次々と甦る伝説のステージ
キング・クリムズン
相次いで発売される69、73年の未発表ライヴ音源
大鷹 俊一
夢の遺産シリーズがまたまた登場
昨年さる知り合いのところにキング・クリムズンの関係者からきたファックスを見せてもらった。そこには"Epitaph"というタイトルで、2枚組のライブ盤を出すこと。またヨーロッパ、アメリカではメール・オーダーのみで、さらに2枚組のライブを付けたボックス・セットも売られるといったことが書かれていた。最初のセットがBBCでのライブ音源やフィルモア・イースト&ウェストでのステージで構成され、次のがプランプトン・フェスティバルとチェスターフィールド・クラブでのライブとある。長年ブートレガーたちによって食い物にされてきた音源をきちんと"オフィシャル"ブートレグとしてリリースするのだという記載もあった。
半分眉唾というか、半信半疑の気持ちでそれを読んでいた。これまでも、予定と計画と噂にどれほど振り回されたことかと考えると、にわかに大喜びする気にはなれなかったのだが、メール・オーダーでリリースするとか、オフィシャル・ブートレグなんて言葉には、プロジェクトの骨格と方向性がかなり鮮明に定まり現実化してるのを感じさせはした。
というのも、昨夏イギリスのヴァージンから出た「21世紀の精神異常者」5ヴァージョン入りのシングルの中で、ロバート・フリップの記憶から完全に消されたと思われていた悲劇のアルバム"Earthbound"からのテイクや、97年春のリリースを予告していた"USA II"からのテイクがぶち込まれ、ファンの腰を砕け散らせたのだった。フリップの中でオリジナル・クリムズン(本稿では便宜上74年の『レッド』までのクリムズンをそう呼ぶ)に対する接し方に大きく変化が起こっていることを示してもいた。
そして今年3月に初期ライブ2枚組の『エピタフ』、続いてこの10月に73年の歴史的なアムステルダムのライブを収録したライブ盤『ザ・ナイトウォッチ』が出た(日本盤オビには11月15日の公演と誤植されているが、実際は23日のもの)。そして今月にはメールオーダーの"Epitaph"ボックスだけにセットされていた残りの2枚組分が『続・エピタフ』としてリリースされる。
振り返ってみれば、90年代はクリムズン・ファンにとっては財政的に、また音楽的にも激動の日々だった(涙声になってきたな)。未発表ライブ・ディスク1枚を含む91年「紅伝説(ジ・エッシェンシャル・キング・クリムズン)」、さらに翌年すぐに続いた怒濤の73~74年のライブ・ボックス『ザ・グレートディシーヴァー』には本当に感激させられた。ついに見ることができなかったオリジナル・クリムズンのとんでもないライブ、そして伝説と噂ばかりが渦巻いていたグループの歴史やドラマをつまびらかにするオリジナル・ライナーなど、思わず、偉い、安い!と声を掛けたくなったもんだ。そして同時にムクムクと持ち上がってくるのが、"あるんなら、もっと聞かせてくれよ"という西新宿周辺でおなじみの悲痛の叫びだった。しかし・・・。
ここからが翁の真骨頂発揮だ。
94年に始まるダブル・トリオ・スタイルによる新生キング・クリムズンの活動開始。それと並行するように弦楽五重奏団としての『ザ・ブリッジ・ビトゥイン』、ギター・クラフトの弟子ら10人とのライブ『インターギャラクティック・ブギー・エクスプレス』、ギターソロ『1999』などが次々とどさくさまぎれのように発売されたのだ。新生クリムズンもまた、アルバム、ワールド・ツアー、来日、ライブ盤、さらにライブのインプロヴィゼイションを集めたアルバムにライブ・イン・ジャパンのヴィデオと、目まぐるしいリリース・ラッシュの展開を見せたのだった。
新生クリムズンに対しても充分肯定的な私でさえ、さすがに"もう、いいだろう。そろそろ例のヤツの続きを"とイライラさせられだしたところに、ようやく一区切りついたのか、待ってましたの遺産シリーズ登場となった。20年にわたって夢でしかなかった音が、ついに現実、得られる限り最高の音質で出現したのだった。
春に出た『エピタフ』に関しては本誌4月号でも記事があるが、その内容の濃さ、とくにデビュー以前のBBCに残した作品の演奏のみずみずしさ、すべての音が意味を与えられ、豊かに緊迫しながら交錯し合うサマはいくら予想していたとはいえ、それを遙かに越える衝撃であった。生まれたとたんに30歳の成熟と知恵を持った赤ん坊に出会ったようなもので、改めてとんでもない時代とバンドであったと痛感せずにはいられなかった。
しかしこれは、"ブートレグ中毒者"にしばしば見られる病だが、素晴らしい作品、音源に出会った瞬間から、次の刺激を求め、さらにいいものを聞きたいとなってしまうのだ。バカなもんだとわかってはいても心と身体、行動は別物で、そんな"もっとも心"を思いっきり刺激した『エピタフ』であった。そしてそれに油を注ぐ形になるのが今回の『ザ・ナイトウォッチ』である。
1973年11月23日にアムステルダムで収録されたこのライブは後期オリジナル・クリムズンの魅力が爆発したライブであると同時に、重要な意味を持つものでもあった。
というのもライブの空間で特別な魅力を発揮するインプロビィゼーションをどこまでスタジオ作品のような練られた、衝動と計算が絶妙なバランスをとったものにするかという当時のフリップの重要なテーマがかなり達成された瞬間が、ここには残されているからだ。
昔からこのライブはクリムズンのブートとしては古典的なものだった。BBCやNHKが放送し、アナログ、CDで各種出されており、自分も3種類ほど持っているが、『紅伝説』では3曲が公式にライブという形で収録され、ついにあのアルバム『スターレス・アンド・バイブル・ブラック』のB面の全貌が明らかになるのかと期待して5年。ようやく配られた種明かしディスクが『ザ・ナイトウォッチ』なのである。
ここで少し当時の復習を。
デビュー以来アルバム毎にメンバー交替を繰り返していたオリジナル・クリムズンだが、72年4月のアメリカ公演を最後にデビュー後3度目になる大幅なメンバー入れ替えが行われ、イエスのビル・ブラッフォード(ds)、ジョン・ウェットン(b)、デイビット・クロス(vln、kbd)、そしてパーカッションにジェイミー・ミューアを入れ、あの畢生(ヒッセイ)の名作『太陽と戦慄』が73年に誕生する。しかしアルバム発表直前にミュアーはグループを去り、グループは4人編成でイギリスを含むヨーロッパ、さらにアメリカと延々ライブを続けることになる。
このときフリップによって計画され、実行されていったのが"ライブ会場をレコーディング・スタジオとして機能させる"ということだった。いったいどれだけのテープが回されたのか不明だが、今回のアムステルダムの分は別にして、『ザ・グレート・ディシーヴァー』には73年10月23日グラスゴー、アポロ劇場、73年11月15日チューリッヒ、フォルクスハウスでのステージが記録されていると思われる。それは単なるライブ・アルバムを作るとか記録するというだけじゃないコンセプトに基づいたものであった。
