されたという話もある(19世紀末のバンドネオン奏者Antonio Chiappeの証言)。その他にも説はあるようだが、証明するものは残っていない。

 最初は、フォーク・ミュージックに使われたようで、タンゴとの出会いもよく分かっていない。タンゴは当初メロディー楽器としてフルート、バイオリン、リズム楽器としてギター、ときにはハープを加えて演奏されていた。
 バンドネオンは初め楽器の難しさから、上手な演奏家が存在せず、なかなかそれまでのトリオに加えてもらえなかった。 しかし、高音の方で、バイオリン、フルートのメロディ、低音でオルガン、ギターの和音を弾き、他の楽器の演奏方法をまねし始めるようになり、 やがてフルートに変わる地位をバンドネオンは獲得していった。

 バンドネオンはそれ1つでメロディ、リズム、ハーモニーを演奏することができ、また、打楽器的要素までも持っていたこと、踊りのためのリズムも出せる楽器であったこと、オルガンの音色と似ており、持ち運び可能であったこと、コンセルティーナよりも音域が広く表現の幅が広がったこと、 などがアルゼンチン・タンゴにゆるぎない定着をした要素なのではないかと考えられる。
 バンドネオンがタンゴのオーケストラに初めて登場したのは1898年、バンドネオンを交えた標準的なオーケストラ(オルケスタ・ティピカ)が出来上がり、基本的な音楽的スタイルが確立したのは1910年とされている。

 19世紀末の初期のバンドネオン奏者として、バルトロ(Bartoro)、ルペルト(Ruperto),ペドロ・アビラ(Pedro Avila),ホセ・サンタ・クルス(Jose Santa Cruz),初めてタンゴをバンドネオンで演奏した一人としてパブロ・ロメロ(Pablo Romero)等の名前が挙げられている.

 参考 : Christian:YAHOO ML number1725
舳松伸男:タンゴ ー歴史とバンドネオンー(1991年 東方出版)
末吉文子:バンドネオンとアルゼンチン(1999年 慶大文学部美山良夫研究会報告)
レミ・エス:タンゴへの招待(1998年 クセジュ文庫

Oscar Zuricchi:El Tango ーel Bandoneon y su Interpretesー(1998年 CORREGIDOR アルゼンチン)