インカレ・リバイバル

第20回 第16回(群馬)インカレ(1)

山内 亮太(HE・早稲田大学第2走者)

「1走 −2走武田−3走篤−4走塚本」と宮川監督が口にした瞬間、誰もが照井さんの方を見た。照井さんは固く口を結び、視線を落としていた。その時の照井さんの姿はあまりにも印象的で今でも脳裏に焼きついている。しかし、自分にとっては同じ一年である篤がメンバーに入ったことのほうがむしろショックだった。オリエンテーリングを始めた当初「一年間で篤を含めた経験者に追いつき、2年からが勝負」と目標を立てたが、ちょうど一年たった滋賀インカレで篤の実力は自分では遠く及ばないものに思えた。自分は個人戦HFAでも惨敗しており、自分の無力さがただただつらかった。

翌日の団体戦、早稲田男子は初めて6位入賞を逃し、更にはゴール後地図取り違えが発覚、女子も今一つの結果でOCとしてはまるでいいところのないインカレとなった。「来年は使ってやるから」という宮川監督の言葉が身にしみ、そして雪辱を誓った。

2年になり、私はオリエンティアであると同時に早大OCの役員となった。前期中は自分の理想と現実のギャップに悩んだりしていたのだが、それについてはここでは省略させてもらおう。ただ、1年を通して役員としての働きは全く不十分でその事に関しては誠に申し訳ないと思う。

トレーニング量は不足していたものの、オリエンテーリングに関しては前期からある程度好調で、自分としては力の充実というものを感じていた。しかし、プレセレで通過はしたものの、イメージが合わず、その後、サン・スーシ、筑波、ショート−ICと絶不調に陥った。「こんな調子で早稲田の代表になれるのか」と不安になったが、朝日、東日本を見送った後の京葉で調子を取り戻し、その後はある程度好調だった。特に本セレを上位で通過できたことは大きな自信となった。「今年で最後の武田さん、平岩さんと一緒に走りたい」との思いは強く、実際口に出したりしていたのだが、これが私の努力(とは言ってもたかが知れているが)を支えていたのだった。

千葉大、冬のOC杯でロングレースに対するスタミナが不足していることは分かっていたが、試験、OC大会、風邪で満足なトレーニングができず、体力的な不安を抱えたまま臨むこととなった。特に春合宿直前に風邪をひいたショックは大きく、群馬へ向かう電車の中で「タフな個人戦は走りきれないのでは」「俺は団体戦は走らないほうが…」といったことを考えていた。いま思うと実に弱気だったなあと思う。

個人戦は13位でゴールイン。密かに10位以内が目標だったのだが、それでもこの順位は十分に満足のいくものだった。団体戦のオーダーは篤−山内−武田−平岩に決まった。石沢には申し訳ないが、個人戦が終わった段階でおそらくそうなるのではないかと思っていた。石沢、この悔しさは来年倍にして返してくれ。一緒に頑張ろう。

夜はまた例によって緊張していたのであるが、疲れていたのでぐっすり眠れた。心は明日のことしか考えていなかった。一年間の総決算。いよいよ団体戦だ。

男子エリートスタートのときはアップをしていたのだが、とりあえず篤に一声かけようと出口付近で待っていた。篤はやや抑えめの位置で地図を読みながら出ていった。「いい感じで出ていったな」と武田さんが言った。「そうですね」と答えて、再びアップ開始。昨晩発表されたオーダーは自分を更に緊張させていた。東大も、東北大も村越さんが「クラシカルなオーダー」と言っていたように、3、4走にエースを投入していたのである。1、2走は若干甘いメンバーであった。早稲田男子の現実的な目標はあくまで3位である。しかし、もしも、もし優勝があるとすれば、篤と自分でトップに立ち、しかも後続にある程度差を付けた状態で武田さんにつなぐという展開である。2強のオーダーはそういう展開になる可能性を少なからず高めていたわけで、私の心中は決して穏やかではなかった。中間通過の放送はよく聞こえなかったが、太さんの話によると篤は第2集団の先頭を走っているらしい。何でも前半がはまりのコースパターンだったようで、これは早稲田男子にとって実に(後から思うに実に実に)不運なことだった。最終ラジコンのコールを聞いた時点で、自分の心は3位狙いに決まっていた。コーチからもそのような指示を受けた。もちろん、何位狙いであれ、いいレースを心掛けることには変わりないが、「優勝」のプレッシャーが無くなったことはかなり自分を楽にさせた。もちろん、どんなにプレッシャーを受けてもトップ絡みで来ることを自分としては望んでいたのだが…。