これで膨大な量となった73〜74年の発掘ライブを聞きまくって改めて痛感するのは、このときのインプロビゼーションの独創性、特にフリップの考える精緻な、時に古典ロマン主義的美学の枠を深部に持ちながらも、拡散と集合を自在に繰り返す即興がその周囲を飛び回りながら作る世界の複雑な面白さだ。まさに、"星ひとつない、聖なる暗黒"への個々人の旅を現出させようとでもするかという狙いが、ライブという演者自体にも推測不可能な要因を常に加えながら進められていったのだ。
定められた音、楽譜をなぞるだけじゃなく、常に演者の誰もが予測のつかない緊迫感を持ちながら交わるときに予期せぬ形で浮上する世界。これを当時設定しうるもっとも極限的な形でもって現出させようというのが"ライブ会場をレコーディング・スタジオに"というコンセプトだったと思う。
こうした背景から生まれたのがクリムズンにとって6枚目のオリジナル・アルバム『スターレス・アンド・バイブル・ブラック』であり、アムステルダムの演奏からタイトル曲、「フラクチャー」「トリオ」のアナログB面収録曲、そして「ナイト・ウォッチ」のイントロが使われた。
そして「フラクチャー」と「トリオ」はアルバム用にオーバーダブされていた部分を取り除いたバージョンが今回の『ザ・ナイト・ウォッチ』で出てきたと言われている。しかし編集されたテープがBBC放送用に渡され、またレコード用のマスタリングが行われたことも約25年前ということを考えると、純粋にオリジナル・ライブ・マスターが保存されているとは考えにくい。「フラクチャー」など、全体のライブ風な音響の部分を別にしても、ずいぶん音の印象は違うし、クロスのプレイなど、ほんとにこれがあのアルバムになったテイク?と思わされてしまう部分もあるのだが、逆に考えればそれほどアルバムはフリップの頭の中では精緻にオーバーダブされていたことになる。こうした関係を考えていくと、そう単純に『スターレス・・・』に使われた演奏と言っていいのかどうか、疑問の残るとこだ。
さらにひとこと言わせてもらえば、そうしたマスター・テープの問題のこともあって、このシリーズは一連の<奇跡音源発掘&復元担当>部長デイビィッド・シングルトンの音の好みのニュアンスもかなり加わっていることは、常に頭の片隅に入れておくべきだろう。どれも元を考えればすばらしい音になっているが、ライブのダイレクトなニュアンスを出すために、かなり微妙な部分で強引にいじってる印象は拭えない(仕方のないことだけど)。
ともあれ連日こんなとんでもない演奏が繰り広げられてきたのだから、ほんとにアンタらは・・・である。ブラッフォード、ウェットンという剛柔、すべてに対応可能で体力もあるリズム隊はもちろんのこと、彼らに抗しきれなくなりどんどん評価を下げたクロスでもここでの頑張りはすごい(先日出たクリムズンのしょぼいトリビュート盤で自分で「エクザイル」をやっていたぜ、あー)。
『スターレス・・・』発表後もグループは精力的なツアーを行うが、その多くのライブ音源が『グレート・ディシーバー』や、エディー・ジョブスンがオーバーダブに加わってたりいまからすると収録時間の問題もあって中途半端なものになってしまったが、古典的なライブ盤"USA"などに収録されて、この時期のライブ・レコーディング・プロジェクトは巨大な星雲をなしている。ライブ・パフォーマンスという一回性の場で音楽がその瞬間だけの力を得て、それを何らかの意志でもって再構築、再構成して発表するという、後期ザッパが凄まじい勢いで展開したコンセプトにも通じる解体、分析、再構築を辿ることも可能になったのである。
そういう意味では今回の『ザ・ナイトウォッチ』のポイントも、単にアムステルダム・ライブの完全版というところではなくて(実際「太陽と戦慄」がオープニングであったのではとか、収録時間を考えると少なくとももう数曲は演奏されたと思われるが、そこらの資料、確証はない)、翁なりのクリムズン再検証&再構築作業の一環なのかもしれないと今は思えてきた。
さて、話を『続・エピタフ』に移そう。ディスク[1]が69年8月9日プランプトン・フェスティバルでのライブ、[2]がそれから約ひと月後の9月7日チェスターフィールド・ジャズ・クラブのステージを収めたもので、[1]の方の「ゲット・ザイ・ベアリングス」と「トラベル・ウィアリー・カプリコーン」は『紅伝説』に別ミックスが収録されている(今回の方がライブらしい荒々しさを強調した印象を受ける)。[2]はフリップが持っていたカセットから起こされたものだというし、[1]の方もさまざまなブートレグからの寄せ集めだったりカセット音源だったりと、メール・オーダーのみのオフィシャル・ブートレグ扱いにしたという気持ちもわかる。出典 : 『レコード・コレクターズ 1997 12』 DEC.,1997 Vol.16,No12。Record collectors' magazine ----------------
とくに[2]の方はヒス・ノイズもきついが、録音レベルそのものがかなり低そうで、手を入れていっても限度があったのだろう。気の遠くなりそうなほど入念で手間ひまのかかる作業だったろうが、何だかこちらまで背中に翁のクールな視線を感じながらテープの修正をやっているような気分になる。しかしその甲斐はあった。よくぞここまで復元させたものだと、素直に彼の腕に驚嘆してしまう。もちろん現代の耳からすれば話にならないがSP時代のブルーズの感動的な演奏がノイズなんて簡単にクリアしてしまうのと同じ感動が、ここでの演奏にはある。
何よりもその音の濃密なこと。ジャズ的なインプロビィゼーションとロック的な破壊衝動とがコインの裏表のように激しく自在に入れ替わっていく。『クリムゾン・キングの宮殿』というロック史上に燦然と光るアルバムを作り出す原動力のもっとも"素"の姿が聞けるのが"エピタフ"シリーズなのだとつくづく痛感させられる。
[2]ではとくにフリップのギターやイアン・マクドナルドのサックスのジャズ的なインプロビィゼイションが目立つが、同時に「マース」の後半のようなストレートかつロック的な強引な音圧展開もしっかり聞かれる。この当時は、ぎこちない接点しか持ちえなかったロック、ジャズなんて関係をこういう形で飲み込むスケールを持ったのはクリムズンが最初だった。
こちらのメンバーは言うまでもなくフリップにイアン・マクドナルド、グレッグ・レイク、マイケル・ジャイルス、そしてピート・シンフィールドという第1期オリジナル・クリムズン。わずか1年間の生命ながら『クリムゾン・キングの宮殿』を産み、別れていったこのユニットの真骨頂はマクドナルド&ジャイルスの変幻するサウンド、変拍子の変化と、フリップの統制が極限の整合感とスリルを生み出すところにある。バランスがとくに崩れ、またメンバーの音による造反があったりするが、それが逆に絶妙の調和となり美しい。
