宗教団体への税制優遇は必要か又は合憲か?

政教分離とは何か?

1571年に織田信長が叡山を焼きうちにし、世界で最も早く政教分離を訴えた。
その当時、叡山や石山本願寺は多くの信者を持ち、一国の大名以上の絶大な勢力を持っていた。特に石山本願寺は一向一揆まで起こし、最後まで信長を苦しませた。

信長の時代はともかくとしても、現代の日本の様な民主主義国家では、直接と間接の違いはあるとはいえ、国のトップを選ぶのは国民である。その一方、宗教団体の多くは、まずカリスマ的存在の教主ありきで結成され、その人又は一族を中心として活動を行っている。
かたや国民が選出し、かたや選べない。互いにこの様な違いがあるということは、同じ人が、両方のトップとなるとしたら、必ず両者の一方が制度矛盾を起こす事は必然である。
よって、国の政治を守る意味でも、宗教団体を守る意味でも、互いに干渉しない事が両者にとって、最適解なのである。
この様な意味で、政教分離が実現されてなければならない。

憲法二十条[信教の自由]

わが国の憲法では、二十条に[信教の自由]と題した条文がある。内容は以下の様になっている。

憲法 第二十条 信教の自由
  1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


以上の様に、この条文は信教の自由だけを書いたものではなく、政教分離について書かれたものである。
つまり、互いに干渉してはならないということである。

宗教法人法

宗教法人法の第一条に目的として、次の様に書いてあります。
第一条 目的
  1. この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることも目的とする。
  2. 憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。

ここで、宗教団体の目的とは何でしょうか? その宗教を広める事なのか? 信者の宗教的意識や精神を高める事なのか? 社会への奉仕活動なのか?
この法律は、これが適用されるか否かで宗教団体か否かの選り分けがされているようでならない。この法律により都道府県は宗教団体の認可を行う。別の言い方をすれば、その団体が宗教団体か否かを決定しているのでは無いだろうか? このことを多くの宗教団体は由と考えているのだろうか?逆にこの認定を受けずに宗教活動を続けている団体がいることもまた事実である。 上にあげた条文だけでは見えて来ないが、宗教法人と認定された団体は信者から集めた御布施に税金はかからない制度となっている。このことは先にあげた憲法二十条の『国から特権を受けてはならない』に違反しないのだろうか? この宗教法人法は憲法二十条の『信教の自由』の部分のみを拡大解釈しすぎて、政教分離の一部を侵しているようでならない。

宗教とは?

宗教とはなんでしょうか?
現在のいろいろな宗教と呼ばれるものをみてみると、ほとんどの場合にある種の『神』を持ち、その『神』及びその『神』の教えといわれるものを守り、又、広めている。
その『神』は宗教によっては、伝説の神であったり、実在した人であったり、今でも生きている実在する人であったり、さまざまです。
仏教で言う『お釈迦さま』は当時、釈迦国の王家に生まれた ゴーダマ・シッダールダ を指す。その後、ゴーダマ・ブツダ(目覚めた人)と呼ばれる様になった。
キリスト教は、イエス・キリスト(神がつかわした将来の王の意)を祖とする。
日本の神社で祭られているのは、皇室の先祖である。また、天皇は現人神と呼ばれることがある。
例えば、ある種の考え又は生き方を多くの人に広める事を宗教の一つの目的とするならば、必ずしも現在宗教と呼ばれているものだけが宗教ではないと考えられる事は明らかである。
独裁国家の元首が、街角の目立つところに自分の肖像画等を置き、国民が自分を崇める様に仕向け、自分が絶対に正しいとする考えを広める事もまた、宗教の部類に入るのだろうか?(こんなことを言ったら真面目に宗教に取り組んでいる人に叱られるだろう)
世界の三大聖人といわれる、哲学のソクラテス、キリスト教のキリスト、道徳・道教の孔子。この3人の考え方や生きざまは世界中の多くの人に影響を与えた。しかし、現在において必ずしもいわゆる宗教という形で受け継がれているわけでは無い。
宗教である決定的な条件は何なのでしょうか? 結局、活動する人の意識によるのではないだろうか?

宗教団体に対する税制優遇がある理由

政府は宗教団体に対して、宗教の自由を保証する為に、より良い環境を与えると理由で、税制優遇を行っている。
先にもあげたように、その為には宗教法人法での認可が必要です。つまり、政府がその団体を宗教団体かを認めているのです。
それがされない団体には税制上の優遇はありません。結局は国が宗教団体を認可している。逆にいえば、わが国では国に認可されなければ宗教団体と認められない風潮があるのではないだろうか?
本来、宗教は国の中にあるのではなく、国とは次元の異なったところに存在するはずです。それにもかかわらず国の認可が無ければ宗教活動ができないなどは、宗教団体の甘えとしか言いようが無い。
憲法20条を基本とするならば、宗教団体を国が認定すること自体が憲法違反であると考えます。
更に、国からは特権を受けてはならないとある以上、税制優遇も憲法違反であると考えます。

憲法が保証する自由。

憲法には宗教の自由の他に、いくつかの自由を保証している。にも拘らず、宗教団体に対して幾つかの税制上の優遇処置がある。
例えば、表現の自由に対して何らかの優遇処置をしているであろうか?
表現の自由を実現する為に、出版時に優遇処置があるだろうか?

苦情は 臥竜 まで



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Update 98/01/23