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座談 『動物化するポストモダン』の人間学

 

 

清瀬 六朗 ・ 鈴谷 了 ・ へーげる奥田 ・まつもとあきら


 

さて今回も、WWFの同人誌制作委員会メンバーで座談を試みてみた。

方法は、インターネット上に設定した掲示板に任意に書き込む形式であり、内容に関する編集はほとんどまったく行っていない。発言は自由だが、内容のとっつきにくさのせいか、発言者はかなり限定されたものとなった。

本内容は、いくつか展開したスレッドのひとつを抜粋したものである。

 

 

清瀬 六朗

 こっちのスレッドでは必ずしも東氏の本をテキストにする必要はないのかも知れませんが、とりあえずとっかかりとしてまた東氏の『動物化するポストモダン』の議論を紹介しましょう。

 東氏は、「近代」の人間は社会全体を覆いつくす「大きな物語」を必要とする「物語的動物」であったのに対して、「ポストモダン」(例によって、東氏の議論に慣れておられない方はとりあえず「現代」と読み替えていただいても構わないと思います)の社会では人間は「小さな物語」を欲求し「データベース」全体を手に入れたいと欲望する「データベース的動物」だと結論しています(『動ポモ』140頁)。「大きな物語」は、ここでは「大きな共感」とも表現されていて、その社会に生きる人間に充実感を与えるような共通目標みたいなものを指しているようです。「時代精神」とかいう言いかたをしていいのかも知れません。

 その「データベース的動物」のあり方は「ノベルゲーム」のシステムに典型的に現れていると東氏は言います。一つひとつのエピソードでは登場人物の女性キャラに「純愛」を捧げつつ、しかしプレイを繰り返すことですべての女性キャラを攻略するという「不純」な行為をやって、何の矛盾も感じない。「オタク」たちは、「萌え」要素に接することで引き起こされる身体的な性的興奮と、ある程度の想像力を必要とする精神的な「セクシュアリティー」とを意識しないで切り離してしまっているのだ。それは、「オタク」だけでなく、「ブルセラ少女」とか「コギャル」とか呼ばれていたような(いまはなんて呼ぶんだろう?)「ストリート系の少女」でも同じであり、まさに全面的な「ポストモダン」社会の到来を告げる現象なのだ―というのが東氏の議論です。

 このあたりは、先のスレで奥田さんが「大暴投」と表現されたように、東氏の議論のアクロバティックさが増している部分だと思います。また、「データベース」とか「動物」とかいうキーワードを取っ払ってしまえば、こんどは「近ごろの若い者は近所づきあいもろくにしない」とか「近ごろの若い者の友だちづきあいはわしらが若かったころとはだいぶ違うのぅ」とかいった繰り言のたぐいとして読めてしまえなくもないです。

 いずれにしても、東氏の「オタク」人間論は基本的にこんなものではないかと思いますが、いかがでしょう?   > 各位

 

へーげる奥田

 すいません、こういった煽り文句とかを私が書かなきゃならないのに、レジュメを書こうとしてもたもたしているうちにまたお手を煩わせてしまいました。またまたみごとなレジュメをいただき恐縮です。

 え〜、それでまず全体の話題ですが、『動物化するポストモダン』を中心とした東氏のテキストに沿った話題で問題ありません。「ポストモダン」という、どうも定義不明の概念について語るより、「動物化」とか「データベース」などというはっきりしたキーワードを中心に検討を加えてみる方がわかりやすいと思うんですが。

