日本女子大学インカレ初優勝



筑波大の猛追を振り切って歓喜のウイニングラン

「目標は優勝」の言葉が現実になるとは思わなかった・・・
最後まで諦めないでよかった。(1走:酒井真由美(写真右))

こんな素晴らしいクラブの一員として走れたことを嬉しく思う。
みんな本当にありがとう。(2走:山内祐子(写真左))

最後のインカレは最高のものにしたいと願っていましたが、
その思いを遥かに超えて、夢のようなインカレでした。(3走:石原理子(写真中央))

当日のレース展開

1998年3月8日。前日の個人戦に引続き天気は晴れ。 選手村からの輸送バス遅延のため、選手達の緊張感はより一層高まっていた。 地鳴りのような大声援、スタート1分前からの静寂。インカレ独特の雰囲気の中で男子に遅れること10分、 女子団体戦の火蓋も切って落とされた。

第一ラジコンを最初に通過したのは渡辺(東京農大)、僅かの差で 佐々木(筑波大)がこれを追う展開。しばらくして大集団が続々と通過。奈女大、北大、本女、千葉、など 有力校もこれに含まれている。東北大、京都橘大はやや遅れた。結局渡辺が48’20でそのままトップで 中継所へ。2位佐々木に1分弱の差をつけた。3位集団からは1年生の安形(千葉大)が抜け出し51’35で 2走の林に中継。本女1走酒井真由美(2年)は56’20の9位で2走の山内祐子(4年)へ。

2走第一ラジコン では堀井(筑波大)が2位以下を大きく引離し首位で通過。2位で通過したのは山内でこの時点で7人抜き。 更に遅れること2分で林が通過。以下今泉(東京農大)、堀川(奈女大)、西村(農工大)と続く。この後会場 の雰囲気が一気に変わる。第二ラジコン、ビジュアルコントロールも首位で通過した堀井がなかなか中継 所に現れない。最初に中継所に現れたのは山内だった。結局8人抜き(51’20)でアンカー石原(4年)に。

8人抜きの快走を見せた山内(右)からアンカー石原へ

「最後に気をつけて」──
理ちゃんにタッチする時、私が真由美ちゃんに言われたことと同じことを言った。(山内)

やはり2分差で林(58’25)が現われ、3走藤川に望みを託す。ラス前で大きなミスを犯したという堀井は 森(図情大)、堀川にも抜かれ11分差の5位まで順位を落とす。「これはもしかしたらいけるんじゃないのか」 OCサイドにそんな期待が起こり始める中、石原は第一ラジコンも首位で通過。ずっと淡々と首位を走って いたと思われているが、藤川のレース後の話によると、「1番で違う尾根を下りていく石原さんを見た」 そうで、その後「私がトップなんだと思って緊張した」レースをしていたが「第一ラジコン手前で大きく ミスをして大きく遅れた」とのこと。

首位を奪い返した石原が通過したその1分45秒後、会場内にどよめき が起こる。渡辺(筑波大)が差を一気に縮めて2位で第一ラジコンを通過。手を合わせて祈る酒井・山内。 石原がビジュアルコントロールに現れ、大歓声でOC全員がこれを迎える。そして石原がビジュアル区間 から見えなくなったまさにその瞬間、渡辺も通過。1分45秒差はさほど変わらない。

本女・筑波の両監督に優勝インタビューの依頼が行われる。異様なムードの中、先に会場に現れたのは石原(56’38)だった。 ゴール時点での差は1分強。インカレ2位の渡辺(46’48)に対し、後半は全く互角の力走だった。

最終順位
1 日本女子大 2.44.18
2 筑波大 2.45.28
3 奈良女子大 2.50.15
4 京都橘女子大 2.51.15
5 東北大 2.52.28
6 千葉大 2.54.40

3走 石原理子 (4年)

 1年の4月、初めてオリエンテーリングをやった時から、オリエンが楽しくてすっかりはまってしまった私。4年間で十分やった気もするし、まだまだやり足りない気もします。  最後のインカレは最高のものにしたいと願っていましたが、その思いを遥かに超えて、夢のようなインカレでした。