そうした危うさの極限美が69年クリムズンには、誰が何と言おうと存在している。しかも今回の"エピタフ"シリーズによってグループそのものも日進月歩どころではない激しいスピードで変化していってることが如実にわかってしまったのだ。たとえば「クリムゾン・キングの宮殿」をここに収録された8月9日のテイクと『エピタフ』のディスクにの12月16日のテイクと聞き比べる。細かいここの体調や情緒を極力考慮に入れないようにすると、明らかに後者の方は全体がすべて滑らかに進んでいるのがよくわかる。
もちろん馴れ合いとかパターン化というのじゃ全然なくて、お互いのツボとポイントを熟知することによってスムーズに音の細部が、まるで指物細工のように緻密にくっつきあって一つの完成物を作り上げているのだ。しかし前者のバージョンでは、メンバーそれぞれが自分たちの出した音がぶつかり合うことで生まれる世界のスリルをまだまだ楽しんでいるように聞こえる。そしてときどき見える亀裂に向かってそれぞれが全霊を込めてアイデアとエネルギーを投入するのが感じられてしまうのだ。
もちろんどちらのテイクも甲乙付けがたいのだが、今は音が悪いが『続・エピタフ』に収められたライブに興奮させられている。
とはいえ、ちょっと前だったらこんな贅沢な比較など考えられもしなかった。『紅伝説』のときの"あるなら聞かせてくれよ"、『ザ・グレート・ディシーバー』のときの"69年はどーしたんだ"という血の叫び(笑)はついに翁を動かしたわけだ。確かに今年の3種6枚の歴史的な音源で、すべてのクリムズン・ファンは"至福"という言葉を3年は思い出し続けるはずだ。うーん、幸せ、と思っていたら、どうもそう甘くはなさそうだ。
すでに80年代クリムズン、つまり『ディシプリン』期のライブ、さらに『アイランズ』"Eathbound"期のライブや"USA II"(といっても既発のもののロング・バージョンということになるそうだが、これもあれこれ収録曲に関して謎の多いアルバムだけに、どういうものが出てくるのか考え出すと興味は尽きない)などが計画されているそうな。
待ってます。
もはや快感になってきた。キング・クリムゾン『アーカイブ・シリーズ』(フリップ談)---要はここんとこ延々と頻発してる「旧音源発掘再生」ものなわけだが、今回の「ザ・ナイトウォッチ」は、ロバート・フリップ+ジョン・ウェットン+ビル・ブラッフォード+デイビット・クロス編成による、'73年11月23日アムステルダム公演の2枚組ライヴ・アルバムである。
それにしても物凄い勢いででるわでるわ。この際だから、90年代突入以降どれほど活発にリリースされてるか、一気に一覧しておこう。
@'75年発表の2枚組ベスト盤「ア・ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・キング・クリムゾン」、1年の期間限定で日本のみCD化。'90年2月。
A'69〜84年期旧譜のリマスタリング盤全10W。'90年2月。
B驚天動地の"クリムゾン・メドレー"も含むプロモーション用短縮盤ミニ・アルバム「アブリベィイテッド・キング・クリムゾン:ハートビート」。'91年10月。
C未発表ライヴ集1枚を含む、4枚組アンソロジー・ボックス「ジ・エッセンシャル・キング・クリムゾン:フレイム・バイ・フレイム」。'91年12月。
D'73〜'74年期の未発表ライヴ音源による4枚組ボックス「ザ・グレイト・ディシーバー〜ライヴ1973-1974)。'92年11月。
Eベスト盤「スリープレス〜ザ・コンサイス・キング・クリムゾン」。'93年11月。
F名曲"21stセンチュリー・スキソイド・マン"のオリジナル+'69年ライヴ+'72年ライヴ+'74年ライヴの計5バージョンを収録したミニ・アルバム「スキツォイド・マン」。'96年6月。
G'69年期の未発表ライヴ音源による2枚組ボックス「エピタフ〜オフィシャル・ブートレッグ:ライヴ・イン1969」。ちなみに英国では通販のみで、4枚組バージョンがリリースされた。'97年3月。
H本原稿の主役---'73年アムステルダム・ライヴを収録した2枚組ライヴ盤「ザ・ナイトウォッチ〜ライヴ・アット・ジ・アムステルダム・コンセルトヘボウ・ノベンバー23rd・1973」。'97年10月。
I日本盤Gから漏れた'69年8月9日『プランプトン・フェスティバル』+同年9月7日『チェスターフィールド・ジャズ・クラブ』の2公演分のみで構成された、日本限定の2枚組ライヴ盤『エピタフ・ボリュームズ3&4』。'97年11月。
まさに大攻勢だ。でこの間、並行して例の「再々々結成」6人クリムゾンも誕生して、世界ツアー全開だわフル・アルバムからミニからライヴ盤からインプロ集からマキシからビデオから、もう都合7アイテムが精力的にリリースされたのだから、立派である。
最初に真面目に書いとくと(←おいおい、あとは全部冗談なのかい)、ロバート・フリップ翁にとってはクリムゾン28年の歴史の中で、今が「初めて」自らのバンドを総合的に自己批評し表現として成立させてる「瞬間」ではないかと思う。
勿論、『ディシプリン・グローバル・モバイル』という自身のレーベルを主宰したことや、'80年代末以降のレコード業界の多角化があってこその「実現」だったわけだが、フリップ翁にとってはまさに、「宿題」の達成なのだ。「私にとってのキング・クリムゾンとは、『エネルギー』『激しさ』『折衷性』---これが本質なのだ」とはフリップ翁の十八番の口癖だが、クリムゾン以外の何者でもないという「存在」を作品という形で作成するだけでは全然追いつかない野田。それだけに、既存のレーベルの制約が無い今、彼がクリムゾンの過去の音源を発掘し作品化する方向に進むのは、非常に理解出来るし、共感出来るのである。
各時期のクリムゾンを、遅まきながらでもより「鮮明」に「明確」にしたい---ロバート・フリップの「表現者」としても生真面目さに、我々聴き手側も心から感謝せねばならん訳だ。
今回、フリップ翁に話を訊く機会に恵まれたわけだが、この「発掘シリーズ」の意義を一言の断言によって片づけられてしまった。「真の歴史を提供する為」 はいー。
「当時、ライヴ音源を発表するのは不可能だった。第一に、不当な契約下似合ったこと。第二に、現在のCDとは異なりアナログ盤の収録時間が短過ぎたこと。第三に、当時のオーディエンスは現在の人々のように我々の音楽を受け入れてくれなかったこと。それが今は、全て解消されたことが大きい」
「ミュージシャンという人種は、自分のパフォーマンスに対してとても厳しく批評するので、それ以上にライヴ盤のリリースを嫌うこともある。しかし長い長い歳月が経つとミュージシャンもより寛大な心を持つようになり、以前の演奏ミスを受け入れる気持ちになれたとも考えられる。したがって、私にとってのライヴ音源の作品化とは、パフォーマンスの際のスピリットに忠実であることが目的だね」「過去の音源を聴いても、ノスタルジーに浸ることは一切無い」
正論だ。正論である。にしても正論過ぎて、踊りだしたくなるなあ。
