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 神聖や恐怖の感情がもはや有効性を失っている現代においては、人形の純血種を保証するものは、私には、エロティシズムのみではないかとさえ思われる。ベルメールの人形が、この間の事情を何よりも雄弁に語っているだろう。早くも十九世紀において、このことを予感していたと思われるのはロマン派の詩人たち、ホフマンや、ポーや、ボードレールや、リラダンたちであった。・・・

 リラダンの『未来のイヴ』においては、この反自然主義の傾向がいっそう決定的になる。・・・現実の女アリシアは、「勝利のウェヌス」にも比すべき神々しい肉体の持ち主であるにもかかわらず、その肉体が覆いかくしている魂は、もっとも低俗な物質主義に毒されている。一方、人工美女アダリーは、アリシアの外観を完全に模した人形であって、人形であればこそ魂はないのである。いったい、この二つのうちのどちらを選ぶべきか。

澁澤龍彦 『少女コレクション序説』「人形愛の形而上学」より


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