 春合宿が終わってからは、頭の中インカレのことでいっぱいで緊張ぎみの日々でした。そして、開会式前夜、いつもは蒲団に入った途端寝入っていまう私が1時間程寝つけませんでした。  さて、個人戦は、とにかく思いっきり楽しんで団体戦に不安を残さないレースをしようと思っていたのに、学連枠取得(30位以内)という最低限の目標も達成できず、 あまりにもひどい結果にさすがにかなりのショックを受けました。とてもエリートとは思えない激しいつぼり方で、気力も体力もなくなりかけていましたが、「明日の団体戦のための練習、 練習・・・」と唱えて必死に回りました。最後は、いつもなら走って登る斜面もとうとう歩いてしまいましたが、地図読みはしっかりして頑張りました。みんなが応援してくれる中、 泣きそうになって、ゴール後思わず涙があふれてしまいました。みんなにレースを楽しもうねと言っておきながら、私が沈んでいてはいけないと思い、「今日は山の中でたっぷり楽しめて よかった!」と一生懸命気持ちを切り換えました。

 いよいよ団体戦の日。とにかく緊張しすぎないようにいつもの通り振る舞うように心掛けていました。
 真由美ちゃんがしっかり頑張って帰ってきてくれたのを見て、ほっとしてアップしに行きました。その後、山ちゃんが2位まで順位を上げてビジュアルに見えるまで あっというまだった気がします。筑波の円香ちゃんの待っている枠に後から入り、筑波の後にスタートかあと思っていたら、山ちゃんがゴールレーンに現れ、あれ?もしかして筑波より先? と思っているうちにタッチ。今、自分が1位なんだ・・・このまま1位を保てる自信はなかったが、とにかく山ちゃんが頑張って上げてくれた順位をできるだけ下げないようにと思いながら 走り出した。

 スタートフラッグからは「地図読み、地図読み・・・」と頭の中で繰り返しながらレースに集中していった。1位を保たなきゃって思うとプレッシャーになるので、5人にまでは 抜かれてもいいと思うことで気持ちを楽にした。ちょこちょこつぼる度に、このくらいロスしてもまだ大丈夫と自分に言い聞かせて焦らずリロケートし、前半はゆっくり、ゆっくり回った。

 後半は登りが多くガッツで頑張り、やっとビジュアルまで来た時に「紺碧の空」が聞こえ、もうひと頑張りだと思いながら、ダッシュ。ラス前でつぼった時はさすがに焦ったが、 やっとラスポが見えた時、「イシハラ」のコールが聞こえ、順位が気にはなったが、「あとは走り切るのみ」と思いながら、ラスポをパンチ。そして、私の得意とするラスポ~ゴール (テープ誘導区間)&登りだ。登り始めたら、横をOCのみんなが声を掛けながら並走してくれているのがわかってうれしかった。そのうち山ちゃんと真由美ちゃんが後ろを走ってくれて いるのに気づき、もしかしてウイニングラン?信じられない!胸の中が熱くなり、夢の中にいるような気がした。 ゴール直前、「笑顔でゴール」と思ったが、笑顔になっていたかな?

 みんなの寄せ書きTシャツを着て、表彰台、しかも一番高い台に立てて本当に幸せです。学生最後のレース、こんなよい結果が出せたのもみんなの励まし、応援のお陰です。レース中、今走っているのは私だけどOCみんなでがんているんだという思いを強く感じていました。みんなありがとう。

 最後になりましたが、監督の石澤さん、オフィシャルの方々、特に日女のオフィシャルのよるさん、初実さん、本当にお世話になりました。そして、大会の運営に関わってくださった先輩方、わざわざ応援に来てくださったOBの方々にも心から感謝しています。本当にありがとうございました。



2走 山内祐子(4年)

日本女子大の目標は夏からずっと優勝だった。夏合宿ではじめて優勝という言葉を口にしたときは分不相応な気がしてとても気が引けた。あまりにも非現実的すぎて、自分で言っておきながら笑ってしまった。そのくらい私達にとってはありえない目標だろうと思った。しかし、入賞を目標にする気はなかった。去年のように入賞を目標にしておきながら7位なんて思いは絶対にしたくなかった。どうせ立てるならうんと高い目標を立ててしまおう。現実的でない方がきっと楽。大コンパの時、「目標は優勝」と宣言していたと思うが本女のメンバーの誰も実現するものとは思っていなかったはず。だから、目標に対して絶対成し遂げなければという気負いがなかった。それよりも自分がしなけれなならない役割等を考えていたように思う。