今回の「ザ・ナイトウォッチ」は、前述したとおり'73年11月23日蘭アムステルダム『コンセルトヘボウ』公演のライヴ盤で、「ほぼ」完全版である。「ほぼ」というのは、一曲目に演奏されたはずの"ラークス・タンズ・イン・アスピック・パート1"だけが欠落しているから---フリップ曰く「おそらくエンジニアがマイクの調整中だったからだろう」ということだ。
だからといって、本作の価値は全然下がらない。この日のライヴはクリムゾン信者にとってはまさに「伝説」ライヴで、英BBCが番組用に録音放送した為にブートレッグ盤も「ソングス・フォー・ヨーロッパ」を筆頭に十数種リリースされてることからも、それは明らかだろう。
そしてそれよりも何よりも、翌'74年4月発表の6thアルバム「スターレス・アンド・バイブル・ブラック」の収録時間の半分以上に、この公演のライヴ音源が使用されてるのが大きい。リリース当時は誰もがスタジオ録音盤と思い込んでただけに、後に「ア・ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・キング・クリムゾン」のブックレットで「ほとんどライヴ・アルバム」と判明した時の驚きは、まさに尋常ではなかったのだ。
本作で聴ける"フラクチャー"と"ナイト・ウォッチ"は、後のスタジオ・ヴァージョンにおけるオーヴァーダビング部分が削除された、まさに「原型」そのものだし(←後者はイントロ部分のみ採用されたのだが)、"インプロヴィゼーション:スターレス・アンド・バイブル・ブラック"と"インプロヴィゼーション:トリオ"は、わざわざ「インプロ」と銘打されてるとおり、スタジオ・ヴァージョンでは短縮されていたインプロ部分を、完全版で堪能できる---うーん、幸せである。そういう意味では、名盤「スターレス・アンド・バイブル・ブラック」の原型を確認できるわけで、本作は後の「スラック」に対する「ヴルーム」的存在にもなるだろう。
この時期のクリムゾンは「ライブにおけるインプロヴィゼーション」が、良い意味でも悪い意味でもその表現スタイルの核であり、その表現衝動の源であり、また結果でもあった。それまでのクリムゾンも勿論、随所でインプロ的展開が増殖してはいたが、それでも大局的に見れば一つの大きな「様式」内での出来事に過ぎなかったのだ。フリップにしてみれば、「かつてのクリムゾン」を超える為にはインプロという「両刃の剣」が最終兵器だったのだろう。
しかも「服を着たインプロ」ブラッフォードと「唄う飛び道具」ウェットンが揃ってわけだから、そのバンド最大の魅力が発揮されるのは当然ライヴの場であり、ステージを新曲レコーディング用のスタジオと捉えた判断も全然正しい。フリップ翁に言わせれば、衝動がそのまま暴走して各楽器が玉突き衝突を起こしたライヴは「駄目」で、暴走しながらも目的地が同じ場合は「クール」ですばらしいライヴなのだ。で、このアムステルダム公演は、数少ない「後者」だったに違いない。だからこそ本作は「名演」であり、この時期のクリムゾンの長所が見事に結実してるのである。
とまあ、音楽評論家的な分析を書いては見たものの、この一連の「アーカイヴ・シリーズ」には別の愉しみ方も存在する。音源がちゃんとレコーディングされたものならば特に問題はにのだが、「エピタフ」みたく音源がブートレッグ・カセットとか雑音混じりのラジオのエア・チェック・テープだったりすると、「ギャラリー・フェイク」ではないが、修復作業をする「実は一番大変な人」の存在が大きかったりするわけで、ここで登場するのが、デイヴィット・シングルトンだ。
発掘クリムゾンのみならず、ザ・リーグ・オブ・ジェントルメンやらソロやらのフリップものの「蘇生」も一手に引き受けて日夜「修復」作業に勤しんでいる、「可哀想な再生屋さん」なのである。当然フリップ翁の信頼はひたすら厚い。彼は私と同じ36歳で、ケンブリッジ大学で哲学と近代語の学位を取得したインテリだ。
「英国で彼のような人なら、政府官僚関係の仕事に就くはずだよ。まず音楽業界で仕事するのはあり得ないな。(笑)」(フリップ談)
基本的にエンジニア/プロデューサーでコンポーザーでもあるという。
「彼は地球上で誰よりも、デジタル編集作業に優れている専門家なのだよ。でも彼には彼のライフがあるから、1年に1アーカイヴ・プロジェクトで充分だと思うよ」(フリップ談)
そのわりに山のように作業をさせてるような気もするが、その「働き蜂」シングルトンに本音を訊ねてみた。(←しかし斬新な特集記事だよなあ)
---現在進行中の作業は何ですかね。
デイヴィッド・シングルトン(以下D) 「ザ・ナトウォッチ」を終えて、今はロバートのソロ・ライヴをやってる。
---そもそもフリップとの付き合いはいつ頃からになるんですか。
D '89年だったと思う。ザ・リーグ・オブ・クラフィティ・ギタリスツのツアーで、サウンド・エンジニアをやった。普通はそんな仕事はしないんだけど、なんか緊急事態だったみたいで。で次にやったのが「ザ・グレイト・ディシーヴァー」のデジタル化と、サンデイ・オール・オーヴァー・ザ・ワールドのアルバムのプロデュースだったね。
---これは極めて深刻かつ重要な質問なんですけども・・・元々クリムゾンのファンだったですかね。(笑)
D 全然。(笑) というか、彼らの音楽をほとんど知らなかった。「ザ・グレイト・ディシーヴァー」の作業中、ロバートに「"ラークス・タンズ・イン・アスピック・パート2"をマルチトラック・テープから見つけてくれ」と言われたんだけど、僕は「どんな曲か知らないのに、どうやって見つければいいの?」と答えた。(笑)
---ま、逆に客観的に眺められていいのかも。
D うん、何の先入観も持ってなかったのでよかったと思うよ。だから例えば、ロバートの「エクスポージャー」(←'79年発表1stソロ)も、あえて聴かないようにしてる。いつかリミックスやリマスターをやることになるはずだから、そのときまで聴かないで新鮮なアプローチが出来るようにしたくて。
---(苦笑)あなたもフリップ翁同様「変人」の生真面目さがありそうですなあ。
D 元々は僕、クラシックのオーケストラのライヴ・レコーディングが専門だったんだよ。トラックがスタジオになっててさ。だからロバートに逢うまで、ロックの仕事はほとんど経験無い。
---じゃあフリップとの作業を始めて以降は、他のロックの仕事もやりだしましたかね。
D やろうとしてるんだけど、今は時間が無くて---ロバートの仕事が沢山あり過ぎてさ。(笑) でもつい先日、カミーラズ・リトル・シークレット(←チャールズの愛人か?)というバンドをプロデュースしたよ。ロバートもプレイしてる。
---にしてもほとんどフリップの「再生衝動症候群」において、あなたはすっかり「再生屋」専門要員と化してると思うんですけども、どうなんですかね。
D 僕たちは両方同時にやろうとしてるんだ。様々なヴァージョンのキング・クリムゾンの全記録を、1999年までに完成させてしまおうという意向なんだ。
---へ?