コーナーを曲がってくる篤の姿が見えた。自分は皆が書いてくれたTシャツを着、2年女子がくれたハチマキをし、大舞台でしか着ない早稲田トリムには神田明神のお守りが(自分で)縫い付けてある。そして皆が応援してくれて最高の舞台だ。いやがおうにも緊張が高まる。篤はバテているのかスピードが上がらない。あと少しだ。頑張れ。タッチをする瞬間、篤が何か言ったのか、大声援で全く聞こえない。「よくやった。今度は俺の番だ。」声援には小さなガッツポーズで応え、レーンを走っていく。宮川さん、武田さんが何か言っている。よく聞こえないが、二人とも「落ち着いていけ」ということを言っているらしい。そうだ、落ち着かねば…。

番号を確認して地図をとったあと、スタートフラッグから道を走り出す頃にはもうバテていた。飛ばしすぎたらしい。全く大した落ち着きだ。1は一本左のオープン沿いの道まで出てしまい、2も確実に取ったものの手前からアタックしたほうが早かったことに気付きショックを受けた。3は脱出する道が見つけられず遠回りしてしまい、上からアタックするときに「これって出戻りだ」と気付くと同時に下からアタックする正解のルートが見えた。それぞれは小さなロスであるが、何といっても団体戦である。焦るなと言うほうが無理な話である。

続く3→4では真っ直ぐ進むルートが見えず、大きく道を迂回するルートを進んでしまった。途中でミスに気付き絶望的な気分になった。しかしOCの皆が待っているんだ。諦めるわけにはいかない。余分なアップを根性で登る。そのとき、4から脱出する黒いトリムの選手が見えた。「新潟大?そんなとこにも抜かれたのか。」更に焦る。4を取ったあと、天野さんが「ミスを取り返そうと思わず…」と言ったことを思い出す。4→5は簡単なレッグだ。やや冷静さを取り戻す。5にアタックするとき、青いトリムの背中を見た。「千葉に追いついたか」と虫のいいことを考えてポストに向かうとそいつが振り向いた。「千葉じゃない。筑波だ。」トリムの主は川田さん(筑波3年)だった。筑波は1走で篤の直後に来ていたらしく、ここまで川田さんは私と同じペースで来ていたのだが、その時は私はそんなことは知らないので、「俺って、やはりかなり遅れてるんだなあ」とショックを受けた。しかし、トリさんの「序盤で筑波とかに先行されても気にするな。」という言葉を思い出し、気を取り直す。もう中盤に差しかかっているが、やはり構わず自分のペースで進むことにした。

6に向かう途中、先程の黒いトリムが前に見え、「新潟じゃない。大川だ。北大が落ちてきたんだ」ということに気付いた。幾分安心する。6をチェック後、北大と筑波はすぐに出ていったが、私はゆっくり地図を読んだ。脱出方向は明らかなのだが、アタックが難しいのである。よし行くぞ。道を走っているうちにまず筑波に、そして道を登り切ったところで北大にも追いつく。そうそう、少々先行されても俺の足なら追いつけるんだ。さあ、難しいアタックだ。筑波と私とでルートが分かれた。しかしアタックの仕方が違うだけで、目指すポストは同じらしい。北大はしばらく迷っていたが、結局筑波の後ろについた。「ナメられたもんだ」と思いながら斜面を登る。ここで10→11が勝負レッグだと分かった。もちろん、8、9、10の微地形地帯のポストにも要注意だ。私の通ったルートは倒木で進みにくく、二人よりも遅れがちであったがそれは結果論だ。ルートチョイス自体には問題はない。二人に遅れること15秒程で、7をチェック。北大の背中を追いそうになったところで立ち止まり、地図を読んで鉄塔と植生界を見て一人で脱出。既に前半のミスのことは頭にはなく、かなり冷静であった。

8→9の道走りで再び北大と一緒になる。後で分かったことだが、このとき筑波は「おしおき」を食らってとんでいた。「沢を登り詰めた奥に9はあるんだよな」と思っていたら、沢の途中にポストが現れた。「ひょっとしてこれか?」と期待して番号を見たら違っていた。当然だ。北大はパンチしている様子。「畜生、もっと上だ!」あわてて走りだす。しかしコンパスを見ると走る方向が違っている。「危ない、危ない」とコンパスを振りなおして、9をチェック。10はパラレルに注意。真ん中の沢にちょっと入ってから左の尾根に取りつく。おや、ないぞ。地図を見るともっと先だ。「あった、あった。」10もチェック。11までが勝負だ。墓地にドカン、建物にドカン、渡河点の道にドカンと荒っぽい直進だが、これといった特徴物はないので、慎重に方向を定めたらあとは思い切りよく進む。何本も深い沢を越えるのでアップがきつかったが、「皆が待っているから」と自分に言い聞かせ「根性、根性」と口に出して登った。最後のアップを登り終えて、平坦になってからも足が満足に動かない。「何くそ」と思って走ると、ようやく道にたどり着く。「道の大体この辺に出た」ということが分かっても現在地が正確に把握できていないと不安なものだ。お目当ての道の分岐をチェックしてようやく一安心。

