日経でオリエンテーリングの魅力を読む

 ここに掲げる文章は昭和53年の日本経済新聞に掲載されたもので、オリエンテーリングの様々な魅力を端的にまとめた名文です。筆者の杉山隆司氏はイギリスと日本の二カ国の選手権を制した日本オリエンテーリング史上伝説のスーパースター。この文章が書かれてすでに40年以上たちますが、その内容は今なお色あせることはありません。




本場仕込み オリエンテーリング

北欧、スイスなどの競技会を転戦、運営も楽しむ

杉山隆司

レッキとしたスポーツ


 最近、日本でもオリエンテーリングが盛んになった。地図とコンパス(磁石)をたよりにいくつかのポストを通過して目的地にできるだけ早く着くことを競う競技だが、一般には地図とコンパスを持ったハイキングぐらいに考えられているのではないだろうか。
 しかし、本場ヨーロッパのオリエンテーリングはそんな生やさしい娯楽ではなく、クロスカントリーのように山野を走り抜くレッキとしたスポーツなのである。私は偶然、英国に留学したことからオリエンテーリングの魅力にとりつかれ、今ではオリエンテーリングなしの生活など考えられなくなってしまっている。
 英国に留学したのは高校2年のとき。留学生の試験を受けたら幸運にも合格し、南ウェールズにあるユナイテッド・ワールド・カレッジ・オブ・アトランティックに入学した。この高校は二学年で300人というとても小規模ながら、生徒は四十数カ国から来ているという国際的な学校である。小さな学校とはいっても敷地は広大で自然には恵まれており、海岸の近くにあるため海洋スポーツが盛んであった。私は海難救助隊の活動を2年間を通じてやっていたが、その他にヨットやサーフィン、カヌー、そしてオリエンテーリングも始めた。
 2年になると、ノルウェーのジュニア・ナショナル・チームの選手が新入生として入ってきた。オリエンテーリングは軍事訓練から発展してきたもので、発祥の地はノルウェー。国際大会でもノルウェー、フィンランド、スウェーデンの北欧三国、それにスイスが圧倒的な強さを誇っている。そういう本場の人が身近にいるようになったので、私はオリエンテーリングにますます興味を持つようになっていった。



全英選手権で優勝


 オックスフォード大学に入学すると、私のオリエンテーリング熱はいよいよ燃えさかった。入学した時が39戦目で、卒業した時が201戦目を数えていたから、大学時代いかに熱中していたかが、おわかりだろう。春休みや夏休みにはノルウェーやスイスなどヨーロッパ各地に遠征していた。どれもこれも楽しい思い出だが、1975年の全英選手権の優勝と世界選手権の26位はとりわけ印象深い。26位などというとあまり大したことがないようだが、上位20位くらいはたいてい北欧三国とスイスの選手が占めているから、私としては大変満足している。
 ヨーロッパでは、競技会は各地でしょっちゅう開かれている。オリエンテーリングはレッキとしたスポーツだが、老若男女だれでも楽しむことができる。というのは年齢や技術によって2、30、時には60ものクラスに分かれているから自分に適したクラスに出場すれば良いのだ。一番過酷なのは男子エリートクラスで、距離も15キロ程度あり、ルートチョイスも難しく設定されている。女子10歳以下クラスというのは3キロ程度の簡単なコースで8歳くらいのちっちゃな子も喜々として参加している。男子70歳以上クラスは距離的には女子10歳以下と同程度だが、技術的には難しいといった具合である。
 地図を読み取ってポストからポストへどう行ったら良いか、素早く判断する。ポスト間はどう走っても良いのだから、百人いれば百通りのルートが考えられるわけである。ゆっくり立ち止まって地図を読んではいられない。走りながら地図を読む。初心のうちはとかく気が動転してしまって、地図が正確に読めないものだ。時間と正確さの兼ね合い、その辺が駆け引きである。




国境を越えて交流


 競技が終わると、みんなで自分のとったルートの話し合いだ。どこでミスをしたとか、沢に下りるよりも尾根を走り抜けた方が早かったろう、とか反省する。しかも、それは他人との戦いというよりも自分との戦いという意味合いが濃い。今回はミスをした、だから次回からはミスをしないようにしよう。こうして己れの技術を磨いていくのだ。
 他人との戦いでない証拠に次のような例を引いてもいいだろう。ポストは番号順に通過するのだが、正式にはそれが守られているかどうかチェックする係がいるものの、ほとんど係を設けない。それでもインチキをする者は一人もいないのだ。
 競技を続けていくと、自然と仲間ができていく。大学とかクラブといった単位ではなく、国境を越え、同じスポーツに魅せられた人たちとの交流である。
 「やあ、また会ったね」
 国際競技会でノルウェー、フィンランド、スイスなどを転戦するとともに、そうして出来た仲間の家を訪ねて旧交を温めたりもする。
 また、オリエンテーリングの楽しみの一つに地図を集めることがある。カラフルで、大会ごとに意匠を凝らした地図が作られるから、これを集めることを生き甲斐にしている人もいるほどだ。
 だが、オリエンテーリングの楽しみは、競技に出場したり、地図を集めたりすることだけにあるのではない。大会の運営そのものに携わることこそ、真にオリエンテーリングを知り、その醍醐味を理解することになろう。
 大会の運営の準備は約1年も前から始める。まず、大会の開催される土地の測量が大体1ヶ月くらいぶっ通しで行われる。専攻は理論工学で土木系だったから、測量はお手のものであった。そして地図を作成。国土地理院のようなおおざっぱなものではなく、きわめて正確なやつである。等高線なども修正し、1メートル程度の穴やコブまで記載する。この製図には1、2週間かかる。それを印刷に回す。
 それからコースプランニングである。2、30のコースを設定するが、これにも1週間ほどかける。そして想定したポストが実際の通りであるかのチェックである。これに2週間程度かかる。大会前日には、実際にポストを設置して回る。こうした仕事をする運営委員は、大会の規模にもよるが通常驚くほど少ない。



日本でももっと伸ばそう


 オリエンテーリングはこれから日本でも伸びるスポーツだと思うが、適した森が少ないのが残念である。しかも町から遠い。パリなどは市街地のすぐそばにいい森があって、本当にうらやましい。
 ノルウェーの自然の森などはたとえようもなく美しいところである。しかもやわらかい草が生えていて、実に走りやすい。そうしたところを走っているのが、私にとっての一番のしあわせだ。
 昨秋、帰国してから、15戦して13勝である。しかも、2位に10分もの大差をつけたりする。自慢してこんなことを言うのではない。むしろ残念でたまらない。ヨーロッパの場合、秒単位で選手がひしめき合っている。日本も早くそうなって欲しいものだ。



【日本経済新聞 昭和53年5月10(水)】『文化』より