D 性格には1999年の1月13日までに。その日がクリムゾンが結成されてちょうど30周年目にあたるから。それまでに全ての記録を完成させ、新しいクリムゾンのアルバムも作りたいと思ってる。勿論、ロバートの過去の活動も総て。
---ひょー。でもまだまだ沢山埋蔵されてるんじゃないですか、もしかすると。
D いや、もう終わりに近づいてる。来年春には'80年代クリムゾンのボックス・セット、その次の年には'72年クリムゾンのミニ・ボックス・セット(←「アイランズ」「アースバウンド」期)を作ることになると思う。で、その後はそれぞれの時期のクリムゾンのライヴ・ボックスが出るだけだろう。そこから先は、未来に向かって進むんだ。とてもエキサイティングだよ。
---しかし、一つ一つの作業は相当大変そうですけども。
D うん。とても密度が濃いし、とてもハードな仕事だよ。新しいアルバムをレコーディングする方が、はるかに早いんだから。ミュージシャンをスタジオに集めれば2週間でレコーディングすることが出来る。だけど、昔のテープを聴き直してちゃんとしたサウンドにするには、何ヶ月も懸かる。だからあんまり頻繁にはやりたくない。(笑)
---でもすっかり「頻繁」にやってますが。
D あはははは。
---作業の過程を具体的に教えてください。
D 発見されたテープによって違う。例えば「エピタフ」の場合は、最初ロバートは「テープは無いからやる必要無い」と言ってたんだけど、徐々にテープが発見されてきた。イアン・マクドナルドが1本、ロバートが実は1本、そしてマイケル・ジャイルズも知らない間に1本。(笑) でどれもブートレッグのカセットで、音質が最悪だった。僕はその音を出来るだけ良い音質にデジタル変換しなくてはならない。まずどれも全く安定してないから、回転速度を一定にしないと駄目。そして、録音途中でデッキがぶつかったり落としたりされてるから、サウンドが突然悪くなったり消えてたりする場合が多いから、最初から最後までのサウンドが変化しないようにしないと---途中の雑音を一つ一つ消していくのさ。酷い時は、1小節ずつ直さなきゃならなかった。そういう問題が山積みの上に、全体を聴いてどういうサウンドになるのか把握できないわけだから、まさに手探り。でその後でロバートが聴いて「これは演奏自体が良くない」と言えばボツになっちゃう。(笑)
---くー。
D とにかく全体を標準化して、その後一般的なマスタリングをして全体のサウンドの質を出来るだけ良くする。以上。(笑)
---良くそんな作業を続けてますなあ。
D でもこれから作業する'80年代クリムゾンものは、プロの手でマルチ・トラックでレコーディングされてる音源だから、楽な仕事になるんじゃないかと心から期待してる。(笑)
---「スラング・スラング・ゴジンブルックス」(←フリップ翁御乱心のニューウェイヴ・バンド、ザ・リーグ・オブ・ジェントルメンの'80年ライヴ盤)も、元はカセット音源だったとか。
D そうなんだ!彼らは1980年だったにも拘わらず一度もマルチ回してなかった!!(笑) でもまあ、「エピタフ」ほどじゃなかったけどね。(笑)
---「フレイム・バイ・フレイム」はどうですか。あれはベスト盤色が濃いから楽だったのでは。
D でもね、当時のロバートはとにかく多くを詰め込みたがっていたから、CDの収録時間内に全部入れるのが大変だった。曲が多過ぎた。だから"スターレス・アンド・バイブル・ブラック"や"フラクチャー"の後半を編集したりカットしなけりゃ入らなくて---ファンの人達は怒ったと思うよ。それに当時はCD収録時間も短かったから、今ならちゃんと入るだろうし。しれにディスクIVのライヴ・アンソロジーは今となっては必要無いから、いつか3枚組なると思うね。
---うわ、それも出るのかぁ。「ザ・グレート・ディシーヴァー」はどうですか。
D そんなに難しくなかった。音源が沢山あったからね。それにそのほとんどがまあまあの状態でレコーディングされてたし。問題はドラム・トラックだった。どのショーもあまり良くなくて---これは今回の「ザ・ナイトウォッチ」にも共通する問題だった。スネアの音がほとんど聴こえないから、説得力ある音にするのがかなり難しかった。しかも、ベースの音がやたらとデカいんだ!(笑)
---ジョン・ウェットンですな。
D バスドラのマイクの音からも、ヴォーカルのマイクの音からも、ロバートのギターのマイクの音からも、総てベースの音が聞こえてくる。(笑)
---1作あたりの平均制作日数って、どれぐらいなんですかね。
D 平均は難しいなあ。でもディシプリンの利点は、必要なだけ時間を懸けられるということなんだ。だけど「エピタフ」の時はやっぱ凄かったなあ・・・'96年12月までにスタジオ作業を終えて、'97年4月にはリリースするはずだったんだけど、'97年3月になってもまだミックスをしていた。(笑)「もっと良いサウンドに出来くる」と思いながらね。(←英通販盤は4枚組の為、'97年7月リリースとなった)
---そういえば何故「エピタフ」は、通販のみ4枚組になったんですか。やはり音質が?
D ディスクIIIとIVの作業を始めた瞬間、「凄く良いサウンドには絶対ならない」と確信したのさ。(笑)'97年のクリスマスにさ。だったらメール・オーダーのみ入手可能にした方がいいと思って。でもいざ完成させてみると、ディスクIVはとても良いサウンドになった。IIIが一番良くないかもしれない。だけどイアン・マクドナルドは「最初の2枚よりもIIIとIVの方がずっといい」と主張しているしね。
---ちなみにあなたが地獄のような作業中、フリップはどうしてるんですか。
D 僕がほとんど一日中作業をして、解決すべき問題を片づける。そして夜になるとロバートがやって来て、だいたい9時から11時まで居て聴いて意見を言うのさ。「凄く良い」「昨日よりずっと良くなっている」「そうでもない」と。(笑) ツアー中は勿論来れないから、僕一人で何ヶ月か作業することもあるけど、最終的にはやはり彼が決断する。
---でもほら、あの親父は超完璧主義者だから、要求相当高くて疲弊しませんかね。
D でも僕も凄い完璧主義者だから、僕たち二人が揃うと大変なんだ。永遠にやり続ける可能性がある。どっちが先にギブアップするのかなあ。
---(苦笑)通常、どうやって作業にピリオド打ったんですか。
D 締切の日に誰かがスタジオに入ってきて、テープを奪い取っていく。(笑)「もうヤメてくれ」って。(笑)
---・・・・愉しんでますか。
D うん、愉しんでいるよ。それに今、自分のアルバムも作ろうとしてるしね。8年前からずっと演りたかった。元々自分でコンポーザーもやってたからねどうしても作りたいアルバムが2枚ある。一つは僕の曲を入れた僕名義のアルバム、もう一つはロバートとのコラポレーション・アルバムになると思う。たぶん「トーン・プローブ」という名前になると思う。二人で一緒にアルバム・プロデュースする時は、これまでも「トーン・プローブ・プロダクション」名義でやってたし。とにかく是非作りたい、ロバートと僕が一緒に音楽を作るアルバムを。
---「再生屋」のまんまじゃ終わらねえぞ、的な。
D 一生記録ばっかしてはいられないからね。来年で再生レコードも最後だと思うし。実は昨日、ロバートとキング・クリムゾン、そして僕にとってのね。次は未来の音楽さ。
---ちなみにあなた、本当に今までロック自分で演ったこと無いんですか。
D 実はベース弾いていたんだ。大学時代にソロ・シングルを出したこともある。でもそのことは忘れた方がいいと思う。(笑)
---日本のマニアは必ず捜し出してゲットしちゃいますぜ。
D 言うべきじゃなかった。(笑)
口じゃ何だかんだ言いながらも、やはりシングルトンも「同じ穴のフリップ」男だった。しかしこうした世界一有能な「リメイク・サイボーグ」が居てこそ、フリップも我々もキング・クリムゾンを完全解析出来るわけで、皆で手厚く看護してやらねばなるまい。おいおい、病人じゃないっつーの。出典 : 『炎 THE HO・NO・O 1997 11』 シンコー・ミュージック
