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続・東浩紀氏のオタク論を読む

 

 

清瀬 六朗


  

 

 この文章は、清瀬のホームページ「さんごのくに」内の「ムササビは語る」のページに掲載した「東浩紀氏のオタク論を読む」(http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/musasabi/0305_0.htm)につづいて、東浩紀氏の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、二〇〇一年)を読み、コメントを加えていくという企画である。今回は、その第三章に出てくる「超平面性」と「過視性」をめぐる議論を紹介し、それと第二章の「大きな物語」論を絡めつつ、コメントを述べていきたいと思う。

 第二期シリーズということで、東氏に倣って「東浩紀氏のオタク論を読む#」とか「東氏のオタク論を読む・リピュア」とかのタイトルにしようかとも考えた。とくにやってみたかったタイトルは「ぱにょぱにょ東浩紀氏のオタク論を読む」とか「東浩紀氏のオタク論を読むにょ」とかだったのだが……「東浩紀氏のオタク論を読む 春」じゃ何のことかわからんしなぁ……けっきょくおとなしく「続」にしてしまった。まあ何といいますか……。

 なお、この論考は、『WWF No.27』執筆に際して、へーげる奥田・岩田憲明・まつもとあきら・鈴谷了各氏とウェブ上で討論したときの私の発言をもとに構成したものである。この討論の参加者各位に深く感謝する。当然ながら、この論考の文責は清瀬にある。この討論の一部は『WWF No.27』に「座談 『動物化するポストモダン』の人間学」として収録されている。

 

「超平面性」と「過視性」

 

 東氏は、コンピューターネットワークのウェブ(WWW)の世界のあり方を分析し、その特徴を「超平面性」と「過視性」ということばで表現している。

 ここでウェブが出てくるのは、「オタク」論で展開した「ポストモダン」世界のあり方がウェブによく表れているという流れである。「オタク」論が「ポストモダン」の原理的な考察であり、「理論編」であるのに対して、このHTML論は「ポストモダン」の「美学」の考察であり、「応用編」なのだそうだ。

 では、HTMLとウェブの世界について、東氏が「超平面性」・「過視性」と呼んでいるのはどういう特徴なのか? ここでは、まず、東氏の議論の流れに従って、HTMLについてかんたんに紹介し、問題になる点を拾い上げたあと、東氏のいう「超平面性」・「過視性」へと話を進めていこうと思う。

 

HTMLとは?

 

 まず、HTMLについて、その概略を紹介し、ここで問題になる特徴を拾い上げよう。

 ウェブ上の(広い意味での)ホームページの多くは「HTML」という方式(「言語」)で情報が組み立てられている。そのページにネットスケープナビゲーターやインターネットエクスプローラーなどの閲覧ソフト(ブラウザ)を使ってアクセスすると、その情報にしたがって文字や画像が配置しなおされて、ホームページが読めるようになる。

 ところで、ホームページで広く使われているHTMLとはどんな言語(情報をやりとりする方式)だろうか?

 それは、かんたんに言えば、ワープロソフトなどで人間に読ませるために普通に書いた文章に、コンピューターへの指示を挟みこんでいくという方式だ。改行して欲しいところには「改行せよ」という指示を、段落を分けるときには「ここからここまで一段落」という指示を、箇条書きにしたいときには「ここからここまで箇条書きで、箇条書きの項目はこれとこれとこれ……」というような指示を挟みこんでいく。

 HTMLでは、人間向けの文章の部分とコンピューターへの指示の部分を区別するために、コンピューターへの指示は<>で囲って表示するという決まりになっている。たとえば、

 

・改行する箇所には<br>

・段落の最初には<p>、段落の最後には</p>

・箇条書き(番号なし)のばあいは、箇条書きにする部分の最初に<ul>、最後に</ul>と書き、箇条書きにする項目は<li>と</li>ではさむ

 

という規則があるわけだ。

 

HTMLの見えかたは情報の受け手によって決められる

 

 このHTMLには、その文書がどう見えるかが最終的には情報の受け手の側によって決められるという特徴がある。

 たとえば本やパンフレットや同人誌などの印刷物のばあいには、読み手には作り手の側が印刷したとおりにしか見えない。文字の大きさは作り手の指定したとおりの大きさになる。一行の文字数なども変えられない。

 しかし、(広い意味での)ホームページは、そのホームページを見ようとしているコンピューターによって、さまざまな見えかたをする。DOS/V機(マイクロソフト社のウィンドウズが動く機械)かマッキントッシュかでも違うし、ホームページを閲覧するためのソフトとしてネットスケープナビゲーターを使っているかインターネットエクスプローラーを使っているかでも違う。同じようにマイクロソフト社のウィンドウズの入っている機械でも、自分の機械と隣の机に置いてある機械では見えかたが違うこともあるだろう。

 HTMLは、閲覧ソフト(ブラウザ)を通してそれぞれのコンピューターに文書をどう配置するかを指示する。しかし、本来は、HTMLが<>で囲った部分で指示するのは「ここは見出しである」、「ここは小見出しである」、「ここは普通の文章で一つの段落になっている」というようなことがらだけだ。いちばん大きい見出しをどれぐらいの文字で表示するか、小見出しをどれぐらいの文字で表示するかなどは、そのホームページを表示するコンピューターの側で決める。つまり、HTMLで指示するのは「文書の見せかたについての大ざっぱな指図」にすぎず、HTMLで作られた文書の具体的な見えかたは、基本的に閲覧する側が決めるのだ。

 ただし、現在のように、多くの人たちがホームページを持つようになると、ホームページの見栄えにもいろいろと気をつかうようになる。企業がホームページを持ち、宣伝や企業イメージの向上にホームページを使うようになると、そのホームページの見栄えで企業の業績が左右されたりする。このような事情から、見る機械によって見えかたが違うというHTMLの特徴は、ホームページを作る人や企業にとっては不満足なものになってきた。そこで、そういう要望に対応するため、現在のHTMLはかなりの程度まで細かく「見えかた」を指定できるように改良されている。それでもその「見えかた」を指定するためにはかなりめんどうな指示を書き加えなければならない。また、閲覧する側が一定の形式で文書を読みたいならば、ホームページを作った側の指定を打ち消して、閲覧する側が指定したようにページを表示させることができる。だから、HTMLで作られた文書の見えかたが基本的に閲覧する側によって決められるという特徴は、現在も変わっていない。

 

どれが「本体」と決められないHTMLの情報

 

 では、ホームページの文書の「本体」や「本来の姿」は何なのだろうか?

 それぞれのコンピューターの画面に映し出されるのは、どのコンピューターを使うか、また、どの閲覧ソフトを使うかで見えかたが違う。また、それは、閲覧ソフトでは見えない<>で囲った部分の指示に従って処理され表示された結果にほかならない。だからそれは「本体」や「本来の姿」ではなさそうだ。

 では、<>で囲った部分や、文書の最初にその文書についての情報や指図をまとめて記した「ヘッダ」と呼ばれる部分を含む、もとのHTML文書が「本体」や「本来の姿」なのだろうか?

 たしかに、その情報は、通常は世界でコンピューターネット上のある一つの場所に一つだけ記録されている情報である。

 しかし、それを「本体」や「本来の姿」と呼ぶことができるか? そうでもない。じつは、その場所に行っても、私たちがすぐに読めるかたちで情報が記録されているわけではないからだ。この情報はコンピューター用の記憶装置に記録されている。そこでは、文字も画像情報もすべて最終的には「0」と「1」の二つの記号の並びに変えて記録されている。漢字もひらがなもカタカナも、<>で囲われたコンピューターへの指図も書いていない。それを一定の方式で読み出せば、漢字やひらがなやカタカナや<>で囲われたコンピューターへの指図が読み出せるというだけである。

 では、その「0」と「1」だけで記された情報が「本体」や「本来の姿」なのだろうか? そうでもない。その情報の読み出しかたをまちがえば、それは何の意味もない文字列になってしまう。たとえば、日本語で記した情報なのに、中国語の読み出しかたで読み出そうとすれば、わけのわからない漢字が並ぶだけの情報になってしまう。それを「本体」とか「本来の姿」とか呼ぶのはやっぱり変だ。

 たしかに「0」と「1」だけで記された情報がなければホームページの文書は読めないのだが、同時に、それを読み出す一定の手順がなければその情報は何の意味も持たない。その一定の手順は、ホームページの情報を書きこむソフトやそれを閲覧するためのソフトに書きこまれている。そして、その閲覧ソフトを通し、閲覧ソフトをインストールしてあるコンピューターの画面で見れば、その閲覧ソフトとコンピューターの条件によって、見えかたは違ってしまう。

 

作者の特権的な地位も消滅する

 

 それならば、作者が文書を作るときに見ているものが情報の「本来の姿」なのだろうか?

 HTMLを使って文書を作るとき、作者はそのHTMLによって文書がどのように見えるかを確かめながら作っている。しかし、その作者も、たいていのばあいは自分が作っているページがどんなふうに見えるかをネットスケープナビゲーターやインターネットエクスプローラーで確認しながら見ている。それは他の閲覧者が持っているのと同じ閲覧ソフトに過ぎない。だから、作者が作るときに見ている文書の情報の見えかたは、じつは他の閲覧者が見ているのと同じ「情報の一つの解釈」に過ぎないのだ。それを、作者が見ているからという理由で、とくに「本来の姿」と呼んで区別することもできない。

 ホームページの作者としては「このページを見たいやつはおれとおんなじ環境で閲覧しろよ!」と言いたいのはやまやまかも知れないが、そんなことを要求しても、現実にはネットにはいろいろな種類のコンピューター(PHSや携帯電話も含む)が接続されているし、さまざまなネット閲覧用のソフトが存在するのだから、実現不可能だ。せいぜい「このページはネットスケープナビゲーターのヴァージョンいくつ以上でご覧ください」というようなただし書きを入れられるだけだ。それを指定したところで作者の意図したとおりに見えるという保証は何もない。さらに、液晶画面とブラウン管とでは色の見えかたも違うし、同じ液晶画面でも色の見えかたは違ったりする。

 コンピューターネット上では、情報の「本体」とか「本来の姿」とかいうものをはっきりどれと指定することができないのだ。しかも、その情報を記しているはずの作者が、その文書がどう見えるかということについては「閲覧者の一人」としての情報しか得られない。紙に印刷したメディアでははっきりしていた作者の特権的地位は、HTMLを使って作成される情報では消滅するのだ。

 

HTMLの特徴は他のコンピューター上の情報でも同様だ

 

 こういう特徴は、HTMLだけでなく、コンピューター上の情報に広くあてはまる。東氏は『動物化するポストモダン』の一五四〜一五六頁で画像ファイルを例にそのことを示している。画像ファイルも、コンピューターの記憶装置上ではやはり「0」と「1」だけでできた情報として記録されていて、それを画像として読みとるにはやはり一定の方式が必要だ。しかも、画像ファイルのばあいには、読みとるひとのディスプレーの状態や、色表示の方式、プリントアウトするときにはプリンタの機種やインクの状態などで、色合いや画像の大きさにいろいろな違いが出てくる(これで何度も泣いた経験をお持ちの方も多いだろう……)。

 コンピューターネットワーク上で「作者」の特権的な地位が失われるのも同じだ。

 ここの「作者の特権的な地位」をめぐる議論は、ネットワーク上に載せられたデータの内容についての知的財産権の話ではない。ネットワークに載った文章であれ、画像であれ、またはゲームであれ、作者の権利は社会的に保護されなければならない。ここで「特権的な地位」と言っているのは、作品のことはその作品の作者がいちばんよく知っていて、他の人はどうあがいても作者の理解には太刀打ちできないというような作者の立場のことだ。小説とか芸術作品ではそういう「作者の特権的な地位」が成り立ち得る。だが、コンピューター上で「0」と「1」が並んだだけのデータになってしまえば、作者がそのコンピューター上のデータのことをいちばんよく知っているわけでもなく、作者がコンピューター上のデータをいちばんよく操ることができるわけでもない。だから、その作者の特権的な地位は根拠を失うのだ。

 たとえば、現在ではホームページの作成ソフトが普及しているので、<>で囲ったコンピューターへの指図部分(タグ)の意味なんかまったくわからなくてもホームページを作ることができる。そういうホームページの作者が、<>で囲ったコンピューターへの指図部分があるままのかたちでHTMLの文書を見せられても、何のことかさっぱりわからないに違いない――まぎれもなく自分で作ったものであるにもかかわらず! 逆に、作者とはまったく面識のないひとが、そのHTMLの文書を作者よりよく理解し、そのHTML文書を作者より巧く組み立てて、より作者の主張が伝わりやすく細工することだってできる。

 さらに、そのホームページが「0」と「1」だけの文字の並びになってコンピューターの記憶装置に入っているのを見せられれば、コンピューターについて相当に詳しい知識を持っているひとでなければ、それが何を意味するかまったくわからないだろう。逆に、コンピューターについて詳しい知識を持っているひとならば、作者の言っている内容はまったくわからなくても、そのデータ自体を作者よりも巧く加工することができるかも知れない。画像などでもコンピューター上に載せてしまえば同じことが言える。

 作者が表面に出していないものごとや、隠しておこうと思っていたものごとも、(法的にはともかく)技術的にはコンピューターネットワークを使えばかんたんに見ることができる。いや、それどころか、作者自身が、そんなデータがあると思ってもみなかったものが他人から見えてしまうことだってあるのだ。

 それは、コンピューター上のデータは、どんなデータでも作者以外の人間によって作者には思いもつかないような悪質な書き換えをされてしまう可能性があるということでもある。

 コンピューターとネットワークの発展によって、作者は、自分の作品に対して持っている特別な地位を失った。「その作品については、どんな面についても、作者がいちばんよく知っており、作者がいちばんよくその作品を操ることができる」という考えかたがただの思いこみに過ぎないことを、コンピューターとネットワークの発展は明らかにしてしまったのである。

 

リンクが階層関係を無意味なものにしてしまう

 

 HTMLには別の特徴もある。「リンク」によってほかのページに飛ぶことができるという特徴だ。

 たとえば、この文章に関係するページを

 

 ●東浩紀氏のホームページ

  http://www.hirokiazuma.com/

 ●東氏のオタク論を特集したWWFの『WWF No.26』のページ

  http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/w26_idx.htm

 ●東氏のオタク論を特集したWWFの『WWF No.27』のページ

  http://www.yk.rim.or.jp/~h_okuda/wwf/w27_idx.htm

 ●宮台真司氏のホームページ

  http://www.miyadai.com/

 ●清瀬の「東浩紀氏のオタク論を読む」のページ

  http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/musasabi/0305_0.htm"