最後のインカレを悔いのないものにするためにしなければならないことは山ほどあった。トレーニングはもちろん、技術的な練習やメンタルトレーニング等々。しかし私がインカレに向かって真面目に取り組み始めたのは12月だった。いくらなんでも遅すぎたと思う。なぜもっと早くインカレと向かい合おうとしなかったのか。受験や就職、卒論に逃げていた。自分で自分に言い訳をつくっていた。そんな自分が嫌だったし12月になってそんな風に過ごしてきたことをすごく悔やんだ。スタートが遅い分なんとか効果的にトレーニングをしようと思い、これまでのレースを振り返ってみた。そこで気づいたことが大抵私は登りのあとに頭が切れてしまいツボるということだたった。これをなんとかしようと思い40分位の坂道トレーニングを週3~4回と筋トレを毎日した。それからレースの時も登りの後は意識してきちんと地図読みをするようにした。これらのことが実際に効果があったかは結局実感することができなかった。しかし、何もやらないよりはきっとよかったと信じている。例え本当に効果がなかったとしても、私はこれをやったという自信ができたし、トレーニングすることでインカレへの不安を和らげることができたからだ。

2月、3月インカレを前にして最後のインカレをどのように走りたいのか自分なりに考えた。そこで自然に浮かんできたのことが下級生がインカレって素晴らしいと思えるような走りをしたいということだった。私自身がインカレってこんなにいいものだと感じることができたのが3年の時でとても遅かった。だから1年生には特にインカレの素晴らしさを感じてもらいたかった。インカレで感じた事をステップにして今後オリエンテーリングをしてゆけたらすごくいいなぁと思う。下級生が皆何かを感じることができるインカレであってほしい。そのために私ができることってやっぱり精一杯走ることしかないなぁと思った。  自分がこんな風に考えることができるのがとても不思議だった。去年までは自分のために走ろうと思っていたのに今年はちょっと違う。でもこう考えられる自分がすごく嬉しかった。これが4年のインカレなのかなぁ?

【個人戦】
前日のミーティングで言ったが、とても緊張していた。なぜあんなにも緊張していたのか?その時はよく分からなかった。というよりその原因を見つけようとしていなかった。今思えば、結果を求めていたからあんなに緊張していたのだと思う。いままでインカレで良い思いをしたことがなかった。最後のインカレで結果が欲しい。きっとそう思って意気込んでしまったのだろう。しかし、この考えは一番してはいけない考えだということも分かっていた。だから過度の緊張の原因を見つけるのが怖かったのだと思う。きっと自分が結果を求めていることを否定したくて原因をみつけようとしなかったのだろう。

レース自体は悪いものではなかった。スタートして1番まではまだかなり緊張していたため、確実にいけるルートをとった。1―2は尾根辿りで前半の勝負レッグ。尾根辿りが苦手なことは自分で良く分かっていたため、地図とのコンタクトを多めにとり慎重にやった。2―3、3―4、4―5とまあまあ納得のゆくレースをしていた。

5の中間ラジコンをとり、5―6はレース一番の勝負レッグ。プランにかなり時間をかけた。とにかくこのレッグは外せない。そう思ったからだ。レッグ中も外せないと気を張っていたため手続きをしっかり行い無事6をチェック。が、その後はまってしまった。6で人に会い早く脱出しなければ、というのと勝負レッグが終わり気が抜けてしまったのと、それまで割といいレースをしていたため「いけるかも…」と欲が出てしまったことで脱出で失敗。コンパスは違う方を向いているのに自分を信じてしまった。おかしいと思ったときに戻ればよかったのだが、その時の私には戻る勇気がなかった。そのままどんどん進んでしまい自分のイメージと全くあわなくさすがにこれはやばいと思ったところでようやく戻ることにした。

しかしこの戻り方がまた尋常ではなく、コンパスも振らずに感だけで戻っていた。かなりパニクっていたのだろう。ふらふらしているうちに気づいたらさっきとったはずの6ポにいた。自分より後のスタートの人がうようよいて泣きそうだった。あーこれで終わったなぁ、一瞬そう思った。しかしそれでレースを投げるわけにはいかなかった。残りのレッグをしっかりやろう。明日につなげるレースをしよう。インカレ前に自分で考えた下級生が何かを感じることができる走りをしよう。そのためにレースを投げず最後までしっかりオリエンテーリングをしよう。そう思いポストで一度深呼吸をした。

それ以降は確実なレースをするようにした。大ツボリした割りには落ち着いてオリエンテーリングをしていたと思う。しかし、ラスポを取った後急に現実に戻された。ラスポ-ゴールを走るのがとても辛かった。皆の期待を裏切ってしまって申し訳ない。そしてなにより最後のインカレで大失敗をしてしまった自分がとても悲しかった。

ゴール後中々立ち直ることができなかった。ミスした時のことが何度も何度も頭に浮かんできた。あの時ミスしなければ…。こう考えるのはナンセンスだと分かっていたが、その時はこう考えずにはいられなかった。しばらくはショックで呆然としていた。OCのみんなの事を気にかけることもできず、明日一緒に走るメンバーのことさえ考えることができなかった。

