インカレ・リバイバル

第9回 第11回(奈良)インカレ(1)

斎藤 直人(HE・早稲田大学第1走者)

今から思えば全く緊張感のなかった個人戦。「なんだ簡単じゃん」と思った1番で思いもかけない6分のロス。しまったと思ったときにはもう遅かった。後は適当にレースを進める。またラス前で大ボケをやり、「どうしようもないな」と思いながらゴール。約104分。22位。はっきりと分かるロスタイムだけで14分もある最低のレースであった。みんなの結果がよく、いいムードのなかで一人だけ白けていた。最近の早稲田の傾向からいったら、団体戦もまた走れないのではないか。筑波の竹下と一緒にクーリングダウンをしながらそんなことを考えていた。11→12で倒木にぶつけた膝が妙に痛かった。ミーティングで「1走、バース」と言われたときも、走れないのではないかと思いつつも昨年から当然走るつもりでいたので、、不思議と「早稲田の代表として走るんだ」という気負いも喜びもなかった。ただ宅間に悪いなと思った。

その夜も緊張は全くと言っていいほど無かった。ただ寄せ書きのTシャツを読んでいるうちに、「明日は頑張らなきゃな」と思った。1走のメンツを見るとマークすべきは筑波の竹下、山口の木本さん位で、これならばそんなにハイペースの展開にならないだろうと思い少し安心して寝た。唯一の不安は個人戦で痛めた膝のみであった。

そして当日スタート一時間前からアップを始める。膝も気になるほど痛くなく、前日の疲れもほとんど感じられない。まあまあの状態である。アップをしながら「緊張しろ、緊張しろ」と自分に言い聞かせたせいもあって、アップを終えた9:00頃には緊張のピークであった。みんなに応援されてもほとんど何も聞こえていなかった。スタートに向かうとき笠井に「じゃ、行ってくるよ」と言ってスタートに向かう。その時はそれだけ言うのが精一杯であった。スタート付近の駐車場で並んだときに、筑波の竹下と山口大の木本さんのゼッケンとトリムを確認する。竹下に「阪大の土屋ってどいつ」と聞かれて、確かゼッケンが32だと思ったのでそう答えて顔を見たら、私が覚えている顔と違ったので少しびっくりしたが、まああいつなんだろうということにしておいた。スタートまでのあいだにみんなから応援されるのを聞き、再度頑張ろうと自分に言い聞かせる。上のほうでコンバットマーチを振っているのが見える。「振っているあの黄緑色の人は誰だっけ…片野さんだ」などと考えていたらスタートラインへ並ぶ時間となった。

「竹下と3分以内でゴールすればよい」という倫也さんの言葉を思い出す。そういえば地図をもらったときに千葉大の森内が「Map名(大和高原)が当たった〜」と一人で叫んでいた。そして9:30スタートである。地図を見ながらゆっくりと走っていたら、みんなの前を通るころにはほとんど最後尾となってしまっていた。後ろを見てちょっとまずいかなと思ったら、隣に竹下がいたので「普通そうだよな」と思い安心する。そこから竹下をマークしながら徐々に前に出る。スタートフラッグを通過したころには木本、竹下、森内、小寺(慶応)、私の順であった。これでマークすべき人間が全て視界に入ったのでホッとする。コースはレッグ間に道が多かったが山のなかなので、これなら後半の6→7まで離されることはないなと思う。私が一番恐れたのは、木本さんがかっとばしそれに森内や竹下がついていくという展開で、そうなったとき足のない私は辛いなと考えていたら△→1で木本さんが前に飛び出たのである。まずいなと思ったら森内も竹下もついていこうとしないので、しめしめと思いながら1へ。1へのアタックで木本さんを吸収し、1はトップでチェックする。すかさず道に出て登りでもあったのでチンタラ走ってペースを落とす。そうして2をチェックし3へ。3への途中で道の分岐を一つ間違えてはまりかけたが後ろが違うほうへ行ったので、まあ前半はパックで行こうと思いパックの後ろにつく。危なかった。この途中でラジコンはどこかなと思ったら5だったのでそこはトップで通過したいなと考えた。

