Pep も動揺を隠しながらも歌い続けていた。
俺達は、なんとなく気まずく、時間が来たらそこを去り、そのまま駅でわかれ家に帰った。
PS.
to Wonde
明日は、俺達なりに心を込めて歌うからね、
カラオケBOXのねーちゃんに白眼でみられながらも練習したんだから。。。
25/Sep/1998
発熱したよ。
30過ぎてからかなあ、発熱するとさあ、これはただの風邪ではないかもしれない、
なんて思っちゃうんだよな。
19から24まで一人暮らしをしててさ、
そのころは、発熱しても、ただの風邪だよ、フン なんて思えたんだけどな。
28から30までの一人暮らしの時は、そうはいかなくなってきた。
熱だして寝込むと、考えが下向き矢印でめぐりめぐっていって、このまま死ぬかも
なんて思っちゃうようになってきたんだよな。
でも、やはし、病は気からってのは、いい得て妙でさ。
死ぬかもなあ、なんて思ってると治りが遅いんだよ。
「治る!治せ!戦え白血球!」と念じながら、腹式呼吸をする。
頭のなかで、自分の血管のなかで、戦う白血球のいさましい姿を描く。
なんか、宗教みたいだけどね、ははは。
通勤電車のなかで、お腹が痛くなる。
まあ、下痢だ。
途中駅でおりるのもいやで、我慢する。
このとき、「くう! つれー‘‘」とか思っちゃだめで。
「大腸!働け!水分を吸収しろ!」
とか思いながら、腹式呼吸をする。
これで、なんど救われたことか、、、
なんか、年寄り臭い話になっちゃったね。
病は、気から
疑い深くなってしまっている自分に腹がたった。
電車乗り過ごしちゃってさ。うん、呑んだ飲んだ、日本酒も呑んだ。麹町でね。
でも、終電より早く乗ったんだ、有楽町からの京浜東北線。
それが、却っていけなかった。終電だったら、二駅さきの磯子で済んだのに、、、
「終点ですよー、上りはもうありませんよー。」と駅員に肩を叩かれホームに降りた。
うわー!磯子まで来ちゃったあ。と思って、しょうがないタクシー乗るか、と思って、
出口の方へ歩こうと思ったら、なんか景色が違ってさあ。
大船だったんだよー。
がーん!俺の駅より7個も先の駅だ。
しかも上りは、もうない。。。トホホ。
しかも財布の中身は、千円札4枚+小銭だけ、、、
家までは6千円はかかるかなあと考えながら、タクシー乗り場に行く気になれず、
道を歩き出した。ずっと歩いたら朝になっちまうなあ、などと考えながら、
しばらく歩き、決心した。
4000円で行けるところまでタクシーで行って、その後歩こう!。
そこで、流しているタクシーを捕まえた。
「山手まで行きたいんですけど、4千円で行けるとこまでお願いします。」
「よよ、よよよ、4千円か、ちょっとむづかしいなあ。ののの、乗り過ごしちゃったんですか?」
「はいい すみませんんんん。。。」
運転手さんは、タクシーをスタートさせた。メーターは倒してない。
「ままま、ままあ、行ってあげるよ。」
すごく、どもってる。。でもいい人だあー
「ええっ、ありがとうございます!!」
しかしメーターは倒してない。
むむむ、おれが払う4千円売り上げにはしないで、ポケットいれちゃうのかな?
でもまあ、仕方ないかと思いながら車に揺られてた。他のタクシーの運ちゃんに
乗ってるところ見られたらヤバイのかなあと思って、頭を低く、隠れるように乗
っていた。
車中で運転手さんは、どもりながらもいろいろタクシー会社のことを
話してくれた。
途中、港南台を過ぎたあたりで、運転手さんは突然メーターを倒した。
およ!っと思いながらも運転手さんの真意が解らずそのまま、世間話をして
家の近くまで来た。
メーターはもうすぐ3800円くらいになってて、
ちょっとハラハラしてた。
家の手前50mってとこで、メーターが4020円になったとこで、運転手さんは
車をとめ、メーターも止めた。
そこから家の前まで走ってくれてドアを開けてくれた。
俺は、ほっとしながら、4020円払おうとしたが。
「ややや、やや、約束だから4000円。」といって受け取らなかった。
さすがプロ、あそこでメーター倒せば、山手まで4千円って読んでたんだなあ。
たぶん2千円くらい、助けてもらってしまったんだ。
それなのに、4千円ポケットにいれるのかな?なんて疑ってしまった自分が、情けない
許してください。運転手さん。
21-Oug,1998
何処へいくのだろう、俺達は?