 

のように並べることができる。この四つのページのデータはインターネット上のまったく別の場所に保管されている。しかしリンクの字面だけ見て、そこをクリックするだけならば、そんなことは意識しなくてすむ。リンクをたどってみても、意識すれば「別の場所から読み出した情報だ」ということには気づくだろうけれども、それで何か不便だったり読み出すのに手間がかかったりするわけではない。まったく別のサイトのページに飛ぶほうが同じサイト内のページに飛ぶより速い――なんてこともよく起こる。

 

「超平面性」――ウェブ上の世界の「広がり」の果てしなさ

 

 このように、HTMLで作成されたインターネット上のデータでは、リンクを使うことで、データがどこにどのように保存されているかという階層構造を完全に無視してつながっていくことができる。

 だから、目的を持って調べものをしているようなばあいは別にして、そのときの気分でHTML上でリンクをたどっていくと、ちょっとした偶然で予想もしないところにたどり着いてしまうことがある。リンクを五回も六回もたどりつづけると、最初に見ようとしていたページとはほとんど関連のなさそうな内容のページにたどり着いたりする。私のページなんか、京都府加茂町にある古京跡「恭仁京を訪れる」http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/musasabi/0401_2.htm のページからいきなり『マリア様がみてる』http://www.gokigenyou.com/のページに飛んだりするからねぇ……。HTMLによって連絡されたウェブの世界は、そのときの気分でたどっているとどこにたどり着いてしまうかわからない、とんでもない「広がり」を持っている。

 ウェブの世界では、そこに載せられているデータのあいだの階層関係が完全に無視される。また、コンピューター上のデータになってしまえば、「作者がその作品についてはいちばんよく知っており、作者がその作品をいちばん巧く操れる」という思いこみがまさに思いこみに過ぎないことがすぐにわかってしまう。また、データが(具体的にはデータを掲載した広い意味でのホームページが)リンクで果てしなく結ばれることで、ウェブ上の世界はとんでもない「広がり」を持っているように感じられる。

 この「階層がなく、特権的なだれかか管理しているわけでもなく、果てしなくどこまでも横並びに広がっている」というウェブ上の世界のあり方を、東氏は「超平面性」と呼んでいる(この概念は「オタク」的なものに興味を寄せる美術家の村上隆の「スーパーフラット」ということばに触発されたものらしい)。

 

HTMLと「ポストモダン」時代

 

 でも、考えてみれば、こういうHTMLの特徴やコンピューターのデータの特徴は、コンピューターという道具とそれを動かすための技術によって生み出されたもので、とくに「超平面性」というような難しげなことばを使って表現する必要はなさそうに思える(いや、まあ、それを言ったらおしまいなのだが……)。

 東氏があえてその特徴を「超平面性」などと呼んで概念化するのは、その「超平面」的なウェブ世界のあり方が、東氏の言う「ポストモダン」社会の特徴をよく表現していると考えるからだ。

 なお、東氏は、世界的には冷戦終結の時期、日本では阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件・『新世紀エヴァンゲリオン』放映などの「事件」のつづいた一九九五年を境にして、「近代」とは明らかに異なった「近代後」の時代に入ったと考えている。その時代を東氏は「ポストモダン」(「近代後の時代」)と呼んでいる。このことばに違和感を感じる人は、とりあえずは「ポストモダン」を「現代」と読み替えていただいてもいいと思う。

 ところで、東氏の「ポストモダン」ということばの使いかたは、時代区分として使用しているという点にも特徴がある。思想面では、「近代思想の後に来る思想」と位置づけられる思想は「ポストモダン」思想と呼ばれる。しかし、東氏は、この思想上の「ポストモダン」は「ポストモダニズム」と呼んで、時代区分としての「ポストモダン」とは区別している。つまり、「ポストモダン」時代にも「ポストモダニズム」以外の思想はあるし、近代にも「ポストモダニズム」があっていいことになる。

 

「だれにも見えない」ものと「だれにでも見える」もの

 

 東氏によれば、「ポストモダン」より前の「近代」には、「だれにでも見えるもの」は一通りに厳密に決められており、「見えないもの」がその背後にあって「だれにでも見えるもの」の見えかたを決定しているという階層構造があった。

 たとえば、本として刊行された小説は、その本に書いてあるのが小説の唯一の本文なのであって、一行が何字で、何行で一ページになっているか、どこでページを改めるか、装丁をどうするかなども基本的に作者がコントロールしている。

 また、著名な作家の本や話題作などならば、雑誌のインタビューなどでその本を書いた動機などが語られることもある。しかし、そこで語られる内容も作者がコントロールできる。

 実際には、出版社から出せば編集者がいろいろと手を入れるので、厳密な意味で作者が完全にその作品に関する情報をコントロールできるわけではないけれども、少なくとも「作者+担当編集者」の組みで作品についての情報は完全にコントロールできていた。

 作者には、作品のなかであえて語らずにいたことや、作品の背後にこめたメッセージ、そのメッセージを思いつくにいたった個人的な体験など、いろいろと「語られないもの」がある。そういう「語られないもの」が背後にあって「語られたもの」が存在し、その「語られたもの」は「語られないもの」によってコントロールされていると見ることができる。

 より一般的に言えば、「だれにでも見える(読める、見える、聞ける、触れられる……)もの」の背後には「だれにも見えない(語られない、見せられない、聞かせられない、触れられない……)もの」があって、「だれにも見えない」ものが「だれにでも見える」ものをコントロールしているという構造があったと表現できる。

 東氏は、ここに「近代」の「表現」や「情報」の本質的なあり方を見ている。何かを書いたり芸術作品を作ったりする側は、何かはっきりしていないものをはっきりと示すために文章を書いたり作品を作ったりする。「だれにも見えない」ものを「だれにでも見える」ものにすることが、文章を書くとか、芸術作品を作るとかいう「表現」の行為だったのだ。また、文章を読む側や、芸術作品に接する側は、その「だれにでも見える」作品に接することで、その背後にいる意味とか時代背景とかの「だれにも見えない」ものをその作品から読み取ろうとする。情報の送り手は「だれにも見えない」ものを「だれにでも見える」ものに変え、情報の受け手は「だれにでも見える」ものから「だれにも見えない」ものをできるだけ引き出そうとする。それが「近代」の「表現」行為であり、「近代」で情報というものが担っていた役割だったというわけだ。

 この階層構造が崩れたのが「ポストモダン」社会の特徴だと東氏はいう。それがこういうウェブ世界のあり方に表れているというだ。

 

「過視性」とは何か?

 

 そのような「超平面性」を持つ「ポストモダン」社会では、「見えるもの」に接した者は、その背後にある「見えないもの」を「見えるもの」に変えてそのすべてに接したいという欲望に駆られる。そのような「ポストモダン」社会の欲望の性格を東氏は「過視」性と呼んでいる。これは、「過度に可視的であること」の略、つまり「見えすぎてしまうこと」というような意味らしい。

 『動物化するポストモダン』第二章での東氏の議論によると、「ポストモダン」の世界は、キャラクターから物語そのものまで、「どれがオリジナルでどれがコピーか区別がつかない似たようなもの」である「シミュラークル」によって満たされている。そのシミュラークルは膨大な「データベース」から採ったデータを組み合わせることで組み立てられている。少女キャラクターのを例にすると、髪の毛の色が黒か緑色かピンクか、くせっ毛かどうか、髪は長いか短いか、三つ編みかどうか、瞳の色は何色か、眼鏡っ子かどうか、無表情かどうか、背は高いか低いか、元気か病弱か――などの膨大なデータの選択肢があり、その選択肢から要素を引っぱってくることで少女キャラクターが作られるとする。

 これを東氏は「データベース」構造とか「大きな非物語」とか呼んでいる。「オタク系の文化」について、さらには「ポストモダン」文化全体についての東氏のこの見かたが妥当なものかどうかは、たぶん別に議論する必要があるだろう。けれども、その検討は後回しにして、ここでは「過視性」の話をつづけたいと思う。

 このような構造のもとで、一つのシミュラークルに接した者は、背後にあるデータベースの全体を手に入れたいと願うようになる。しかし、膨大なデータベース全般に接しようとしても、接するたびに引き出されるのは個々のデータに過ぎず、その個々のデータが構成する別のシミュラークルが形成されるだけで、データベースそのものは手に入れることができない。したがって、「ポストモダン」社会では、ひとつの「シミュラークル」から「超越」したレベルに存在するはずの「データベース」を手に入れようとする試みは、「上の階層」へ上るというかたちには結びつかない。

 なぜなら、「超平面性」のところで論じたように、「ポストモダン」社会ではデータどうしの階層的なつながりは無意味なものになっているからだ。HTML上のリンクでつないでしまえば、もともと何かの階層構造があったとしても、そんなものには関係なくデータとデータがつながってしまう。だから、そういう構造のあるところで「上の階層」のものを求めても、それは「上の階層」にはけっしてたどり着かない。

 もしかすると何かの意味での「上の階層」はあるのかも知れず、どれかのリンクをたどればその意味で「上の階層」につながっているのかも知れない。けれども、リンク構造が階層の上下関係を無視しまうのだから、どれが「上の階層」かということがまったく確定できないのだ。たとえば、清瀬の「恭仁京を訪れる」のページからリンクをたどって「マリア様がみてる」のホームページに飛んだとしても、「マリア様がみてる」のページの「上の階層」に清瀬の駄文が載っているなどというマリア様にも祥子さまにも畏れ多いことなどけっしてないわけだし、もちろん「マリア様がみてる」の「下の階層」に拙文が載っているというこれまた畏れ多いこともないわけだ。「恭仁京を訪れる」のページから「ホームページ「さんごのくに」へ」というリンクをたどって飛べばいちおう私のホームページに飛ぶけれども、私のホームページが「恭仁京を訪れる」のファイルより「上の階層」とはかぎらない。たしかに私はホームページ「さんごのくに」を「恭仁京を訪れる」より上の階層だと考えてページを構成している。しかし、「さんごのくに」のページは要するにおもに私の書きもの(たいへんありがたいことに鈴谷 了さんにも寄稿していただいています)を集めたページへの入り口に過ぎない。だれかが古代史のページや京都府加茂町の名所旧跡を紹介するページを作って、そこに私の「恭仁京を訪れる」へのリンクを作ってくださったなら、そのページのほうが「恭仁京を訪れる」のページの「上の階層」にはふさわしいかも知れない。何が「上の階層」かが確定できないのだ。

 だから、「上の階層」にあるはずの「データベース」を求めて果てしなくリンクをたどっても、せいぜい「横滑り」して新たな別のシミュラークルを手に入れることができるだけだ。「上の階層」を「上の階層」と確定する方法が最初からないのだから、そうなるしかない。

 しかも、いくら欲望を満足させようと努力を重ねても、欲望を満足させることはできず、欲望を持つようにいざなうリンクだけは果てしなく現れてくる。このように「見えすぎてしまう(リンクでかんたんに飛べてしまう)ことで、いつまで経っても欲望が満足されない状態」が東氏のいう「過視性」なのである。

 また、「超平面」的な世界では、「だれにでも見える」ものと「だれにも見えない」ものの区別があいまいになってしまう。だから、一見、「だれにも見えない」ようなものに到達したとしても、それがほんとうに「だれにも見えない」ものなのかはわからない。「だれにも見えない」ような感じはしても、実際には自分以外の多くの人が見ているものかも知れない。しかも、その「だれにも見えない」ものが「上の階層」にあるという確信はさらに持ちようがない。

 

東氏の議論の危うい部分

 

 以上に紹介したのが、東氏が『動物化するポストモダン』の第三章「一 超平面性と過視性」で進めている議論の概略である。私の解釈がかなり入っているので、もしかすると東氏の言いたいこととは異なった点が出てきてしまったかも知れないが、ともかく私自身は東氏の議論をいま書いたように理解している。

 ここの議論にはいろいろと危うい部分がある。

 まず、「近代」から「ポストモダン」への移行についてどう考えるかだ。東氏の議論は、「ポストモダン」社会は「近代」社会とはまったく違った構造の社会へと移行しているという見かたに基づいている。しかし、二〇世紀半ばごろと一九九〇年前後からあとの現在とで、社会のあり方は本質的には変わっていないと見ることもできる。また、東氏が「ポストモダン」の特徴として挙げている現象は、むしろ近代より前から人間の社会のなかに存在し、それが「近代」の物質的制約から解き放たれたことで表面に出てきただけだという見かたをすることもできる。

 また、東氏は、第二章で、「オタク」や「オタク系文化」のあり方に「ポストモダン」社会の構造がよく表れていると論じ、第三章ではHTMLによって組み立てられるウェブページと、そのウェブページが織りなすウェブの空間がやはり「ポストモダン」社会の構造をよく表現したものと位置づけて、それをつなげることで「超平面性」や「過視性」についての議論をしている。逆に言えば、「オタク」や「オタク系文化」は一九九〇年代以後の社会では例外的な存在に過ぎず、あるいは、一時的な流行に過ぎず、また、ウェブというのは人びとがときどき使う便利な道具の一つに過ぎないのであって、そのウェブの構造は現代世界そのものの構造とは無関係だという立場に立てば、この東氏の議論は単なるこじつけにすぎないことになってしまう。

 そして、少なくとも『動物化するポストモダン』一冊にかぎって言えば、東氏は、一九九〇年前後を境にして世界は「近代」とは根本的に異なる時代に移行したことも、「オタク」や「オタク系文化」が「ポストモダン」社会のあり方を代表していることも、HTMLやウェブの構造が「ポストモダン」世界のあり方をよく反映していることも、十分に論証しているとは思えない。

 

「超平面性」論への疑問点

 

 そこで、この東氏の議論について、まず指摘したいのは、東氏の想定する「ポストモダン」の人間像の問題である。

 「データベース」論にしても、「超平面性」・「過視性」論にしても、そこで想定されている人間像は「近代」の人間のあり方を引き継いでいるように思える。

 東氏の「ポストモダン」論では、「ポストモダン」の人間は、「だれにでも見えるもの」の背後に「だれにも見えないもの」がない世界に生きているのに、なお「だれにも見えないもの」を求めて「超平面」的な世界を「横滑り」しながらうろつき回る。

 しかし、そもそも、どうして「だれにも見えないもの」などない世界に生きながらなおその「だれにも見えないもの」を求めて世界をうろつき回るのだろうか? これが東氏の「ポストモダン」の人間像に感じる疑問点である。

 もう少し詳しく説明しよう。

 

「近代」の「大きな物語」とは?

