インカレ・リバイバル

第5回 第9回(愛知)インカレ(1)

白戸 秀和(HE・早稲田大学第4走者)

2位とは10秒差。3位とは1分差。それでもトップでタッチを受けた。いくら相手が学生界のトップ二人(石原・稲葉)でも、トップで帰るんだ、いや帰らねばならない。しかし、途中3分ほどのロスタイムを食らい当然のような3位転落。それでも精一杯頑張って走るしかなかった。奇跡を信じて…。ラス前、千葉大を発見、もしかしてという期待のなか全力で疾走する。グランドに出た途端の名古屋大のウイニングラン。言葉では言い表せないほどの失意のなかでゴール。この悔しさを忘れてはならない。

この一年間、私を支えてきたのは駒ヶ根で起きた様々な出来事のみであった。その悔しさも日がたつにつれてより実感をともなうようになったことも確かではあるが、IC’86は駒ヶ根での果たせぬ夢を実現させることと、弱い自分への挑戦、それが今年度もOLをしていくことの動機だった。

あれから一年、駒ヶ根以上の成績が出せるよう自覚していたのは当然であり、それなりのものを出せる自信もつけてきた。回を重ねるごとに成績は上向いている。今までどおりの調整を続ければ必ずいける。実際、これまで以上に秋のシーズンの状態はよく(この二年間は故障続きだったのである。)自分にとって記念となる最後のインカレへの準備は整っている。

今だから言おう。あの危機感を確実なものとして感じたのは1月であった。何かが違う。覇気がない。上の連中が忙しがってるだけで下からの押し上げがない。我々四年生の的確なアドバイスがないのも勿論である。それを言葉でしっかり言い表すことのできない自分が情けない。仲のよいことはとってもよいことなのだが…。

OC大会という社会的責任のあるイベントに直面して、この予感が現実のものとなりかけてしまっていた。自分がタッチできるところだけは精一杯やろうとした。あるいは、そんな気になっただけだったのだろうか。私にとってはあまりにも恐ろしい出来事であった。皆は一生懸命やっていた。しかし起きることは起きる。単なる不幸ではなく、ぼんやりとでもわかっていたことがとてもおそろしかった。

大会後は、増大する不安とそれを打ち消す自信が脳裏を駆けめぐって自分なりの対応策を考えた。インカレを走るのが四人であることに救いを求めていたのである。白熱した実質的セレクションが行われた昨年の五日間練習会があるではないか。練習会を通してヒーローが出現し必ずオーダーが確定する。少なくとも去年はそうであった。しかし…。全体的に見ると、特に覇気の面から見ると練習会は失敗であった。せめて自分だけでも頑張ろう、そう思うのが精一杯なのはインカレ前では当然である、少なくても私にとって。インカレメンバー決定のための収穫が非常に少なかった五日間であったと思う。たたかいを忘れてしまったのだろうか…。ますます走る人間だけは、と思うようになっていた。そして、とにかく自分だけはと考えていた。

自分が本当の力を出せば、今での思いを打ち消せることができる(否、体裁が整うだけか)。だが自分のなかでも変化が生じていた。日光・駒ヶ根のときに比べて自分のなかに決定的に欠けている必要不可欠なものがあるのことに気づいたのだった。これだけはどうしようもなかった。ある面でインカレは正常の精神状態では臨めない。敵を倒すのに普段の気持ちでいたならばインカレ独特の雰囲気にまず負けてしまって相手との勝負にならない。そういった殺人的闘争本能を備えるきっかけや手段を失っていた。私は完全に精神力で走るランナーである。自然とインカレがぼんやりとし、その証拠として、開会式に際しても、インカレという実感が湧かなかった。あえて言えば、インカレを感じたのは、全日本終了後だろうか…。

普通に今まで通りに進まなかった、周りの状況、自分の内面での問題、他の選手となるようなメンバーの問題が絡み合って、それも自覚していたので、当日は非常に冷静な気持ちを保ってしまっていた。レースの展開もある程度読めていた。今から思えば最悪の状態である。しかし、冷静な判断の下で精一杯頑張ることに決めた。

結果はご存知の通り史上最悪の成績である。四走という大役を務めた私の責任は大きく言い訳する立場ではない。しかし事実は事実であり決して無視することはできない。この試練に立ったときにこそクラブの真価が問われる。筑波も3位転落の翌年は散々であった(9位)。私が言うのも何だがあえて言わせていただければ、この悔しさを本当のバネに野武士のように野草のように立ち上がってほしい。幸い群馬は強力なチームはない。私もできるかぎりのことはしたいので是非頑張ってくれ。

最後のテープ誘導でのみんなの大声援とあのTシャツの寄せ書き、そしてみんなの心づかい絶対に忘れない!群馬ではきっとウイニング・ランを絶対にみよう。俺のかなえられなかった夢を…。

Remember IC’86,Aichi!             Don’t Forget Nikko!!              And Know what you are.

(わせだUNIV.OCレポート1986年度vol.17) ※次回は第9回(愛知)インカレ第3走者、篠崎東雄氏です。


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