インカレ・リバイバル

第3回 第8回(駒ヶ根)インカレ(1)

小野 雅史(HE・早稲田大学第1走者)

インカレ個人選手権クラスの出場権のない私にとってインカレでの目標はHA2 クラスとリレー一般クラスでの優勝であった。雪の摂丹街道で爆発し、同じく雪の毘沙門山では憎きスタート順のためにラッセルマシーンと化しどうもこれまでのインカレで満足のいく成績がなかったが、今年はセレクションで上位に食い込み秋以降まずまずのOLをしていたためインカレでもそれなりのいいレースができるだろうと思っていた。しかし冬合宿で臼田さんに敗れ学校枠をとれなっかったのはやはり悔しくて、一時は気合いも失せかけた。しかしそんな時に庄田さんがインカレに出ないという情報を聞いて“これはまずいことになったぞ”と思いつつ、“それならば自分にも十分チャンスがあるぞ”と思い再びやる気を取り戻したのであった。今村さんからも“小野、トレーニングしとけよ”などと言われ“サム・リーディングのですか”などと適当に答えていたのだが、追いコンでの庄田さんの涙を見て“これは庄田さんの代わりに自分が出て庄田さん以上の成績を残さなければならない”と感じたのであった。もちろんクラブ内にもライバルは多数いた。しかし松尾や東雄にはトータルな目で見ればまだ負けてないぞという自信があったし、井村さんや修より最近の成績は上回っている。ましてや西村や臼田さんといった個人HE出場者に対しては死んでも負けるわけには行かなかった。だから“俺がエリートに出るようじゃ早稲田も終わりだぜ”などと言いつつも、内心は“インカレ選手はもらったぜ”という気であったのだ。白戸をみていても良く分かるが気合いを入れれば実際に大きく崩れることはなく、私自身も五日間練習会、そして春合宿と好調を持続できた。いつも合宿などでは最後まで起きてて朝食の時間になっても寝ている始末だが、何とこの合宿ではいちばん早く起き好色坊主の布団を剥いでいたことなどもいつもとは違っていたのである。またリレートレーニングにおいても一走として走ることを監督にアピールするため、ペナと知りつつもとにかく倫也さんについて走るなどの作戦も功を奏した。

さてインカレ個人戦の日となったが、目標をリレーに絞った私はとにかく無難なタイムを収めることにのみ終始したため優勝こそ逃してしまったがまずまずであった。しかし西村や井村さんも速くこれは明日はHUかとも思っていたが「西村も速いときは速いが、リレーは小野で行こう」と監督に指名を受け責任の重大さを認識しつつも大変に嬉しかったのである。

さていよいよリレー当日。HEは最初のスタートである。各校のランナーがスタートラインに並ぶ。こんなに大勢の人に見られつつスタートできるのは始めてである。皆の声援に手を振って応える。不思議とプレッシャーはなかった。近くにいた東大の泉に「お前が一番速いんだから引っ張ってってくれよ」とプレッシャーをかけると、「いや今日は皆についていくよ」と彼らしくない返事であった。かなり緊張しているようである。9:00スタート、いきなりトレーナーを着た奴がダッシュするが「頭弱えぞ」と思いゆっくり地図を見る。泉をマークして並走していくが手前で林に入っていく。どうやら一番ポストが違うらしい。一番ポストをチェック後再び泉と会う。彼のあとを追って走るがまだたくさんのランナーが列になって走っている。2番は共通ポストであった。パックについていくとオーバーランして北の道までいってしまう。一分ほど泉と一緒にポストを探すがない。ここで焦っては負けだぞと言い聞かせ、周囲を見ると5〜6人の人だかりがあり、ポストがあった。「ラッキー」と思い彼らと3番へ向かうが、途中泉はかなり外れたところでまだつぼっており一人でポストを探していた。

2→3 パックについていく。まだ知らない奴が多い。ポスト手前の植生界で先頭が止まってうろうろしているのですかさず抜け出してチェック。

3→4 ラフコンパスで北北西に進み川にぶつける。この時点で周りのメンツを確認すると小林(名大)、長谷川(京大)、浜(筑波)、石塚(立教)、小林(北大)であった。以後しばらくこのパックで進む。

4→5→6→7 立教が遅れたが残り5人で着実に進んでいく。泉はもはや追ってくる気配はない。浜さんはさすがにしぶとくついてくる。いずれ劣らぬランナーなので面白い。

7→8 道走りで京都、筑波、北大が先行し、私と小林(名大)が20mほど後を追う。小林は「ウオ!!あいつら、はえーなー」などと川又みたいなことを叫んで走っている。変な奴だ。先行する3人にアタックの時点で追いつく。

8→9 なかなかエグいレッグである。川を走り、汚い尾根を越え、道を使ってアタック。隣接ポストにつれていかれ、一瞬リロケートにとまどう。一分ほどロスしたがこの間にそのポストが正しかった京大、北大、名大は先へ行く。「しまった」と思いつつポストに行くと斉藤文夫(千葉)が現れた。

9→10→11 10は千葉大と同時チェック。11のアタックで名大の川又出現。彼は少し南へずれていった。

11→12→ゴール 11をチェック後、千葉大が「よし、勝負だ」などと間抜けなことを言っているので「1走が勝負してもしょうがねえだろ」と言うと「そうだな。俺も早稲田と一緒なら十分だ」と余裕のある返事を返してきた。最終をチェック後千葉大がスパート。ついていく。グランドが見えだし「紺碧の空」が聞こえてくる。ただ無我夢中で走り、いつに間にか千葉大を抜いてゴールしていた。「小野、良くやったぞ」倫也さんやうえじの言葉が本当に嬉しかった。自分の責任を果たすことができ満足であった。

大学の名を背負って走るというのは最高の気分です。臼田さんも言っていましたがエリートに出る可能性は誰でも持っているのです。僕みたいに大学に入ってからOLを始めてたいしてトレーニングもせずバカなことばかりやっていても出れてしまうわけです。まだ少し早いかもしれないけど、来年のインカレを目指して皆で頑張りましょう。「俺はエリートになんか出られるはずがない」との考え方は間違っています。

泰、松原 来年は勝負だぞ!!                       (わせだUNIV.OCレポート1985年度vol.13) ※次回は第8回(駒ヶ根)インカレ第二走者、飯山春樹氏です。         


『インカレ・リバイバル』目次へ