インカレ・リバイバル

第11回 第12回(埼玉)インカレ(1)

佐藤 隆徳(HE・早稲田大学第1走者)

個人戦が終わったとき、もう膝がガクガクだった。結果は54位。走れなかった。ちかにも負け、明日走れるか不安が残った。膝が痛い。膝を冷やして10時には寝た。明日までに痛みがなくなることだけ願っていた。

朝だ。一瞬膝が治ったような気がして飛び起きて廊下に出た。「痛い。」膝がひびく。やっぱり膝は治っていなかった。いや、昨日よりもひどくなっている。歩くのさえびっこをひかないと歩けない。階段さえ、登れない。「もう、走れない。」そう、思った。「照井か、ちかの方が俺より絶対に速く走れる。」そんな思いが頭のなかによぎった。

食事の前、監督のところへ行き、「走れません」と言った。涙が止まらない。監督は「一走はお前以外いない。食事のあともう一度来い。」と言った。

食事の時、心のなかに「走りたい」という気持ちと、「走れない」という気持ちがあり落ち着かなかった。心臓がドキドキしている。食事がのどを通らない。涙が出る。

そして、Tシャツの贈呈式。Tシャツには「モグ、走れ」「モグ、頑張れ」といっぱい書いてあった。みんなが自分に期待していると思うと申し訳ない気がした。みんなは俺がこんなに膝が痛くて走れそうもないことなんて知らずに食事をしていた。涙がとめどもなく出そうで、その場にいることができなくなった。

「絶対に走ってやる」「途中で膝がだめになって走れなくなっても、俺が走るんだ。」そう思ってジョギングシューズを持って一人外に出た。誰もいない山道を一人走った。まるで、膝がガラスでできているかのように、一歩一歩膝がひびいた。でも、その一歩一歩が「走るんだ」という気持ちを強めていった。

スタートに立つ。みんなは俺が膝が痛くて走れないことも知らずに、トップで帰ってくることを期待しているようだった。心が痛んだ。もう、膝が痛まないことを祈るしかない。

バン!スタートだ。常にトップ集団の最後尾だった。でも頭のなかから膝のことはすっかり消えていた。地図を読むこと以外のことは頭のなかに全く無かった。中盤、トップ集団にうまく乗り、無事ラスポへ。「ガクッ」膝が鳴った。また最後に膝が痛んだ。でも、あと1キロもない。千葉の森内が、東北の菊池が遠ざかっていく。そしてゴール前、また一人抜かれた。もう頭のなかには何もなかった。ただ早くゴールしたかった。早くこの重責から逃れたかった。もう足をいじめて走りたくなかった。早く宅間にタッチしたかった。そして早くみんなのところへ帰りたかった。

結果は30秒遅れの6位。でも自分では走れただけで満足だった。心のなかで2回ガッツポーズをした。

思い出のTシャツには辛かったレースのときのままゼッケン051が今も着いています。                                   (わせだUNIV.OCレポート1990年度vol13)


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