東京星に、行こう‐SCENARIO#A2


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眠りを贖うオレンジの香り  

     わか女・・・・・前田千亜紀
     ナツヲ・・・・・前田千亜紀/前田このみ


(Reading:前田千亜紀 as ナツヲ)

ピッチを塗った籠の中に入れて、 僕が僕のベッドの岸でつかまえるように誰かが川に流して送った子供、 それが僕の中でのわか女の存在だった。 彼女は恋人でもなければ妻でもなかった。 僕は眠る彼女の頬に頬を押しつけ、優しい言葉をささやいた‥‥


僕が不眠に悩まされるようになったのは、 僕が詩を書くことを職業にし始めて三年目の夏の頃からだった。
「眠れないんです。幾日も。
心がさ迷い、あちこち歩き回って、 僕自身との永遠に混乱した会話の中から抜け出せないんです」 と、文芸誌の対談の合間、年上の作家にふと告げると
「それは困ったね、ナツヲ君。詩人は夢を見ることが仕事なのにね」 と、作家は妙に同情を寄せてくれた。
彼は、良く眠れる場所を教えてもいい、と言った。 「ちょっと金はかかるけどね」
「金を払ってまで、女と寝たくないんです」僕はあわてて言った。
作家は笑って 「違うよナツヲ君、その女は眠り屋なんだ」と言った。

茂みの下にいるカエルの単声の鳴き声が響く夕暮れ、 僕は作家からもらった地図を手に、 海の近くに立つ古い大きな洋館の前にタクシーを止めた。
昔の怪奇映画に出てきそうな旧式の鍵を鍵穴に差し込むと、 内側に扉が開いて吹き抜けの広いホールが現れた。
霧を透かして差しこまれた月の光の中に、 大きな天蓋付のキングサイズのベッドが置かれていた。
のぞき込むと、 そこに清潔な純白のシーツにくるまって眠っているわか女がいた。
彼女はまだ少女と言っていいような面持をして、 意識を失ったようにぐっすりと眠り込んでいた。
((このみ)あとから分かったことだけど、その時わか女はまだ18だった)
僕は作家に言われたようにベッドに入り、彼女の近くに横たわった。
シーツの下の彼女は空っぽで、身につけているものは銀の腕輪だけだった。
((このみ)白く、柔らかい、つま先が光る‥‥)
「彼女に触れてはだめだよ。まして起こしてしまうなんていけないよ」 と作家は言った。
「もっとも彼女は起きられない。強い薬で眠っているからね」

君はその女の(+このみ)そばで目を閉じて、 目覚めている水の国、 自分の眼差しを越えて、 より澄んだ瞳に侵入していけるだろう‥‥


作家の予言めいた言葉を思い出しながら、 僕は水面を渡る雲のようにその額を通過していく夢の影を眺めた。
眠りは訪れなかった。
僕は彼女の規則正しい寝息を数えながら、天蓋を見上げていた‥‥

「何を見てるの?」
僕は振り向いて彼女を見た。
彼女は先刻と変わらない深い眠りの淵に沈んでいるように見えた。
細い腕にはめられた銀の輪が微かな音を響かせた。
「あなたは俯いて何を見ているの?」

僕は(+このみ)闇の奥に耳を澄ませた。
「(このみ)星を見てるんだよ」(+このみ)僕は言った。
「‥‥俯いたままで? 星は空の彼方にあるのよ」
「だって僕達は‥‥(このみ)僕達は、空に住んでいるんだよ」

(Reading:前田このみ as ナツヲ)

「(以下、ナツヲの台詞部分 前田このみ)星は僕達の真下にあるんだ」 と僕は言った。
「星を見せて」と彼女は囁いた。
「いいよ。おいで」と、僕は答えた。
わか女は、にっこりと笑って僕の夢に侵入してきた。
((千亜紀)‥‥星がいっぱい)
その瞬間、僕達の魂は月の上昇の裏側に放たれ、 彼女は僕にとってピッチを塗った籠の中に入れて、流されてきた子供になった。
「あなたの世界は、青い光につつまれているのね」
「‥‥君は、誰? 何の記号を所持しているの?」と、尋ねると
「私はわか女。眠りと夢を売ることを仕事にしているの」
(+千亜紀)と、彼女は言った。


(Reading:前田千亜紀 as ナツヲ)

「良く眠れた?」と、数日後に作家は電話線の向こう側から話しかけてきた。
「‥‥ええ。夢を見ました」と、僕は言った。
それから何年もの間、僕はときおりわか女のベッドに横たわり、彼女と眠りを共有 し、彼女の中に侵入し、夢の眼差しで世界を繰り返し自分の手の中に取り戻す ことが出来るようになった。
「(+このみ)君はいつ自分の夢を見るの?」
わか女は寂しそうに睫毛を伏せて「私は夢を持たないの」と言った。
「だからこの仕事をしているの。 ‥‥ナツヲ、私はあなたがまだ見ていないあなた自身の夢を映す鏡なの」

(Reading:前田このみ as ナツヲ)

(千亜紀)彼女は迷い子のように(+このみ)頼りなく、 (このみ)僕は再び川岸に立ち、 彼女を荒れ狂った川の流れから拾い上げる、 というイメージの束に囚われた。
僕は彼女を抱きしめて眠りに落ちた。
夢の中で僕が甘いマーマレードジャムを差し出し、 (+千亜紀)彼女が(千亜紀)その指を舐めると、 翌朝、彼女の唇にオレンジの透明さがいつまでも(+このみ)甘く(このみ)香った。

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