<メモランダム>

最終更新1998/08/07


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<モドキの神>

 神戸の小学生殺人事件で、被疑者の少年のメモかなんかにバモイドオキという、被疑者の少年が仕えることとなった神の名前が出できたということが報道されていた。

 この一見奇妙な神の名前は、十中八九はバイオモドキの換字と推測される。

 バイオは、バイオフィールドあたりであろうか? 被疑者の少年はスプラッタ好きだったそうだし、バイオがシューティング・ゲームのバイオフィールドから採られていたとしても、そう外れてはいないだろう。

 私の興味をひいたのは、モドキの部分であった。 モドキ、結構古いヤマトコトバである。 モドキの基本的な意味としては、擬態というところであろうか。

 少年は、いったいどういう過程をへて、モドキという言葉にいたったのだろう?バイオフィールドのようなオドロオドロしい世界のモドキとしての現実世界を統べる神だったのだろうか?

 しかし、おそらく、少年が仕えることにした神は、真の神ではなくて、神モドキであったのだろう。 そして、少年は、それに無自覚ではなかったのではないだろうか?という気がする。

 少年が、真の神と出会う日はくるのだろうか?

1997/07/28


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<NIFTY case>

 NIFTY SERVE の名誉棄損訴訟について、いくつか資料も集まったことなので、私の見解をメモっておきたい。

 基本的には、未だに抗議の旗を降ろす気にはならない。

 なぜなら、この判決はニフティのフォーラムにとって、かなり致命的な部分を含んでいると、考えられるからだ。 いまだにニフティを見限るとこまで、いたっていない私としては、ニフティの将来がどうなろうと、関係ないという立場をとることができない。

 そのため、ニフティのフォーラム(そして、ニフティがフォーラムを拠り所としてサバイバルを目指すというなら、ニフティそのもの)にたいして、今回の判決がどういう意味を持つかについて、私見を述べてみようと思う。

 判決にしたがえば、シスオペは問題発言があったと認識した場合には、条理に照らして、削除等のアクションを起こさなくてはならない。

 以下、単なる仮定として話をすすめる。

  1. ニフティの中に、占いをあつかったフォーラムがあるとする。そして私は、そのフォーラムで幾つかは発言をしたこともある人間であるとする。

  2. あるとき、私はとある占いの本に対して、それはインチキであるという内容の発言を、そのフォーラムの会議室にUPしたとする。

  3. それに対して、その本の著者(もしくは、そのファン)から、これは誹謗中傷にあたり、即刻、シスオペ削除されるべきである、という内容の反論がUPされたとする。

  4. シスオペは、それに対して、自分の条理に基づいて、インチキであるという非難は、充分に納得できる内容を持っており、シスオペ削除の対象とはならないという判断をして、そのむねコメントとして発言をして、非難発言のシスオペ削除は行わなかった、とする。
    この時点で、シスオペはコメントしたことで、問題発言があったという認識を持ったことになる。

  5. ところが、その後、発端となった本の著者から、インチキであるという非難は誹謗中傷であるとして、名誉棄損の訴訟が起こされた。
    被告は、今回の判決にならって、非難発言をした私、放置したシスオペ、そのシスオペの雇い主であるニフティの三者であった。

  6. 裁判においては、占いの内容に立ち入った審理が行われるはずはなく、被告全員が敗訴してしまった。

 今回の判決にしたがえば、これは決しておこりえない事態ではない。

 また、シスオペが、元々の非難発言を削除したなら、私から訴訟が提起される可能性だってあるのだ。

 このような、いつ何どき訴訟に巻き込まれるかわからないという認識に立った上で、フォーラムのシスオペに好き好んでなる人間がどれくらいいるのだろう?

 また、このような危険を抱えているシスオペに対して、ニフティが提供している見返りはあまりに小さいのではないだろうか?

 しかし、ニフティがシスオペに対しての見返りを増やす、あるいは、訴訟に備えて保険をかけるといった行動をとった場合、料金の値下げに対しての障壁として働くであろうことは、明らかである。

 つまり、この判決をのむということは、長期的な視点にたてば、ニフティにとって、かなり致命的な内容の判決なのである。

 ニフティはこの点をちゃんと理解しているのだろうか?

