埴谷ブームである。数年前の教育テレビ特番以降、にわかに埴谷雄高 周辺はあわただしくなった。部数こそ少ないのだろうが、埴谷関係の書 物が続々と出版されている。評論集、対談集、写真集、そして決定打は 何といっても『死霊』「第九章>論−大宇宙の夢」の発表及び出 版であろう。埴谷本の出荷数は極めて少ないと思われ、一旦買いのがす と書店に無い、出版社に無い、在庫が無い、の無い無い尽くしで売れ残 りをもとめ、本屋を駆けずり回ることになる。これをブームと言わずし てなんと言おう。 一方、T.Komuroは現象である。これは急速に深まりつつある 、日本国民一般大衆の右傾化と密接に関係している。Tは改憲論社であ る、と云うのが筆者の持論だ。この件に関してはいずれ語られるであろ うが、今一度Tの歌詞を読み込んでいただきたいと思う。キーワードは 「普通の国、日本」=「強い国、日本」だ。有史以来、日本が真の意味 で強国であったことなど事実上一度もない。常に唐やら英やら独やらに 跪いてきたのだ。しかしながら、万世一系の幻想に基づくプライドだけ はブクブクと太らせてきた。 マア、右傾化=民族主義の蔓延というのは日本に限ったことではなく、 ベルリンの壁崩壊〜ソ連邦消失以降の全世界的なトレンドである訳なの だが、要は仮想敵を失った我々は新たなるアイデンティティを求め彷徨 う旅人、と云う訳だ。てっとり早いのが自己肯定→右翼であり、さらに 先端を行く人は自己否定→左翼に至るのである。 現在、右翼代表選手である石原慎太郎はかつてこう述べたという、 「俺は極右で極左だ。小説家だからな。」。ならば私はこう云おう、
ここ数年の間、まあ、今が平成8年12月31日(現在)であるから、
約8年にわたってクーッと(スウイート・ソウルなどを聴きながら)
いい感じで過ごしてきたその間に、世の中は大変な事になっていた!
とその事実にきづいたのはつい最近のことだ。
”Rockn'Roll”この言葉が10代はじめの頃よりずっと私の魂を捉え呪縛し続
けていた。
R&Rの謎を説き明かすことのみを考え思春期の大半を過ごしてきた。10余年の
歳月を
費やしたある日、ふとその謎が解けた。それが8年ほど前の事であった。以来
、
私はR&R とは何なのかを知っている3人の日本人の内の1人(他の2人は裕
也さんと永ちゃん)となり、ロックについて考えることを怠っていた。
そのツケが今になって巡ってきたのだ。 結論は間違ってはいない、問題は過
程なのである。否、前提から俎上に乗せねばならぬと云った抜き差しならぬ状況
が眼前に迫っているのである。 〜つづく。
次話予告;ついに明かされるR&Rの謎とその明かされかたの問題点。歴史とは?
クンタ・キンテの存在意義とは?全ての音楽家は<湯の町>を目指すのか?地球
的規模で描き出される第三話に乞御期待!