 いま挙げてもらったレジュメで言えば、「一つひとつのエピソードでは登場人物の女性キャラに「純愛」を捧げつつ、しかしプレイを繰り返すことですべての女性キャラを攻略するという「不純」な行為をやって、何の矛盾も感じない。」といった感覚をもってプレイヤーの世界観などの問題まで敷衍してしまうあたり、ちょっといかがなものかという感じがしますよね。だって、ゲームはあくまでゲームであって、プレイヤーはゲームに設定されたシステムに準拠する「常識」に従ってプレイしているだけです。それを、現実の価値観とか倫理観といった「常識の軸」によって断罪するのは意味がないというか、論を操る者としては反則であるような気がする。そういった論じかたをするのなら、その論に説得力が生じるようなロジックを付加した上で論じなくてはならない筈ですよねー。そんなこと言うんだったら、他人の家にずかずか侵入して「たんす」の中とか物色して金目の物なんかを「てにいれた!!」とか言って持って来ちゃう『ドラゴンクエスト』のプレイヤーなんか、「社会道徳や経済人としての倫理観を失った人々」とか論じられちゃいそうじゃありませんか。別にこの部分だけそうだというわけじゃなく、全体的にこの手のロジックの暴走というのが散見されるような気がするですな。

 「大暴投」に関して言えば、これはどっちかっていうと、東氏や斉藤氏の対談で、言ってる当事者たちだけわかってる(のか?)ようなジャーゴンなんかをわざとずらずら並べているさまが、「ダメなマンガ家とダメな編集者の打ち合わせみたい」な状況だな、などと思ったんですけど、大筋ではおっしゃるような解釈でも問題ありません。

 

清瀬 六朗

 たしかに「ロジックの暴走」というのは『動ポモ』全般に見られるかも知れませんね。ただ、それがこの本のおもしろいところなのかも知れないですし、「暴走」しているほうが考えるきっかけにはなるかも知れません。

 で、ノベルゲームに顕れた人間論みたいな話ですね。東氏の議論では、ノベルゲーム自体が、文章と背景とキャラクターという要素を重ね合わせた画面を寄せ集めたものだということで、「データベースから適当な要素を拾ってきて組み合わせる」という「ポストモダン」的な性格を典型的に表しているという位置づけをされる。で、おそらく、それと並行する現象として、「オタク」にとっては、もっぱら身体上の性的興奮と想像力の必要な「セクシュアリティー」とまでが別々のデータベースから拾ってこられるような無関係なものになってしまっているということを論じているのでしょうなぁ。つまり、「ポストモダン」の人間は、「データベース」から個々の瞬間に「萌え」られるものを拾ってきて満足していて、その個々の瞬間を想像力を使ってつなぎ合わせるということに最初から関心を持たない人間たちである。それが「動物化」するということなんでしょうね。

 これは、奥田さんのおっしゃるように、ゲームのシステム的制約とかシステム的な特徴を、東氏が読みたいように拡大解釈したと読むことができます。東氏も認めているように、「ノベルゲーム」がキャラクターと背景との組み合わせになっているのはシステムの処理能力の限界に対応したものに過ぎない。また、全分岐攻略などというのは、奥田氏の書いておられるとおり、べつにノベルゲームでなくたって、ゲームのプレーヤーならばだれでもやってみたいと思う目標ではあるわけですよね。たとえば、「ポストモダン」なゲームではなさそうな将棋とかでも、居飛車だったら矢倉を組むか横歩取りで速攻で行くか、振り飛車党ならばどの筋に振るか―三間飛車か四間飛車か中飛車か―、振ったあとに玉を美濃囲いで囲うか穴熊で囲うか、いろいろやってみるわけでしょ? でも、一人の棋士が居飛車と振り飛車と両方指すからって、その棋士が「ポストモダン」的に「解離的」だなんて議論はどう考えてもおかしいわけで。っていかにも将棋をよく知ってそうなことばを並べましたが、こないだ駒の動かしかたもろくに知らないワカモノと対戦して負けましたすみません。いや〜さすがに王手飛車取りと王手角取りを両方食らったら負けますなぁ。

