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ネット・オタク・ナショナリズム

  

へーげる奥田


  

 

  さて、今回の同人誌はこんなタイトルの特集です。別に「文芸」とかそっちに転向する訳ではぜんぜんありません。WWFではその創設当時から、アニメや、マンガや、同人誌などの要素によって形成され、コミックマーケットに集うような、「こっちの世界」の文化とはどのように成り立っているのか、なんとかうまく記述しようと、ずっと努力を続けてきたもので。

 昨今、こういった努力はプロアマ問わず多くの識者らによって試みられています。しかし、現代という場にひろがるこうした文化の真相について、うまい具合に記述することに成功しているひとはまだいません。

 今回は、いままでの興味の対象をもう少し広げ、現在われわれが興味をもち、目に飛び込んでくる文化の周辺について、記述の範囲を広げてみようと思います。

 多くのひとが指摘しているように、インターネットの一般化は、今までの文化の構造を大きく変化させました。従来は、「言論」というものは一部の「識者」によって独占されたものでした。主に言論とは、なんらかのメディアにおいて「発言する資格を持つ者」の「特権的な独白」によって作り出されるものでした。そうして与えられた「言論」を一方的に受け取る側の人びとは、その「言論」にたとえ欺瞞的な違和感を覚えたとしても、ただそれを受け入れるほかありませんでした。

 しかし、ウェブサイトやBBSやウェブログの登場で、この独占は崩れ始めているように見えます。たとえば、幼女殺人事件が起こったとき、ある「識者」は「これは”フィギュア萌え族”の仕業だ」と断言しました。従来だったら新聞に記事を書く特権を持った者はどんな盆暗なことを書いても、少なくとも一般読者ごときに何か言われる筋合いはないと威張っていればよかったのですが、いまこういうことを書けばあちこちのウェブログなどで叩かれ、2ちゃんねるには晒され、「まとめサイト」にはことの顛末と、こういう「識者」のどこがどう愚かなのかが誰にでもわかりやすく提示されてしまいます。また、現在の日本の「右傾化」は不況による鬱憤が外国に向いた結果だ―などといういい加減な「分析」に対する違和感も、誰もが容易にツッコミを入れ得るようになりました。

 他にも、新聞などの「マスメディア」が、たとえば韓国に対して過剰な持ち上げを行い、韓国のキレイなところだけを選択的に報道して従来やってきたように「世論を先導」しようとしたところ、今までマスコミが特権的に管理してきたはずの「情報」が手軽にやりとりされ、隠蔽するはずの情報がみんな開示されてしまったことにより、それに対して違和感をもつ人びとのツッコミを受け、結果的にマスメディアの相対的地位の失墜を招いてしまいました。極論すれば、朝日新聞の記者も、2ちゃんねるの「名なしさん」も、もはや同じ「匿名の書き手」にすぎません。従来の「特権的な独白による言論」は、「あまり特権的でない対話による言論」によってその地位を脅かされつつあるのです。

 今回の企画は、こうした状況下におけるわれわれの文化の様相について、北田暁大氏の著書『嗤う日本の「ナショナリズム」』をひとつのテキストとし、WWFなりに論を練ってみようというものです。どうかひとつ、最後までおつきあいのほどを。

 

(2005/12)

 

 


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