 

 東氏によれば、「近代」には、どんな物語にも背後にさらに「大きな物語」が存在したという。

 「大きな物語」という表現を使うと、また「物語」ということばが論争の的になるのだけれども、この「物語」という概念が適当かどうかという問題はここではとり上げない(というか、その手の文句は前から何度も並べているので、『WWF』シリーズの過去の「萌え」特集を参照されたい)。ここでは、さっき書いた「だれにも見えない」ものと「だれにでも見える」ものとの関係と関連させて考えたい。

 「だれにでも見える」ものは「だれにも見えない」ものに支えられていて、表現するとは「だれにも見えない」ものを「だれにでも見える」ようなものにすること、表現を解釈するとは「だれにでも見える」ものから「だれにも見えない」ことを探っていくことだ。そういう考えかたを先に書いた。

 この「だれにも見えない」ものは、じつは大きな整然とした構造を作っている――そういう想定が、この「大きな物語」論だと考えればいい。

 たとえばある小説家が新しい小説を書いたとする。その小説は「だれにでも見える(読める)」ものとして世に出る。またその小説はそれだけで一つの「物語」を構成している。

 しかし、その小説を、その小説家がこれまで書いてきた小説と合わせて考えてみると、新作の小説一本だけを読んでいたのではわからない「その小説家が書きたかったこと」がわかってくる。その小説家へのインタビューとか、かつてその小説家が関係したスキャンダルの事実とかを考え合わせると、さらに「その小説家が書きたかったこと」に迫れるかも知れない。インタビュー記事や世に知られたスキャンダルの記録なども「だれにでも見える」ものである。その小説家にまつわるさまざまな「だれにでも見える(読める)」ものを通して、私たちはその小説家の「だれにも見えない」部分を読み解くことができる。

 けれどもそれで終わりではない。その小説家の小説を、たとえば、二〇世紀前半の小説家の作品や、同時代の他の小説家の小説と比較して読んでみる。あるいは外国の小説と合わせて読んでみる。そうすると、その小説家の小説も、日本の文学の流れや世界の文学の傾向のなかのどこかに位置づけることができる。逆に、それを通して、これまで「だれにも見えない」ものだった日本文学や世界文学の流れや傾向を見出すことができる。さらに、それは、音楽や演劇など別の分野の作品や、政治情勢や経済情勢と照らし合わせることで、「だれにも見えない」ものだった「時代の流れ」や「その時代の世界観」のようなものを読みとることができるかも知れない。

 その過程を逆にしてみよう。まず、大きな「時代の流れ」や「その時代の世界観」のようなものがある。これが「大きな物語」だ。その流れや世界観の影響で文学界の流れや世界観が決まり、その文学界の流れや世界観のなかである一人の小説家がどんな小説を書くかが決まり、その作風やテーマがどう変化するかが決まる。そういう流れや世界観のなかで出てきたのがこんど出たその小説家の新作であると――いうことになる。

 こういうふうに解釈するのが「近代」の考えかただと東氏は言っている。

 だから、この「近代」のモデルでは、「だれにも見えないもの」は整然とした構造を持っていると想定されている。それを人びとが理解できるかどうかは別として、「だれにも見えないもの」は論理的にきちんと語れる成り立ちをしている。そう想定されているのだ。そこでは、一つひとつの作品を読み解くとは、その整然とした構造を探り出すことであり、またそうでなければ意味がないとされる。

 この考えかたは、たしかに「近代」的な学術や批評の根本にある考えかただろう。

 そして、そういう考えかたが、一九九〇年代以来、危機に直面しているということは、それはそれで理解できる。

 

「近代」の方法もじつは「横滑り」である

 

 つぎに、この「近代」の「大きな物語」のある世界と、東氏のいう「ポストモダン」の「超平面」的な世界との対比へと話を進める。だが、その前に、この「近代」の「大きな物語」の存在を前提にした考えかたの特徴をひとつ明らかにしておきたい。

 それは、「近代」の学術や批評の探究の方法も、実際は「横滑り」しかしていないということである。

 いま、私は、ある小説家の最新作を位置づけるのに、その小説家の他の作品などと較べて読み、つぎに他の小説家の小説や外国文学などと較べて読み、さらに音楽界・演劇界の同好や政治・経済情勢と合わせて読むという過程で、「時代の流れ」や「その時代の世界観」へと接近していくという例を挙げた。そして、その「時代の流れ」や「世界観」が「大きな物語」であると書いた。「近代」の考えかたでは、こうやって「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼっていくのだというわけである。

 しかし、実際にやっている過程を考えてみよう。

 ある小説家の最新作を読む。つづいて、その小説家の他の作品を読む。べつに最新作と他の作品とのあいだに階層の上下関係があるわけではない。最新作でない作品のほうを先に読み、その最新作でない作品からより「大きな物語」へとさかのぼりたいために最新作も読んでみるという方法も成り立ちうるからだ。最新作のあとに他の作品を読むことで、より「大きな物語」に近い「上の階層」に行けるならば、他の作品を先に読んで最新作を読んでも「上の階層」に行ける。したがって、最新作と他の作品のあいだに階層の上下関係はないのだ。

 他の小説家や外国の文学を読む。別の時代の小説も読んでみる。同じように、読んでいる個々の小説は、やはり一本の小説という点では「いま問題にしている小説家の最新作」とは変わりがない。したがってやっぱり階層の上下関係はない。音楽界・演劇界のトピックや政治・経済ニュースと小説家の最新作とのあいだにも階層の上下関係はない。

 つまり、「近代」の「大きな物語」探究の方法も、実際にはあるデータから別のデータへと「横滑り」しているだけなのだ。ただ、「横滑り」を繰り返せば、それによって「上の階層」へ到達でき、それによって「大きな物語」を解明できるという思いこみが存在した。それだけのことなのである。

 では、そう考えたとき、「大きな物語」のある「近代」と「超平面」的な「ポストモダン」との違いは何か? 「近代」には、データからデータへの「横滑り」を繰り返すことで「大きな物語」へと接近できると考えられていたのが、「ポストモダン」では「横滑り」を繰り返しても「大きな物語」に接近できると考えられなくなったという点だ。「近代」は「横滑り」していなくて、「ポストモダン」になってとつぜん「横滑り」するようになったということではないのではなかろうか?

 

へーげる奥田氏の「偉そうな行動」論との関係

 

 もうひとつ、ここで、「だれにでも見える」ものから「だれにも見えない」ものへとさかのぼるという方法と、へーげる奥田氏が指摘する「偉そうな行動」論との関係について書いておこうと思う。この「偉そうな行動」論は、「近代」の知的な営みを衝き動かす原動力をよく説明できていると思うのである。

 奥田氏の「偉そうな行動」論は『WWF No.27』収録の「『動物化するポストモダン』に関する私的対案」の四二〜四三頁などに出ている議論である(買ってない人はぜひ買ってください……と『WWF』ナンバーズの宣伝をしておこう)。私の視点で乱暴に要約すると、人間は最低限の労力で最大限に「偉そう」に見える効果を狙って行動する本能を持っているという議論である。この考えかたは制度派経済学者ヴェブレンが『有閑階級の理論』などで展開した「見せびらかしの消費」論に基づいているようだ。

 人間に自分を「偉そう」に見せたいという欲求があるとするならば、「だれにでも見える」ものから「だれにも見えない」ものにさかのぼろうとする動機は説明できる。

 「だれにでも見える」ものの世界から「だれにも見えない」ものへとさかのぼり、それを「だれにでも見える」ものに変えることができれば、そのひとはその「だれにでも見える」ものの第一発見者ということになる。第一発見者はとりあえず「偉い」。そういうことになっている。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したとか、コペルニクスが地動説を「発見」したとかで名まえが残っていることからも第一発見者が「偉い」ことは明らかだ。そういう感覚がある。だから、第一発見者になれば「偉そう」に見せたいという欲求を満足させることができる。だからひとは「だれにでも見える」ものから「だれにも見えない」ものにさかのぼろうとするという説明である。

 私は、「だれにも見えない」ものを「だれにでも見える」ものに変えたいという欲求に、他人にどう思われるかには関係なく「少しでも真理に近づきたい」という「高尚」な欲求があることも認める。だが、すべての「近代」人がいつもそんな「真理への欲求」のようなものに衝き動かされていたと考えるのは「近代」を理想化しすぎた考えだと思う。やはり、最低限の労力で「偉そうにしたい」という欲求が、「近代」の人たちが「上の階層」へさかのぼろうとする原動力になっていたという説明が成り立つのではないかと私は思う。

 なお、私の読んだところでは、奥田氏も私と同じように「近代」と「ポストモダン」を区別する視点には立っていないように思える。だから、奥田氏の理論は基本的に「近代」の人びとの行動にも「ポストモダン」の人びとの行動にも同じようにあてはまることになる。

 それを、強引な適用のしかたであることは承知で、あえて「近代」と「ポストモダン」とを区別する枠組に適用するとどうなるか?

 変わったのは人間のほうではない。少なくとも人間性全般ではない。人間は「近代」でも「ポストモダン」でも「偉そう」にするためにデータを集める。

 すると、やはり、変化は、データを集めれば「上の階層」に行けると信じられていたのが「近代」で、そう信じられなくなったのが「ポストモダン」だということになるのではないか?

 ここに挙げた二つの考えかたから、「近代」と「ポストモダン」で人間の行動の原理は基本的に変わっていないという見通しが得られる。「近代」でも「ポストモダン」でも「横滑り」しながらデータを集めているという動き自体は変わっていないし、その動機として自分を「偉そう」に見せたいという欲求があるという点も同じだというわけだ。

 では、変わったのは何か?

 

「大きな物語」がないのに?

 

 こういうことを考えてみたのは、東氏の議論では、「ポストモダン」の「超平面」的な世界で「オタク」たちがなぜなお「上の階層」を求めるのかの説明が難しいと思ったからである。

 東浩紀氏は、一九九〇年前後ごろを境に「近代」のモデルは完全に通用しなくなったという。世界規模で言えば冷戦構造の崩壊で、日本では阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件・『新世紀エヴァンゲリオン』の放映などで、「大きな物語」などというものは存在しないことが明らかになってしまった(つまり、東理論によると、日本人にとって冷戦崩壊は時代を区切るほどの大事件ではなかった――ということか?)。存在するのは個々のばらばらの要素を収録した「データベース」だけなのだ。そして、その「データベース」から要素を引き出して組み合わせることでこの世界の「作品」は作られている。それが東氏の「データベース」論の概略である。

 そういう世界で、「オタク」たちは、なお個々の「小さな物語」の向こうにあるものを追い求める。

 なぜなんだ?

 「近代」の世界では、個々の「小さな物語」から、さまざまな情報を集めることでさかのぼっていけば、より「大きな物語」へと到達できた。「だれにでも見えるもの」からさかのぼっていけば「だれにも見えないもの」の整然とした構造を多少なりとも解き明かすことができた。だから、人びとは、個々の「小さな物語」からより「大きな物語」へと、また、「だれにでも見えるもの」から「だれにも見えないもの」へと探索を進めて行ったのだ。

 「ポストモダン」には、「小さな物語」はあっても「大きな物語」はない。また「だれにでも見えるもの」と「だれにも見えないもの」の境界は消滅する。それだけではない。「だれにでも見えるもの」はいくつものかたちをとって現れ、そのうちどの一つのあり方が「本体」や「本来の姿」であるかも確定できない。さらに「だれにも見えないもの」ももしかするとほんとうは「だれにでも見えるもの」かも知れないという疑いを拭いきれない。

 だったら、端的に、「小さな物語」からその背後にさかのぼったり、「だれにでも見えるもの」から「上の階層」のものを求めて「だれにも見えないもの」を探ったりするのをやめればいいではないか?

 

「解離的な共存」論の不可思議

 

 東氏は、「動物化」ということばで、個々の「要素」に動物的な興奮を感じただけで満足してしまう「オタク」たちの性格を表現している。たとえば、美少女キャラの「猫耳」とか「メイド服」とか「しっぽ」とかいう「要素」に接すれば、それだけで興奮を感じて満足してしまう。それが「萌え」だというのだ。

 ほんとうにそうなのかということはとりあえずここでは論じない。ここでの問題は、「オタク」に代表される「ポストモダン」の人たちが「萌え」で満足するのならば、その背後にある「データベース」を手に入れたいなどという欲望を起こす理由はいったい何なんだということである。「要素」に「萌え」て終わってしまうのなら、そこで終わればいい。「データベース」や「上の階層」になんか関心を払わないと考えたほうがすっきりするのではないか?

 東氏は、この問題を「シミュラークルの水準での動物性とデータベースの水準での人間性の解離的な共存」(『動物化するポストモダン』一四〇頁)と書いている。

 「解離的」というのは東氏が精神分析から持ってきたことばで、東氏の議論を読み解く鍵となる重要なことばだと思う。『波状言論』01号で展開されている映画『アイデンティティ』論や西尾維新氏へのインタビューの背後にもこの「解離的」なあり方への関心が一貫して流れている(『波状言論』は東氏のメールマガジンで、「バックナンバーは、一号二五〇円で@niftyの@payサービスを使って販売しています」とのこと)。ここでは、とりあえず、この「解離的」なあり方を「どう見ても共存するはずのないものが共存・同居している」というぐらいに考えておくことにしたい。

 「近代」の社会では、「データベースの水準」に相当する「大きな物語」の水準に人間が感心を持つ理由が、「シミュラークルの水準」に相当する「小さな物語」の水準から説明できた。「偉そう」にしたいからかそうでないかは別にして、ともかくさかのぼることで「大きな物語」を解き明かすことができる――「だれにも見えないもの」を自分の手で「だれにでも見えるもの」に変えていけるからだ。

 だが、「ポストモダン」社会ではその二つの「水準」にはまったく関係がないと東氏は言う。では、かつて「大きな物語」が存在した「データベースの水準」へと人間を駆り立てる原動力の説明がつかなくなってしまうではないか?

 

動機はいったい何だ?