「もう、一息だ」と11をチェックしたとき、時計は60〜61分。「67分くらいか、遅いな」と脱出しているときにカメラマン岩出さんに会う。とりあえず、ガッツポーズはしたものの「俺、全然遅いんですよー」と心のなかでは叫んでいた。皆に合わせる顔がないという気持ちが湧いてきた。いかんいかん、「12を取るまではレースに集中しよう」と思ってはみたものの、簡単なアタックをやや外して30秒ほどのロス。「畜生!」でもここまで来たら後は走るだけ。武田さんが待っている。最後の気合だ。ラスポ13までで一人抜く。その時はその人の後ろ姿が鈴木尚志さん(山口大4年)に見えたので「山口大!何故に?」と思ったが、実は広島大の吉村さん(3年)だったらしい。ラスポはほぼ同時チェックだったが、そこから突き放す。不思議と体は軽かった。

会場入口で誰かの声が聞こえた。更にスピードを上げる。コーナーを曲がるとゴールが見えた。そこに武田さんの姿が見えた。「早稲田大学2走の山内選手…」という放送が聞こえた。紺碧が聞こえた。内容は分からなかったが、武田さんが何か手を上げて叫んでいるのが聞こえた。団体戦は不思議だ。息も手も足も限界が来てるはずなのに、謎な力によってゴールに吸い込まれていく。個人戦とは違い、完全燃焼を実感してのゴールである。声にはならなかったが「すいません…、あとはお願いします。」タッチの瞬間、私は心の中でそう叫んでいた。

ゴール後は不甲斐ないレースをした悔しさを抑えきれず、涙が止まらなかった。そんな私を見て「あとは4年生に任せておけ」と平岩さんが言ってくれた。平岩さんがそういうことを言うのは珍しい。私は猛烈に感動した。

武田さんは快調な走りで、中間で既に3位に上がっていた。「武田、すげえ!」トリさんが感激している。早稲田女子の優勝、本女の入賞、そしてエースの快走に応援のムードも最高だ。結局、武田さんは後ろに5分近い差を付けて帰ってきた。出迎えた私に「お前、いい走りだったよ」と言ってくれたときは最高に嬉しかった。「武田さんこそ、凄いですよ。3位になれそうですね。」という台詞は、またも心の中だけでしか言えなかった。涙が溢れそうだったからである。

平岩さんは確実なペースで進んでいるようだった。後ろとの差もそう変わらない。最終ラジコン通過の知らせに歓声が上がる。東北大、東大はすでにゴールしているが、目標だった3位でのゴールである。嬉しくないはずがない。ここから平岩さんが帰ってくるまで多少時間がかかったが、ラス前でややツボって足がつってしまったらしい。しかし平岩さんはそこから根性で皆の名前を呼びながら帰ってきたらしい。全く大した人だ。

結局、京大を20秒ほどで振り切り、3位でゴール。OCの輪のなかに平岩さんが入ってくる。大歓声だ。万歳の声も聞こえる。確かに優勝じゃない。それに「準」すらつかない。しかし現実的なシミュレーションのうちでは最も理想的な展開とそして結果である。私は自分のレース内容のことなどすっかり忘れ、この勝ち取った3位の感動に酔っていた。校歌を歌っているあいだ、私の涙は止まらなかった。私は泣き虫だ。でも、それがどうした。この涙の価値は計り知れないんだぞ。オリエンテーリングをしていてよかった。OCに出会えてよかった。そして挨拶のとき、私は開口一番、こう言った。「もう最高です!。」

…以上が今回のインカレの全てである。それでいいではないか、と私は思う。束の間とはいえ、最高の幸せを味わえたのだから。監督、トリさん、オフィシャルの皆さん、本当に有り難うございました。来年はこの喜びを本物にできるよう頑張りたいと思います。こう書くと、「お前は来年以降があるんだから、そういうことが言える。」と叱られそうだ。でも、「あ、そーなの」ていう繰り上げ3位よりも、我々の幻の3位の方が価値があると思いません?感動は人工的なもので、もらうこともできるし、与えることもできる。今年のインカレで何かを思った人、来年は感動を与える側になろう。一人じゃつまらない。みんなでなろう。一人でも多くの人間が今回のインカレを境に、何か来年に向けて新しい努力を始める …それが無念の涙にくれた卒業生全員が望んでいることだろうし、我々にはそうする義務があると思う。

だから本当に …本当にみんなで頑張ろう。

(わせだUNIV.OCレポート1994年度vol.1)


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