 東氏のばあい、察するにやっぱり「大きな物語」の喪失という考えかたが強くある。そして、「大きな物語」にきっちり統合されていない人間のあり方が想像がつかない、それをどう説明したらいいのだろうという戸惑いがあって、その戸惑いに答えるのが『動ポモ』のテーマみたいな感じがするんですよね。それで、キャラの絵と背景と文章とが別々に用意されたものだということがバレバレでも、それどころか身体感覚上と想像上とでセクシュアルなものに対する感覚がバラバラでも、ともかくそのときその場だけで「萌え」ていられれば満足なんだという人間像が提示される。そんな人間、「動物化」した人間だから、「大きな物語」がなくてもやっていけるんだよ、ってわけですかねぇ。

 で、そう考えると、東氏には、人間の社会には本来は「大きな物語」があるべきで、人間一人ひとりがその「大きな物語」の力で強く統合されているのが正しい人間社会なんだって感覚があるような気がするんですよ。これはまつもとさんが別のところで出されていた「一神教」的な態度ということができるかも知れません。で、それに対する「日本はもともと一神教の文化ではない」という反論には、あらかじめ「現在の日本文化はアメリカ文化が変形されたものにすぎない」という理論で予防線を張ってあります。

 だから、この「大きな物語」論というのがひとつの鍵かな、という気はしますね。

 

へーげる奥田

 『動物化するポストモダン』を読んでいると、「データベース論」についてはけっこう練られているように思います。ただ、その「大きな物語」だの「動物化」だのというものが私にはどうも納得できないんですよね。特に「大きな物語」とかそういう考え方がわからない。

 一神教うんぬんに関しては、まつもと氏が言っていたように、日本なんかは無宗教という一神教的な思いこみみたいなものもあるような気がしますが、多神教だから多様性に対する受け入れ余地が大きい的な考え方はちょっとおかしいと私も思います。清瀬氏が前に書いておられた発想と同じなんですが、ヤオヨロズの神々ってったって、別にその神々がてんでに全く異なった世界観の宗教をしょっている訳ではなく、ひとつのストーリー、ひとつの世界観にほぼ準拠した上でキャラクターがいっぱいいるという形ですから、これは天使とかがいっぱいいるキリスト教と基本的にはたいして変わらないようにも思います。

 ひとつ訊いてみたいのが、東氏にとって、たとえばアメリカにおいては、キリスト教というものがその「大きな物語」とやらの役割を果たしていると考えていいんでしょうか? そうすると、キリスト教文化圏の国では「大きな物語も消失」とは宗教の消失を意味するんスかねえ? 日本の状況についてだけ説明されている(他の国も説明されてましたっけ?)けど、こと宗教に関しては日本はちょっと特異じゃないですか。日本では戦後アメリカに矯制された政策なのか、政治が宗教にタッチしてはいけないというようなことになり、宗教っていうとカルト、みたいな空気ができてしまった。仏教はどっちかってえと葬儀屋さんであって宗教じゃないし、キリスト教はなんかこうアメリカ様のものだからヨシ、みたいな。日本は多神教なので他の宗教とかに寛容なのではなくて、用はイイカゲンなんではないかと思いますねえ。まあ、劣等雑種民族倭国ですから(笑)。そのあたりは、「アメリカ文化」のような思い込みの強さはないみたいですね、日本は。

 

清瀬 六朗

 まあ、多神教といったってあり方はさまざまなわけで、仏教でも、阿弥陀仏による救済を中心テーマに据える浄土教系統とか、法華経を聖典視する日蓮宗系統とか、たぶん宗教理論の構造はいろいろなんでしょうねぇ。このへんは私にはよくわからないです。

 で、東氏のいう「大きな物語」というのは、あえていえば社会主義を念頭に置いているのではないかと思うんですけど。それもきちんとした革命理論を持ったやつ―押井守の描く「犬」が「ご主人様」にするに足るような社会主義ですね。マルクス‐レーニン主義といってたやつがその代表格でしょうけど。それと、それに対抗する経済発展至上主義みたいな資本主義を念頭に置いているんではないでしょうか。このへんは『WWF26』のときの座談会で鈴谷さんともお話ししたことですけど。