 

 「だから東理論はでたらめなんだ」と片づけてしまうとコトはかんたんなのだが、それは禁じ手ということにして、もう少し考察を進めてみようと思う。

 二つの考えかたができると思う。

 一つは、ついこのあいだまでつづいた「近代」の惰性だという考えかたである。

 「近代」では「小さな物語」から「大きな物語」にさかのぼることで「大きな物語」の「だれにも見えない」構造を発見することができた。ほんとうにそんなたいしたものが発見できたかどうかは別として、自分の発見したものが「大きな物語」の構造につながるものにちがいないと思いこむことができた。それが身についてしまっているので、「大きな物語」がない時代になってもつい習慣で「小さな物語」の背後を探ってしまうのだ。そういう考えかたである。

 この考えかたをとれば、人間はそのうち「ポストモダン」状況に慣れ、やがては「大きな物語」や「だれにも見えないもの」の探索をやめるだろうという結論になる。人間は完全に「動物化」してしまい、「解離的」に「データベースの水準」で辛うじて持ちつづけていた「人間性」を捨ててしまうだろう。そこで「動物化」時代が完成するのである。

 しかし、東氏の論理では、どうもそうではなさそうである。

 もし「ポストモダン」社会で人間が完全に「動物化」してしまうならば、「解離的」ということ――「共存するはずがないのに共存している」ということにこだわる必要は何もなくなる。現状では「解離的」に「データベース」の水準では人間だとしても、惰性が消えれば「データベース」の水準での人間性は消滅するのだから、そうなれば「解離的」も何もあったものではなくなる。

 また、「近代」の惰性で「人間性」が残っているのなら、東氏のいう「第三世代オタク」は完全に「動物化」しているはずだ。東氏のいう「第三世代オタク」は、一九九〇年前後以後に一〇歳代になった人たちで、「近代」の思考法をほとんど身につけていないはずなのだ。しかし、実際には、一九九〇年代に一〇歳代になったであろう人たちも、掲示板に書きこんだり同人誌や同人ソフトを作ったりして活発な「人間」的活動を展開している。

 ということは、もうひとつの考えかたをしなければならない。

 「ポストモダン」社会にも人間を「人間」的活動に駆り立てる独自の動力があるのだ。「大きな物語」がなく、あるのは「データベース」だけだと気づいていても、「だれにも見えないもの」など存在せず、もし存在するにしてもそんなものに何の意味もないと勘づいていても、人間はその「データベース」しか存在しない「超平面的」な世界をはいずり回る積極的な動機を持っているのである。

 では、その動機とはいったい何だろうか? いったん、先に述べた「偉そうな行動」論はなかったことにして、考察を進めよう。

 

「意味を見出したい」という欲求なのか?

 

 東氏の論理によれば、「近代」では、「小さな物語」や「だれにでも見えるもの」からさかのぼれば「大きな物語」や「だれにも見えないもの」に到達でき、その世界の構造を解き明かせるものだった。ここまでの議論では、「近代」の人びとは、その構造を解き明かして意味を見出したいために、「大きな物語」や「だれにも見えないもの」へとさかのぼるのだといちおう考えておいた。

 先に「大きな物語」とは「時代の流れ」や「その時代の世界観」のようなものだと先に書いた。もう少し言うと、それは「自分はどんな時代に生きているか」という問いに対する整然とした答えのようなものだと思う。つまり「なんだかわからない時代だし、これからもどうなるかわかりませんねぇ」というような答えではない、もっとすっきりした答えである。

 「近代」の人たちはその「時代の流れ」や「世界観」を実感し、そのなかで自分が生きている意味を見つけ出したいと求めていた。そのために「近代」の人たちは身近な「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼろうとした。もう少し具体的に言うと、読んだ小説や観た映画から自分の生きている時代の意味を考えたり、新聞で報道された事件や身近で見聞きしたできごとが自分の生きている時代のなかでどんな位置づけにある事件なのかを考えたりしていた。それは「自分はどんな時代に生きているか」の意味をはっきりさせたいという欲求に基づいていた。

 しかし、それはほんとうだろうか?

 答えにくい問いである。「そのとおりだ」という答えと、「そんなことないんじゃない」という答えと、両方を思いつくからだ。

 

「近代」にはたしかに「大きな物語」感があった

 

 「そのとおりだ」という答えから書いてみよう。そのうえで、「しかし必ずしもそうでもないのでは?」という答えへと話を持っていきたいと思う。

 日本の「近代」をいつからいつまでと考えるかがまず問題になる。ここでは、東氏の議論の枠組を考えて、いちおう一九四五年の敗戦から一九七〇年代が「近代」の典型的な時代だったとしたい。東氏は一九四五年を日本文化にとっての大きな断絶点と考えているし(『動物化するポストモダン』二四〜二五頁)、また、一九七〇年代から社会の「ポストモダン」化の一つの中心的な時期だとしているからだ(一〇四頁)。

 この二〇世紀半ばの日本には、たしかに「大きな物語」と呼べるような「時代の流れ」感や「共通の世界観がある」という感覚が日本社会に共有されていたように私は思う。

 技術革新と経済成長の成果がどんどん日々の生活のなかに入ってきて、生活が目に見えて「近代的」になっていった時代だ。敗戦の痛手から立ち直り、「平和で経済的に豊かな国」への発展に日本に住む多くの人たちが手応えを感じていた時代でもある。

 その時代をどう感じるかは、人によって、それぞれの経験によって、またそれぞれの世界観や思想的立場によって、さまざまだっただろう。政治的立場を見ても、急進的な社会主義革命を目指す人たちから、戦前の国家体制の復活を求める人たちまでさまざまな人がいた。また、「近代化」していく社会を住みやすいと考える人もいれば、「古き良き」ものが失われていくことに寂しさや危機感を感じていた人もいるだろう。しかし、自分の生きている時代がどういう時代かという「時代の流れ」像には一致している部分があったのではないか。

 この時代は、文学や批評や学術(いちおう人文・社会科学系の学術に限定する)にとっても、少なくとも現在よりは幸福な時代だった。文学や批評や学術の「権威」が専門家以外の人たちにも通用していた。人びとは、これも少なくとも現在よりは、文学者や批評家や学者など専門家の書いたものを「権威」あるものとして受け入れていた。

 一九五〇年ごろだったか、戦時中に亡くなった哲学者の西田幾多郎の全集が出た。それを買い求める人たちが長い行列を作っている写真を見たことがある。また、一九七〇年ごろの大学では、実際に読んでいるかどうかは別として、大学生にもなれば、マルクスの書いたものの一冊や二冊は読んでいることにしないと学生たちのあいだでばかにされたという話もきいたことがある。

 専門家以外の人たちが求めるものと、専門家が世のなかに供給するものとのあいだの落差がそれほど大きく開いていない時代だった。専門家以外の人たちも専門家が感じる「時代の流れ」感と、専門家以外の人たちが感じる「時代の流れ」感とのあいだに共通するものが多くあった。そんななかで、たしかに専門家の言うことは、「だれにでも見えること」から「だれにも見えないこと」へと探索を進める大きな手がかりとして信用されていたのだ。

 

社会の情報量の少なさ

 

 ただし、その時代像も割り引いて考える必要がある。

 まず、二〇世紀中ごろに社会に出回っている専門的知識はまだまだ限られたものだった。専門的知識を一般向けに解説した本もそれほど多くなかった。現在ならばインターネットで検索すれば容易に手に入るような知識を得ようとすると、遠くの図書館まで文献を探しに行かなければ得られないこともあった。せっかく見ることのできた文献も、専門用語が多くてわけがわからず、けっきょく何のことやらわからないまま遠い図書館から帰ってくるしかないこともあった。また、日本語の文献がなく、自分で英語文献を翻訳しなければならないこともあった。

 なぜ社会に出回っている専門的知識が少なかったかというと、まず、日本が現在に較べるとまだ経済的に豊かでなかったからだ。

 また、出版技術にも制約があった。ワードプロセッサーなどというけっこうなものはなく、出版物は、ペンで原稿用紙に原稿を書いて、それをもとに印刷工場の工員さんが一字ずつ活字を拾って、一頁単位で「版」を組み、それにインクを塗って印刷していた。一字ずつ文字を拾っていくのだから、現在のワープロの「変換ミス」などからするとはるかに多くのまちがいも発生した(活字が横向きとか逆向きとかもあった。いまではわざと指定しなければこんなことは起こらない)。だから何度も何度も校正を繰り返さなければいけない。同じ分量の文章を印刷物にするまでの手間が、現在とは桁違いに多かったのである。

 テレビやラジオなどの電波メディアでも、放送時間自体が短かったし、情報を電波に載せるまでの時間と手間は印刷物と同様に多くかかった。もちろんコンピューターネットワークなどというのはごく一部の専門家のものでしかなかった。しかも、短い電子メールの送信から受信まで何日もかかるという、いまではとうてい信じられない効率の悪いものでしかなかった。

 知識や情報の絶対量が少なかったのだから、その世界で知識や情報を持ち、また知識や情報をどうやって手に入れてどう解釈すればいいかを知っている人は貴重な存在だった。インターネットも自動翻訳ソフトもないのだから、専門家の言っていることを専門家以外の立場でひっくり返すのは非常に難しかった。どんな問題でも、桁違いの知識と情報を持っている――少なくとも持っているはずの専門家の意見をきかないと、考える手がかりが十分に得られなかった。

 こう考えると、社会の情報量の少なさが条件となって、「大きな物語」が存在するという感覚を必然のものにしていたということができるだろう。

 

情報量の少なさが「大きな物語」を存在させていた

 

 世界について多様な見かた・語りかたをしようにも、出版物でも電波でも、媒体に載せられるものの分量が限られているのだから、多くの人びとが接することのできる「世界についての見かた」の全体量は限られている。しかも、出版物でも電波メディアでも、なるだけ多くの人に受け入れられるような情報を流そうとするわけだから、広く受け入れられそうにない見かた・語りかたはメディアに載るまえに排除されてしまう。

 また、その時代には、専門家になるのもたいへんな手間と時間とおカネがかかった。

 大学に進学するというだけで、相当に選りすぐられた人びと、つまりエリートだったのである。現在は大学院も大衆化したので、もしかすると、現在の大学院修士課程の学生ぐらいか、もしかするとそれ以上の「エリート度」が当時の大学生には認められていたかも知れない。「マルクスを読んでいないと話にならない」なんて話をしていたのはそういう大学生たちだった。だから、大学への進学率が飛躍的に高くなって必ずしも「エリート」ではなくなった現在の学生たちと、その時代のエリート学生たちとを較べるのは、条件が違いすぎて適切ではないと私は思う。

 大学で学ばずに独学で専門家になった人もいるけれども、専門家の多くはその大学での教育・研究を経て専門家になっていった。大学や大学院で一つの分野を研究する人の数は限られている。そういう狭い世界で多かれ少なかれ接触を重ね議論を重ねて専門家になっていくのである。だから、専門家のあいだでもものの見かたはだいたい限られた方向にまとまって行く。

 同じような教養を持ち、同じような大学教育を受けた者が専門家集団を形成する。専門家のなかにはいろいろな考えの人がいるけれども、その知識の基礎の部分はだいたい共通している。

 そういう人たちの発言のうち、さらに広く受け入れられそうな部分だけが、出版物や電波メディアに載って日本に広がっていく。専門家以外の人たちはそれ以外のところからなかなか知識も情報も得られない。疑いを感じたとしても、その疑いを発展させる方法が乏しいのだ。

 そうすると、けっきょくそこで語られたことの共通部分が世のなか全般の「時代の流れ」感として受け入れられていくことになる。それが「大きな物語」と東氏が呼んでいるものに相当するのだろう。

 たしかに、二〇世紀半ばの「近代」時代には、日本の復興、経済成長、外国に目を転じれば米ソ二大陣営の対立と自由主義‐社会主義の思想対立、そしてそのなかでともかくも維持される日本の「平和」と、時代を単純に割り切って捉えやすい条件が揃っていた。しかし、それと同時に、ある一定の基礎に立った考えかたが社会の「主流」の考えかたとして流れ、定着しやすい条件もあったのだ。

 少しまとめを入れておこう。

 「近代」には、「大きな物語」が存在し、人びとは自分が身近に接する「小さな物語」から「大きな物語」にさかのぼろうという欲求を持ち、その欲求によって「小さな物語」と「大きな物語」がつながれていた。「小さな物語」とは「だれにでも見えるもの」であり、「大きな物語」は「だれにも見えないもの」だけれども、整然とした構造を持ったものとして想定されている。それが東氏の考えかたである。

 それに対して、私は、そういう面が日本の「近代」にあったことは認めるけれども、それはさまざまな経済的・社会的条件によって決められた性格でもあるという点を強調した。

 東氏の図式では、「近代」の人間はその「小さな物語」から「時代の流れ」のような「大きな物語」へとさかのぼっていったという。

 あるいはそうしていたのかも知れない。けれども、一つには、それは、「近代」人の本来的な欲求というより、ものを考えるにも社会にはそういう道筋しか用意されていなかったからだと考えることもできる。

 

「近代」の人たちはいつもさかのぼっていたのか?

 

 それに、「近代」の人たちがものを考えるときに、必ず「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼるような考えかたをしていたとのだろうか?

 安保闘争のころのことだったか、学生デモで東京の街が騒然としたとき、後楽園球場も満員だったといって驚いた人がいるらしい。なお、後楽園球場というのはいまの東京ドームの前身である。

 安保闘争に学生が参加した動機はさまざまだろうけれど、いちおうは「大きな物語」を意識した運動だということができる。しかし、後楽園球場に集まった人たちが、その時代の日本の「大きな物語」を意識していたと言えるのだろうか? たとえば、巨人が勝つか負けるかとか、だれがホームランを打つかとか、だれかが致命的なところでエラーをして勝つはずのゲームを負けたのはけしからんとか考えることが、時代の「大きな物語」へとさかのぼる道としての意味を社会的に持ったのだろうか?

 それはプロ野球が日本の「大きな物語」にまったく無関係だというわけではない。野球というスポーツが人気を集めたことには、当然、戦後日本の社会に対するアメリカ文化の影響があるわけだし、また、それは経済成長で日本人の生活に余裕が出てきたことのあかしでもある(現在では日本経済の混乱ぶりの象徴?)。けれども、プロ野球を観戦して、選手一人ひとりのプレーやチームの勝ち負けに一喜一憂することが、日本や世界を覆う「大きな物語」にさかのぼる思考として意味を持っただろうか?

 それは日々の仕事でもそうだ。会社で働く。その経済活動は、たぶん日本の経済成長を支え、日本の資本主義を発展させ、もしかすると資本主義社会の矛盾を拡大するというかたちで、「大きな物語」につながってはいるだろう。しかし、営業のひとが営業の成績に一喜一憂することや、工員さんが不良品が多いといって会社から怒られることは、いちいち全社会を覆うような「大きな物語」につながったのだろうか?

 では、「近代」の人たちは、野球の応援をしているときや会社で働いているときには、ものを考えなかった――「知」的な営みをしなかったのだろうか?

