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 へーゲルは、哲学史全体を意識的・総括的に、哲学として自己のものにした最初の哲学者であります。彼の哲学史はこの意味で、今日までもっとも規模の大きい業績であります。しかしそれはまた、固有のヘーゲル的原理によって、透徹した解釈をもって、同時にものを殺してしまったような所業ででもあるのです。あらゆる過去の哲学はヘーゲル的な光に照らされると、その瞬間に、驚くべくほど明るい探照燈に照らされたかのように明瞭に浮び出るのであります。しかしそのつぎには、人は突然、ヘーゲル的思惟はすべての過去の哲学から、いわば心臓を切り取って、その残りを死体として、歴史の巨大な史的墓場に葬り去るのを認めねばならないのです。ヘーゲルは過去のものをすべて片づけてしまったのです。なぜなら彼はそれを概観できると信じているからであります。彼の叡知的な鋭さは、とらわれない開放ではなくして、破壊的な手術であり、たえざる問いでなくして、征服であり、ともに生きることではなくして、支配することであります。

 ある一つの解釈をそのままに信用して、それにとらわれるということのないように、あらかじめ用心するために、常にいくつかの哲学史の書物をあわせ読むことをお勧めしたいのです。たった一つの書物しか読まないと、知らず識らずにその方式を押しつけられることになるからです。

さらにお勧めしたいことは、哲学史の書物を読む場合は、少なくとも任意試験的に、叙述されたものについて原典に当ってみることであります。

(ヤスパース『哲学入門』)


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