ラナの人形


 ラナは、ベルリンのアッカーハウスを手伝ってる一人だ。 インド好きのアメリカ人女性で、日本語もうまい。 普段は陽気だが、そばかすの奥のグレイの瞳には魂の行方を 見守っているような落ち着きがあるような気がする。
 絵が好きで、食堂の壁に大きなシバ神を描いていた。顔がラナに 似てる、という評判だったが、ラナはそんなことはない、と 言い張っていた。

 ある日、お父さんが送ってきたというピカピカの画材セットを 広げていたので、一緒に紙切れに色を塗った。僕は絵のセッションなら だいぶやってたことがあるので、どんな絵でも自信があった。 交代でパステルで色を重ねていく。ところがお互い遠慮して、 いまひとつ 調子が出ない。僕が灰色の三角を描いたところでとたんに汚い 絵になり、二人ともつまんなくなってしまった。責任を感じたので、 頑張って魚の形に仕上げた。虹色の大魚が梵字を吐き出してる絵だ。
 次の朝、その絵は食堂のすみに張ってあって、朝日を浴びていた。 夜の明かりとはだいぶ違うね、と、うなづきあった。

 日本を発つ前、僕は100円ショップでおもちゃの定規を買って、 飛行機の暇つぶしに遊んでいた。穴の開いた歯車がついていて、 鉛筆を刺してぐるぐる回すと勝手にらせん状の模様が描ける 仕組みになっている。 アッカーハウスでの最後の晩、何かの話のついでに僕はその定規を 食堂に持ち込んで見せびらかしていた。
 食堂には食べ物とワインが並んび、 スクワットの住人やユウジさんのバンドのメンバーなどが集まって、 飲んだり記念撮影したり、朝まで騒いで別れを惜しんでくれた。
 そんな中で、僕がグリグリと得意げに模様を描いているところを 見てラナが突然立ち上がり、それ、ほしい、と言い出した。 僕はすでにそのおもちゃに飽きていたし、安物だったので、いいよ、 と言った。 すると、私の持ち物と交換しましょう、と言ってくれるではないか。 なんだか得したぞ、と思いながら早速物色しに食堂を出た。

 ラナの生活はすごく質素だった。 3畳ほどの部屋には、ベッドのほかは小さい棚にノート型のマックと 鉛筆立てと、あとは本と画材と着るものが少しあるだけ。
 僕は一瞬動揺した。世界中を旅してきたラナだったら、 いろんな珍しいものを持っているに違いない、と踏んでいたのだった。
 交換するものを探し始めるが、 ちょっと見渡しただけで、すぐに困ってしまった。 もらって良さそうな物が無いのだ。 2分もしないうちに、ラナも、あげるものが無いと嘆き始めた。 取り繕おうと思っても、確かに何にも無いのだ。それは一目見れば、 わかる。僕も、とっさに何も言えずに、立ち尽してしまった。

 と、そのとき、ラナがベッドの下にすばやく潜り込んだ。 フリーマーケットに出してたのがある、と何かを探し始めた。 やがて引っ張り出してきたのは、 赤やオレンジの布を細くちぎって、それを針金に巻いた 人形だった。30センチほどで、手足が長く、腰まである髪を 根元だけ束ねていた。インドの山奥で修行をしてたときのグルだ、 という。
 そのころの写真を見せてもらうと、 赤茶けた土の上に、細い丸太と石と布の屋根でできた粗末な 小屋があり、その脇に、ぼろぼろの布をまとったラナが立っている。 背景には白くて尖がった山々がそびえているのだ。 自分がすごく迂闊に生きてた気がした。

 旅の間中、僕はその人形をパスポートと一緒に持って歩いた。




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