シャボン玉


 パリでのライブの前の夜、景気付けにミカちゃんが火を 吹いてくれた。 彼はもと大道芸人だった。スプーンに布を巻きつけてタイマツを作り、 安全そうな人気のない広い路地へ行って僕らに披露してくれた。
 炎は悠に2〜3メートルに及び、街路樹が焦げんばかりで、 離れて見ていたのに熱で汗ばんだ。

 家に戻るとマミちゃんがサッポロ1番を作ってくれた。何も具を 入れてない純粋なサッポロ1番を、僕らは一気にすすり込んだ。 こんなにうまいラーメンは食べたことがない、と、みな心から 褒め称えた。

 腹も落ち着き、コーヒーを飲みながら一段落しているところで マミちゃんが僕に言った。
 「あんた、明日のライブでシャボン玉吹きなさいよ。」
 明日のマミちゃんバンドの曲の中で、メンバーが シャボン玉を吹くところがあるらしく、僕もそれに加われ、と いうのだった。

 先ほどのミカちゃんの技を見に行く途中の道で、何人か、 シャボン玉を吹きながら歩いていた。静まり返ったパリの 住宅地を街灯に照らされたシャボン玉がいくつも浮かんでは消えた。
 実はマミちゃんは、 僕がちゃんとシャボン玉を吹けるかどうかを確かめていたのだ。 シャボン玉に夢中だった僕は、 マミちゃんの目がきらりと光ったのに気づいていなかったのだ。

 恥ずかしいので勘弁してくださいと断ったが、 マミちゃんは舌っ足らずなダミ声ですごんでくる。 うまくできたら、マミちゃんバンドのツアーにシャボン玉の役で 連れて行ってあげる、とか言い出す。
 僕はあがり症だし見映えも思ったほど良くはならない だろう、と丁寧に反論したが、彼女は口を小さく「への字」に 曲げたままで譲ろうとしない。 マミちゃんがこれ以上機嫌が悪くならないうちに、 僕はしぶしぶ承諾した。パリのステージへ向けての 心配事が、ひとつ増えた。

 その前日、パリは音楽の日、ということで、そこら中で 演奏を囲んで朝までぎわっていた。 有名なバンドはでかいトレーラーのステージを道路の真ん中に停めて 演奏していた。バスドラムの音が前後の町並みに反響して ドススン、ドススンと落雷のような迫力だった。 観光バスで乗り付ける団体も多くいた。 パリじゅう渋谷のセンター街のようなにぎわいだった。
 ミカちゃん率いるシャンソンユニット(?)、 PuSSe も近所のレーベルのスタジオで演奏した。 ミカちゃんの芝居っけたっぷりの演奏に、大人も子供も 大はしゃぎ。こういった土地柄の中で、僕らの テンポの速いコンピュータ仕掛けの 音楽は、ちょっと場違いな気がしていた。

 そんな心配もどこへやら、二日後の僕らのステージは大成功を 収めた。 ひとつ前のミカちゃん達の演奏を座って笑いながら楽しんでいた お客さん達も、みんな立ち上がって踊ってくれた。 日本人向けの新聞に宣伝しておいてくれたらしくパリ在住の 日本の若者も沢山来てくれて、日頃のうっぷんを晴らさんばかりに 盛り上げてくれた。

 とりのマミちゃんバンドの演奏が始まり、僕はシャボン玉の 容器を握り締めて舞台のすぐ近くの客の中にまぎれ込んだ。 バンドのメンバーは、みな腕が良く、それぞれをアピールしながら バラエティーに富んだライブが進行していく。
 ふと照明が落ち、 静かなイントロが流れる。マミちゃんが近寄ってきて僕を ステージに上げた。いよいよ出番、と言うわけだ。 スポットライトがあたる中、僕はシャボン玉を吹いた。 マミちゃんの歌も耳に入らない。
 遠くのソファーで指差して笑い転げてるメンバーの姿が見える。 曲はいつまでも終わらない。緊張のあまり手足をがたがた 振るわせながら、ひたすら吹きつづけた。 突然、マミちゃんに肩をポンポン、とたたかれた。 曲が終わったのだ。そそくさと舞台から降りた。

 お客さんがあらかた帰った後で、マミちゃんが僕に言った。
 「あんなに震えてるんだもん、こっちまで緊張しちゃったじゃない…」
 だから言ったのに、と僕は思った。ちょっと残念だったと思った。






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