 そんなことはあるまいと思う。

 

「近代」の人びとも「データベース消費」していた

 

 「近代」の人びとの思考だって、けっしてすべてが「大きな物語」にさかのぼっていくものではなかった。

 野球のファンは、それぞれのチームの強さ弱さや、主な選手のプロフィール、投手ならどんな球種を持っているか、打者ならばどんな球と相性がいいか、どの選手は長打はめったに打たないけれども安定してヒットを飛ばすし、どの選手は三振も多いけれどもホームランも多い……などという「データ」を自分のなかに持っているものである。

 しかし、そういう「データ」がどんなに蓄積していっても、その「知っていること」が「大きな物語」のレベルへと上昇していくとは限らない。個々の選手のデータやチームのデータを集めているうちに野球界やスポーツ界全体の「大きな物語」に興味を持つようになってスポーツライターになっていくようなファンはごく少数だろう。多くのファンの行動は、社会的に見れば、ただ「データベース」から「データ」を引き出し、一つの「データ」で物足りなくなったらまたほかの種類の「データ」を集めるというかたちで、東氏のいう「横滑り」を繰り返していく。それはべつに「ポストモダン」の野球ファンだけではなく、安保闘争時代の野球ファンから基本的なあり方は変わっていないだろうと思う。

 また、会社のなかで営業の仕事を担当している会社員がいたとして、その仕事の現場の「知」とはどんなものだろうか? どこの会社はどういう品質の製品を求めているかとか、どこの会社の担当者は何が趣味で、どういう話をしたら話に乗ってくれるかとか、どこの会社は担当者にいくら話を通しておいても社長のひとことで契約がひっくり返ることがあるとか、そういう数限りない「データ」を蓄積していくのが、その営業現場にいちばん適した「知」ではないだろうか?

 その営業の仕事のなかから、たとえば「いまどういう経営が求められているか」という「大きな物語」に開眼して、その「大きな」議論が上層部の目に留まり、経営陣に加わっていく会社員も、それはいることはいるだろう(逆にうるさがられてつぶされるひとはもっといるかも知れないけど)。しかし、多くの営業担当者は、抽象的な経営論ではなく、できるだけ多くの自社製品の情報やライバル会社の製品の情報や相手先企業やそこの担当者の情報といった「データ」を集めることに関心を集中させるだろう。「データベース」からどんどん「データ」を引き出しながら、しかも、社会的に見れば、それは「大きな物語」にさかのぼることなく、その関心はデータからデータへと「横滑り」していくだけだ。それが会社での仕事の「知」のあり方ではないのだろうか?

 東氏が指摘する「オタク」的な「知」のあり方は、べつに「ポストモダン」時代になってはじめて登場したものではないように私には思える。「近代」時代から、とくに「上の階層」に移行せず、果てしなく「横滑り」をつづけるような「知」のあり方は日常生活のなかにあった。むしろそれはありふれた「知」のあり方だったかも知れない。

 

「近代」的な「知」は限られた分野のもの

 

 「近代」のなかでも、文学や批評や学術といった限られた分野の「知」が、社会的に見れば、「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼっていくような様式を持っていただけなのだ。

 だとすれば、「近代」から「ポストモダン」への移行とは、その文学や批評や学術に見られた考えかたの様式が消え失せただけということになる。

 では、なぜ消え失せたのか? 冷戦の終結とか、「理想としての社会主義」が破綻したこととか、公害問題とか地球環境問題が出てきたこととか、時代の変化は確かに大きく影響している。しかし、それと同時に、「近代」に人びとの「知」を「小さな物語」から一つの「大きな物語」へと向かわせていたさまざまな条件が消え去ったことも影響しているのではないだろうか。

 情報はどこからでも手に入るようになった。世界じゅうからさまざまな「ものの考えかた」が飛びこんでくる。アメリカ合衆国のニューヨークやワシントンで起こった大規模テロ事件から生まれた「テロに対する戦争」の思考も、近代化のひずみに苦しむイスラム圏の貧困な街から生まれたイスラム原理主義的「ジハード」の思考も、私たちの目や耳の届くところにまで伝えられてくる。テレビで専門家の言ったことに疑問を感じれば、インターネットの検索エンジンにキーワードを入力して自分で調べればいい。世界には、多様な考えかたをする多様な人びとがいて、それが一つの整然とした構造を持つ「大きな物語」の下にまとまっているとはどう見ても考えられない。私たちの日常生活のレベルでそういう実感が感じられるようになってきたのだ。

 また、専門家だって、さまざまな分野でさまざまな経歴の専門家が出てきて、それが社会全体に向けて発言するようになった。大学を出て大学院に入り、研究を重ね、その研究の蓄積を背景に発言する昔ながらの知識人もいる。しかし、大学を出ていても、その学歴とは関係なく専門的な知識や技能を身につけ、それを背景に発言する専門家も増えてきたつまり、大学院でデリダを研究し、ギャルゲーについて発言する東氏のような知識人もふつうに存在するようになってきたのだ。

 メディアで伝えられる情報量の飛躍的な増大で、昔ならば一部の人にしか知られず、一部の人にしか発言が伝えられなかったような専門家でも、広く一般向けに発言することが多くなってきた。そんなに手間もコストもかからない。どこのマスコミも取材に来なくても、自分でホームページを立ち上げて情報を流せばいいのだ。

 だから、私は、東氏の言う「大きな物語」の「凋落」を、たんに「大きな物語」が力を失ったものとは考えていない。たしかに相対的には力を失ったといえるだろう。しかし、それは、「近代」時代には「大きな物語」がさまざまな制約から社会に一つしか存在しなかったのに対して、「ポストモダン」時代には「大きな物語」となりうる「物語」が大量に存在するようになったからだ。さまざまな情報が大量に流通するようになって、それが一つの社会のなかで複数の「大きな物語」を構成するようになった。それによって「一つの大きな物語」が存在し得なくなったのだ。いわば「大きな物語」を目指す有力な諸「物語」の「群雄割拠」状況が出現した。それが「ポストモダン」社会なのだと私は思う。

 そういう社会的状況のなかで、「大きな物語」へとさかのぼっていく思考が消滅してしまった。

 そう考えてこの考察を終わりにしていいのではないか?

 

よくない!

 

 それでは最初に立てた問いへの答えにはならない。

 ここで言う「問い」とは――?

 「ポストモダン」になって「大きな物語」がなくなり、「近代」に「大きな物語」のあった階層には「データベース」が居すわっている。「大きな物語」がなくなった以上、「ポストモダン」の人びとは「小さな物語」の階層からその「データベース」の階層にさかのぼらなくてもいいはずだ。それなのに、なぜ「ポストモダン」の人びとは、人格を「解離」させてまで、しかもさかのぼれないことはわかりきっているはずなのに、「データベース」階層にさかのぼろうとむだな努力をするのだろうか?

 ――というものだった。それに対して「「大きな物語」へとさかのぼっていく思考が消滅してしまった」では答えにならない。というより、こんな答えが出てきたのでは、設問自体がおかしいということになってしまう。ところが、「設問自体がおかしい」、つまり東氏の理論がまちがっているという答えは、先に禁じ手にしておいた。なお、「偉そうな行動」論による説明も、いまはいちおう「なかったこと」にしている。

 ということで、もう少し、さっきの考えのつづきを展開してみることにしよう。

 

一人ひとりが自分自身の「物語」を組み立てる

 

 では、野球選手やチームについてさまざまな「データ」を持っている野球ファンや、取引先企業の特徴やその担当者の性格について膨大な「データ」を持っている営業職の会社員、そしてアニメやゲームについて膨大な「データ」を持っている「オタク」――そういう人たちの「知」には、「階層化」は無縁のものなのだろうか?

 私はそうは思わない。

 たしかに、社会的に見れば、そういう「知」は同じ「階層」で果てしなく「横滑り」をつづけているだけだ。先に私はそう書いた。野球ファンが野球についてどんなにデータを蓄積しても、それが社会の「大きな物語」につながっていくことはあまりないし、会社の営業のひとが取引先についてのデータをどんなに蓄積しても、それをもとに評論家やエコノミストになって経済の「大きな物語」に参加していくことはあまり多くないはずだと書いた。

 社会的に見ればそうだと思う。けれども、一人ひとりについて個人的なレベルで見れば、どうだろうか?

 そこには、自分の「知」を一つにまとめるような「物語」はまったく存在しないのだろうか?

 そんなことはないと思う。

 たとえば、プロ野球のファンだったら、自分の好きなチームなり選手なりが決まっていて、それを中心として、そのプロ野球に関する「知」が組み立てられて固有の「物語」を形成しているのではないかと思う。

 たとえば、鈴谷 了さんの「タイガースファンの「心理」とタイガースフィーバー」(http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/musasabi/0307_1.htm)によると、阪神タイガースのファンは、いかにタイガースを熱狂的に支持していても、タイガースが「常勝」球団になることは別に望まない傾向があるという。それに対して、巨人ファンは当然のごとくジャイアンツが「常勝」球団になることを望んでいるという(「「幻想」の担い手としてのタイガース」の章(http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/musasabi/0307_5.htm))。ファンが野球に対して持っている「物語」自体が違うのである。それは別の球団のファンでも同じだろう。

 それは企業の営業担当者でも同じだと思う。営業の仕事を例にとれば、営業でいろいろな企業を回っているうちに、「こういう企業側担当者とは自分は相性がいい」とか「こういうふうに話を持っていったら営業は必ず失敗する」とかいうかたちで、その人の「知」は整理されていく。それは、社会全体から見れば、同じような情報をただ「横滑り」しながらデータを集めているだけかも知れない。だが、そのデータは、その人自身のなかでは、その人自身しか持っていない「物語」を組み立てていくのだ。そして、その「物語」は「これからはこういう業種が伸びるはずだ」とか「これだから日本の××業はだめなんだ」というに発展していくかも知れない。ただ、それは、論文を経済誌に載せたり、経済評論家として自立していくには十分な程度にまでは論理的にまとめられてはいないのが普通だろう。

 公的な性格の強い新聞・雑誌などのメディアで発言するほどきちんと構成されていないことを、公的な性格の強いメディアに少しも認知されていないひとでも気軽に発言できるようになったのがインターネットの掲示板やメーリングリストであるわけで、「言論」の場はインターネットの普及で大きく変わったとも言える。だが、ここではそのことには深入りしないで先に進もう。

 

「オタク」の強烈な「物語」志向

 

 では、「オタク」ではどうだろうか?

 「オタク」にもいろいろなひとがいるだろう。けれども、私がこれまで接してきた「オタク」のうち、「典型的なオタク」と思えるような人たちの像を思い浮かべてみれば、その「オタク」たちはおそらくみんな強烈な自分自身の「物語」を持っていたように思う。

 どのアニメのどのキャラの声は何という声優でなければいけないとか、だれかが作画監督を務めた話数は特別に「萌え」るとか、何とかいう作品は何という制作会社には絶対に作らせたくないとか、ラジオドラマとアニメで配役が違うのは何とかいう会社の陰謀だとか、何というアニメのアクションシーンに出てくる何とかいう銃器は作品で描かれているほどの貫通力はないはずなのでおかしいとか、ともかく「オタク」の人たちは「〜〜は……である」とか「〜〜は……でなければならない」とかいう考えを非常に強く持っている。「〜〜は……ではなかろうか」という抑制のきいたおとなしいものではなく、もっと断定的で強烈な考えを強固に持っている。それが「典型的なオタク」に共通するところのように思えるのだ。

 もっとも、その強烈な考えをどこで表に出すかについては「オタク」は場所を選ぶ。ふだんはそれをあまり声高に口に出しては言わないけれども、コミックマーケットで同じ作品に関心があるひとを見つけると勢いよくしゃべりはじめるひともいる。

 「オタク」が持っている「〜〜は……である」とか「〜〜は……でなければならない」とかいう考えは、ただ「データベース」からでたらめに引きだしてきたものをたんにでたらめに配列して組み上げたものではない。たぶん、「データベース」から引き出してきたというところまでは正しいと考えてさしつかえない。しかし、一人ひとりの「オタク」は、そうやって引き出してきた「データ」を、自分の世界観や倫理観に合わせて構成しなおしている。それは、その「オタク」一人ひとりが強固に持っている「物語」であると解釈してさしつかえないのではないか?

 少なくとも、私の実感では、「オタク」と呼ばれる人たちは自分の抱いている「物語」に非常に強い執着を持っているように思える。

 

「降りる」自由は「近代」からあった

 

 東氏は、「オタク」の社交性について、それはつねに「降りる」自由を留保しつづけており、したがって「近代」の社交性とは本質的に違うのだという趣旨のことを書いている(『動物化するポストモダン』一三七頁)。たしかにそういう面はあるだろう。けれども、すぐに逃げるとか降りたがるとかいう面だけではなく、「オタク」の一人ひとりが強烈な「物語」志向を持っているという点にももっと注目していいのではないかと思う。

 それに、議論がわずらわしくなったら「降りる」自由を留保しているのが「オタク」や「ポストモダン」の人びとだけだという発想も理解できない。

 「近代」でも議論がすれ違ったままなんとなく終わってしまった論争はいろいろとあるはずだ。それに、東氏は、「降りる自由」を留保した「オタク」の「社交性」を、親族や地域共同体の「社交性」と比較しているけれども、これはいくらなんでも比較対象がおかしい。二〇世紀半ばごろまでの都市化の進んでいなかった社会ではたしかに親族や地域共同体の「社交性」から離脱するのは難しかっただろう。しかし、「近代」でも、いつでも離脱可能な「社交性」はいくらでも存在したはずだ。というより、ありきたりな社会発展論から言えば、家族や離脱できない地域共同体のように「降りる自由」がない共同体だけに人間が縛られている時代は「近代」ですらないはずである。私自身は、「近代」の前の「中世」ですら、人間は絶対に離脱できない共同体のしがらみのなかでだけ生きていたとは考えていない。

 

東氏の「オタク」像は極端すぎる

 

 ここに限らず、東氏は、「ポストモダン」人は「近代」人と違うことを強調したいためか、「オタク」の特異さを極端に描きがちな傾向がある。

 その例として、「オタク」の「萌え」を薬物依存と同じと断定しているところを挙げるられるだろう。

 「あるキャラクター・デザインやある声優の声に出会って以来、脳の結線が変わってしまったかのように同じ絵や声が頭のなかで回り続け」るという「オタク」の心理状態を「薬物依存」と同じだと東氏は書く(『動物化するポストモダン』一二九頁)。けれども、激しい恋愛のばあいにはこれに似たことが起こるのではないだろうか? 少なくとも、そういう恋愛感情を「近代」の物語や音楽は繰り返し描いてきたのではないか? もしこれを「薬物依存」というのならばそう呼んでもいい。しかし、そういう心理状態は「オタク」文化に固有のものではなく、むしろ「近代」以来しつこく繰り返し描写されてきたもののはずだ。そういえば、ベルリオーズの『幻想交響曲』も、ワーグナーの『ニーベルンゲンの指輪』も『トリスタンとイゾルデ』も恋と薬物の物語だったよなぁ。

