印鑑の歴史

印鑑(役所で使用される印)が整備されたのは、奈良時代になって律令制が整った頃とされている。
この頃、私印も見られるようになり、私文書においては自署が基本的であった。
これより以前も、印鑑は存在している。
卑弥呼に与えた金印などは有名であるが、この金印が実際に使用されたかどうかは疑問とされている。
むしろ、これら金印は所持しているというだけで、政治的権威などの効果が期待されていたのではとされている。
鎌倉・室町時代になると、花押(かおう)と言われるものが見られるようになった。
これは当初、自署は楷書・行書で書いていたが、少しずつ個性が重視されるようになり、第三者の判読の難易はともかく、自由に書くことが本来の姿であるようになってきた。
そうなると、誰が書いたものか第三者にわかる記号的・サイン的なものが必要となり、それが花押として形成されるようになった。
花押とは、「書判」と言われるが、自分で書くサインであり判別印である。花押は、元服することにより、初めて持つ事が出来たと言われ、このとき、個人が個人として尊重され、人格さえもこのとき付与されたと考えられるほど、重要なものであった。
花押は、印鑑より重みをもつもので、印鑑は花押をすることが出来ない時に限って代用されていた。
花押と印鑑とのも関係は、島津義久の書状が知られている。
この書状の中で、本来は花押をすべきところであるが、病気のためやむを得ず捺印ですませていると断りを入れている記載がある。
織田信長は、「天下布武」の印を、豊臣秀吉は「豊臣」の印を、徳川家康は「福徳」の印を利用していたことは良く知られている。
江戸時代に入っても、特に武家間では花押が格式の高いものとされていたが、町人や農民は、このような面倒なものではなく、気軽に利用出来る印鑑を持つようになった。
そして、生活も社会体制も成熟してくると、印鑑は広く使用されるようになった。
この印鑑を広く使用する方向性を決定的にしたのは、明治時代になって法令が整備されてからである。
そして、日本は現代のハンコ社会へ進む事になった。

 

(参考資料)株税務経理協会 「印鑑証明書を必要とする時:中村人知 著」より