そんな時オフィシャルの方がダウンに誘ってくれた。それがとてもありがたかった。ダウンをするためインカレの喧騒から離れると、だんだん冷静になってきて心を沈めることができた。インカレの盛り上がりって独特でその中にいると飲み込まれてしまいそうになる。その喧騒から離れて冷静になることは私にとってとても効果的なことであった。一人になってやっと皆のことが考えられるようになった。リレーを走る他の2人も個人戦を外している。ショックなのは自分だけではない。このまま3人とも明日に引きずると大変なことになりそうだ。私までもこんなんでは…。そんなことを考えていた。その後は皆の前ではできるだけ明るく振る舞おうとした。たぶんぎこちなかったと思うがあれが精一杯だった。夜のミーティングで「明日は大丈夫」なんて強気で言っていたけど、本当はすごく自信をなくしていてメンバーから外して欲しいとさえ思っていた。こんな風に思ってはいたが、このころになると大分回りが見えてきて、メンバーの様子が気になるようになった。真由美ちゃんがとてもナーバスになっているのが気になった。2年生ではじめてのエリート、しかも4年生と走るんじゃ責任感じちゃうかも。でもそんなことは気にしないで気楽に走って欲しい。なんとか楽にしてあげられないものかと「後ろには私と理ちゃんがいるから大丈夫だよ」「ツボッても気にしないで」等声をかけていたが、もしかしたらそれでよけいプレッシャーになってしまったかもしれない。もしそうだったらごめんね。それから私が絶対に任せられる4年生になれなかったことも残念だった。去年の石澤さんや羽柴さんのような精神的支柱になれればよかったのだが…。 理ちゃんもいつもと少し様子が違った。何がどう違うのかはよく分からなかったのだが微妙に違う気がした。私が「優勝」なんて口にしたからプレッシャーを感じてしまったのだろうか。それとも最後のインカレということで何か思うところがあったのか。その辺りは本人のみ知るところだと思う。ただ私が何かしら圧力を与えてしまっていたとしたらとても申し訳なく思う。こう考えると私はチームの皆に多大な迷惑をかけてしまっていたようだ。インカレ前に考えた自分にためにではなくクラブの皆のために走りたいというのは結局口だけだったのかもしれない。自己中心的な考えは最後まで消えなかったように思う。

【団体戦】
個人戦の朝の100倍くらいリラックスしていた。朝食もしっかり食べれたし、笑うこともできた。昨日の緊張がうそのようにとても穏やかな気持ちだった。 会場に着くとそこはすでに応援で異様なムードが漂っていた。インカレ独特の高揚した空気。私はそこからすぐに離れたかった。早く一人になりたい。そう思い、荷物を置いた後、真由美ちゃんに一声かけてからウォーミングアップエリアの方に向かった。真由美ちゃんはとても緊張していた。なんとか楽にしてあげたいと笑顔で話しかけた。「大丈夫、自分のレースをすればいいんだよ。」「後ろには4年生がいるから大丈夫だよ」そんなことを言っていた。

ウォーミングアップエリアでは別にアップをしていたわけではなくただうろうろと歩いていた。一人で歩きながら自分がやるべきことを見つめ直し、冷静になろうとした。1番を慎重にとること、脱出を慎重にやること等具体的に考えていた。漠然と頑張るぞと思うよりは具体的に考えた方が私の場合落ち着けるからだ。そんな風に過ごしているうちにエリートのスタートが始まった。

男子エリートのスタート。応援の中で真由美ちゃんが泣いている。それにつられて私も思わず泣いてしまった。どうしても涙が止まらない。私が一緒に泣いていたのではしょうがないのにね。男子がスタートして真由美ちゃんがスタート地区に行く。私はOCの応援から少し離れた場所でスタートを見ることにした。あの中にいると気持ちが高揚して冷静でいられなくなる。真由美ちゃんの目があちこちにさまよっている。「大丈夫?」でももう私は何もできない。去年も感じたが、1走を送り出すときに感じる自分の無力感を今年も感じた。スタートしてしまったら私にできることはもう何もない。真由美ちゃんを信じることしかできないのである。そしてスタート。それと同時に私もスタート地区を素早く離れた。その後は初実さんと一緒にストレッチをしたり話をしたりして真由美ちゃんを待った。自分がリレーの前にこんなに落ち着いているのが信じられなかった。どうして??話しかけられた時の応答もいやに瓢瓢としていた。大事なレースの前にはいつもあるお腹の底からドキドキする感じが今日はない。とても穏やかな気持ちだった。