1997/07/28
1997/08/10若干推敲


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<BLやってくたびれた話>


はじめに
この話のもう一方の当事者からの苦情・反論は、無条件で掲載しますからメール下さい。 もっとも、それに対してこちらからの反論を掲載する可能性は0じゃないですが。

 私は、NIFTY SERVEのフォーラムの一つである、FFORTEでサブシス兼BLをしている。 もっとも、そろそろ引退したいと考えているが。 NIFTYについてよく知らない方に説明しておくと、NIFTY SERVEにはフォーラムというものがあって、同種の興味を持つ人たちのための、雑談・意見交換の場となっている。 フォーラムの持つ機能としては、意見交換のための会議室・チャットであるリアルタイム会議室が主なものである。

 このフォーラムを管理しているのは、NIFTY SERVE自体ではなく、NIFTY SERVEに対してフォーラムの企画を提出し、NIFTY SERVEに企画が認められた、個人もしくは法人である。 この個人もしくは法人は、NIFTY SERVEと契約をかわし、フォーラムマネージャという存在となる。

 このフォーラムマネージャは、まさしくフォーラムと運命を共にするのであるが、フォーラムの管理の前面に出てくるのはシスオペという存在である。

 シスオペの多くは、フォーラムマネージャの兼任であるが、たまに、フォーラムマネージャから私的に任命されて、シスオペとなる場合もある。

 シスオペは、フォーラムを管理・維持するためのメンテナンスコマンドの行使権限を持っており、フォーラムの会員をフォーラムから排除することも可能である

 さて、このシスオペが私的に任命する存在として、サブシスとBLというものがある。 サブシスは、シスオペからメンテナンスコマンドの一部もしくは全ての行使権限を付与されて、シスオペの補佐をする存在である。

 BLというのは、室長・議長といった別名もあり、フォーラム内の会議室を流行らせることを目的に、議論の誘導・新人の歓迎といったことをやっている。 BLやサブシスは、フリーフラグという小さな見返りはあるが、基本的にはボランティアで活動をしている。
 フリーフラグは、フォーラム毎に設定される会員属性であり、フリーフラグが設定されたフォーラム内でのアクセスに限って無料となる。 ヘビーチャッターにとっては美味しい属性であるが、NIFTY SERVEの料金改定毎にその美味しさは薄くなっていく一方である。

 さて、ずいぶんと長い前振りとなったが、私はNIFTY SERVEのフォーラムの一つである、FFORTEでサブシス兼BLをしている。 先に、引退を考えているといったが、その原因の一つとなった、ある会員とのやり取りの話をしたい。

 私がBLをやっているのは、東洋系の占いの会議室である。 私の基本的なスタンスは、

というものであった。

 東洋系の占いには、秘伝・口伝の類が多く、それの伝授を受けるためには、多額の金品・時間が必要な場合が多い。 この秘伝の壁のおかげで、占い師の生活が保証されているわけだが、こいつのおかげで、胡散臭い占い師が跳梁跋扈している面もある。

 そのため、秘伝・口伝の手がかりは会議室で発言するが、秘伝・口伝そのものをボロボロ洩らすことはしないようにしていた。

 通常はこれで充分であり、会議室もそれなりの発展があったわけだが、事象には全て分布があり、3σの外にも必ず何かあるわけで、ありていにいえば、非常に物分かりの悪い会員が、会議室に出現したのだった。

 まあ色々あったが、最初に私の忍耐の限界を越えさせてくれたのは、干合という十干の関係を巡ってのものだった。 この干合については、諸説あるわけだが、それをいっても混乱を増やすだけと感じたので、私が準拠している派の説を述べたのだが、それでも、同じ質問が3度繰り返された。 何度も回答済みなのに、回答が理解できないらしいのだ。 私は意を決して、回答の打ち切りを通告した。 その後で分かったのだが、その理解できない理由は、こちらからの回答が、クダンの会員の好みにあわないため、こちらからの回答を受け入れられないところにあったらしい。

 おまけに、私が回答の打ち切りを通告する前には、会議室にUPする発言の添削をしろというメールまできた。 このメールを受け取ったときには、ほんと、唖然とした。 なんで、ここまで面倒をかけられなきゃならないんだ?と思ったが、なるべく穏やかになるようにと、苦労して返事を出した。 もっとも相手がどう思ったかはしらないが。

