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──『話の特集』編集人であった矢崎泰久さんとはいつ頃お知り合いになったんですか。 彼は内外タイムスの記者だったんです。内外タイムスというと割とエロティックな記事が多かったんですが、硬いところは硬かった。彼は硬派な記事を担当していた。その矢崎さんのお父さんが日本社という出版社を経営してたんです。戦前は文藝春秋に勤めていて菊池寛に可愛がられて、そこでは池島晋平さんなんかと並ぶような人でした。その後、池島さんは文藝春秋に残り、矢崎さんのお父さんは独立して日本社を作った。そこでかなりちゃんとした雑誌を作っていたんですけれど、戦後はカストリ雑誌を作りはじめた。そのまま1963年頃までカストリ雑誌の系脈を継ぐようなエロティックな雑誌を作っていたんです。ところが病気で倒れてしまった。で、長男の矢崎さんは会社を引き継ぐことになったんです。しかし、出版物がエロ雑誌ばかりだったので、硬派の矢崎さんはそうではない雑誌を作りたいと思った。 ──それが『話の特集』だったんですね。 いや、そのとき矢崎さんが作ろうとした雑誌は『エル・エル』というレジャー雑誌だったんです。レジャー・ライフの頭文字を取って『エル・エル』です。矢崎さんがなんでレジャー雑誌を作ろうと思ったかは謎なんですが、とりあえず売れる物を作らなければいけないと思ったんでしょうね。ちょうど東京オリンピックを控えていて、外国の人たちが日本にやってくる。同時に日本もこれからは観光というものに力を入れるようになっていくはずだ、ということからレジャーと観光をビジュアルで訴える雑誌を作ろうと思ったらしいです。当時の日本の状況から考えると、レジャー・ライフという言葉は新鮮だったし、それを『エル・エル』と略して呼ぶということも斬新でした。今でも通用するようなセンスですよね。 |
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和田誠氏プロフィール |