 前にも書いたけど、1970年代に、中国のアメリカとの国交樹立とか、ポルポトの大量粛清とか、ベトナム軍のカンボジア侵攻とか、中国のベトナム侵攻とかで、そういう理論的に筋を通していたはずの社会主義のぐちゃぐちゃさ加減が白日の下にさらされる。他方の経済発展至上の資本主義も、公害とか出てきて、あと資本主義が発展してかえって貧困がひどくなったりして、経済が発展したからって人類の抱えている問題がぜんぶ解決するわけじゃないことがバレてしまう。「社会主義になればすべて解決」とか「経済が発展すればすべて解決」とかいう「○○ですべて解決」という発想が通用しなくなった、たまに「社会主義ですべて解決」とか「経済発展ですべて解決」とか言っている人がいても社会の大多数の人はそれを信じなくなった、そういう状況が「大きな物語」の凋落ってことなんでしょうかね。

 「近代」では「大きな物語」にこの世のなかのすべてのことが結びついていて、「小さな物語」から遡るとすぐにその「大きな物語」に行き当たれるので、それで「近代」の人間は安心していられたというような捉えかたを東氏はしているのではないかと思います。これはやっぱり何か宗教的な態度のように思えるんですね。一種の楽園喪失みたいな感じで。

 「大きな物語」が世のなかにあってみんな幸せに生きられたのが「黄金時代」の「近代」で、これは1970年代に終わっている。次に、「大きな物語」はなくなったけれども人びとはその「大きな物語」を求めることは忘れていなかった時代が来て、これが「虚構の時代」ってやつで、これが「白銀時代」なんでしょう。それも、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、『エヴァンゲリオン』の放映があった1995年に終わる。で、白銀時代も過ぎ去ると、人びとは完全に「大きな物語」があったことを忘れてしまう。それが「銅の時代」すなわち「データベースの時代」であると。東理論にはなんかそういう堕落論的構造があるのかななんて感じてしまいます。あるいは、プラトンのイデア論みたいに、私たちは「大きな物語」が支配していた世界から「流出」してきて、その「大きな物語」のあり方を完全に忘れてしまっているとでもいうのかな。

 東氏は「大きな物語」のあった時代に戻れとは言ってないし、戻れるとも考えていないんだと思います。東理論は、「大きな物語」を失ったことをエデンの園追放にも比すべき取り返しのつかない欠落 ―「原罪」として捉えて、その「原罪」から逃れられない「ポストモダン」世界で人間はどう生きるかを考える「神学」という性格を持ってるんじゃないでしょうか。

 こう言うと、前に「黙示録的時間としてのポストモダン」と言ったのと食い違うかも知れないけど、それは視点の置きかたによるわけで、楽園から見れば楽園追放後は黙示録的な滅亡寸前の悪あがき世界に見えるでしょう、と。要するに、時間の断絶、時間の質が根本から変わってしまうっていう感覚を東理論から強く感じるということです。私などは、そこに、楽園から楽園追放後へ、キリスト出現前からキリスト磔刑後へ、黙示録前の時代から黙示録への時代へというような、不可逆な時間の質の変化を感じるんですね。それはキリスト教(さらに限定すれば西のキリスト教)の宗教論の時間感覚じゃないかという気がします。

 

まつもと

 ええっと、清瀬氏がまとめた東氏の言う「大きな物語の崩壊と動物化」とかのいかがわしさは、まさに両氏の指摘するところで、しかし何で東氏はこんなオヤジめいた発現をするのかと色々勘ぐってみた結果? どうも大塚英志とかの対談読むと、大塚氏に「オタクやらネットやらポストモダンって言ったて、論壇相手にコトバが届くのかいな」みたいな煽りを貰っていて、それときっと(って私の妄想ですが)学会とかでバカにされてウッキー、オタクとポストモダンを結びつけて学会のバカどもを見返してやるニダ、とか怒りで我を忘れて書いたとか。