 まあ、回答の打ち切りを通告したこともあり、私はもう来ないだろうと思っていたが、また、その会員が質問を会議室にUPした。 その質問は、私の表芸である六壬についてのもので、その質問も、六壬を根底から勘違いしているような内容であった。 ああ、また六壬で同じ事が始るのか、と思った私は無視することにした。 しかし、私が無視していると、同じ質問が3度UPされた。 私は無視するのも限界かと思い、コメントを返すことにした。 今回は、前回の轍を踏まないように、まず、勘違いの部分を一つ一つ潰すところから始めて、ついに質問の中核部分に到達した。

 ところが、この部分は、本を買えば書いてある内容なのだった。 ただ、この御仁は、家庭の都合で通信販売が使えないと宣言しているのだった。 こちらとしては、そんなことに斟酌する必要もないのだが、ちゃんと回答のある本は、古書店か通販でしか入手できないので、古書店でも入手しやすい本で、回答としては書いてないが回答の手がかりのある本をしめし、それを見てから質問しなおすようにという内容の回答をしたのだった。

 ところが、やってきた返事は、こちらの指示を一切無視したような内容だった。 そこで私は、その返事へのコメントとして、弟子にとったわけでもないアンタの面倒を、どうしてここまで見なきゃならないんだ、という内容の発言をUPした。

 すると、メールで絶縁状をもらった。 実のところ、絶縁状がきてほっとはしたが、その絶縁状の勘違い(そう、絶縁状まで勘違いがあった)を逐一潰した返事を出した。 その後、アノーエヘヘという内容のメールと、また勘違いしたメールがきたが、私は返事を出していない。

 私は心底疲れた。


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NIFTY forum vs. Personal WWW page

 NIFTY SERVE は、自らのネートワーク・サービスを特徴付けるものとして、Forum をとらえている。現在、およそ 600を越える Forumがあり、同好の会員に、情報交換・フリートークの場を提供している。そこから得られる課金収入は、NIFTY の収入全体から見ても大きな割合を占めているらしい。

 Forum は SysOpもしくは、その配下のSubsysOpやBLによってモデレートされており、fjなどからみれば比較的穏やかな対話の場が提供されている。

 さて、最近では WWWページなどでも、掲示板機能を持つページが増えてきており、おそらくは、会員管理機能付の掲示板を持つ WWWページも近い将来出現するか、もしくは、すでに出現していると考えられる。

 このような、会員管理機能付の掲示板サービスは、NIFTY の提供する Forumサービスと機能的にほとんど差がないであろうが、そういうものに対して、NIFTY の Forumは何らかの優位性を持っているだろうか?ということについて考えてみたい。

 BLをやった経験からすると、会議室が繁栄するためには、発言者の意見がなるべく多様であることが望ましい。そういう点で、Forum の持つ会員数は、非常に魅力的である。しかし、これは望ましくない発言スタイルをもつ会員の出現確率を高くするという点で、諸刃の剣ではある。個人で掲示板を運営するという場合、最初から望ましくない発言スタイルをもつ会員は排除されているから、そういう心配はないが、逆に限られたメンバーの内輪話に終始して、早々にネタ切れする心配がある。

 したがって、会議室(もしくは掲示板)の繁栄(発言数の増加、参加人員の増加)を望まないのであれば、個人的に掲示板を運営する方がはるかに楽であろう。もっとも、Forum の量的な優位性が何時までもつかといわれれば、かなり疑問ではある。WWW ページ上で、NIFTY の Forumと遜色ないサービスを提供することは、すでにいわゆる工数の問題だけであり、技術的な課題は解決されている。したがって、個人的に Forum類似のサービスを定額低料金で提供することは夢ではなくなっている。

 個人的に有料サービスを提供できるとなれば、NIFTY SERVE でフォーラム・マネージャをしているよりも収入面で優位である可能性もあり、NIFTY のForum にとって、その存立基盤が危うくなってきているのだが、NIFTY は、このあたりをちゃんと認識しているのだろうか?

 個人的な Forumは NIFTYの強力なライバルとしての可能性を秘めている。NIFTY がそれに対抗できる切り札は、Forum 内の紛争調停機関を他に先駆けて持つことくらいしか、私には思いつかないが、どんなもんだろう?


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麦畑にカラス天狗は舞ったか?