今更、浪費を許容しない世の中で生活ができるのかい?
OUT-DOOR 流行だけど、それは SURVIVAL じゃないだろう。
ロッコツまにあ、の無人島脱出は、それなりに新鮮なものを感じさせてくれた。
環境右派のやつも環境左派のやつも言うことはもっともだけど。
そもそも、どこかで折り合いをつけることなんてできるのか?
その、どちらからも逃げることなんてできるのか?
卑怯なのだ!
このネタは少し(かなり〜)仕事ガラミなので、書きたくなかったんだけど、
どうにも腹にすえかねる、 というか、あまりにも彼らが恥知らずなのでやっぱり書く。
PHS の話である。
PHS に、嫌な思いをした人もいるだろう。
ちょっと前にウン万円をハタイテ買った端末が、今は1円で売っているとか、
アンテナ工事がやたら安いとか、工事発注者の態度が横柄とかね。..>KC**殿
だけど、PHS の恩恵を受けなかった人も、今ではあまりいないだろう。
自分の愛する人とか、大事な人に,どうしても連絡をつけたかった時に、おお!あいつがPHS持っててよかった!
って思った時が一度ぐらいは、あるだろう。。。
自分で持ってる人はもちろん、050-XXX-XXXXっていう番号に、一度も電話を
かけたことがないって人は、少ないんじゃないか?
そのPHSの話なんだけどね、みんなアクセスチャージって言葉知ってるかな?
これは、話せば長いことながらだ、実は、PHSの通話っていうのはNTTのISDN網を一部使って、
成り立っているのだよ。
街にあるPHSのアンテナ(DDIのってなんか燭台みたいだよね)が繋がっているのは、実は
NTTのISDN回線なのだ(正確にはちょっと違うんだけど)
そこから先は、各事業者の網(もう)に入って課金され、それぞれ着信するメディアの網に繋がるって考えてくれ。
ヨウスルニダ!PHSは、NTTのISDN網を使わなきゃ、PHS会社はサービスができない。
それでだ、PHS会社がNTTに払っているISDN網の使用料が、アクセスチャージっていうわけなのさ。
それでね!
いまあるPHS会社3社、DDIポケット系、NTTパーソナル系、アステル系(シェア順)とも赤字なわけで、
累積損失っていうのも、それなりにすごく溜まっているんだよ。
そりゃ一円で売ってたらとか、なんか経営努力がたりないんじゃないの?とか、いろんな議論はあって当然だと思う。
赤字であることが問題じゃなくて(いやもんだいか?)
いやハラタッテるんじゃなくて、
NTTが新聞で、NTTパーソナルは赤字だからNTTドコモに清算させてPHS事業から手を引くって、
新聞発表して実際にそうなることがやっぱイカレテルと思うんだよな。
考えても見てくれ!
たとえば、ばくち打ちの親父が麻雀の賭場を開いた、そして息子に友達つれて麻雀を打ちに来るよう命令した。
#麻雀は一人では打てない。通信事業も公正取引委員会がうるさくて単独参入はできない。
息子が賭場に友達を連れてきたところで、入場料を取った。
#資本金みたいなものだ。
そしていう、「君たちの誰が勝とうが負けようが、半荘一回につき1万円、場代をもらうよ。」
#アクセスチャージだ。これじゃあテンピンのワンツーで誰かをヤキトリにして飛ばしてトップになっても、
浮くか浮かないかだ。
でも、ゲームは始まっちまった。
息子はトップを取る予定だったんだが、実際は友達のほうが麻雀が強かった。
息子の負けがこんできた。
半荘一回毎の現金清算だったんで息子の持ダマが心細くなってきて、あと5千円になってしまった。
親父の賭場だしもう半荘いいか?ってことでやったら9千円負けた。
ラスで飛んだんだ。
払える金が無いことを親父に告げた。
ここで兄貴登場!!息子の負けの足らない分4千円を払ってくれた。
#なんて美しい兄弟愛だ。泣けてくるぜ!