 東氏が書きたいのは、おそらく、「近代」の文学や音楽が描いてきた「恋への耽溺」のような感覚は「フェティシズム」であり、現在の「オタク」の「萌え」はそれとは違うということなんだと思う。「フェティシズム」には、自分の存在が溶けてなくなるほどの危機を感じさせる、危うい狂おしい感覚があるはずだ。ところが「オタク」たちの「萌え」感情にはその危うさや狂おしさがない。それを「薬物依存」のようだと書いているのだろう。

 けれども、私は「オタク」の「萌え」感情に危うさや狂おしさがないとは思わない。表面的にそういうものがないように装っているからといって、ほんとうに「オタク」がそういう危うさや狂おしさとの葛藤を経験していないとは言えないと思う。

 この先は私にもよくわからないし、「違う!」という強硬な意見もたぶん出てくるものと思う。そのことをまずお断りした上で私の見通しを書くと、「オタク」は「萌え」感情を持った対象に「フェティシズム」的に没入するのを最初から制御して抑えているのではないか。

 「オタク」がアニメやゲームのキャラクターに身体的な愛を求める感情をもし持ったとしても、それを遂げられないことは最初からはっきりしている。つまり、その感情はこちらの片思いを超えることができないわけで、それでも身体的な愛を求めつづけるには相当な覚悟が必要である。そのことがわかっているから、「オタク」はおそらくアニメやゲームのキャラクターへの身体的な愛の感覚が発展しないように最初から制御してしまっている。ましてそれを口に出したり態度で表現したりはしない。そう考えることだってできるはずだ。

 つまり、「オタク」はその「萌え」感情を危うく狂おしい「フェティシュ」に発展するのを「判断力」で「知的」に制御しているのかも知れない。だからといって、「オタク」が危うさや狂おしさとの葛藤を経験していないとは言えないと思う。

 

人間は世界を「物語」的に解釈するものだ

 

 話が少し脇道に入った。話をもとに戻したい。

 私は、人間は世界を「物語」的に解釈するものだと思っている。そのほうが効率よく記憶のなかに取りこめるからだ。

 ここでは、人間一人ひとりが持っている世界を解釈するための体系とか、それによって解釈した世界の記憶とかをひとまとめにして「物語」と呼ぶことにしたい。そういうものが社会とか世界とかいうレベルで共有されたのが「大きな物語」だと私は思う。だから、こういうふうに「物語」ということばを使っても、「大きな物語」論でいう「物語」の意味とつながると私は判断している。このことはあとで議論したい。

 新しく知ったものごとを、自分がすでに持っている「物語」(解釈するための体系とか、それによって解釈したことの記憶とか)の上に位置づければ、その新しく知ったものごとを説明するための「物語」(解釈するための体系)を一から覚えるよりずっと楽である。また、外から新しい「物語」が入ってきたとしても、自分の持っている「物語」と対比させながら情報を整理すれば手間がかからなくてすむ。少なくとも、新しい「物語」の構造を最初から理解して自分のなかに取りこむばあいよりもずっと楽だ。

 人間はそういうふうに世界を認識して記憶していくものではないだろうか?

 たとえば、まったく英語を知らない状態から英語を勉強するのはかなり難しい。単語一つひとつの意味を理解し、それを文法的知識に照らしながら理解を進めなければいけないからだ。しかも、人間の記憶力には大きな限界があり、相互に関連のないばらばらのことがらを覚えるのが非常に不得手だ。だから、英語を習い始めてそんなに経たないうちは(いや、かなり経っても!)、関係代名詞でぞろぞろつながった長い文なんかだと、最後のほうの単語の意味を把握したときには文の最初のほうの単語の意味を忘れていたりする。

 しかし、何年も英語を勉強していると、英語自体の言い回しとか癖とかに慣れてきて、わからない単語があってもなんとなく意味はとれるようになるのではないだろうか? それに、英語のほかに「第二外国語」を勉強しはじめたら、英語の最初で文法の初歩とかかんたんな構文とかで非常に苦労したときと較べれば、ずいぶんすいすいと初歩の部分を進めることができるように感じるのではないだろうか?

 最初のころは「英語とはこういうものだ」という「物語」(解釈するための体系や、それによって解釈したことの記憶)がないので、英語の一つひとつの要素を確かめながら覚えていかなければならない。しかし、学びつづけていると、「英語とはこういうものだ」とか「外国語とはこういうものだ」という「物語」が自分のなかでできてくる。その自分の持っている「物語」に新しく出会ったことを照らし合わせるから、理解はより容易になる。

 もっといえば、人間は自分のなかに「物語」を持っていて、それとの類比を通してしかものごとを認識したり理解したりすることができないのではないかとさえ思う。これは、柄谷行人氏が「差異」ということばを強調しつつ述べていたことと同じような考えかただと私自身は思っているけれど……もしかしたら違うかも知れない。

 

東氏と私との「オタク」観の違い

 

 人間は、自分のなかに「物語」(世界を解釈するための体系や、それによって世界を解釈した記憶、または解釈した世界の記憶)を持っているだけではなく、自分以外のものもこの「物語」によって解釈し、そして自分以外のものにもこの「物語」を押しつけるものだ。

 人間は、「自分」の領域がどこからどこまでかを知る以前から人間は「物語」を持ち、それによって世界を解釈するようになる。だから、自分以外のものにもその「物語」を押しつけてしまって当然である。

 家庭での教育も学校教育も、店で傍若無人な態度をとって店員にいやな顔をされたり目からビームを浴びせられたりすることまで含めて、教育を受けるというのは、その「物語」解釈が通用する範囲を制限し、自分のどういう「物語」がどの範囲まで通用するかを教えられていく過程でもある。それによって自分の「物語」のあり方を修正し、世界となるべくうまくつき合っていけるような「物語」へと自分の「物語」を作りかえていくのだ。

 私の解釈では、「オタク」はある分野に関する「物語」を非常に豊富に持っているひと、または、自分がある分野に持っている「物語」を自分以外のひとに対して強く主張しようとするひとだと思う。

 たぶん、ここが東氏の「オタク」観と対照的なところなのだろう。

 東氏の「オタク」はそういう「物語」的な解釈を自分のなかに持っていない。ただ、世界を膨大なデータベースと解釈し、そこからデータを持ってきて、データを「物語」に組みこむこともなく一つひとつの要素に「萌え」ているだけの存在なのだろう。

 こういう「オタク」観の違いができるのは、おそらく、東氏の「オタク」体験と私の「オタク」体験が大きく異なるからに違いない。ここで「オタク」体験というのは、自分自身の体験でもあり、また、どういう「オタク」にめぐり遭ってきたかという体験でもある。これはどちらが絶対的に正しいと言うこともできないと私は思う。

 ただ、東氏のような「オタク」像を考えたばあい、やはり、「小さな物語」レベルでの「萌え」で満足するはずの「オタク」が、どうして「データベース」レベルという「上の階層」への欲望を持つのかが説明できないのではないか。しかし、人間はそれぞれの持っている「物語」に沿って世界を解釈したがるもので、それは「近代」でも「ポストモダン」でも変わらないと考えれば、世のなかに「大きな物語」が存在するかどうかにはかかわりなく、「小さな物語」からつねに「上の階層」を目指そうとする動機も理解できる。

 この話を先に進めるまえに、東氏の解釈と私の解釈にはもうひとつ違いがあるということを書いておきたい。

 それは人間性についての解釈の違いだ。東氏は、社会のあり方が「近代」から「ポストモダン」に変わったために人間性が変化し、「オタク」に代表される「ポストモダン」的人間性が出現したと考える。それに対して、私は、現在の「オタク」的な人間性は「近代」の人間性のなかにすでに存在していて、社会の変化によってそれが表面に出てきただけだと考えている。もっとも、私のほうでは、私も「人間性の表れかた」に変化が起こったことは認めているのだから、東氏の認識と大きな差はないと思っている。しかし、東氏のほうから見ると、東氏の解釈と私の解釈には本質的な違いがあると見えるかも知れないとは思う。

 

東氏の「超平面性」論の発想

 

 東氏の議論は人間一人ひとりにとっての「物語」と世のなか全体の「物語」とを区別していない。「近代」には、世のなか全体の「大きな物語」の一部分を人間一人ひとりが分かち持っていたとする。また、「ポストモダン」では、世のなか全体の「データベース」から人間一人ひとりが「データ」を引っぱってきて「萌え」たり「萌え」なかったりしてその「データベース」を消費していると考えている。

 東氏は、「ポストモダン」の人間について、人間一人ひとりの領域は、世のなか全体の「平面」の一部分をただ線引きして区切っただけのものと考えているようだ。その「平面の一部分」に同じ平面上に散らばる「データ」を引っぱってきて、それを単純に「消費」するだけと考えている。というより、そういう「消費」のしかたしかあり得ないと考えているようだ。

 東氏は、そういう「ポストモダン」の人間にも、集められたデータを加工して何かを創り出す創造的な動きがあるとは考えている。しかし、そこで作られるものは、データをいくつか集めて組み合わせただけのものに過ぎず、その人だけが作りうる「オリジナル」なものではとうていない。それは、その人の情熱や努力や技術の問題ではない。どんなに創造性を発揮しても、「ポストモダン」社会ではそういうものしか作れないのだ。データをいくつか集めて組み合わせて作られる「どれも似たようなもの」を東氏は「シミュラークル」と呼んでいる。

 

「ポストモダン」社会でも人間は「オリジナル」を生産する

 

 私はそうは考えない。

 「ポストモダン」時代でも、人間はただ「平面上の区切られた一部分」ではない。世のなかの「データベース」から拾われてきた「データ」は、人間一人ひとりの内部で、その人間が持つその人自身の「物語」によって独特の組み立てかたをされ、その人自身の「物語」に沿って世のなかに放出される。

 たとえて言えば生物の体を形づくる細胞やコンピューターネットワークのなかのコンピューターのようなものだ。細胞は周囲から物質を取りこんで、一部を細胞自身のエネルギーとして消費し、一部を別の物質として周囲に排出する。また、コンピューターネットワーク上のコンピューターは、情報を素通りさせることもあるけれど、情報を取りこみ、それを加工し、一部分を切り捨てたり別の情報をつけ加えたりして、またコンピューターネットワーク上に流す。その加工のしかたは、細胞なら細胞の種類や状態によって異なるし、コンピューターならば、コンピューターのハードウェアの種類やにインストールされているソフトウェアの種類、それにユーザーの意図などによって千差万別である。

 同じように、「ポストモダン」社会の人間も、世のなかの「データベース」から「データ」を集めてきてそれを加工し、加工して作り出したものを世のなかに流す。その人間一人ひとりが持っている「物語」によって加工のされ方が違うので、同じ「データ」を取りこんでも、どんな「データ」がどれぐらい出てくるかは人一人ひとりで違う。だから、同じように世のなかの「データベース」から「データ」を取りこんでそれを加工するのであっても、出てきた結果はそれぞれの人にとっては「オリジナル」なのである。

 

「近代」的な人間の「知」の働きかた

 

 そこで行われていることは、「近代」的な人間が「大きな物語」の存在していたころにやっていた「小さな物語」から「大きな物語」にさかのぼる営みや「だれにでも見えるもの」から「だれにも見えないもの」にさかのぼる営みと同じものである。

 「近代」的な人間は、どのようにして「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼっていたのだろうか?

 「近代」的な人間は、「小さな物語」に接すると、それを自分自身の「物語」と照らし合わせることで、「小さな物語」の背後にある「大きな物語」とはこんなものではないかという仮説を立てる。その仮説が「大きな物語」によく合っていると考えれば、それをもとにさらに「大きな物語」へとさかのぼっていく。もちろん、仮説が否定され、その人の考える「大きな物語」は社会全体の「大きな物語」とは違うのだという結論になることもある。そのときには、自分でいろいろな経験を積んだり他の「小さな物語」に接したりして自分の側の「物語」を変容させるとか、その「小さな物語」を自分の持つ「物語」の別の部分と結びつけてみるとかしてやり直す。ともかく、外から入ってきた「小さな物語」を自分自身の内部の「物語」と結合して組み立てることなしに「大きな物語」へさかのぼるという営みはできないのだ。

 「大きな物語」につながることでなくても、「近代」的な人間は、入ってきた「小さな物語」を自分の「物語」に結合させるという営みをつねにやって来た。「近代」的な人間だけではない。中世人や古代人も同じことをやって来ただろう。それは人間が世界を知り、世界を解釈するときの基本的な営みなのだ。「近代」的な人間が「大きな物語」へさかのぼるというのは、そういう、人間が世界を知り解釈する営みの一つの場合に過ぎない。だから、「ポストモダン」時代になって「大きな物語」がなくなっても、人間は同じことを繰り返している。

 それを、「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼるという、「近代」世界のある一つのあり方に注目していた視点で見れば、「ポストモダン」になってすでに「大きな物語」はなくなったのに、あいかわらず「大きな物語」の存在した「水準」へさかのぼる行動がつづいているというように見える。そこでそれを「解離的な共存」という不可解な事態として捉えざるを得なくなる。

 しかし、変わったのは社会のほうで、人間の営み自体は基本的に変わっていない。古代でも中世でも「近代」でも「ポストモダン」でも変わっていない。ある社会のある局面を基準にして考えるから、人間性が何か変なふうに変化したように見えるだけなのだ。私はそう解釈している。

 私が「オリジナル」性を認めるものを東氏が「オリジナル」性のない「シミュラークル」(どれも似たようなもの)と捉えるのも、視点の違いによる違いだと思う。東氏は、「ポストモダン」に入って社会とともに人間性が変化してしまったために、人間は「シミュラークル」を生み出すことしかできなくなったと考える。しかし、私は、社会が変化したために、人間一人ひとりが生み出すものは「オリジナル」かも知れないのに、それが社会の側で「オリジナル」と認められず、「シミュラークル」としか認識されないのだと解釈する。

 では、どうして人間一人ひとりが生み出したものが「オリジナル」性を持っていても、社会ではそれが「オリジナル」性のない「シミュラークル」としか認識されないのか?

 

「近代」に尊重された「オリジナル」性とは?