真由美ちゃんがビジュアルに現れた。なかなかいい位置にいる。トップからどの位離れているかは分からなかったが、私が一番走りやすい位置で帰ってきてくれた。スタート枠に入り真由美ちゃんを待つ。タッチゾーンの目の前にOCの陣地があり、沢山の人が応援してくれたのがすごく嬉しかった。応援に対して笑顔で答えることができた。早稲田が同じ頃に帰ってきた。早稲田2走の俊介君に一声かけ、1走の清水君を応援した。そして真由美ちゃんも帰って来た。最後の坂がとても辛いらしく歪んだ表情だ。もう少し、頑張って、そしてありがとう。そう思いながら「がんばれー」と真由美ちゃんに向かって呼びかけた。タッチのとき「最後気をつけて下さい」と言われた。

地図置き場で地図の取り違いをしなようにゼッケンと地図を交互に何度も見て地図を取る。スタート地点までは雪が深く走りにくかったがその分地図をざっと見ることができた。

スタート地点でコンパスを振った。沢山人がいて皆私のコンパスが示す方向と違う方へ向かうので焦り、正置し直した。自分のコンパスは合っている。大丈夫だ。人は人、自分は自分。自分のコンパスを信じて1に向かう。1番は慎重に、それは分かっていたのだが…。道を超え、山に入ってゆく所からのプランをきちんとしないままに山に入ってしまった。ふらふらとアタック。自信がないから当然スピードも落ち、ポストのある沢とイメージの違う沢が目の前に現れる。おかしいと思いながらもその沢に降りようとした時、昨日の悪夢が頭をよぎった。このまま進んだら大変なことになるのでは。でも戻ったら遅くなってしまう。心の中で葛藤があった。どうしよう、どうしよう…。しばらく立ち止まって考え、結局分かる所まで戻ることにした。戻るってこんなに勇気のいるものだったのか。とくにリレーで戻ることは相当の勇気が必要だ。しかし結局はそれが一番良い方法なのだ。今まで散々言われてきたことだが、最後の最後にようやくその意味が分かった。分かる所まで戻ってアタックし直し1をチェック。「ふー」一息ついて気持ちを切り替える。

1―2はショートレッグ。コンパスをセットして歩測をする。直進が下にずれたが歩測していたこととポストの奥の地形をイメージしていたためストップすることができなんとか2をとる。「うーん、やばいかなぁ」と思いつつもこれくらいのミスはOKだろうと開き直り3へ。コンパスを信じ、地形を見ながら慎重に。3は難なくチェック。4は鞍部からアタック、比較的簡単なレッグだ。鞍部まできてコンパスを振る。目指す尾根はもう見えているので自信をもって進む。しかし尾根に乗ってもポストがない。どうして?実際はちょっと下にポストがあったのだが気づかなかった。しばらくうろうろしてようやく4をとる。円の中にいながらもポストにいけないなんて…。ポスト付近の正確なイメージができていなかったからだ。4は少し平らになった所なのに私はその上の斜面をひたすら探していたのだ。まだまだ未熟ですね。 そこで千葉大のなっちゃんに会った。「がんばろうね」と声を掛け合い5へ。

5は尾根たどりだ。なっちゃんとずっと一緒だった。チェックポイントが違うためお互い抜いたり抜かれたり。途中私が違う尾根に乗ってしまいそうになりなっちゃんが先に5ポをとった。続いて私も。

6は第一ラジコン。脱出方向がなっちゃんと違った。なっちゃんは尾根をまくように降りていっったが、私はすぐに道にのって、ダーッと走っていこうとプランしたので方向が違っても気にしなかった。6は私が先にとった。一息つく間もなく7へ向かいアップを登り始めた。きつい登りだったが7はアタックポイントがはっきりしており比較的簡単なレッグだった。無事7をとってビジュアルポストの8へ。尾根上に登ってフェンス沿いに下る、と簡単なプランをして7の後の激斜を登った。激斜のうえに伐採地でもあったので登りずらくとてもきつかった。でも皆が待っている、とにかく止まらずに登ろうと自分に言い聞かせた。登り切って「ふー」と一息ついてフェンスを一気に下った。会場の声が聞こえてきた。ドキドキした。8に来て突然視界が開けた。しかし、会場を見渡す余裕はなく、放送も聞こえなかった。真由美ちゃんに「最後気をつけて」を言われていたので慎重にプランをしたつもりだった。テープ誘導を地図を読みながら登る。誘導終了地点から歩測を開始。しかし歩測を過ぎて何だか様子がおかしいことに気づいた。正置してもあわない。どうやら進み過ぎのようだ、と思い後ろを振り返るとその目線の先に目指すポストが。ラッキーだった。ビジュアル後慎重にと思いながらも地形を含めたプランををしていなかった。地図が全く読めていなかったのだ。せっかく真由美ちゃんが言ってくれたのに…。申し訳なく思いながらラスポへ。ラスポをチェック後ゴールへ向かって走る。思っていたよりもきつい登りだった。しかし、皆が応援してくれたから走れた。誰かが隣をずっと走ってくれたのも心強かった。理ちゃんにタッチする時、私が真由美ちゃんに言われたことと同じことを言った。