ここで親父が息子の友達に宣言した。
「せがれは、負けがこんだから、ここで抜けさせてもらう。だけどおまえらは3人で
ブーマンを続けるんだ!ちゃんと場代は払ってもらうぜい!逃がしゃしない。」ってね。
結局このバクチ打ちファミリーは、損しねえんだ。
そりゃまあいいとしてもだ、
息子の負けがひどくなったからって、
撤退させて、自分の腹は傷まないとはね!
それをまた世間が許すと思っているところが、どうしようもなく恥知らずだなあ。
あとね、この親父さ、低温核融合の実験にそのテラ銭をつぎこんだりしてるんだ。
麻雀となんの関係があるんだか?
みんなが払ってる場代がさ、低温核融合の実験なんかに使われてんだぜ!
おかしいとおもわネーカ?
(1998.03.24)
爺になったよなあ。」と思う時があるし
[いまの餓鬼どもと、俺はちっとも変わらないじゃん。」
と自戒をこめて思うときがある。
せっかくインターネットだからコンピュータの話をしよう、
俺が、”コンピュータを買わなくちゃ”と思ったのは、12年くらい前なんだ。
ROLAND社からミュージ君(アンルイスと桑名の息子じゃないぜ)っていうシーケンサーとMT−32っていう音源のセット
が発売されてさあ、こりゃあ買うしかなかったんだよね、当時12万円ぐらいしたんだぜ、
そして、それを動かすには、パソコンが要るわけだよ。
その頃って丁度ね、学校出たぐらいで、みんなが慣れない職場で一所懸命仕事
してるし、バンドどころじゃないんだよな。
必然!、一人でも作品を作り続けたかった俺は、機械に頼るしかなかったんだ。
シーケンサーっていうのは、アナログのものもあったんだぜ!
知ってるかい?Pink Floyd が使ってたんだ。リズムボックスもアナログのがあったんだ。
しかしだな、ミュージ君ってのはね、それなんかから較べると、むちゃくちゃ画期的でさあ、ただの繰り返しじゃなくて、
言ってみればプログラマブルだったのだよ。
そんなの今は、当たり前なんだけどね。
(そのころのマッキントッシュも画期的だったねえ)
そんで、そのPCと音源”MT−32”とを”男の60回払い”で買ったんだ。
その時買ったのが、NECのPCだったわけだ、。。これがインパクトあったよなあ。
音楽やりたくてPC買ったんだけど、PCというブラックBOXをなんとか克服してやろうと
愛する彼女をそっちのけで、のめり込んだ。
のめり込めば込むほど、その先にある道標はUNIXを指してたんだよ。。。
そのころでさえもね。。。(今はインターネットのおかげで、尚更!”UNIX”だと思う)
だけど640Kbytesしかメモリーを持たないPCでUNIXを動かすのはね、、
どう考えても無理だったんだよなあ。
今はさ、ほんとにいいよ。(って思うところが爺)
今あなたが、この俺の駄文を読んでるそのマシンで、、UNIX(正確にはUNIXクローンなのだろう)が動くんだぜ。
ほんとに爺的発言だけど、「今はいい。!」
このチャンスを活かして,あなたもPC−UNIXの世界へ。
黒い犬です。
伴侶の実家の犬です。
Femaleです。
今もっともホットな私の恋人です。
Zeppelin の曲、Black dog だなあー
デレー
でもムツゴローさんも言ってたけど、恋愛感情ってあるんだよ絶対に!
たまにしか会えないからいいんだよなこれが......
だってさ、伴侶が一人で実家に行く時より
俺も一緒に行った方が
奴も喜びかたが違うっていうもん。
両思いだぜ!
たとえ犬でも、両思いってのは嬉しいのさ。
海蛍とアクアラインの話題テレビでやってたなあ。
久々"ハマコー"出てきた。曰く、
「高い、高いと思うなら通らなけりゃいい、みんなが通らなければ料金は下がる」
てなこと言ってたな。
当時の建設大臣だったんだよね。もう引退したんだからこんなこと言えるんだろうけど、
なかなか無責任でいいね。だけど単純に値段が下がるなんてことはありえないだろうね、
あの愚かで恥知らずな道路公団が運営してるかぎりは。
第三京浜っていう道路があるよね、東名高速ができる前に作った道路で、東京都世田谷区
から、横浜三ッ沢までの道路なのだけど、最初の約束ではもう既に無料になっていたはず。
それが、この前値上げしてんだから話ちがうよな。
なんもしないと、無料にしなきゃならないんで「とりあえず都筑インター作りました。」
(新しいインター)って感じだよな。それにしても値上げはおかしいじゃない?