さて今回フリップの口から、またまた物騒な今後の活動プランが飛び出したことを付け加えておく。6人クリムゾンの「少人数プロジェクトの複数並行活動」--12月1日と4日の2回、まずは「フリップ+ガン+レヴィン+ブラッフォード」でインプロ・ミュージックを演るとのこと。そしてその後、「フリップ+ガン+マステロット」編成も試すらしい。要は解体→再合体により創造衝動を高めるのが狙いらしい。正しいと思う。だがしかぁーし、きっとその各々がシングルトンによって「整備」されてきっとライヴ盤が続々とでるだろう、と容易に想像がつくだけに、なんとなぁーく不安になる今日この頃の私なのであった。でも愉しみだったりして。(失笑)
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メタル・クリムゾンの28年
松崎 正秀 TV番組プロデューサー
「キング・クリムゾンの創造する音楽に関しては、これまで様々な見解が述べられてきたが、キング・クリムゾンはこれまでも、そしてこれからも"ロック・バンド"以外の何者でもないでのある。そしてキング・クリムゾンのロック・ミュージックが、アメリカ的と言えるリズム&ブルーズに基づいたものではなく、極めてヨーロッパ的なセンスに基づいたものであることは、従来のロック・ミュージックとの大きな違いと言えよう。しかしながら、キング・クリムゾンにはハードで、かつヘヴィなサウンド、つまり現在で言うヘヴィ・メタル/ハードロック・ミュージックの要素はデビュー以来、すっと存在していたのである」(ロバート・フリップ)
エルヴィス・プレスリー、ビートルズがロック・シーンを革新したのと同様に、キング・クリムゾンというロック・バンドも、'69年にデビューして以来、ロック・シーンに様々な衝撃を与え続けてきた希有な存在ではないだろうか。今年でデビュー28年を迎えるこのロック・バンドは、リーダーである(本人はリーダーと言われることを極力嫌がっているが)ロバート・フリップの考える頑固なバンドとしての存在価値&理由に守られながら、唯一無比なるステイタスを確実に築いてきた。実際、ロック・ミュージックは今やエンターテインメント・ビジネスの中でも非常に大きな位置を占めているが、ロバート・フリップはそれは二の次として、サウンド・コンセプトとアーティストとしてのアイデンティティを両立させることを中心に考え、キング・クリムゾンというロック・バンドをシーンの中でもより特殊な次元に位置させており、そこにキング・クリムゾン=ロバート・フリップという公式が成り立つ。その彼の口から"ヘヴィ・メタル/ハード・ロック"という言葉が出るとは、思いもよらないことであった。
「別に意外なことではない。キング・クリムゾンは1969年に"21stセンチュリー・スキツォイド・マン"を作曲し、演奏している。この曲のエッセンスは間違いなく今のHM/HRミュージックに引き継がれていると私は考える。実際、私は'69年にブラック・サバスのステージを観る機会があった。そこで彼らは"パラノイド"などいわゆるHM/HRと言われるものを演奏していたが、私にはそれほどヘヴィなサウンドとは感じられなかった。我々が演奏していた"21stセンチュリー・スキツォイド・マン"は、当時はどんなHM/HRよりもハードでヘヴィなサウンドであたっし、それ以後の"ラークス・タンズ・イン・アスピック・パート2""レッド"といった作品においても同様であったと考えている。そしてそれは、今のキング・クリムゾンでも同様に続いていると私は考えることもある」
このように、いともたやすく一刀両断してしまう、このロック・シーンきっての鬼才の考えるHM/HRを検証してみよう。
キング・クリムゾンの歴史は、'69年に発表されたロック史上に残る歴史的名作「イン・ザ・コート・オブ・ザ・キング・クリムゾン」から始まる。このアルバムのオープニングを飾るのが、ロバート・フリップがブラック・サバス以上にハード&ヘヴィと語る"21stセンチュリー・スキツォイド・マン"。イコライジングされたヴォーカル・パート、ディストーションの効いたヘヴィなバッキング、そして激しくも繊細なインプロヴィゼーションには、ロバート・フリップの言葉を裏づけるものがある。さらに"エピタフ"や"イン・ザ・コート・オブ・ザ・クリムゾン・キング"といった、初期キング・クリムゾンならではの叙情的なメロディを伴ったドラマティックな曲展開をもつ作品は、HM/HRバンドのバラード・ナンバーにも影響を与えているだろう。とても'69年の作品とは思えない新鮮な輝きを、今もなお放っている。このアルバムはフリップ本人の言動と一致するものがある。
しかしながら、このアルバムに参加した優れたメンバー間の個性のぶつかり合いは、脱退劇へつながることとなった。そして、ロバート・フリップの考える音楽性が優先された結果、以後3作ではブリティッシュ・ジャズ・ミュージシャンをバッキング・プレイヤーとして起用し、ジャズ・インプロヴィゼーションとロック・ミュージックの融合を図る。ここではHM/HRのエッセンスはほとんど感じられず、ファースト・アルバムの成功のプレッシャーを覆すべく模索するロバート・フリップ自身の様々なチャレンジが繰り広げられた。とはいえ、プログレッシヴ・ロックとしては完成度の高いものに仕上げられているのだが、ロバート・フリップは解散を決意するのである。それは、冒頭の本人の言葉にもある"ロック・バンド"としてのキング・クリムゾンの存在理由から、バンドが徐々にかけ離れていったからである。
「リザード」「アイランド」といった作品で試みたコンセプトにより、ロバート・フリップはロック・ミュージックのエッセンスとインプロヴィゼーションを強調した作品を作るべくメンバーを集めた。ジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォードという、後にUKを結成する2人にヴァイオリンのデイヴィッド・クロス、フリー・ジャズ・プレイヤーとして、名を馳せていたジェイミー・ミューアを加えたラインアップで復活したキング・クリムゾンは、ロバート・フリップの強力なコンセプトのもとに活動を展開する。新生キング・クリムゾンの第1作として'73年に発表された「ラークス・タンズ・イン・アスピック」(直訳すると"毒蛇に飲込まれるひばりの舌")では、ファミリーという、キング・クリムゾンとは対照的な存在であったロック・バンドに在籍していたジョン・ウェットンの影響によるものかは判らないが、アナログ・レコードのB面に収録された3曲は、ロバート・フリップの言動を裏づけるような、ハード&ヘヴィな作品となっている。"イージー・マネー"はブルージーなヴォーカルを含み、インプロヴィゼーションの後半ではディストーションの効いたギター・ソロをフィーチュア。続く"トーキング・ドラム"なるフリー・インプロヴィゼーション・ロック・ナンバーでは、それぞれのメンバーが、秩序の上の無秩序とも言うべきハードなソロ・パフォーマンスを繰り広げ、そして、"ラークス・タンズ・イン・アスピック・パート2"では変拍子&パーカッションによる暴力的とも言えるサウンドを聴かせる。メタリカ、ドリーム・シアター、そしてリヴィング・カラーなどのメンバーがキング・クリムゾンの影響を受けたという言葉を、改めて実感させられる。
その後、バンドはヨーロッパ&アメリカツアーを行ない、翌'74年に「スターレス・アンド・バイブル・ブラック」を発表する。前作以上にインプロヴィゼーションに重点を置き、それぞれが対決するかのごとく激しく、緊張感溢れるインタープレイを展開する。しかし、アルバム冒頭に収録されたヴォーカル・ナンバー"ザ・グレイト・ディシーヴァー""ラメント"では、エネルギッシュかつスタイリッシュなキング・クリムゾンならではのハード&ヘヴィなロック・ミュージックを聴かせる。また、アルバムのハイライトといえる"トーキング・ドラム"のコンセプトを継承し、ギター・リフと細かいリズムを絡ませながら、幾重にも重ねられていくサウンドが、メガデスなどのヘヴィ・メタル・バンドに影響を与えたのではないだろうか?