 安田火災がやってる東郷青児美術館にゴッホを見に行った。
 ここは数年前からゴッホの展示会を定期的にやっていたが、今年が最終会である。

 お目当てはゴッホ最晩年の傑作とされている“カラスの舞う麦畑”である。

 この麦畑に群れ舞うカラスを描いた作品は、私が最も畏れる金井南龍という特異な思想を持つ神道家(故人)から、かって麦畑で舞うカラスの中に、神ながらの道に目覚めてカラス天狗を目指すことになったカラスが描かれているとされた作品である。

 私はカラス天狗がいるというならこの目で確かめてやろうと、ずっとチャンスを待っていた。

 じっと件の麦畑を見たのだが、金井南龍のような霊感がないせいか、強烈に何か感じることもなかった。それで、金井南龍でも与太を飛ばすのかといささか安心した。(私にとって金井南龍は危険人物なので、金井南龍の信用が落ちるのは安心できることに相当する。)

 が、念のためと、カラス天狗発言の前後を記憶からたどってみた。
金井南龍によると、カラス天狗の道を進むカラスは行者と出会って行者が九字を切り真言をとなえると、落ちてしまうそうである。落とした行者は、そのカラスと出会った証に、カラスの羽を1本抜くことになっているらしい。この羽を抜かれるというのは、カラス天狗への道の通過儀礼に相当するようだ。

 記憶をたどりながら絵をじっと見ると、1羽、落ちていくように見えるカラスが見つかった。金井南龍が、その落ちるカラスが行者と出会って落ちていくカラスだといえば、一応、スジが通っていないわけでもない。

 まあ、南フランスの麦畑に、カラスを落とす行者がいたかどうかは不明であるが。

※金井南龍についてのページ(一人一宗のすすめ)を運営していらっしゃる百境さんから、麦畑のカラス天狗は3本足だという指摘をいただきました。ありがとうございました。

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“また会う日”とは何時なのか

 昨年、一昨年と、私にとって重要な人間が2人この世を去った。1人は私が激しく憎んだ人間であり、1人は貴重な友人だった。

 どちらの葬儀にも出席(どちらも遅刻したが)した。

 先に激しく憎んだといったが、この人物は、私にハラワタの煮えかえる思いというのを味合わせてくれた唯一の人間である。そう、あの時は体中の血がハラにあつまって、シャワシャワという、沸騰する液体窒素のような音をたてたような気がした。その後、一気に血圧が降下したのか、目眩がした。

 その人物の葬儀に出席しても、一向に憎しみは減らなかった。浮かんでくるのは復讐する機会を永久に失ったという思いくらいだった。そう、あのとき目眩なんか気にせずに殴っておけばよかった。

 私は、この葬儀の後、開放されることのない憎しみを抱えて、精神に変調をきたしていくことになる。結果的に実生活に支障が出たので、しばらく会社の病院でカウンセリングを受けることになった。

 カウンセリングの御陰で徐々に復調して行く中、掛け替えのない友人を失った。

 早すぎる死だった。彼は敬虔なカトリックで、彼が自分の早すぎる死と向き合い受け入れて、最善を尽くしてこの世を去ることができたのは、その信仰故だろう。心残りはあっただろうし、死にたくはなかったに違いないが、それでも自分の死後に備えてできるかぎりの手配をした上で逝ったのだった。

 信仰を持つものは強い。

 当然、葬儀の次第はカトリックの様式だったが、葬儀の中、込み上げてくる哀しみに、いささか戸惑いを感じていた。「私が素直に哀しんでいる?」「人並みの哀しみなど、私は感じられなくなったのではなかったか?」

 そんな戸惑いとは無関係に、哀しみは膨れ上がり、私は右拳を握り締め続けた。

 しかし葬儀は静々と進行していき、会衆が讃美歌を歌うところにきた。

 その中に「また会う日まで」があった。この讃美歌は音楽の教科書にも出ているような曲で、かなり知られているはずだし、私も何度か歌ったことがある。

 しかしその時、唐突に気付いたのだ。この讃美歌が葬儀で歌われるものなら「また会う日」が、実は特定の時をしめす言葉であることを。それはいつ来るかは確定していないが、キリスト教徒はその日のくることを確信しているはずだ。