普通車150円が250円、66%の値上げだよ。
道路公団なんかやっぱろくなもんじゃないってのは、わかってんだけど
ちょっと付け上り過ぎだよね。
話それたけど、アクアラインができてどうですか?っていうインタビューやアンケート調査
やってて面白かったんだけど、「川崎・横浜の運送業百人に聞きました。」みたいなので、
「木更津に行くのにアクアライン使いますか?」の問いに97%が”NO”だったのには
驚いた。
それとね、多分金谷あたりのお土産屋のおじさんだと思うんだけど、「アクアラインできて
お客さんどうですか?」てな質問で、少しは増えたんだろうなあと思って見てたら、
おじさん曰く、短く
「減った。。。」ええ!なんで?と思って聞てたら。ふーむなるほど。
さてここで問題です。
アクアラインができて千葉県側の土産物屋さんのお客が減ったのは何故でしょう?
回答は、E-Mail でこちらまで
答えは、次回の編で発表します。なんちゃって。
祖父、.....伴侶の祖父が亡くなったのです。
87才の大往生でした。
「おじいちゃんがいなかったら、私もいなかったんだよね。」
と、伴侶がつぶやきました。
探し物が見つかったときのような感動を覚えました。
(1998.01.30)
大雪の日の続編なんだけど、
テレビで見た人もいるんだろうけど、東海道線はすごかったようだねえ、
東海道線の東京−横浜間というのは普段から半端でないのですよ、朝夕なんてのは、
「これこそが、ラッシュっていうものですよ!!」というぐらいに混んでいるんだ。
俺もいろんなとこ住んで、いろんな通勤したけど、あれほど混んでるのはさ、いまだ出会ったことは無いくらいに、普段から
混んでいるのだよ。
東京−横浜間というのは。他に横須賀線と京浜東北線と平行分散しているにも
関わらずだ。
それが、あの日は横須賀線が止まっていたんだ。
問題の電車には、3,000人乗っていたということだ。
15両編成で3,000人ということは、1車両に200人だ。想像つくかい?
俺はちょうどあの時、京浜東北線に乗っていたのだが、やはり 1車両に200人以上詰め込まれてた。
ほんとなあ、身動き一つできない状態なのだよこれが!
体の向きを変えるとか、手をちょっと動かすこともできない。
さらに、暑い!いや熱いのだこれが。
後になって考えたのだが、そりゃあの狭い車内で人間200人が36度ぐらいの
熱を発しているのだから、そりゃ熱いわ!車内温度27度以上はあったと思うぜ
俺が乗っていた京浜東北線は、19時30分ぐらいに東京駅を発車したやつなのだけど、横浜についたのは22時ぐらいだった。
それに俺は、有楽町から乗ったわけなんだが、結局2時間ぐらいサウナの中にいたわけだ。
普段1時間で行くところが2時間かかっているのだよ。結局止まっている時間が長かったんだな。
それも駅と駅の間でやたらと止まるわけだ。
覚えているのは、蒲田の手前で20分と東神奈川手前で30分あとはちょこちょことね。
俺の電車はそんな程度だったのだが、それでも横浜駅では、降りていって駅長をぶん殴ってやりたいと思ったよホント。
止まった時の車内放送で嘘バッカいってんだ。
後から解ったんだけど社内放送で言ってたのはみんな嘘っぱちでさあ、
前に電車がつかえてるとかなんとかいって、ホントはポイント切り替えができなくなってたり。
「それまで止まってたんだから前の電車なんかねーだろー」とか乗客が騒ぎ出したり大変なんだ。
30分止まってたときなんかはやっぱ、ドアの近くの客が非常用ドアコックをいじって開けようとして他の客に「よせ!」
なんていわれて喧嘩になりそうになったりしてたな。
何しろ動けないし熱いし、自分の顔に流れる汗さえ拭けないんだよ。
それでも、俺が乗っていた電車、なんとか22時には、横浜駅についたんだ。まだ幸せだった。
問題の東海道線はやはり20時前に東京駅を出発して22時前にどうにかこうにか横浜駅手前400mまでたどり着いたのだが、
そこで止まってしまったんだ。
それから翌日の未明2時前(1時50分)に車内放送で
”電車を降りて横浜駅まで歩いてくれ”
という指示がJRから出されるまで、実に4時間!閉じ込められていたことにになる。
東京駅からの時間をいれると6時間だ。
3000人が、身動きさえできない摂氏27度の中で(体感温度>30度)コートを着て、その電車に乗っていたんだよ。
恐ろしいと思わないか?