 

 ここでひとつ考えてみなければならないのは、「近代」社会では、人間一人ひとりが生み出したものはすべて「オリジナル」として認められ、尊重されていたかということである。

 そんなことはない。

 たとえば、店で売っているりんごやみかんも、その一つひとつがどこかの農家が精魂こめて――こめてない人もいるかも知れないけど――作りだした「オリジナル」の製品である。では、「近代」の時代に社会ではその「オリジナル」性が尊重されていたか? そんなことはない。せいぜい、りんごやみかんの品種と、どこの県産かということが区別されていた程度だと思う。農産物の作者の「オリジナリティー」は、むしろ「ポストモダン」時代に入ってから、グルメ志向や「食の安全」意識から尊重されるようになったぐらいである。

 また、小学生の作文だって、すべてその小学生の「オリジナル」には違いない。ではその小学生の「オリジナル」性は全面的に尊重されてきたか? そんなことはないのであって、課題と違ったことを書いたり、文法的にまちがっていたり、誤字があったりすると先生に朱を入れられる。これは大学生の書いた答案でも同じだ。どんなに「オリジナル」性にあふれていても、問いへの答えになっていなかったり、実験の結果がうまく説明できていなかったり、計算にまちがいがあったり、論理に飛躍があったりしたら減点される。

 「近代」社会でだって、「オリジナル」の「オリジナル」性がすべてのものについて尊重されてきたわけではないのだ。むしろ、それが尊重されてきたのは、文学とか批評とか学術とかいう限られた分野の一部の業績についてだけと考えたほうがいい。

 

「大きな物語」と「オリジナル」性

 

 では、どんなものの「オリジナル」性が高く評価されてきたのか? それは、その時代が持つ「大きな物語」(社会の多くの人が共有する「時代の流れ」感や「世界観」感覚)を解き明かすと思われたものだ。

 文学や批評や学術の分野で、その作品や(学問的な)業績に接したら「大きな物語」の構造がよりよく理解できるとか、いままで「だれにも見えなかったもの」の構造が見てとれるとかいう作品の「オリジナル」性が高く評価された。そうでない作品や業績は、その作品にしかない特徴をどんなに持っていても、「理解できない」とか「混乱している」とか酷評されて一方的に切り捨てられていったのだ。

 「近代」には「大きな物語」や「だれにも見えないもの」にも整然とした構造があると思われていた。その「整然とした構造」が具体的にどんなものなのかを突き止めるのが文学や批評や学術の役割だとされていた。

 具体的な例としてはたとえばマルクス主義が挙げられるだろう。マルクス主義は、人間の生きている世界は階級という構造で組み立てられており、その階級や階級のあり方を決めるのは、社会の生産力とそれに応じた生産様式だという考えかたをする。「大きな物語」や「だれにも見えないもの」が持っている構造は「階級」とか「生産力」とか「生産様式」とかで整然と説明できるという考えがマルクス主義だった。マルクス主義でなくても、「近代」の時代に影響力を持った思想は、「この考えかたを使えば、この世界でいまはよくわかっていないものごと(=だれにも見えないもの)を説明できる」という構想の下に組み立てられていた。

 また、その時代の文学者や批評家や学者は、自分はその「大きな物語」や「だれにも見えないもの」の構造を少しでも解き明かす任務を負っているのだという自負を持っていたのである。「オリジナル」性は、そうした文学者や批評家や学者が「大きな物語」や「だれにも見えないもの」の構造を解き明かしたと評価されたときにはじめて貴重なものと認められたのだ。

 だから、その時代の多くの人が認める「大きな物語」というものが存在しなくなれば、「オリジナル」性を貴重なものとして認める見かたも失われる。そうなればどれもが「どれも何のかわりばえのしない似たようなもの」(シミュラークル)にしか見えなくなってしまう。当然のことである。

 

「オリジナリティー」に満ちあふれた「ポストモダン」世界

 

 じっさい、知的財産権という視点から見れば、じつは「ポストモダン」の世界には「近代」よりはるかに「オリジナル」性を認められたものが満ちあふれているのだ。現在はどんなものが「知的財産」として登録されているかわからない時代だ。あらゆる「思いつき」に「オリジナル」性が認められて「知的財産」(特許や商標)に登録されてしまう。「思いつき」が大量に「知的財産」に認められるのを阻止しているのは、「オリジナル」性についての厳格な検討ではなく(もちろんあからさまな盗用でないかどうかは審査しているだろうけれど)、「知的財産」は公的機関に登録しなければならず、その手続にはおカネと手間がかかるという制度上の制約だ。

 また、じっさい、どんな「思いつき」が役に立つかわからない。情報化や人びとの好みの多様化が進んだ「ポストモダン」の時代には、一つの「思いつき」がまったく予想もしなかった「思いつき」と結びつくことで、大きな価値を生み出す可能性がある。確率は低いけれども、くだらない思いつきとしか感じられないものがいきなり巨万の富を生み出すこともありうるのだ。だから、どんな「思いつき」でも積極的に「知的財産」に登録してしまうという動きがいまもつづいている。「ポストモダン」時代の知的財産権の世界では、「これはシミュラークルであってオリジナルではない」と言って知的財産の登録をためらっていれば、巨万の富を得られる機会をみすみす失ってしまうかも知れない。また、「ポストモダン」時代の役所が「これはシミュラークルだから特許を認めない」とか言って特許の申請を片端から却下していけば、結果としてその国の企業家は外国に片端から特許料を支払わなければならなくなり、国益を損なうことにもなるだろう。

 見かたによっては、「ポストモダン」時代ほど「オリジナル」に満ちあふれた時代はないのだ。

 

では、なぜ「シミュラークル」だらけになった?

 

 こういうふうに見ると、「近代」に評価されていて「ポストモダン」で評価されなくなった「オリジナリティー」というのは、けっして「オリジナル」なものすべてではなく、そのごく一部に過ぎなかったのである。その評価の仕組みが崩れたから「オリジナル」性の評価も崩れ、何もかもが「似たようなもの」として評価されるようになってしまった。

 より詳しく見れば、一つの「オリジナル」の「オリジナル」性について高く評価する人はいるのかも知れない。けれども、別の人はその「オリジナル」性をまったく評価しないかも知れない。「大きな物語」が消失し、また、情報化やグローバル化が進んだことで、その評価のしかたがさまざまに分かれてしまった。それで、社会全体としてどういう「オリジナル」性を高く評価するかという合意が存在しにくくなってしまったのだ。ある一部の人が「これは独特なもので、ほかのものと似たようなものではない!」と主張しても、そんな声は大多数の「よくわからないけど、どうせこれまであったのと似たようなものなんじゃない」という声に打ち消されてしまう。

 「シミュラークルの氾濫」という事態は、けっして人間が作り出すものの性質が変わったから起こったのでも、それを創り出す人間の人間性が変わったから生み出されたものでもない。社会のほうの評価の仕組みが変わった。それだけのことである。なぜ変わったかというと、社会にただ一つの「大きな物語」が消失した――「大きな物語」になりうるものがたくさん存在するようになった――からであり、さらにその原因にさかのぼれば、多様な情報が大量に社会に流れるようになったからである。

 「オリジナリティー」がなくなったのではない。「社会的に尊重すべきオリジナリティー」を評価する基準としては、その社会に一つしかない「大きな物語」(「時代の流れ」感や「世界観」感覚)が必要だった。「ポストモダン」時代にはそれがなくなったので、社会で「オリジナリティー」への評価を一致させられなくなってしまった。だから、「社会的に尊重すべきオリジナリティー」がはっきりしなくなったのだ。その結果、どの「オリジナル」も「シミュラークル」として評価するしかなくなってしまった。

 私はそう考えている。

 

東氏の議論の側から予想される反論

 

 ここまでなぜこんな議論をしてきたかというと、東氏の「ポストモダン」論では、「オタク」に代表される「ポストモダン」の人たちが、かつて「大きな物語」があったとされる「上の階層」にさかのぼろうとして失敗しつづけるその無益な行動の動機が説明できないという点を批判するためだった。

 私は、人間は世界を「物語」的に解釈するものであって、それは古代から「ポストモダン」時代まで変わっていないと論じた。そして、「大きな物語」というのが存在したのは「近代」の時代の特有の特徴なのであって、それが消滅した以上、「オリジナリティー」が社会的に意味を持たなくなり、「シミュラークル」で世界を埋めつくされるのは当然の流れなのだと論じた。したがって、「近代」と「ポストモダン」で人間性そのものが変わったのではなく、社会の評価の仕組みが変わったと考えたほうが適切ではないかと論じたわけである。

 しかし、東氏の論理の側からは、逆に私の論理への批判があるに違いない。それは、東氏が『動物化するポストモダン』で明らかにした「ポストモダン」の人びとの「解離的」なあり方(一二二〜一二五頁)が説明できないではないかという批判である。

 最後にこの批判への答えを示すことにしたい。

 

「解離的」とは何か?

 

 「解離的」というのは、いちおう、「小さな物語」への欲求が「大きな物語」への欲望へとさかのぼらず、それとは無関係に見える「データベース」への欲望として現れるというあり方を表現したもののようだ。このこと自体についての私の見解はいま書いたとおりである。それは人間性の変化というより社会の評価の基準が変わったことがもたらした変化であり、また、「近代」でもすべての人がいつも「小さな物語」から「大きな物語」へとさかのぼっていたわけではない。「近代」の文学や批評や学術の部分だけを取り出して、あたかもそれが普遍的なものであったような見かたをするから、「ポストモダン」の人びとが「解離的」という異常な状態に見えてしまうのであって、それはその前提のほうがおかしいのだ。

 ただ、この「解離的な人間」という論点については、私は東氏が「解離的」ということばについて持っているもう少し具体的なイメージを検討してみる必要があると思う。

 

ギャルゲーから「解離的な人間」論へ

 

 東氏の「解離的な人間」論は、『動物化するポストモダン』の第二章の「八 解離的な人間」(一〇八〜一二五頁)で展開されている。この節は全体としてはギャルゲー論で、前半は『To Heart』、『Air』、『Kanon』などのギャルゲーの紹介、後半がこの「解離的な人間」論である。

 東氏によると、ギャルゲーをプレーする「オタク」は、一回ごとのプレーでは一人の女の子と純愛で結ばれることを目指す。しかし、つぎに同じゲームをプレーするときには別の女の子と結ばれることを目指すかも知れない。けれども、これはけっして「オタク」が打算高く二人以上の女の子とおつきあいしたいと思っていることを意味しない。一回ごとのプレーでは「オタク」は掛け値なしにその対象の女の子に「その子以外は愛しない」という純愛の気もちを抱いている。それにも関わらず、つぎにプレーするときには、また別の女の子に「その子以外は愛しない」という純愛を抱く。複数の女の子に「その子以外は愛しない」という純愛を抱くとは矛盾していないか?

 それが矛盾していないと感じることが「解離」だと東氏はいう。

 この「解離」の問題は、先にも少し触れたとおり、『波状言論』の「crypto-survival noteZ」で東氏が展開している「二種類のハイパーリアリティ」論(三月A号=05号)へとつながっていく問題である。その意味で、東氏にとってこの「解離」の問題が重要なのは理解できるし、そこで何を言いたいのかもなんとなくはわかるつもりでいる。

 けれども、このギャルゲー論の文脈だけ採り上げれば、やはり私は議論の進めかたに無理がありすぎる気がする。

 

ゲームの仕組みか、「ポストモダン」社会の反映か?

 

 ギャルゲーだってゲームだ。ゲームは、いちど最後までプレーし終われば、そのプレーのことは白紙に戻してプレーしなおすものだ。新しいプレーで、まえに狙った目標と違う目標を達成しようとするのは、ゲームのプレーヤーとして当然の態度なのではないか?

 それに、ゲームによっては、多くの異なるシナリオを最後までプレーすることで、それまでは行けなかったシナリオに進めるようになるとか、それまで出てこなかったキャラが出てくるとかいう仕掛けが施されていることもある。私はプレーしたことがないが、『動物化するポストモダン』の第三章「二 多重人格」(一六三〜一六六頁)で紹介されている『YU‐NO』というゲームもそうした仕掛けのあるゲームの一つのようだ。

 そういう「仕掛け」は「ポストモダン」の「解離的」なプレーヤーがプレーすることを想定して作られているのだろうか? そういう例もあるのかも知れない。けれども、これは、ゲームを買った人がなるたけ長い時間をそのゲームに使ってくれるように施された仕掛けだと考えるほうが普通だろう。

 こういう「ゲーム一般」についてのもの言いに対して、東氏が言いたいことはわかる。ギャルゲーは、たんに勝ち負けを争うゲームではなく、男性プレーヤーが女の子に感じる「萌え」や「愛情」をその要素に組みこんだゲームである。だから将棋とかトランプとかお宝探しゲームなどとは根本的に違い、人間性の問題が関係してくるのだ。たぶんそういうことではないかと思う。

 

ほんとうにそうなのか?

 

 しかし、ほんとうにそうなのだろうか?

 純情なギャルゲーのプレーヤーには怒られるかも知れないが、私はすべてのギャルゲーのプレーヤーが東氏のいうように純愛のような感情を女の子キャラに抱いているとは思わない。最初から「なるだけ多くの女の子とハッピーなエンディングを迎えたい」というドンファン的な欲望を持ってプレーしているプレーヤーもいるだろう。先に書いたとおり、ギャルゲーもゲームである以上、そういうプレーヤーはいて当然だ。また、もっと俗っぽい話で、高いカネを出して勝ったゲームなんだから全エンディングを見ないと金銭的に損した気がするというプレーヤーだっているかも知れない。

 逆に、一人の女の子キャラに入れこんでいて、それ以外の女の子とのシナリオは絶対に見たくないという純情なプレーヤーだっているかも知れない。

 さらに、「一人ひとりの女の子に純愛を捧げながら、知り合えるすべての女の子とハッピーな結末を迎えたい」というのが、そんなに異常な願望だろうか?

 現在の現実の世界でそれが許されないのは当然だ。けれども、一人ひとりの女性に純愛を捧げながらなるだけ多くの女性と関係を持ちたいという願望自体は、それこそ『源氏物語』の昔から存在したのではあるまいか? 『源氏物語』の主人公の光源氏が、一人ひとりの女性に純愛を捧げながら(捧げない相手もいるけど)複数の女性と関係を持つことができたのは、一夫一婦制ではない社会制度があり、しかも光源氏が貴族だという設定があったからだ。ギャルゲーというのは、一夫一婦制という社会のルールがある下で、その昔から(少なくとも一部の)男性が持っていた願望を具体的なものにしたに過ぎない。たしかにギャルゲーが出てきたのは「ポストモダン」時代に入ってからだが、だからといってそれが何か新しい事態の出現とは必ずしも言えないのではないか?