ゴール後とにかく役割を終えたことにホッとした。順位は分からなかった。いったいどの辺にいるのかとても気になる反面聞くのが怖かった。誰も順位の事を言わない、もしかしたらやばいのかも。そう思うと聞くことができなかった。しばらくしておそるおそる聞いてみるとどうやらトップにいるようだと言われた。信じられなかった。何かの間違いではないか。筑波は?東北は?状況が良く分からなかったが、日本女子大が上位にいることがとても嬉しく思わず泣いてしまった。自分のレース内容には満足できなかったが大ブレーキになっていないようなのでホッとした。後は理ちゃんに任せるだけだ。私と真由美ちゃんは速報の前で、山に向かってひたすら祈った。

理ちゃんがビジュアルに見えるまでの時間はとても長く感じられた。まだか、まだか…。初実さんに何度も「理ちゃんが出てから何分たったか」聞いていた。そして理ちゃんがビジュアルにトップで現れたとたんまた涙が溢れてきた。理ちゃんすごい!!理ちゃんがビジュアルポストから見えなくなるまで見送ってから、真由美ちゃんとラスポに走っていった。筑波3走の円香ちゃんが迫っていたが、理ちゃんはきっと戻ってくると確信していた。ラスポ前で待っている時筑波の人が隣に沢山いて少し気が引けたが、理ちゃんが見えた時にはそれさえも忘れて大きな声で応援してしまった。信じられない、私達がウイニングランをするなんて…。テープ誘導をOCの皆が一緒に走ってくれた。素晴らしいクラブの皆に囲まれてウイニングランができることをとても幸せに思った。

今回のインカレは本当に沢山の人に支えられて走ったインカレだと思う。その中で私が最も感謝したいのはやはりOCの皆である。こんな素晴らしいクラブの一員として走れたことを嬉しく思う。みんな本当にありがとう。
そしてオフィシャルの皆さんにはいくらお礼をいっても足りないほどお世話になりました。精神的な面までしっかりサポートして下さり、そのおかげで優勝することができたと言っても過言ではありません。本当にありがとうございました。

智ちゃん、國ちゃん、史ちゃんがインカレに参加することができなかったのがとても残念でした。しかし皆最後の最後まで私達を押し上げてくれました。特に智ちゃんが最後のQ’s杯をとったことはとても嬉しかったです。智ちゃん、國ちゃんは最後のインカレだったけど、史ちゃんにはあと2回もインカレがあります。頑張って下さい。

 早稲田は7位という本人達にとっては非常に悔しい結果に終わったと思います。しかしあれだけ悔しいと思えるにはそれまでの過程があったからこそだと思います。きっと去年の私達の7位よりも悔しい思いをしているのではないでしょか?その思いを忘れずに今後頑張っていってほしいと思います。

長くなりました。そろそろ終わります。 これからも皆で素敵なOCを創っていって下さい。応援しています。



1走 酒井真由美(2年)

常磐インカレ。日本女子は団体戦優勝という夢のような結果で終わりました。

 常磐インカレの終わった今、この1年を振り返ってみるといろんな事があったなと思う。インカレ前のOCレポートでも書いたように、インカレに向けての私の1年間にはいろんなことがあったなと思う。途中目標を見失いかけたり、やる気をなくしたりもした。2月の初めころはOC大会運営が忙しいからとトレーニングをやらず、冬合宿からのブランクのためか、オリエンテーリングから遠ざかっていた。全日本リレーの終わった後も、まだ自分が団体戦エリートを走ることを考えられなかった。秋からぱっとしない結果ばかりだった為か、自分が団体戦に選ばれる自信もなかったし、選ばれたとしても4女の人達と本女代表として走っていく自信がなかった。その為か、インカレの事を考えるのを自分の中で避けていた。「時が過ぎインカレになってしまえば、それなりに走って終わるさ」と、なんとも今まで一緒にやってきたOCのみんなに、オフィシャルの方々にとって失礼な態度をとっていた。