車内放送−>”嘘バッカいってんじゃねーよ”−>”畜生!いつになったら動くんだ”−>
”熱いよう!汗拭きてーよ”−>”ボーっとしてきた、眠っちまうか”−>車内放送
この繰り返しのようなことを3000人が4時間やっていたのだ。
結局この電車が動き始めることはなかった。
翌未明の2時ごろにドアは開けられ、3000人の乗客は雪の線路を横浜駅まで歩いた。
横浜駅では駅員の姿を見つけるとその周りをとり囲み納得の行く説明を求めた。
今にも殴り掛からんばかりだったらしい。
しかし6時間も電車に詰め込まれ、おしっこさえ汗で流れ出てしまっていた乗客達には、そんな体力はなかった。
暴力を含んだ暴動には発展しなかったと聞いている。
乗客にタクシー券が配られた。タクシーチケットを受け取った3000人の乗客は、タクシー乗り場に向かった。
それから4時過ぎまでの2時間あまり、西口のタクシー乗り場には4台のタクシーしかたどり着かなかった。
22時ごろ,その電車が横浜駅手前で止まってしまった時に、横浜駅東海道線下りのホームには2台の電車がすでに入っていて、
その先は、架線切れで動かなかったようだ。
その時点でこの途中で止まってしまった電車の運命は決まっていたのだろう。
他のすべての終電が終わって、線路を乗客が歩いても大丈夫な時間になるまで、
乗客たちは、閉じ込められるしかなかったわけだ。
ドアが開けられるまでの4時間、
それをごまかすための大嘘が車内放送されていたわけだ。
(1998.01.25)
雪ふったねー
大雪が降ると、ケンメリをおもいだすんだよね。
最初に中古で8年落ちで買った車なんだ、29万円でね。
そりゃ、もっといい車欲しかったけど、彼女を乗せてどこにでも行けるような気がして、
うれしかったんだよなー。ホント、やたらガソリン使って走り回ったよなー。
だから、雪降ったぐらいじゃヒルマずに、ズリズリ滑りながら行くわけだ。
これが面白い。まあその頃は三鷹に住んでたんで、坂道は少なくって多少のことじゃ
往生しなかったんだな。
あともちろん5速のマニュアルだったってこともあるな。
今、四輪駆動がはやりだけど、あれでもオートマじゃだめだろうね。
なにがいいたいかっていうと、四駆ブームにゃ反対なのさ。
みんな運転うまくなんないよ。うん!
うまくなる素質のある奴でもあれ乗ってるとうまくなんない。
そのうえデカイ車体で迷惑かける。
うまい人しか、乗っては行けません。ハイ!
(1998.01.10)
海外にいく?
10年ぶりにHAWAIIに行ってきた。
オアフ島だけにいたので、とてもリゾートって感じじゃなかった。
太陽と海と、買い物女と、酔っ払いの日々だった。
ワイキキやアラモアナあたりじゃ楽器屋もない。
ギターの一本でも買おうかと思ったのに。
ダウンタウンあたりを探せばあったんだろうけどね。
しかしなんだってまあ、あんなに日本人の女ドモは買い物好きなんだろう ?
PRADA や LV や GUCCI(ゆうぞうじゃないよ)やああいう店も、夜の11時
まで開いてるんだからビックリしちまうぜ !
奴等、10万単位の金を使っていくんだから、
よっぽど日本の小売環境が悪いんだろうね。
お父さんたちが苦労して輸出でかせいだ $ を、
あんな調子でコギャル達が毎晩流出してると思うと笑っちゃうね。ははは
お父さんじゃねえや、パパか?