この時のパックは木本さん、竹下、森内、私、あと1〜2名(おそらく、阪大の土屋と横国の広瀬)であった。この時、森内が「はまった。俺だけ違うコースじゃん。」と言っていたのを聞いて、さすが1走のスペシャリストと思いながら3をチェック。このあと1走最大のドラマが訪れた。3→4は尾根切りでまあ一番テクニカルなレッグであろう。ここでまた木本さんの前に出た私はアタックで「下の斜面に道が見えたらおりて、尾根を一本巻いて登ればいいな。」と考え、下に道が見えたのでおりてアタックした。4ポストは尾根上のピークであった。この見えた道は後から考えると植生界で、つまりパラレルエラーをして別の尾根を登り始めたのであった。多少、不安もあったので登りながら後ろを見ると、みんないたので安心してどんどん登る。でもポストは一向に見えない。これははまったなと思ったが、現在地がはっきりとは分からなかったし、今へたに動いたら危険だと思い、そのままどんどん登る。そうしたら荒れ地がでてきたのですぐにリロケートし4へアタックし直す。4へ着いたとき後ろにいたのはそれまで一回も見ていなかった横国の二郎であった。

これで誰かが抜け出していたらまずいなと思い、二郎に聞く。「みんな、登っていったよな。」「ええ、でも竹下さんは途中でおりてコンタリングしていきましたよ。」「じゃあ、先行かれたよな。」「多分。」「そうすると3〜5分くらいかな。」「その位でしょう。」そんなわけで、その時私は竹下に5分くらい先に行かれたと思ったのである。この時の状況を後でみんなの話を聞いたら以下のようであったようである。

山口の木本さんは、荒れ地に来たときにすかさず動きだして姿を消していった私を見て「あいつとはポストが違い、あいつは正しいルートを通っているのだ。」と思い動揺し、焦って下までおりてしまいはまったそうである。

千葉大の森内は途中で違うと分かったのであるが、竹下ではなく早稲田を信じて登った。そして荒れ地付近で私を見失い、動揺したらしい。そして上から木本さんが来たのでそれについていき、下までおりてはまったらしい。そのあと、同志社の笠井と一緒になり1走最速パックを形成した。

阪大の土屋は迷ったが「早稲田と心中だ。」と考え、私について登る。ところが荒れ地で、やはり私を見失い、荒れ地にできていた地図にない道で混乱しはまったらしい。

そして、筑波の竹下は途中で違うと思い、コンタリングを始めたものの、誰もついてこなくて一人だったため、不安になりどうしたらよいのか分からなくなりはまった、ということであった。

上記のうち、一人でも竹下についていったとしたら、竹下も自信を持ってコンタリングしていたであろうし、そのような事を言っていたので、そうなったら竹下のほうが私より3分は早くゴールしていたであろうし、その後の展開も変わっていたであろう。そんな訳で怪我の功名か、パックを抜け出た私と二郎であったが、その時は前述の会話のようにトップ竹下から3〜5分離されていると思ったので、二郎を振り切ろうとするより、パックでいったほうがいいなと思い、パックで進む。順調に56をチェックし道走りへ。6→7の道走りの途中で、そういえば西連寺に会った。そのまま、789をとりラスポへ。9は、コールポストであったが、それにアタックするときに上のほうで歓声が聞こえたので「今、トップが通ったな。やはり3〜5分くらいの差かな。」と思いながら、9をチェックしラスポへ。掲示板の前を通ったときに、自分は何位だろうと気になり、掲示板をみようとしたが人垣に消されて見えずかえって気になった。何を応援されているのかは分からなかったが「遅いわりに声援が大きいな。」と思いつつラスポをとりゴールへ。登りをヒーヒー言いながら登り、ゴールレーンが見えかけた頃、とりさんの「ガッツポーズ、ガッツポーズ」という声が聞こえたが「何を言っているんだ、あの人は。」と思いながら、ゴールへ。「たのみます。」あとは川又さんに、羽鳥さんに、前野さんに全てを託した…。

ゴールしたときに、思いがけない2位で、しかもライバルの筑波らに、5分以上の差をつけていたのでとてもびっくりした。皆が「お疲れさま、よくやった。」と言ってくれるのがとても嬉しかった。これもOCのみんなの素晴らしい応援のおかげです。どうもありがとう。

しかし、今回の優勝は半分くらい運がよかったからとしか言いようがない。インカレに向けて、この平成元年に入ってから、春の三日間練習会と春合宿位しかトレーニングらしいトレーニングをしなかった奴が走って勝てるなんて…。インカレを冒涜したような気がしてならない。来年度はもっとちゃんとトレーニングをしてV2を目指したいと思う。個人戦も狙うぞ。

(わせだUNIV.OCレポート1988年度vol.13)


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