 OCの春三日練を休んで私は農大の春合宿に行ってきた。インカレ前にこんな勝手な事をやって本女の団結を壊してしまうかもと思ったが、今自分はOCの中で何の自信もないまま、ただレースをして終わるのが嫌だった。農大の合宿では、尾根辿りや尾根切り短めのコースを何本か課題を設けてやった。この合宿では1レースというよりは、1レースができるように自分の苦手なところを集中してやった。

 OCの春合宿前、もう本当に後1週間と少しになった時、この消極的な考えの自分に活が入った。「今まで1年間頑張ってきたのに直前になって逃げていたのでは、後で後悔するだけで何にもならないよ」と言われた。やっとの事で目覚めた私は、残り1週間と少しだったがこの言葉のように最後で後悔はしたくないと、過去のインカレの地図を見直しては、レースでの自分の弱点(2番でつぼる)を考えた。あとインカレテライン周辺の行政地図を見て研究したり、インカレの生活にあわせるために早起きを心がけたりして、今までのやる気のなかった自分は一転してこのインカレまでの何日かは「馬鹿」がつくほどインカレのために過ごした(ただインカレ前にバイトを入れてしまったのは、すごく後悔したが・・)。

 インカレ前日。モデルイベントに行ったが、大心苑のテラインはあんまり使えなかった。でも前日から行くことで開会式はあわてずにゆっくりと過ごすことができた。

 開会式。初めてのエリート、自分のスタート時刻が決まるまでドキドキしていた。開会式で見たシード選手の紹介はとってもよかった。でみさんの紹介は笑えた。私も来年はあんな風にインカレシードになりたいなと思った。

 個人戦の日。団体戦に賭けていた(と言うか団体戦のことしか頭になかった)私は、個人戦はそんなに上位を目指すとかそういった気持ちはなく、まともにまわって翌日にショックを残さなければと思っていた。しかし、初めてのエリート、スタート前の雰囲気に緊張した。スタートした後一呼吸して気持ちを落ち着かせ、1・2・3はうまく行った。しかし3→4でワープしてしまい、つぼっているなーと思っていたら目の前にポストを発見。真面目になんでポストに辿り着いたのか分からなかった。普段の落ち着き、自分のオリエンテーリングを失いかけ始め、5→6のロングレッグでは、ちゃんとルートプランもしないまま行けるだろうと進んでしまい、どつぼり。その後もちょこちょこつぼり、半分やる気をなくしていた。きついUPを登りながら「何やっているんだろう、一年に一回のインカレなのに・・・」って思った。ゴールではみんなが応援していて、自分の情けないレースを後悔した。自分なんか応援される立場じゃないと、自分自身悔しくて泣いた。その後すぐに表彰式になり、なんとか司会者の役を無事終えることができたが、その日は個人戦のレースを思い出すことが恐かった。個人戦を思い出すのは極力避け、今まで自分のよかったレースを思い出すことで不安を消そうとした。団体戦前日の夜、例年のようにみんなにシャツに言葉を書いてもらった。去年、このシャツがすごくほしかったことを思い出した。自分の1年前からの夢が叶ったのだと思いながら、みんなの一つ一つの言葉を読んで、励まされた。夜の女子ミーティングでは夜さんが「目標は大きく、夏言ったように優勝か!!」と言っていた。祐子さんは「明日は絶対平気」とすごく集中しているのが印象的だった。私も絶対足手纏いにだけはならない様にしなくてはと思った。

 団体戦当日。とうとうこの日が来たと思った。初実さんに「バスで寝るな」と言われたので必死に起きていた(奈良さん寝そうになったとこ起こしてくれてありがとう)。会場に着くともう他の人は見えないほどに緊張していた(というかこのインカレ自体自分の事で精一杯で他のクラスのことを考えてあげられなかったような気もするが・・・)。スタートが30分遅れることになって余計に緊張する時間が長くなって嫌だった。スタートまでの30分、OCの皆のところから離れて初実さんといた。応援は嬉しかったが余計に緊張してしまいそうだったので・・・。スタート前のコーチの初実さん、夜さん、天野さんの気づかいが嬉しかった。「いつもより多くルートプランに時間をかけていいんだよ。いつものようにやれば全く簡単なコースなのだから。」と励まされた。緊張する中、この言葉ですごく緊張が和らいだ。「自分はいつものようにまわってくればいいんだ、それに私の後ろには祐子さんが、石原さんがいるではないか」と思った。男子のスタートの時間になり、同じ1走の清水を応援した。応援しながら、なんか自分の中で込み上げてくるものがあって泣いてしまった。緊張から来るものなのか・・・。男子スタートの後女子のスタートになり、選手の中に混じりながら私は応援してくれるOCの仲間や、同じメンバーの祐子さんや石原さん、心配してくれ最後まで勇気づけてくれたコーチを目にした。