(1997.09.14)
粋なことがあった。
ある人と連絡が取れた。俺が師と仰ぐ人だ。
その人は、今は那須に住んでいてもう3年ぐらい会ってない。
俺が不義理をしているということだ。
2年ほど前に手帳をなくしてしまって
電話番号がわからなくなっていたんだ。
10年くらい昔、俺が20代前半その人は40代前半のころ
三鷹で出会った。
Once upon a time in Mitaka だ!
今でも覚えているが、俺は仕事でその人に機械を売る為に
その人が社長を務める会社に行ったのだが、
商談をしていたはずが、宇宙と人生と死の話になっていた。
初対面でそんな話をすることも馬鹿げていると、今考えれば
俺もその人もおかしな奴だと思うが、
俺はそれまでそんなテーマについて
あれほど熱く語る中年男性を見たことがなかった。
それから、なんだかんだといって三鷹で呑んだくれる日が続いた。
いろいろあって、7年くらい前にその人は、本拠地を那須にうつし、
そう簡単には、呑んだくれられなくなった。
俺にとっては、その人に借りがある。
もちろんそのころ、超若輩者だった俺だから
ずいぶん飲み代もおごってもらった。
でもそういう借りじゃなくてなんかあるんだ。
それで、なんとか連絡をつける方法がないかな?と思ってたんだ。
借りを返せるわけじゃないんだけどね。
実は、俺に当時いらなくなったPCをくれて basic のさわりを教えてくれたのは、
その人だったんだ。
それで、ある時 nftyserve の会員検索をしてみることを思い付いた。
彼なら会員になってるに違いないと思ったんだ。
やってみたら、あったあった、その人 niftyserve のアカウント
を持っていたんだ。
それで、E-mailを送ってみたら、翌々日返事が来た!!
元気そうな内容だった。
今まで受け取った電子メールの中で、一番嬉しかったかも知れない。
いろいろな記憶が蘇ってきた。少し切ない気持ちになるのは、
秋だからだろう。
いや、そもそもその人に連絡をとりたいと思った時から
がらにもなく俺がセンチメンタルになってたってことか。
(1996.10.19)
水に流そう,
の歌詞というか,かけ声に”ららららー”ってあるんだけど。
(songs にあるから realaudio で聞いてね!)
大黒巻き ちゃう! 大黒 マキ(漢字わからねー)か?
っていわれた!
この曲は,(って,自分の歌詞の説明してどーすんだ)
トラブルがテーマなんだけど。
やっぱ生きてると多かれ少なかれトラブルに巻き込まれるし。
もっと突っ込んで言えば,
トラブルを好んでる心理って絶対あると想うんだよな。
昔で言えば,って生きてたわけじゃないけど
「火事と喧嘩は江戸の花。」なんてね。
弁護士なんてトラブルで飯くってるようなもんだよな!
”和久 しゅんぞう”なんてそれをまた小説にして飯食ってたり,
それ見てみんな喜んでたりして。
すっげー深いトラブルは人格も変えてしまうくらいだったと想うよ。
だけどやっぱ,
「いちいち気にしていたら前へ進めない」
と想うんだよな。
「水に流そう」なんて表現,日本語独得かい?
かっこいいじゃないか,粋ってやつか?
だれか英語で「水に流そうって」どう言うか知ってたら教えてくれ。
時間がたっても水に流せないことなんてあるかい?
いずれ,みんな灰になって土の中で眠っちまうんだぜ。
(1996.06.05)
詩が書けなくなった。
前に比べて,10代の時に比べて,
確かに,前はもっとトンガってたし,欲張ってた。
よく酒を飲み,よく怒ってた。
高校の時,大学生が嫌いだった。
嫌いだった大学生になった。
そしたら,サラリーマンが嫌いになった。
就職活動をする気になれなかった。
1社だけ説明会にいった。
すぐ内定でた。
そうして,嫌いだったサラリーマンになった。
だまされてたようなもんだ。
(大学生の君,きおつけるんだよ!ひどい会社ってのは
案外たくさんあるんだよ,焦ってはいけない!なんちゃって)
同期で入った14人のうち10人が2年以内でやめてた。
俺は5年間過ごした。(five years~ tara.... by David Bowie)
ひどい会社だと想う。今でも
だけどそこで何人か大切な人と出会った。
だけど,ずっと大切だった人とのなにかが、
このとき壊れた。
このころは,まだ詩が書けていた。今より。
仕事変わった,またサラリーマンだ。
5年また過ごした。
一番大切なものをなくしたと想う。
だけど,また一番大切なものがある
変質せざるを得なかったってことか?
