さて、競売について今度は別の角度からみてみましょうか。

 いま、皆さんの頭の中には競売品に対して参加者が口々に値段を言って競人がハンマーを叩いてストップをかけたところで競り勝ったものにその品物が提供されることをイメージしているかと思います。
 しかし、もともとは貨幣価値のない時代、つまり物々交換の時代に「作った製作者」ではなく購入者側がモノに対する価値を見出しその価値判断によって対価を製作者に支払うという構図が原型で、今のように希少価値のあると思われるモノに大勢の人間を1箇所の会場に集めて・・・ということはなかったわけです。つまり、人間の見えない価値を貨幣価値にすることだと考えられます。これがエスカレートして現在の競売の形があるように思います。
 このことから現在の競人がハンマーを叩いて・・・という競売は、価値のないものに価値を見出し、興味がなくともお金の価値を振りかざして周りから一目置かれたいという欲望、自己満足の世界の具現の一端なのではないのかと感じます。

 ところで、日本人は「限定モノ」が好きだとよく言われます。また、悪徳商法のひとつで「おめでとうございます!あなたは抽選で当選しました」という文句の郵便物をもらったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。これらは、「周りの人には持てない」「私だけ」という優越感を人にもたせて「モノに価値を持たせる」という、錬金術師のような商法だともいえるように思います。
 もっと身近にいうならブランドもの・・・グッチやエルメスといったブランドものを身につけて町へ出かける、ということもこの商法にどっぷりつかった人といえるのではないでしょうか。人間の欲望とは面白いものですね。
 それから、「あこがれ」からもわかると思います。○○になりたい、○○したいなどはその目標になりたい・したいということであって、つまりは人の名声を得たいという欲望であり、周囲から一歩でも抜きん出たいという欲望なわけです。
 まとめれば、この「欲望」がものに価値を与え、人を満足させたりがっかりさせたりするわけです。大きな意味での競売にはこのような意味が含まれているといえます。


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