インカレ・リバイバル

第13回 第12回(埼玉)インカレ(3)

天野 仁(HE・早稲田大学第4走者)

松尾監督から、4走を言われる。事前の話とか他の人の話から多分そうなるだろうと思っていたので、特に何も思わなかった。

宿に帰ると、OLKの奴らから色々声を掛けられる。内匠のおっさんが、「おー、4走で樋口と勝負か。天野は老獪だから楽しみだ。」などと言っていた。(東大団体戦メンバーの前で例の調子で)

正直言って、関東インカレのように、東大が一走から独走するものだと思っていた。東大の走順は多少「まずいんじゃないの」と感じたものの、大勢に影響ないかとも思った。当時から評論家のようだった私は自分の実力と相手の実力を冷静にはかりにかけてしまう。結局、自分は自分のOLをすればよい。インカレも港南区民OLもOLには変わりない。大会に貴賤はないなどと、ぶつぶつ考えていた。

当日は樋口と一緒に会場へ行く。雨が今にも降り出しそうなどんよりとした空を見て、樋口は「東大一走が木嶋なのは、雨が降る前に走らせようと思ったからだ。(木嶋だけがメガネをかけている。)」と言った。走順などどうでも勝てるという意味なのか、雨もよいの天気まで予測して準備は万全だと言いたいのかはかりかねたが、確かに自分たちは余裕があるというのを伝えたいということは分かった。私は適当に相づちを打って、「自分は自分のOLをするだけ、舞台は関係ない」とまた心の中で呟いた。

団体戦はスタートすると意外な展開へと進んでいった。一走でモグが木嶋を44秒離してゴール。一走は勢いをつくる。個人レースで1番ポストや前半でミスしてはならないのと同じだ。上出来だ。これでメダルは確保できたと思った。宅間なら絶対梶谷よりは速い。個人戦では負けていたが、団体戦では違うのだ。中間でその差が7分に広がった。信じられない。やはり、リレーは事前の各人の実力からの予想だけでは対応できない。それより、当日の状況。テライン、コース、他校ランナーとの駆け引きなど展開が、50%以上の重みがある。そう実感した。

モグからコースの概略を聞くが、3・4走はコースパターンが違うのであまり参考にならないと思った。事前にもっと「武甲」の地図を見ておくんだった。尾根道とか全部暗記するという技もあったのにと後悔した。

宅間が青木、佐賀、二宮とともにトップ集団で帰ってくる。この中で、このあと敵になりそうなのは千葉大だけ。錦戸とバースではかなり差が開くはず。どんどん意外な方向へ、ウチにとっていい方向へ流れていく。

2位を一緒に争うと思っていた筑波は大きく遅れた。また、ウチが一歩有利になった。東北大の松尾と村越さんと何やら話しているうちに、バースが帰ってくるとのコールがあった。この時、今思えば後ろとの差の情報をきっちり聞いておくべきだった。「東大と7分差」としか、私は知らなかった。

「多少遅くなっても守りのOLに徹しよう。私が確実に徹しても、後継集団は焦りからいいレースができる可能性は若干低くなるはずだ。自分が焦って自滅するのだけは避けよう。」そう考えた。私はこの状況でも、楽に勝てるものだと思っていなかった。

松尾監督から枠に入る直前に、1年時の関東学連リレーで2走の私が12位でタッチを受けたのをごぼう抜きしてトップで帰ってきたという思い出話をされた。私はあの時と今とでは全然実力が違う。今はあの頃の力強さはもうないと思った。その辺にもしかしたらイメージのギャップがあるのかもしれないなと感じた。波に乗り盛り上がる応援団と私。雰囲気に乗るべきだという気持ちとの葛藤のようなものを感じざるをえなかった。

バースが遠くに見える。一生懸命走ってくる。一緒に枠のなかにいた筑波3走の柴沼が「東大なんかやっつけてくださいね」と声を掛けた。ゆっくりタッチを受ける。走り出す。皆の声援を受けての最初の坂。昨日より体が重いなと感じる。

1番まで畑のなかの長い道走り。スピードが上がらない。でも一般クラスを抜いていくので速いかもしれないと錯覚する。1番を取る。2番はレッグ間は簡単だがアタックだけ難しい。手前から慎重にアタックする。

3番。尾根を登るだけ。登る尾根もしつこいくらいチェックする。それから登り出す。どうも昨日の秒を争うような個人戦の緊迫感がない。自分は自分のOLをするだけ。確かに自分のOLを確実に手続きしているが、切迫した気持ちに欠けている。この尾根も体力さえあれば1分違うなとか思いながら登り切り、ピークの裏側の岩ガケ。ペナだけは絶対したくないので、しつこくポスト番号を確認する。

4番まで尾根たどり。ひとつひとつ、ピーク、傾斜変換、鞍部、曲がりをチェック。誰もついてこない。「本当に俺たちが優勝しちゃうのかな」などと思う。4は有人コントロール。多分抜かれてないだろうと思うものの不安なもの。でも役員は教えてくれない。実際は松尾に4分差を2分差に詰められていた。