 それは冗談として、これが大暴投みたいな意見はだいたい皆一致だと思うのですが、では中世、近代だけが異常な「大きな物語」の時代であったのか、それよりも前とか現代は「大きな物語」がないのかという問題はあると思うのですが、どうでしょう。歴史に詳しい方いたら教えてください。現代に関して言えば、今回のイラク戦争見てもハッキリしているように、まだまだ大きな物語によって世界は動いているのだな、と言う感じなのですが。では、逆に大きな物語をなくしてしまったというのは実は日本にかなり特有の問題ではないかと。ポストモダンと言っても、西欧の場合、単なる一神教への反動形成、つまり無理して必死こいてポストモダンを説いて実践しようとしているのに対して、このオタクで萌え萌えの日本の事情って(一部アメリカも?でもアメリカ信仰とカミサマはまだまだ根深い)、やっぱりかなりニッポン特殊論に傾いちゃいたくなるような気がするのですが。

 八百万のカミサマと大きな物語の件については、もうちっと別にお話ししたいかと。でも大天使とかいても一神教のカミサマは、たった一つの特異点のような気がするんで、八百万はGODじゃなくて、精霊くらいですかね。それは信仰の対象であっても、GODと違い自我形成には関与が薄い気がしますが、どうなんでしょう?

 

清瀬 六朗

 東氏が「論壇」全体を相手にして戦略的に動こうとしているのは、奥田さんが前に紹介しておられた「網状言論」での発言にもうかがえるところでしょうか。それが成功しているかどうかは別ですけれど。ただ、論壇の状況は、東氏を無視してバカにしているというよりは、東氏が何を言っているかも十分に検討しないで東氏の議論を持ち上げているという傾向が強いんじゃないかなって思います。それでかえって東氏は「ほめ殺し」されたように感じて苛立ってたりして。

 私は「近代」が終わって「ポストモダン」という新しい時代が始まったとはぜんぜん考えてないですね。だから「近代」とともに「大きな物語」が終焉したという構図にもあまり重要性を見出していません。「ソ連的な社会主義の大きな物語」と「アメリカ的な経済発展の大きな物語」という対立が、どちらの図式もうまく動かなくなって崩壊したというのは、「冷戦」の終わりの説明にはなっても、「近代」の終わりの説明にはならないと思います。ソ連なんか1920年代になって出てきた存在なのだから。

 このように言えば、東氏の側からは、たぶん、「社会主義」の「大きな物語」も「経済発展」の「大きな物語」も、近代を通じて信じられてきた「科学」とか「進歩」とかいう「大きな物語」の一部であり、その「科学」や「進歩」への「大きな物語」という信仰が幻想に過ぎなかったとわかったのが1990年代なんだ、という反論が出てくるでしょう。

 たしかに、「科学」や「進歩」を掲げた西ヨーロッパ近代に抑圧されきっていたイスラムやヒンドゥーの価値観が跳ねっ返って頭をもたげてきているのが現在の「文明の衝突」的な情勢だと見れば、そういう見かたも成り立つかも知れません。けれども、こういう宗教原理主義というのは、むしろ産業先進国本位の経済発展至上っぽい資本主義が後進国をかえって貧困状態に陥れたことに対する反抗なのであって、それがイスラムやヒンドゥーといった伝統的な衣をまとっているだけだと整理したほうがいいと思います。つまり、イスラム原理主義やヒンドゥー原理主義も近代思想の枠を出るものではないと私は考えています。むしろ、「自爆テロはイスラム原理主義過激派組織の特徴だ」なんて平気で言うほうが、何かへんな「大きな物語」、あえて言えば「オリエンタリズム」って妄想にとりつかれているんじゃないかと思ったりします。追いつめられた心情になれば何教徒だって無宗教だってやりますって(「自爆装置は男のロマン」というセリフがあったような気がするんですが……)。

 私たちが「科学」や「進歩」への信仰をほんとに捨ててしまったのかというと、私はぜんぜんそうは思いません。「科学」自体、情報通信とかナノテクノロジーとかバイオとか、いまでも前にも増してめざましく進歩しているわけですし、「科学」の「進歩」で世のなかがよくなる、「よく」なるかどうかは別としても少なくとも便利になるということは、みんなあたりまえの感覚になりすぎて意識しないだけで、べつの価値観で打ち消されたわけではない。

