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そうそう。別にそこでは女性が「現実」とか「虚構」とかいった区別をもって我々を魅了しているわけではなくて、我々オタクは現実の女性もTVやグラビアのアイドルもコスプレ少女も「虚構」のギャルゲー少女も実際に我々の性欲動の備給先になるという「現実」にリアリティを感じる故に、そこに抑圧を持ち込まない振る舞いを選択する。むしろその区別を言い立てようとしたり逆に虚構少女の「貞操」を守ろうとしたりするのは、虚構に惹き付けられる自分の恐怖をコントロール出来ていないということの言明であることを知っているから、「萌え」という身体からの敗北を受け取りつつその自我のメタ的コントロール感を感じているんじゃないのかな。つまり敢えて理解してないラカン流に言えば、原理的に両者の判別不可能な他人の欲望のコピーや認知不可能な現実界からの身体論的な欲動を生じさせる性欲動に対して「現実」の女性だけに欲望し「虚構」の女性を虚構の側に押し込める身振りを象徴界からの恐怖に負け抑圧したと認識し、それを解放しているフリをして自我のコントロール感を得ているというメタ的象徴界を想定した気になっているのがオタクなんじゃないかな。

松本 晶『モノ言えば唇寒しオタク論』


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