トレビの泉の伝説


 イタリア国内のアレンジをしてくれたのはベルナルド、という ハンサムな若者だった。ほとんどメールでしかやり取りの無かった 僕らは、どんな人物が現れるか、少し心配していた。少なくとも これから数日、同じ車で行動をともにしようというのだ。
 しかし彼は、小柄で身なりもきれいで、 物静かだが明るい好青年だった。僕らは胸をなでおろした。 マルタ氏と並ぶと、幼なじみの友達が再会したかのようだった。

ベルナルドはこれから、日本のバンドをイタリアに 紹介していきたい、と言っていた。可愛くてスタイルの良い バルバラという彼女がいた。 二人はとてもお似合いで、うらやましかった。 イタリアのツアー中、 いっしょに来ればいいなと思ったが、ローマで ちょっとお喋りしただけでお別れだった。

 我々のうち二人はベルナルドの家に泊めてもらったのだが、 彼のほかはごく普通の家族で、お父さんはちょっと 不機嫌そうにサッカーを見てるし、なんだか恐縮してしまう。 日本からのミュージシャンを泊めたりして、後で怒られなけりゃ いいけど。

 ベルナルドは日本の漫画が好きで、 夜空に輝く北斗七星を指差し、「ケンシロウ!」などど言っている。 うれしいやら、ずっこけるやら。
 ヨーロッパの他の国同様、イタリアでも ジャパニメーションの人気はなかなかのものだった。
 パレルモでは子供たちにドラゴンボールの歌をせがまれるし、 少年が「これでも食らえ、ロケットパーンチ!」などといっては、 日本語の意味をしつこく尋ねて来たりする。

 ローマの屋外クラブではマジンガーZの映像とヨーロッパ版の歌で 盛り上がってた。 しかし彼らはオブラディ・オブラダとかでも、がんがんに踊っていた。 それが、目の回りを黒くして髪を立て、鋲付きの服を着た パンクの若者でさえそうなのだから、わけがわからない。 音楽性に妥協を許さないコトブキ氏は、腕組みをしたまま 固まっていた。
 ついでに言うと、シシリー島でお世話になった毛むくじゃらの 大男ふたりは、マルコとカリメロ、という名前だった。 もちろんアニメ好きとは関係が無いが、見た目のいかつさとは裏腹に、無邪気で親切で、良い人たちだった。

 イタリアでのスケジュールはとてもタイトで、 到着、演奏、移動、の繰り返しだった。 ローマでも、ゆっくり観光したりスーパーを覗いたりできなくて 少し残念だった。
 ローマでベルナルドの家に泊まった僕と松本氏は、 トレビの泉のすぐ近くの道路でほかの二人を待った。 いっしょに手伝ってくれたシモーヌと、炎天下の中、じっと待つ。 彼は、やせていて色白で、とても背が高い。

 僕はローマは2度目だった。もちろん、トレビの泉にも訪れていた。 またローマに来れるように泉にコインを投げる、 という言い伝えに逆らって、その時はわざと、コインを投げなかった。 自力でもう一度、ローマに来よう、と思ったのだった。
 はたして、その願いはかなった。8年かかったが、今僕はこうして ローマの街角でただずんでいる。ほかのメンバーを待つ間、 そんな話をシモーヌにしていたりした。

 しばらくして、コトブキ氏とマルタ氏が現れる。彼らは、 ベルナルドの友達の、マヌエラの家に泊めてもらっていた。
 彼女は鼻の穴の間にピアスを通し、眉毛は無く、猫背で、ちょっと 近づきがたい風貌だった。しかし、ローマでのサウンドチェックを 仕切ってくれたり、ローマいちおいしいジェラート屋につれていって くれたり、 町の様子を見て指差して驚く我々を優しく見守って くれたりと、親切で頼り甲斐のあるいい人だった。

 さて、彼女の家に (こちらも普通の家庭だったらしい) 泊めて もらった 一行は、結局1時間以上過ぎて集合場所に現れた。 彼らは、ゆっくり食事して、 マヌエラの手製のサラダまで食べた後、 なんと、トレビの泉に行っていたのだった。

 トレビの泉!

 僕は心の中で歯ぎしりした。めまいすら、した。確かに僕は、 こうしてまた ローマの地に立つことができた。しかしそれは、トレビの泉に 行かなくては意味が無い、という気が猛烈にしてきたのだった。 トレビの泉の前に立って青々とした水を眺めながら 初めて、僕のひそかなたくらみは完結するのである。

 その後、ライブハウスに向かうまでの間、僕にはついに その機会が訪れなかった。 マルタ氏は、ずっと機嫌の悪かった僕を始終心配していた。
 僕がマヌエラのサラダを悔しがってると思っていた。



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