'74年、二度目の解散宣言をすると同時に発表された「レッド」は、ロバート・フリップのHM/HRに対する答を一番明確に表した作品である。
「"レッド""ワン・モア・レッド・ナイトメア"そして"スターレス"は、私にとってキング・クリムゾンのメタル・エッジにある作品だ。そして間違いなくヘヴィ・メタルと呼んでも差し支えない作品だ。これらの作品の持つインテリジェンスはぱわーは、ヘヴィ・メタル・バンドにはないものだ。キング・クリムゾンは、ヘヴィな部分を全面に打ち出さなかったので、ハード・ロック・バンドと呼ばれることはなかった。しかし、キング・クリムゾンのサウンドんは、今日HR/HRと呼ばれるところの要素をずっと含んでいた。それはあくまで我々の一部でああり、総てではない」(ロバート・フリップ)
最近のインタビューで、ロバート・フリップは右のように語っているが、「レッド」発表当時にロバート・フリップがアルバムA面を"メタル・サイド"と呼んでいるだけのことはある。オープニングを飾るアルバム・タイトル・ナンバーにおける、独特なディストーションの効いたギター・リフをフィーチュアしたインストゥルメンタル。繊細で哀愁に満ちたバラード・ナンバー"ファールン・エンジェル"。そして叙情的な前半と、変拍子を効果的に用いた後半のインストゥルメンタルで構成された"ワン・モア・レッド・ナイトメア"は、正にキング・クリムゾン流ヘヴィ・メタル・ミュージックと呼べるものだ。また、B面ではキング・クリムゾンの本質、インプロヴィゼーションの結実とも言える"プロヴィデンス"や、10分を越すプログレッシブ・ロック"スターレス"で、バンドが危機状態にあったにもかかわらず、壮絶なるパフォーマンスを展開する。キング・クリムゾンの代表作の一つとして挙げられる作品だ。ヴァイオリンのデイヴィッド・クロスが脱退し、解散を意識しながら制作されただけに、ロバート・フリップのアイデンティティが強調された結果、彼のギター・フレーズをメインに計算された楽曲と、インプロヴァイズされた偶発的なサウンドによって構成されたこのアルバムは、HM/HRカラーの強いものに仕上ったのである。この点についてはジョン・ウェットンも最近のインタビューで同様の見解を示しており、改めて当時jのロバート・フリップが考え、実践していたロック・ミュージックが先進的(=プログレッシブ)であったことが窺える。しかし、この後しばらくの間、ロバート・フリップとキング・クリムゾンの音楽性から、HM/HRのエッセンスは薄れていくのである。
キング・クリムゾン解散後、ロバート・フリップはロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノとのコラボレーションを展開、"フリッパートロニクス"なるギター・サウンド・システムを開発し、このシステムを駆使してミニマル・ミュージック的作風へと変化していく。そして、ブライアン・イーノとのアルバムを2枚制作、さらにはイーノのソロ・アルバム3作にまで参加し、これまでのロバート・フリップのギターからは想像できないアンビエントなプレイを披露する。これはキング・クリムゾンのファンに大きな失望を与えることになったが、現在彼が追求している"サウンドスケイプ"なるギター・ソロ・パフォーマンスの原点ともいうべきスタイルはこの時期に形成されている。
そしてピーター・ガブリエルのソロ・デビュー・アルバムのレコーディングとツアーに参加したり、ダリル・ホールやピーター・ガブリエルのアルバム・プロデュースを行なうなどの裏方に徹した作業を経て、'79年、初のソロ・アルバム「エクスポージャー」を発表。ニューヨークに発動の場を移し、当時のニューヨーク・パンク・ミュージックの洗礼を受けたことなどから、キング・クリムゾン、ミニマル・ミュージック、パンク・ロックなど様々な音楽の要素が入り乱れ、混沌とした作品であった。それでも、このアルバムにはキング・クリムゾンにおけるHM/HRのエッセンスで構成されたナンバーが4曲収録さていたので、キング・クリムゾン・ファンをそこそこ安心させることができた。ジョン・ウェットン&フィル・コリンズという強力なリズム・セクションをバックに"レッド"を彷彿とさせる"ブレスレス"や"ザ・グレイト・ディシーバー"的ハード・ロック・ナンバー"NY3"、さらにはピーター・ハミルのヴォーカルをフィーチュアし、ワイルドなロック・サウンドを聴かせる"アイ・メイ・ノット・ハヴ・ハド・イナフ・オブ・ミー・バット・アイヴ・ハド・イナフ・オブ・ユー"などにおいて、フリップは強烈なメタル・クリムゾン・サウンドを披露している。
しかしながら、これ以後のソロ2作、そして'81年にキング・クリムゾンを復活させての3作には、HM/HRの要素は全く含まれていなかった。これは一つには、当時ロバート・フリップが滞在していたニューヨークのミュージック・シーンの影響によるものが大きい。ホール&オーツのダリル・ホール、トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンやブロンディのデバラ・ハリーらと親交を持ち、さらには新生キング・クリムゾンでエイドリアン・ブリュー&トニー・レヴィンというアメリカ人メンバー2人を加えることで、前述の"キング・クリムゾンの音楽におけるヨーロッパ的なもの"が希薄となり、アフリカン・リズムやダンス・ビート、ミニマル・ミュージックなど、ロック以外の要素を積極的に取り入れ始めた。3年間の活動を経たロバート・フリップは予定どおり(?)キング・クリムゾンを休止し、自らのライフスタイルに合わせたソロ活動をスタートさせるが、ここではアコースティック・ギターを用いて、ギタリストとして精神&技術面での資質向上を目ざしており、HM/HR的要素からは必然的に遠のくことになるのである。
「'84年、キングクリムゾンが3年間の活動を完了させた時、私のポップ・マーケットにおける7年間の作業は終了した。一度身を退いて、未来が私を導くままに身を任せようと思った」(ロバート・フリップ)
勉強熱心な人だけに、この時期に黄金期を迎えたHM/HRからオルタナティヴ・ミュージックの話題作まで様々な音楽を聴き、次なる活動再開へと備えていたことは間違いない。ニルヴァーナ・カラー、ロリンズ・バンドといったバンドは、インタビューで"影響を受けたバンド"としてキング・クリムゾンの名前をしばしば挙げ(ニルヴァーナの故カート・コバーンは、フェイヴァリット・アルバムに「レッド」を挙げている)、ロバート・フリップに自分たちのCDを送っていたそうだが、そんなこともあって、ロバート・フリップはことさらオルタナティヴ・ロックへの関心を深めている。とはいえ、'91年に3つの作品を発表するまでの7年間、ロバート・フリップは第一線から退き、愛妻トーヤとの生活と、自らが主宰するギター・スクールの運営に徹するのである。完全にHM/HRの要素から離れて・・・・・。