4→5。比高の少ない尾根沢切りをして、道もない尾根たどりの難レッグ。これは難しいな。大抵の奴がつぼりそうだけど自分は大丈夫。そう思いつつ、九分九厘まで成功していたにもかかわらず、A.P.手前の尾根上の岩ガケを下りる側と反対にかわして、さらに気を効かして小尾根をミスの予見とか考えて、数に入れてしまったために、一本向こうの尾根へ行ってしまう。フラッグがなくコンパスで確かめて、しまったと思う。ダッシュでコンタリングして5番をチェックし、沢道へ下りると人影が。一般クラスであってほしい、周回遅れであってほしいと願ったが、東北大のアンカ−の松尾だった。この時、東北大については以下の情報しか持っていなかった。すなわち、「2走→3走タッチ時点で、東大とほぼ同時。萩原と鹿島田の三走対決なら、萩原は良くて同時帰還。悪くすると、東大に遅れているはず。松尾と樋口の実力差を考えると、東大や千葉大が先へ行っている可能性は高い。」というものである。今、思えば松尾に聞けばいいような気もするが、何故か聞かなかった。5位や6位、ましてやメダル圈外だったらそれこそ袋叩きにあいかねない。(冗談)。東北大が速いのであって、他はまだ来ていないということを信じるしかない。(現実は、東北3走萩原が、鹿島田を5分上回る50分という驚異的タイムで2位でタッチしていた。)

役員がいる救護所の前を、無言で並走する。やはり足の差はある。先のレッグと相談する。幸いなことに8→9にもうひとやまある。迷っているうちに松尾がどんどん登っていく。差が開いた。もしかしたら、このまま負けるかもしれない。この時、私の頭にあったのは「申し訳ない」ではなくて、「東北大が優勝なんてふさわしくない。最後に勝つのは早稲田でなくてはいけないんだ。」という全く理不尽な思考だった。(東北大の方、もしこれを読んでも怒らないで下さいね。)

先へ行かせてつぼるのに賭けよう。そう決心した。

6、7、8と割合いやらしいレッグを確実にこなす。ル−トが違うせいか、松尾の姿は見えない。8をとって尾根上の舗装道へ。その曲りから望みを託した尾根道へ入る。この時、一瞬、舗装道をそのまま沢沿いに大回りするル−トの可能性が頭をよぎった。しかし遠いし、アタックもドッグレッグで登り。まさかこっちへは行っていないだろう。(実際は松尾はこのルートを取っていた。)「早稲田はオ−ソドックスなル−トで勝負し、そして、勝つんだ」と言いきかせて、尾根道たどりを始める。意外にアップダウンがあるがさすがに得意レッグだけあってロスタイムなしで9へ。誰もいない。沢を下る。登ってくる奴もいない。沢を出て視界が開ける。前方に誰もいなかった。抜いたのだろうか。それともはまらずに、先へ行ってしまったのだろうか。

10は民家の軒先の道の分岐。トランシ−バ−を持った役員が無言で見守っている。勝ち2割、負け8割だなと思う。坂を登って台地上の畑の中の道走り。前も後ろも他に誰もいない。

一年の時に読んだ日光インカレ優勝時アンカ−の今村さんの文章が、あとからあとから脳裏に浮かんできた。あの文章を読んで本当に感激していつか団体戦のアンカ−を走ると、当時心に誓ったものだ。あの頃、自宅周辺で一人でトレ−ニングする時、最後のダッシュでは必ず、「紺碧の空」の合唱の中をゴ−ルレ−ンへ駆け込む姿を思い描いていた。それが不慮の病で挫折。もう半ば諦めていたのに最後の最後で全く幸運にもアンカ−に指名された。勿論、今村さんとは格が違う。でももうすぐ、あの当時思い描いていたシ−ンが現実になるはず。

最終コントロ−ルをとる。会場の歓声がきこえる。線路のガ−ドのところまで来る。はっきり聞こえる。「紺碧の空」を皆が歌っている。一瞬心持ち立ち止まり、それからガ−ドをくぐった。一番前に早稲田が陣取って歌っている。広江さんのアナウンスが響く。「早稲田大学、2位でゴ−ルインです。」ああ、やっぱり2位だったのか。皆すまない。俺は実力が足りなかった。レ−ンを駆ける。早稲田に限らず、皆注目して声援を送ってくれる。自分はもしかしたら一番幸せな学生オリエンティアなんじゃないかと思った。自己中だけど自分は十分満足していた。

計時線を越えてまずバ−スに「すまん」と言った。「いや、いいよ」と言ってくれた。バ−スのように本当に実力がある人間にとっては2位は不満な結果だということは分かっていた。OC大会は3年生が主役だがインカレは4年生が主役だ。あの秩父インカレは俺達の代のインカレだった。そう思っている。12期の第12回インカレは2位という結果がついた。でも2位は俺だけだ。バ−スは前の年、優勝しているし、宅間やモグ等13期には第13回インカレが用意されている。4年生は真価を発揮してくれ。他の大学の同期の連中には負けるな。

レ−スに臨むに当たっては、私のように落ち着いているだけでは足りない。確かに冷静なことは絶対に必要な条件である。しかし当日になって自分の不安要素を冷静に分析して指折り数えても益にはならない。そんなことは忘れて自信を持って勝ちに行くのだ。また私とは逆に気持ちばかり高ぶるというのなら冷静になろうと言い聞かせることだ。それだけで違ってくる。前々から当日の精神状態を用意しておくといいと感じた。心の準備は必要である。

繰り返し言うが、4年生は学生生活最後の輝きを見せてくれ。必ず後輩に伝わるはずだ。OCはそういうクラブだ。

最後にかつてOCのオフィシャルトレーナーの背中に書いてあった言葉(山岸倫也元監督が選んだ)を書く。

“Try to keep speeed up. Remember this is the Norwegian championships.” ── Age Hadler. 「気合いを入れていけ!これはノルウェー選手権だぞ!」           オーゲ.ハドラー   

(わせだUNIV.OCレポート1990年度vol.15)


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