「最後の審判」の日がくると死者は蘇えり、天国へ行くものと地獄にいくものとが分けられる。そう「また会う日」とは「最後の審判」の日なのだろう。

 ならば私と彼がまた会うことは、おそらく二度とないのだ。私がカトリックを含む、キリスト教に改宗することはまずないから。

 彼の棺に献花する順がまわってきた。私は手を開こうとしたが、痺れた手は簡単には開いてくれなかった。

1998/01/17


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化粧についての妄想

 古代中国の有名な刺客である豫譲は、主君の仇を討とうとして果たせず捕らえられてしまいます。もっとも仇の方は豫譲が有能なことを知っていて、逆に仕官しないかと誘うわけですが、豫譲はキッパリと断って「士爲知己者死。女爲説己者容。」という有名な言葉を残して処刑されてしまいます。

 前半は「士ハ己ヲ知ル者ノ爲ニ死ス」(男は自分の価値を認めてくれる者のためには死んでも悔いはない、という感じですか)という言葉で知られていますが、元々は後半の「女爲説己者容」と対句をなしているわけです。

 前半が「士」という形で男について語っているわけですが、後半は「女」という形で女について語っています。読み下してみると「女ハ、己ヲ説ブ者ノ爲ニ容ヅクル」とでもなりますか。最後の「容」は昔から“カタチヅクル”と読まれていまして、化粧するということだと理解されているようです。「説ブ」ですが、『説』は『兌』の初文で「ヨロコブ」と読まれています。「愛される」ということなのでしょう。

 意味としては、女は自分を愛する者のために化粧をする、というところに落ち着くと思います。

 ところで、豫譲はこの対句をどう考えていたのか?という疑問を私はずっと持っています。前半は、男である自分のことでしょうが、対句の前半と後半の重みとしてどう考えていたのでしょうか?

 豫譲は女を軽く見ていて、それと対比させることで自分の行動をより重くしようとしていたのか?それとも前半と後半は全く同じ重さと感じていたのか?ということがずっと疑問として残っているわけです。

 ま、結論は出ていないのですが、私としては話を面白くするするために豫譲は対句の重みを同じと感じていたと考えることにしています。つまり、豫譲は自分が亡き主君のために命をかけて暗殺を行うことと、女が自分を認め愛してくれる男のために化粧をすることが、同じ程度の重みを持つ行動と考えていたのではないか、というのが私の考えです。

 豫譲は古代中国の人間ですから、ひょっとすると化粧の持つ呪術性について、なにがしかの現代人とは異なる感覚を持っていたかもしれません。そのために化粧するということに相当の重みを感じていた可能性は捨てきれません。

 神道系では女性が神降しを行うときにはフルメイクというのが正式らしく、このあたりは東アジア全般における化粧の持つ呪術としての側面についての記憶からきている可能性はあります。

 もっともこういう妄想を抱きながらも、私自身はスッピンの方が好きなんですけどね。(実のところ私にも古代の記憶の破片があって、そのために化粧した女性を畏れているのかもしれませんが。)

1998/05/19


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<凄いものをみた>

 8月2日の日曜に久喜までいって太東中学演劇部の公演を見てきた。私にとってはこれで2回目の公演である。

 私の感想を率直にいわせてもらうと“凄いものを見た”につきる。たかが、といっては失礼というものだろうが、たかが中学生のくせにすっと立つだけで自分を表現できる部員がゴロゴロしているのだ。ま、私より演劇に接することの多いヨメハンにいわせるとセリフがこなれていないとかが目に付くらしいが、私にとっては驚きの連続だった。

 残光の時間まで計算し尽くした様な切れる照明のもとで繰り広げられる、練りに練った脚本に基づく劇。その劇中で自分を、役を、表現する部員達。

 多分、部員の多くは東京ディズニーランドで充分にダンスのバイトが努まるだろう。

 中学生の部員をここまで鍛え上げるには、指導する側も相当の技量と熱意が必要だったことと思う。

 練りに練った脚本と先にかいたが、前回、今回とも物語は謎をはらんで展開していき、謎が明かされそれとともに物語が終局に向かうという構成をとっている。前回の「降るような星空」では謎の背景を無理なく繰り込むために劇中劇の構成となっている凝りようであった。今回の公演でも、主要な登場人物が退場して休憩、もどってきて再開と、凝っていることには変わりがない。