'91年、満を持して5つものプロジェクトをスタートさせたフリップ。キング・クリムゾンは、その5番目に登場した。
「キング・クリムゾンにしかプレイ出来ない音楽が生れると、遅かれ早かれキング・クリムゾンが登場して、その音楽をプレイする。時代がキング・クリムゾンを呼び起しているのである」(ロバート・フリップ)
いかにもロバート・フリップらしい哲学めいたオフィシャル・コメントとともに、キング・クリムゾンは再び姿を現した。ロバート・フリップによれば、キング・クリムゾンというバンドの本質は"エネルギー""情熱""折衷主義"であり、音楽的な"目標の追求"がアイデンティティなのである。オフィシャル・コメントの"音楽がミュージシャンをプレイさせる"という理論を実践すべく、今回の活動再開ではダブル・トリオ編成という、ロック・バンドとしては異例フォーマットを形成。ロバート・フリップは、この新編成キング・クリムゾンのサウンドを"メタル・クリムゾン"と称し、アルバム制作を始める。そして、'96年にようやく発表されたのは、新ラインアップによるプロローグとなるミニ・アルバム「ヴルーム」であった。オープニング・ナンバー"ヴルーム"から、wギター+Wスティック+Wドラムスという編成が持つ面白さを充分に引出し「レッド」的なメタル・クリムゾン・サウンドを具象化している。また、最近ようやく正当に評価され始めた'80年代キング・クリムゾンの名作「ディシプリン」の要素までも随所に取り入れられた。さらに、フリー・インプロヴィゼーションを主体とした"スラック"では、HM/HR的要素をインタラクティヴな構成に取り込み、攻撃的なサウンドに仕上げている。
「このアルバムは、キング・クリムゾンにとって名詞的な役割を果している。そして、『レッド』とは部分的にボキャブラリーが一緒で、明らかに"メタル・クリムゾン"なのだ。'72年〜'74年の頃、我々はこういった音楽を追求していたのだが、当時は演奏しているミュージシャンが若く、作品のアイディアは良くても、それをしっかりと表現することが出来なかった。しかし、今回のメンバーは充分に経験を積んでおり、時世、能力的にも可能になったのである。」(ロバート・フリップ)
この自信溢れる発言を裏づけるべく、コンサートでは過去の名曲をパワフル&メタリックに再現しはじめた。そして、フルレンス・アルバム「スラック」を'95年に発表。「ヴルーム」と4曲が重なるが、総てニュー・レコーディングし、よりヘヴィ・メタルに、よりアグレッシヴなアレンジで楽曲が構成され、さらにはグランジ/オルタナティヴ・ロックにも接近している。これは"キング・クリムゾンはロック・バンドである"というロバート・フリップの言葉を実践したもので、このバンドのロック・シーンにおける存在感をより増す結果となった。このアルバムの成果に満足したかのごとく、1年半にわたるワールド・ツアーやライヴ・アルバム、ビデオの制作など、積極的な活動を再開したキング・クリムゾンであったが、'96年12月以降、その活動は停止している。
一般的にプログレ・バンド--イエス、EL&Pなどが、過去の作品のコンセプトの延長線上とも言える無難&安定路線的作品によって、昔からのファンの郷愁を誘い、セールを確保しているのに対し、キング・クリムゾンは進化し続け、その結果、HM/HRのイディオムを強烈に感じさせるサウンドに到達した。このあたりが、キング・クリムゾンが他のプログレ・バンドとは違う次元に位置し、狂信的とも言えるファンを獲得している理由であろう。現在は、'99年1月に発表が予定されているニュー・アルバムに向けて、すでに曲作や様々なリハーサルが行なわれているが、果して次作も"メタル・クリムゾン"と呼ばれる内容のものになるのであろうか? そのヒントは、来る12月にロンドンの「ジャズ・カフェ」にて行なわれるリハーサル・ギグにあるようだ。
ロバート・フリップの現在のHM/HRに対する見解は・・・・
「今日のHM/HRミュージックは、テクニックの熟練やその精神において、キング・クリムゾンがデビューした28年前に比べ、間違いなく非常に発展していると私は考える。ジャズ・プレイヤー以外では多分、HM/HRアーティストがベストではないだろうか。まあ、私の脚がもう少ししっかりしていたら、彼らと同じようなコスチュームを着て、立って演奏しただろう。(笑)」
ちなみに、去る9月13日にロンドンで行なわれた、ロバート・フリップが主宰するインディペンデント・レーベル『ディシプリン・グローバル・モバイル』のコンヴェンションでの第一声は・・・・・
「Hello,are you reddy to rock'n roll ! 」
出典 : 『炎 THE HO・NO・O 1997 11』 シンコー・ミュージック
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構築と破壊の方程式
石川 真一 音楽ライター
今から20年以上前の'70年代前半から中頃にかけて、僕は当時のキング・クリムゾンの熱心な音楽ファンであった。そして、'80年代初頭に突然「ディシプリン」というニュー・アルバムをひっさげて復活した新生キング・クリムゾンに対して、強いシンパシーを感じながらもある種の距離感を覚えた。しかし、'94年になって再び復活した新生キング・クリムゾンに対しては、なぜかしごくクールな見方をしてしまう。
'70年代のキング・クリムゾンの作り出した音楽は、相対的にみれば僕にとってしごく重要なものだった。それは、それ以前から熱心に聴いていたピンク・フロイドやソフト・マシーンの音楽と並んで、僕の内面を大いに刺激し続けたものだったといえるだろう。もちろん、三者の音楽は、個別的にはかなり異なる刺激を与えてくれるほどに各々個性的なものであったわけだが、あえて共通項を見出すとすれば、そこに流れていたのは、試行錯誤を積み重ねていくことで変容を恐れない革新性を進行形で探究していたことと言えるだろうか。また、言葉を改めると、それは各々のグループの立つ位置から、構築生と構成力の強化、そして即興的要素や偶発生を独自に交錯させることによって、オリジナリティをマジカルなパワーを獲得していたということだろう。
僕がキング・クリムゾンというグループの存在を最初に知ったのは、
出典 : 『炎 THE HO・NO・O 1997 11』 シンコー・ミュージック