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オクスフォードの哲学者で行動主義の傾向のつよいギルバート・ライル教授は、著書『心の概念』(一九四九年)の中で、肉体と精神の事象のあいだに通常立てられる区別を攻撃して、後者を(ライルによれば「あえて軽蔑をこめて」)「機械のなかの幽霊」と呼んだ。のちにBBCの放送で、彼はこのたとえをさらに凝ったものとして、機械のなかの幽霊がこんどは機関車のなかのウマということになった。ライル教授は、哲学のオクスフォード学派の有名な代表的人物だが、この学派は、ある批判者の言葉を借りれば、「真実の思想を疾病のように扱う」(ゲルナー)ものである。この奇妙な変調哲学もいまはどうやら落ち目であり、いまさらこれをとやかくいうと、「死馬愛護協会」の猛然たる抗議をまきおこすであろう。行動主義者やその同調者の言葉の手品にもかかわらず、心ともの、自由意志対決定論の基本問題は、あいかわらず大きく残っており、あらためて緊急性さえ帯びてきた。哲学の議論のたねとして緊急というのではなく、政治倫理や個人道徳、裁判、精神医学、そうして、私たちの人生観全体に直接の関係をもつので、そういうのである。機械の中の幽霊の存在、肉体の活動に依存もするがそれに対して責任を負ってもいる心の存在を否定する行為そのものが、そいつを危険な邪悪な幽霊にしてしまう危険をもたらすものである。

アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』

 


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