 それに、アフガニスタンとかイラクとかでつづいていることは、大国間の対立が「社会主義」対「経済発展」という衣をまとう前の「近代」の特徴だった帝国主義の覇権争奪戦そのものです。その地でアメリカをはじめとする先進国がやっていることを支えているのも、自分たちのところは文明国だから、文明のレベルが低くて自分の国をきちんと治めることもできないあわれな現地人にかわって、国も治めてやっているし、治安も維持してやっているし、ついでに石油も管理してやっているんだという、19世紀までの帝国主義時代の植民地支配の論理そのままなわけでしょ? そういう面でも「近代」が終わったとは言えないと思います。

 一九九〇年代以降のことを、「近代」の「大きな物語」があたりまえになりすぎて意識されなくなった時代と言うことはできるかも知れないけれど、「大きな物語」がなくなった時代と言うのには私は賛成できないですね。それに、「データベース」モデルなんか、「ポストモダン」に特有なものとして考えるより、近代以前にも通用するものとして考えたほうがおもしろいんじゃないかな、と、他人ごとながら思ったりするんですね。

 一神教の問題について一言しておきますって言ったら嘘だな。またたくさん言うと思います。ごめんなさい。

 日本の神道の信仰についてよく言われるのは、天津神系統が一神教的性格が強く、国津神系統に多神教的性格が強いということですね。

 一神教と自我形成との関係はどうなんでしょうね? たとえば中世浄土宗系統の阿弥陀信仰は、多神教の一部と言えば言えるけど、やっぱり自我形成に大きな役割を果たしたんじゃないですか? 浄土信仰は阿弥陀仏や弥勒仏の一神教だと言ってしまえばそうなるのかも知れないですが…… このへんはわからないなぁ。日蓮宗系統だって、第二次大戦後については論じないにしても、少なくとも20世紀前半の日本人には日蓮宗系の信仰が自我形成に大きくかかわったような人が何人もいます。革命家の北一輝とか、詩人・作家の宮澤賢治とか。あと、石原莞爾をはじめとする1930年代の「青年将校」など軍人への影響も強かった。たしかに、20世紀の日蓮宗系の宗教は、キリスト教やマルクス主義に対する対抗宗教という側面はありますから、それを通じて一神教的要素が入りこんでいたことは想像できますけれども、本人たちの意識の上ではやはり法華経への信仰というのが人格形成に大きく働いていたのではないでしょうか。

 一方で、同じキリスト教といっても、人格とか世界観とかとのかかわりかたは宗派によってずいぶん違っています。

 「ヨハネの黙示録」などに見られる「時間の変質」の感覚を重視するのは西のキリスト教の特徴です。西のキリスト教というのは、カトリックとそこから自立したプロテスタントの一部ですね。これは、人類は最初はけがれのない楽園に住んでいたのに、蛇にだまされてけがれたために楽園から追放される、そのあいだで「楽園の時間」と「楽園追放後の時間」という「時間の質」が大きく転換するわけです。そしていちど「時間の質」が転換してしまうともとには戻らない。「楽園追放後」の人間はどんなにがんばっても「楽園」には戻れないんです(そういえばコミック版の『ギャラクシーエンジェル』って「リゾート惑星ラクエーン」から始まるんだな〜 …ってどうでもいいか)。そのあとも、キリスト到来前の時間と、キリストが死ぬことで神との和解が始まってからの時間とではやっぱり「時間の質」が違う。「ヨハネの黙示録」に記されている最終戦争の過程が始まるまでと始まってからではまた「時間の質」が変わる。変わってしまうともとに戻らない。そういう感覚が強いわけです。

