HISTORY

HISTORY 1986-88


1986

3月 黒沢、高松、重千代、宮尾の4人、早稲田大学の音楽 サークルで出会う。だが、当時は別々のバンドで活動 していた。その内訳は黒沢がポリス、クリームなどの コピーバンド”デカダンス”(Vo & Bassとしての参加 だった)。高松がアート風オリジナルバンド”EXIT” 重千代がグラムロックバンド”ボランボラン”、宮尾 はダンス=ブラコン・バンド”ジダン”であった。 (先輩には現シスターポールの請井・高山両氏、 Sweet not Sweetの宇野氏、同輩には古内東子の実姉 明子がいた) 12月 黒沢、高松が一年生だけでバンドを組もうと重千代に 持ちかける。当初、重千代はフィッシュボーンの曲を やろうと思っていたようだが、ブルース知識の必要性 を感じバンド名を”ブルース勉強会”とする。この時 日本の社長とブラックミュージックとの切っても切れ ない関係が生まれたのである。もしフィッシュボーン のコピーをしていたならば”社長”はレピッシュや ザ・ブームのようなバンドになっていたかも?と思う と運命の悪戯とは恐ろしいものである。

1987

3月 ”ブルース勉強会”はキース・エマーソン狂のオルガ ニスト高橋先輩を迎え”高橋名人とマリオブラザース” と改名。サークルの合宿で初ライブを行う。 メンバーは、黒沢(vo,harp)高松(b)重千代(g)加勢田 (ds)高橋(org)。曲目は 1. I just wanna make love to you 2.Shake your money maker 3.Got my mojo workin 4. マシンガンブルース。 すでに「マシンガンブルース」が誕生していることに 注目されたい。マリオ風のハンチングを被り、オモチャ のマシンガンを手に走り回る黒沢のパフォーマンスは サークルという幅狭い中ながら、驚異と衝撃を以って 大きな話題となった。 4月 当初の予定であった「同学年だけのバンド」にするため、 高橋に変わり宮尾が加入。皆川孝徳先輩(現SME)のアイデア によりバンド名を”宮尾すすむと日本の社長”と改める。 高円寺JIROKICHIにて初ライブ。曲目はHave you ever loved woman, You shook me, Amen(オーティスレディ ング)Watching the river flow(ボブディラン)の他 Born to be wildから「マシンガンブルース」実話に基づいて 作られた新曲「二枚でどうだ!」で〆るというものだった。 ブルース・ブラザースにちなんだスーツ&ソフト帽がこの 頃のユニフォーム。 (この頃内田、村上がサークルに入り、別府旋風が吹き荒れ る) 7月 早くもブルース演奏に限界を感じ(笑)、浅墓にもR&B曲 をメインにすることに決定。この時期のナンバーはMoney, Kansas city,You can't stand alone,In the Midnight hour ,ダンス天国,Respect,Shake,Summer time blues 等。 「メンフィスでGO!GO!」はこの頃の曲。納得である。 別府旋風、別府革命を誘発。(黒沢、新入生小泉−ロバート プラント、長髪−とハイトーン合戦の末、敗北) 8月 夏ということで単細胞にもレゲエバンドに変身。 The Harder they come , Get up Stand upに加えて スイムで行こう、シーサイドバウンドが演奏された 全員アロハに短パンだったことは言うまでもない。 9月 サウンド補強のため、鈴木将大(ts) 吉永珠子(cho) を迎える。Hip city(Jr Walker),団地妻縄地獄(座敷 妻の元タイトル)等。 11月 学内最大のイベント後夜祭に出演。曲目はMojo Workin, マシンガンブルース、団地妻、二枚でどうだ! ドはずれたオリジナル曲とショーアップされたステージ ングは学生聴衆のドギモをぬき、事実上早大生バンドの 最高峰となる。(自画自賛) 12月 当麻裕介先輩(現博報堂)をゲストボーカルに招き、サム &デイブに挑戦。When something wrong with my baby, Hold on,Groove me等を演奏

1988

3月 ブルースR&Rバンドとして基本に立ち返るべく行われた ライブにおいてBoogie thing Shake,rattle&roll Tutti- fluttiからイアンデューリーのSex,Drugs & Rock&Rollへ 至るという構成の中にR&Rの歴史を鮮やかに浮かび上が らせるという手腕を見せる。しかしながらメンバーはバンド の解散を決意。第一期 日本の社長の終焉であった。 (つづく)