スタート。スタートフラッグまではコース全体を見て、1ポまでのプランをした。バクバクいう心臓に「うるさいなー、落ち着け!」と思いながら走った。2ポまで先頭集団と走った。みんななかなか慎重だった。3ポからはもうバラバラで、選手がちらほら見えるだけだった。私の前にいた農大の裕美子さんと途中まで一緒だったがUPで話されてしまった。その後ラジコン手前まで一緒だったが、登りの道走りで離されてしまった。その後3→4で少しミスったがすぐに回復。4ポで北大の清家ちゃんにあった。その後ラジコン手前まで一緒だったが、登りの道走りで離される。ラジコン後の登りは本当に泣いた。なかなか走れず、苦しくて歩いてしまう自分がまた悔しかった。ビジュアル前のポストで清水に遭う。登りでへこたれているところを見られる(実は清水を見て自分はすごく遅いのではないかと不安になった)。タイツに違和感のあった清水を見送りながらひたすら登る。登り切ったところで一息つく間もなく走った。ビジュアルの後は慎重に行くと、前にいなくなったはずの清家ちゃんに再会。ラスポの後の登りをお互い競って走った(最後の登りは本当にきつかった)。ゴールで祐子さんが見えたときはもう速く祐子さんにタッチしたいと思った。最後登りばかりのコースだったので後半集中力がなくなりつぼりそうと思ったので、祐子さんには「最後に気をつけて」と一言。その後私は恥ずかしくも立てなくて倒れてしまった(運営の志村さんとかに迷惑をかけてしまい済みません)。ゴールした時自分が何位なのか、トップと何分離れているのか聞くのが恐かった。登りに負け何校かに抜かされたし、自分の中で登りに負けて歩いてしまったことへの後悔が起こったからだ。

 2走の祐子さんを待ちながら石原さんにコース・テラインの状況を伝える。もう後私にできることは祐子さん、石原さんを信じて祈るだけ。走り終わった後いきなり自分がミスパンチしていないか不安になり清水に何回も聞き返していた。中間で祐子さんが2位と聞いて祐子さんのすごさをまた感じた。祐子さんがどんどん順位を上げて1位で帰ってくる。もうその時私は半分泣いていた。3走の石原さんにタッチ。なかなか筑波が来ない。筑波は10分遅れでタッチ。この時もしかしたら行けるかもっと思った。3走の間、私と祐子さんは半分泣きながら祈った。「早く帰って来て!!」と。ラジコンで筑波との差がなくなってきているのを聞いて、更に石原さんに祈り続けた。「ウイニングランがもしかしたらできるかも・・」と言われ私と祐子さんは石原さんを待つ。石原さんが見えたときは早く一緒になって走りたかった。大声で励ましながら半泣きの中、ウイニングラン。夢の中にいるのではないかと思った。

 優勝が決定して、会う人みんながおめでとうと言う。なかなか現実を受け止められなかったが、「本当にやったんだ。自分の夢が、しかも優勝と言う最高の形で叶ったんだ」と思えるようになった。興奮はなかなかおさまらなかったが、まだ頑張っている早稲田を応援した。

 表彰式では、他にも新人がアベックでOCが優勝。学習院も優勝した。表彰台に立ちながら、去年私がインカレで感じたインカレの素晴らしさを、今回は自分が作っていく立場に立てたことが嬉しかった。またこれで1年生がオリエンテーリングの楽しさを知り、更にOC全体が団結していくそんな姿を感じ取れた気がした。やっぱインカレはいいもんだ。途中やる気をなくし欠けた事もあったが、あそこで最後まで諦めずに(投げ出さずに)済んで本当によかったと思った。

 今回本女みんながインカレに参加できなかったことは本当に残念だったが、史ちゃんや石崎さん国田さんに最高の報告ができたと思う。今回私は最後の最後に、憧れの祐子さん、4女の人達と走れて嬉しかった。これからも本女の発展に向けて、自分自身も来年は(大きく出て)シード目指して頑張りたいと思う。

 今回本当にいろんな人達にお世話になりました。初実さん、夜さん等コーチの方々、運営をしながら励ましてくださった寿会の方々、同じOCで1年間競い合い、頑張ってきたみんなに感謝します。本当にありがとうございました。またこれからも宜しくお願いいたします。

P・S しかし本当に夏に言っていた「目標は優勝」の言葉が現実になるとは思わなかった・・。最後まで諦めないでよかった。












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