 もっとも捻くれ者の私には、こんなに凝った話なのにストレートに主張を展開される部分ではちょっとなぁという気がしないでもなかったが。

 今回の公演で3年生が抜けて代替わりの様であるが、このままテンションを維持して欲しいものだ。

1998/08/07


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<本気で神様革命を考えた男>

 すでに故人となったが金井南龍という特異な思想を持つ神道家がいた。金井南龍は私の最も怖れる人物だった。

 神道家としての金井南龍の考えは以下のようなものだった。

 人生が1回限りのものであって死後神の下に帰るものとそうでないものが選別されるという点で、人間は死後魂は先祖霊の世界に帰りまた適当な期間をおいて現世に戻ってくるという素朴な往送観を採用していないところが、金井南龍の神道家として特異なところと考えられる。

 もっとも私にとっては神道家としての金井南龍はどうでもよい存在である。私が怖れたのは革命の伝道師としての金井南龍である。金井南龍は神意によって運営される地球統一国家を夢見ており、そこへの道程の一つとして神意によって運営される日本にするべく神様革命を本気で考えていた。そして革命後に日本を運営する神として金井南龍が考えていたのは白山菊理媛であって天照大神ではない。金井南龍によれば、白山菊理媛の方が日本の神として天照大神よりも古く正しい神である。

 いわゆる右翼が天皇の意思、つまり天皇によって代々受け継がれてきた天照大神の意思とつながっていると信じることによって成り立つものであるとするなら、天照大神よりも古く正しい白山菊理媛の意思の代弁者である金井南龍は超右翼とでもいうべき存在となる。

 金井南龍は「迷宮」というカストリ雑誌の見本のような雑誌の2号において以下のようなことをインタビューで答えている。

「●ネオ神道主義の一断面 金井南龍インタヴュー」:「迷宮」vol.1-2(1979),pp.107

それは、ローソクの炎が消えなんとする最後の輝きだよ。戦争に敗けて、皇位を降りて象徴人間天皇になっちまったんだもの。もう天皇家は伊勢で自治区を作っていただく以外にないんじゃないの。あそこでは、藤波家では何をするとか職掌分担が決まっているから、すぐにローマ法王庁ができるわ。そうなりゃあ、共産党が天下取ったからって、神主天皇家を殺しはせんでしょう。…

 金井南龍の神様革命は神様に祈ることで世の中を変えていこうというものではなくて、神様の意を体現し現実に政権を奪取するものである。そして、金井南龍は政権奪取が可能と考えており、そのための方策とその後の政権ビジョンを明確に持っていたことを推測させる発言である。何故なら上記引用の発言は、政権奪取に成功した場合の天皇家の処遇をどうするかという問題に対してのかなり有力な現実解となっているからである。

 日本で革命を起こして成功した場合に天皇家・皇族をどうするかという問題が発生する。可能性として以下のようなものが考えられる。

 自らの手を王の血で汚さない限り真の革命とはいいがたいと考えておられる向きには不満であろうが、では実際に天皇家・皇族を根絶やしにしたり、国外追放にした場合に発生する怨念と穢れに自らが耐えられるかどうか?そしてその穢れを背負った政権が民衆からの支持を得られるかを考えてみればよろしい。日本では極めて困難な道ではないだろうか。

 また革命を起こして天皇制はそのままというのは革命としてまことに不徹底で、これもまた革命としては困難な道であろう。こう考えると南龍プランは革命後の天皇家処遇の現実解として非常に有力なものではないだろうか。

 金井南龍は引用したインタビューで以下のような発言もしている。

同インタビュー,pp.114

…だけどね、全学連を全部蜂起させる、そして政府を乗っ取るという日と時間はあるはずですよ。

同インタビュー,pp.115

…でも、ほんとに何かやるときは一握りの頭数でいいのよ。新羅が日本に上陸して、日本を占領したときは三六人でしょう。

同インタビュー,pp.115

…それにね、神の使命を帯びて、民族的に立ち上がるという場合には、中国の天津甘栗やソ連の人造工業ダイヤなどに依よらなくてもできる体制はあるんだよ。

 どれも金井南龍の本気を窺わせる発言である。もし金井南龍の神様革命が成功したとしたら神意によって強固に統一された独裁政権となり、宮崎学がいう白いファシズムの世界よりもさらに息苦しいものとなるだろう。

 それ故に私にとって金井南龍は危険人物なのである。

2002/03/21


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