話それたな。
だんだん嫌いなものがしぼられてきた。
役人(公僕),政治家(これも公僕),宗教家
評論家,芸能レポーター,警察(これも公僕)
NTT(もと公僕),公団(公僕みたいなもんだろ)
義務教育の先生(公僕)
こんな奴らの詩を作ったって悲しいだけだ。
しかし,好きなもののことを詩にするってのは,
難しいことなのよ。
臭わないようにさあ。
(1996.05.25)
久しぶり!
高校のダチが結婚した。みんな集まった。
これない奴もいたけどね。
みんな10何年もたって,久しぶりにあったってのに、
変わらないって感じちゃうよな。
ホントに自分も全然成長してないんじゃないか?
って錯覚する。
でも,俺もいろいろあったけど、
みんなもいろいろあったんだろうな。
10何年だからな。高校の頃は背負うものなんて、
たいしてなかったからな。
「ひさしぶり」ってのは,いいよね
背負うものをヨイショってみんなでおろして、
身軽だった高校生の頃にもどって、
なんかわけのわからんこと熱っぽく語っちゃったりして。
んでまた,ヨイショって重いもの背負って、
日常に帰るのであった。
それが,Dirty Thirty ってもんだろ。
(1996.5.18)
録音、
それは、料理に似ている。
気に入らないところを何度も何度もかさねトリして、
ミックスダウンしてやっと形になった時には、
もうその曲あきちゃって聞く気にならないよ。
お料理してるうちにお腹いっぱいになっちゃうってやつ、
似てない?
よく、プロのバンドも解散したりするけど
recording の時にこんな感じで、やんなっちゃうんじゃないかな。
終わったらメンバーの顔みたくないだろーな。
おたがいに。
前は、誰かに聞かせたくて一所懸命やってたんだろうけど
今じゃ1年に2曲ぐらいしか詩が書けないから、
録音もそんなペースです。
でもやるんだ!
俺が死んだら誰か俺を思い出して聞いてくれるように、
なんてね。
(1996.05.12)
死について、最初に考えたのは小学校2年の時だった。
日曜日の夜7時30分、
「この〜樹、何の樹、気になる樹〜」
という、忌まわしい歌がTVで流れてた。
すごくいやだった。
「俺の母親って、いつかは死んでこの世からいなくなっちまう。」
ってことに突然気づいちまったんだ。
(不思議と父親のことは、考えなかった)
7歳の子どもにとってはやっぱショックだったよな。
足りない頭でさらに突き詰めて考えると,
「俺もいつかは死んじゃうじゃん。」
「じゃ、俺って何のために生まれたの?」
「俺が死んでも、このパーティは続いてくの?」
とか、
「いったい、人間とか生き物ってなんなの?」
「時間っていつまでながれるんだよ〜」
とか、わけのわからん不安で,
胸が押しつぶされるようなかんじになった。
(それを、pepper は、発作といっている。)
それ以来、あの「この〜樹」の歌を聞くたびに、
言いようのない恐怖におそわれてたよ。
16歳になるまでね。
なんで、16歳までかって?
それは、またの機会に
(1996.05.11)
バンドをやってきた、12歳のころからか?
なんで、バンドなんか、やりはじめたんだろ?
目立ちたかったからか?
音楽が好きだったからか?
なにかが気に食わなかったからか?
バンドはつらい、特に10代のころは。
何がつらいって、そのころってみんな野心が強い。
うまくなる奴は、どんどんうまくなる。
うまくならないやつは、ぜんぜんならない。
必然的に歪みが生じる。
やめるやめないのトラブルが起こる。
それも、ずっと仲良くやってたつもりだった奴とだ。
別にそいつのことが嫌いなわけじゃないけど、
もう一緒に音を出すことはしないわけだ。
これって、なんか恋人との別れみたいだよね。
いろんなやつと音を出してきた。
一度だけのセッションなんてのも
たくさんあった(行きずりの恋みたい)
結局3人が残った。
Triplexだ。
俺って、友達少ない暗いタイプだったっけか?
(1996.05.10)