 

ギャルゲーのストーリーの性格

 

 また、このギャルゲーの分析の部分で、東氏は、ギャルゲーのストーリーというのは「データベース」から引き出されたいくつかのパターンの組み合わせで成り立っており、組み合わせを変えればいくらでも違うパターンが作れると論じ、ギャルゲーであるストーリーに入りこむのはさいころを振って出た目で行き先を決めるのと同じくらい偶然であると書いている(『動物化するポストモダン』一二四〜一二五頁。この部分は言い回しが複雑で、何が言いたいのかがもうひとつよくわからないのだが……)。それが「小さな物語」と「大きな非物語」の「解離的」な共存だと言うのだけれど……。

 しかし、まず、ギャルゲーのストーリーと言っても、「データベース」から引き出してきた要素をめちゃくちゃに組み合わせて作られているものではない。逆に、かなり緻密にシナリオの設計が行われているほうが普通だろう。よほど緻密に設計しないと、主人公にしてもヒロインにしても、前に言ったことと後で言うことが食い違っていたり、前にあることを体験していれば絶対に言わないようなことを後で言ってしまったりというストーリー上の不都合が生じるからだ。だから、いくつもの種類のエンディングに到達できるといっても、「バッドエンディング」ではない、それなりにハッピーなエンディングの数は限られているはずだ。

 それに、ギャルゲーでは、ヒロインのキャラクターなどがけっこう緻密に設定されていて、それにしたがって選択肢を選びながら物語を進めていくのが普通だろう。さいころを振るようにランダムに選択肢を選んでいれば、たいていのばあい、どこかでバッドエンディングにぶつかってわけのわからない終わりかたをしてしまうのではないだろうか。それを「偶然」と表現する理由が私には理解できない。

 東氏の言いたいことはわからないではない。だが、ギャルゲー論からその「解離的な人間」という人間性論に持っていくのはかなり強引で無理があるという印象を私は持っている。

 

「解離的」な人間像とは?

 

 では、東氏が言いたい「解離的」な「ポストモダン」の人間像とはいったいどういうものなのか?

 それは、自分が一つの確かな現実世界に生きる根拠を置いているという確信を持つかわりに、「これが自分にとっての現実世界だ」という「現実」がいくつもあるように感じるような人間の感じかただろうと思う。しかも、その「自分の生きる場」としてのいくつもの「現実」が、何か一つの確かな現実世界の感覚に基礎づけられているのではない。そのいくつもの「現実」がばらばらに無秩序に存在し、一人の人間がそのいくつもの不安定な「現実」をいつも渡り歩いているような感覚が「解離的」な感覚と東氏が呼んでいるものだろう。

 ギャルゲー論にはいっぱいケチをつけたけれども、じつは私はこの東氏の指摘は卓見だと思っている。たしかに、東氏のいう「ポストモダン」社会の到来で、人間の「現実」感覚が危機にさらされているという主張には私は基本的に賛成である。ただし、やはり、私はそれを人間性の根本的な変化と捉える必要はないのではないかとは思っている。この点についてはまた後で私の考えを述べたいと思う。

 

フィクションにはフィクションの事情がある

 

 この「解離的な人間」像の話をするときに東氏はよく「ポストモダン」時代に読まれているフィクションの構造をそのまま「ポストモダン」社会論に結びつけるという論法を取る。これについては、たしかに言いたいことはわかるのだけれど、やはり強引すぎる。

 それはフィクションそのものの自律的な構成や発展をあまりに無視しているように思えるからだ。小説やまんがやアニメやゲームは、たしかに社会のあり方を反映するが、それ以上に、小説・まんが・アニメ・ゲームなどのジャンルの内部で相互に影響を与えあう。

 たとえば、ある作品が爆発的にヒットすれば、それと同じような題材を扱い、同じような表現方法を使った作品がたくさん世に出る。それは、最初に作品が爆発的にヒットした時点ではある程度は社会のあり方を反映しているのかも知れない。しかし、その後に「ヒットにあやかりたい」と出てくる作品群については、「社会のあり方を反映している」という要素は減ってくると見るほうがあたりまえだろう。それに、最初のヒットにしても、社会のあり方をよく反映しているからヒットしたかどうかは必ずしも断言できない。語り口がうまかったからとか、新鮮だったからとかいうばあいもあるだろうし、たんに湯水のように宣伝費を使って媒体に露出させまくった成果ということもありうる。作品の傾向と社会のあり方の関係はかなり不確実でばらつきが大きいと思っておいたほうが安全だと思う。

 たとえば、現在のファンタジーの傾向として、現実のごく普通の日常世界に生きている少年少女が、とつぜん異世界での事件に巻きこまれ、およそ無関係な日常世界と異世界とでそれぞれ冒険を重ねていくという構成の物語が一分野を確立しつつあるらしい。東氏としては、それを「解離的な人間」という「ポストモダン」の図式へとつなげて考えたいようだ。

 しかし、これについては、とりあえず「泣き虫の女子中学生がじつは伝説の月の王国のプリンセスだったという設定の『セーラームーン』を子ども時代に見て育った人たちがそういうフィクションを抵抗なく受け入れるのは当然じゃないですか」と注意を促しておきたい。

 しかも、押井守の『Talking Head』を引くまでもなく、同時に二つの世界に身を置くという構成は、ストーリーを盛り上げやすい要素をたくさん持っているのだ。とつぜん自分の身も知らぬ世界へ飛ばされる驚き、その世界の成り立ちやルールを学ばなければならないという戸惑い、また二つの世界での自分の位置づけられかたの違いへの戸惑い、いっぽうの世界に行っているあいだに他方の世界を不在にすることが生み出す不都合、それに、学園ほんわか恋愛物語と「剣と魔法」物語の両方を微妙に絡ませながら盛り上げられること……などである。少年少女がいきなり無関係な異界に飛ばされるという話は営業的・興行的な面から見ておいしい構成なのだ。

 それに異界探訪物語はべつに「ポストモダン」時代にあるだけではない。古代の神話から中世の説話・小説にもある。「近代」の一部の文学がそれを「禁じ手」にしていたのは確かだけれど、だからといって、異界探訪物語の流行がただちに「ポストモダン」の何かを証明するということは言えない。

 

『エヴァンゲリオン』の影響の営業的・興行的効果

 

 そして、東氏が重視している『新世紀エヴァンゲリオン』の影響もたしかにある。ただし、これも営業的・興行的な側面でだ。

 かつては、「これも一つのフィクションに過ぎず、他のフィクションだってあり得るのだ」ということをその作品中で暴露する「メタフィクション」的な手法など、ティーンエイジを主な対象とする映像作品では基本的に禁じ手だった(それでも『怪人オヨヨ』とかありましたけどね)。一九八〇年代初頭に『うる星やつら』のテレビシリーズでそれをやってしまった押井守は会社の偉い人に呼び出されて怒られたのだそうだ。しかも、押井守は懲りずに映画『うる星やつら 2 ビューティフル・ドリーマー』(一九八四年)で同じようなことをやった。私はこの映画はエンターテインメントとしてちゃんと成り立っていると思っている。けれども興行側にはこの作品と『天使のたまご』で徹底的に目をつけられてしまったらしい。このあと押井守には『機動警察パトレイバー』(一九八八年)まで大きな仕事は回ってこなかったし、『パトレイバー』も企画スタート時には五人組の創作チーム「ヘッドギア」の一員として監督を担当しただけにすぎなかったのである。

 ところが、押井守は、『ビューティフル・ドリーマー』のDVDのオーディオコメンタリーで、現場は、音響監督や声優まで含めて、「メタフィクション」的な作品を作ることに抵抗がなかった、むしろ喜んで作ろうとしたと発言している。当事者の発言だからある程度は割り引いて考える必要はある。しかし、アニメのスタッフや声優は舞台演劇の作り手や舞台俳優と重なっている(かつては現在よりも大きく重なっていたはずだ)ことを考えると、制作現場にそういう雰囲気はあって当然だと私は思う。舞台演劇では「近代」の時代から「メタフィクション」的な表現は多く用いられてきたはずだからだ。

 しかし、ティーンエイジを対象とする作品で「メタフィクション」をやることを放映局やスポンサーなどの営業・興行関係者が止めていた。

 ところが、『エヴァンゲリオン』ではそれが二週間にわたってオンエアされてしまったのだ。しかも、その『エヴァンゲリオン』が、最初のうちはアニメファンのあいだで、つづいて再放送時にアニメファン以外の人びとのあいだでも大ヒットしてしまった。

 こうなると営業・興行サイドで「メタフィクション」的な構成を止める理由はなくなってしまう。なくなりはしないだろうけれど、制作側から「あの『エヴァンゲリオン』がやったんだからいいじゃないか」と言われれば押し切られてしまう。あるいは、むしろ『エヴァンゲリオン』と同じようなスタイルで評価されることを狙った企画が出されて、それを興行側が積極的に通してしまうこともあるだろう。

 そういう経過を経て、いま、現世と異界を往来するようなファンタジーがティーンエイジの受け手に受け入れられているのである。そういうアニメ業界やファンタジー業界の内部の動きやその論理を飛ばして、現在のファンタジーやミステリの傾向と「ポストモダン」世界のあり方を結びつけるのは、やっぱり議論の飛躍が大きすぎるのではないかと私は感じている。

 

いま起こっていることをどう考えるか?

 

 私は、東氏が「ポストモダン」と呼ぶ時代に「大きな物語」の失調・凋落が起こったことは認めたいと思う。それだけでなく、同じ時代に社会の大きな変化が起こっていることも認めたいと思う。しかしその時代を「近代後の時代」と呼ぶことには抵抗があるのだ。

 なぜ「大きな物語」が失調し凋落したのか? 私は社会の都市化や情報化が進んだためだと考えている。多種多様な情報が大量に社会に出回り、どのような情報を組み合わせても「大きな物語」らしきものを構成できるようになってしまった。だから、社会に一つだけの「大きな物語」は存在することができなくなった。かわりに、「大きな物語」らしきものが大量に世のなかに溢れかえるという事態になったのだ。失われたのは「大きな物語」そのものではなく、「大きな物語」を「社会にただ一つ」にしておく抑制力のほうなのだ。

 また、東氏が「近代」と呼ぶ時代から「ポストモダン」と呼ぶ時代への変化についても、私はやはり社会の都市化と情報化が引き起こしたものだと考えている。

 そして、私は、社会の都市化や情報化は「近代化」と呼ばれるできごとの一部だと思っている。つまり、いま社会で起こっている変化は、社会がいっそう近代の方向へと突き進んだために起こったもので、社会が近代社会になった流れの延長線上に起こっているものだと考えるわけだ。そういう変化を、時代が「近代」から「近代ではない時代」に変化したと表現することには私は抵抗がある。

 東氏が「解離」と呼んでいる「現実感覚の危機」の原因も同じことが引き起こしていると私は考えている。情報化が進んだことで、一人ひとりの手もとにも多種多様な情報が大量につぎつぎに届いてくる。その多種多様で大量の情報の一部分だけで十分に一つの「物語」が構成できる。逆に、その全部を一つの「物語」にまとめきろうとすると、情報がそこに収まりきらなくなってあふれてしまう。そこで、その社会で生きる人間は、その場その場で手当たり次第に適当な情報を集めて「物語」を組み立てるしかない。その場ではそれをもとに現実を認識したり行動したりする。しかし、つぎの場面に移ると、その場面で役に立つ情報の種類が変わり、また別の情報を集めて「物語」を組み立てて対処することになるかも知れない。それを繰り返すために、一人の人間がおよそ相容れないような複数の「現実感覚」を持たなければならなくなってしまう。それが東氏が「解離」と呼んでいる現象の実態だと私は考えている。

 

思想の歴史との対比から

 

 私がいま思い起こしているのは、東氏のいう「近代」から同じく東氏のいう「ポストモダン」への変化と同じような変化が、思想の歴史のなかで何度も認識されているということだ。

 古典ギリシアの時代、プラトンは、世界にはただ一つの「絶対的な真実」(イデア)があると確信してその哲学を組み立てた。しかし後継者のアリストテレスは、その考えを否定し、一つひとつのものごとが「材料」(「質料」)と「かたち」(「形相」)から成り立っているというところから議論を出発させた。また、中国では、一二世紀に朱子(朱熹)が「宇宙には絶対に正しい根本法則(「理」)がある」という理論をうち立てた。しかし、その四百年後、王陽明は、そのような「絶対に正しい根本法則」よりも、理論を実践に移すときに働く理性や判断力が重要だと議論を組み替えた。

 プラトンや朱子は「世界にただ一つだけの正しいあり方」があると考えた。しかし、その後継者はそれを否定し、一つひとつのものの二つの側面とか、一人ひとりが実践するときの心の働きとかに理論の重点を移した。

 社会にただ一つの「大きな物語」の存在を想定した「近代」世界というのは、このプラトンや朱子の考えた世界に似ている。その想定が通用しなくなった現在、アリストテレスや王陽明のような視点の転換が「思想」の陥っている隘路を開くことになるのかもしれないという期待を私は抱いている。

 

まとめ

 

 「超平面性」論の検討から出発して東氏の「動物化するポストモダン」論の全般を検討することになってしまった。それでも論じ残した点はまだ多い。とくに、「超平面性」と一体のものとして論じられている「過視性」の問題については、その「過視性」の引き起こす不安や強迫観念の問題を含めてほとんど論じなかった。しかし、東氏の議論にとって、この「不安」の感覚は「オタク」論に限らず一つの重要な点になっている。だから、この点は、また機会があれば論じることにしたいと思う。

 私自身は、『動物化するポストモダン』での東氏の問題提起は、現代社会を考えるうえで重要なものだと思っている。しかし、一方で、その東氏の枠組にはかなり大きな異論を持っている。その主な点は、東氏が「近代」は終わって「ポストモダン」という新しい時代が始まり、そこでは社会のあり方だけでなく人間性も根本的に変わってしまうのだと感じているのに対して、私はそうは考えていないということだ。人間性は基本的には変わっておらず、社会が変わっただけだと私は考える。そして、東氏が「ポストモダン」の人間像をあまりに異様なものとして描いてしまうのは、「近代」社会のなかでも文学・批評・学術といった狭い範囲だけの特徴を「近代」社会の全面的な特徴と見なして、それを基準に現在の社会や人びとのあり方を描くからだとも考えている。

 しかし、繰り返すが、こう考えるからといって、『動物化するポストモダン』での東氏の問題提起が重要であるという考えは変わらない。その重要な問題提起を受けて、東氏とは少し違う答えを出してみたいと思っているだけである。

 

 

(2004/12)

 

 


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