梅干の行方

 パリのマミちゃんちを離れる時が来た。

 前の晩、ミカちゃんは、僕らにそれぞれおもちゃをくれた。 僕には、ねじを巻くと鳴くコオロギとエッフェルの像。 代わりに僕はベルリンで描いたフライヤーを1枚あげた。
 ベルリンの2回目の ライブに向けて急きょアッカーハウスで仕上げた、名刺サイズの イラスト入り。時間が無く緊張していたので文字が震えている。 とっさにそんなものしかなかったのだが、とにかく何か、 持っていてほしかったのだ。

 マミちゃんは僕らのために山盛りのそうめんをゆでてくれた。 みんなでそれをたいらげた後、 荷物をレンタカーに運んだ。見慣れた路地ともお別れだ。
 別れぎわにガラスの小さなビンを渡された。 汁っけたっぷりの上等な梅干が二つ入っていた。 パリの日本人はみな、梅干に飢えている、と言っていた。 パリでは梅干は 高価だし、手に入りにくいらしい。マミちゃんも、大切に食べて いたようだ。
 こんな貴重なもの受け取れないよ、と1度は断ったが、 結局もらうことにした。 長いドライブの合間にみんなで半分ずつ分けてね、と言ってくれた。

 ジュネーブで最初に僕が半分食べた。フランス・スイス間の 検問は厳しく、コトブキ氏の自家製組み立て式のシンセが 怪しまれて、開けさせられたりパスポートをもって行かれたり、 30分ほど調べられた。
 足止めを食らっていた間に僕はビンを取り出し、梅干を 半分かみちぎった。半分のつもりが、つながって 沢山とれてしまったところをマルタ氏がちょうど目撃していて、 のちのち非難の的となった。
 その後、小ビンは僕のカバンの中でしばらく旅をした。 リヨン、ローマ、パレルモ…。

 最後の半分をコトブキ氏がいらないと言ったので、 パレルモを発つ前、お世話になったイタリア人に食べさせてみた。 初めの二人はナイフでチョビッとなめただけで、 笑って顔をしかめた。最後の一人はその様子を知らずに、 残りの塊を一気に口へ放り込んだ。 すると次の瞬間、吐き出してしまった。
 彼は目と口を大きく見開いて、そのまま洗面所に駆け込んで 行った。前の二人に、ジャムだよ、と言われていた らしかった。ちょっと可愛そうなことをしてしまった。
 彼らには、パレルモの思い出にと、 お菓子やオレンジの花のおいしい蜂蜜をもらっていたので、その お返しにと、日伊食べ物交換のつもりだったのだが、 残念な結果となってしまった。

 マミちゃんの貴重な梅干の最後のひとかけらは洗面所へと消えた。 僕は、申し訳無さと もったいなさに駆られながら、残った梅酢とタネをほおばった。



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