 ところが、東のキリスト教、広い意味での東方正教と呼ばれる宗派は、原罪説も採らないし、現世ですでに神の救済は達成されていると考えるので、西のキリスト教に見られる「時間の変質」の感覚がないんですよ。「ヨハネの黙示録」はいちおう聖書には載っているけどないのと同じ扱いだし。

 で、東氏の議論の「大きな物語の終焉」とか「動物の時代」とかの議論に表れている感覚というのは、人間世界の「時間」の質は何度も根本から変わって、いったん変わるとあと戻りできないんだという「西のキリスト教」の感覚じゃないのかな、と思うのですね。

 

へーげる奥田

 「大きな物語の凋落」については、ジャン=フランソワ・リオタールという人が最初に指摘しているそうで、その指摘にある「18世紀末より20世紀半ば」の「単一の大きな社会的規範が有効性を失い、無数の小さな規範の林立に取って代わられる」という状況が「ポストモダン」ということらしいですねえ。でも、リオタールという人(の著作はは読んだことないんですけどグーグル検索とかしてみると)の話では、ポストモダンとは「モダンに対する不信であり、従って新しい時代が到来したとかモダンそのものが終焉したという事では勿論ない」んだとか。いや、ホントかどうかは知りませんけど。ということは日本に特有の状況とは限らないんでしょうかねえ。

 清瀬氏のおっしゃるように、政治・経済的イデオロギーというように解釈すればそれなりにわかりやすいですね。押井守の『犬狼伝説』とかのシリーズは、失われつつある「大きな物語」の断片を追い求めながら彷徨する者の話とかうまく収まる。

 ただやっぱりわからんのは、その物語が1970年代からは捏造バージョンになったとか、1995年で崩壊したとか、ホントかなあとか思うですな。時代のものの考え方とか世界観とかが変化したのはもちろん事実だが、それは1960年代的ものの考え方が1970年代型になり、1995年的考え方が1996年的になっただけじゃないの? とか思ったりします。

 たとえばヴェブレンなんかは、経済段階が複雑化して熟練的技術者が労働者の多くを占めるようになると、システム的なものに対する理解力が全体的にアップしてきて、絶対的なものを盲信したり、権威に盲従したりするような体制はうまく働かなくなってくるというようなことを論じています。物語うんぬんというのは結局そういうことのような気がしますねえ。

 韓国なんか見ていると、年代を追うごとに考え方とか世界観が変化してきますし、世代間でも驚くほど違います。いま、全体的には「世界で一番優れた民族のウリ民族は世界で一番優れているので韓国は世界で一番優れているのだ」という素朴なナショナリズムという「大きな物語」に浸って幸福みたいですが、この「物語」は経済問題とか政治問題とかの顕在化や、インターネットによる情報の流通(現時点では日本などから流れてくる韓国国史と違う歴史観なんかは「全部チョッパリの歪曲・捏造なので反省しる」というところで落ち着いているみたいですけど)などによって少しずつ崩壊してくることでしょう。でも、なんかまたすぐに次の「物語」が制作されそうだし、だいたい今の「物語」だって捏造っていえばまさに捏造なんてすけどね。ちなみに大昔の「大きな物語」については私は知りません。キリスト教的世界観なんてまさにソレじゃないかと思いますけど。

宗教の問題に絡めた議論としては、私は一神教とか多神教うんぬんというより、宗教というアプリケーションに対する依存度の問題だと思いますね。日本人は「劣等雑種無節操民族」なので、神社に行って七五三のお参りしてクリスマスのケーキ食べて死ぬ時は戒名貰ったりする訳でしょ? これは、宗教というものがある種の趣味というかサブカルチャーというか、ファンクラブ程度の重さしかないというのが実際のところであって、別に「多神教」という確固たる世界観のもとに多元論的思考をしているとかそれほどのもんじゃないってな感じではないかと思いますね。だから大川隆法とかのビジネススタイルが商売になる。「ああっ乗りうつった!! ……どうも、アラーです」とか。幸福の科学なんかはまさに小さな物語の林立なので、やっぱこういうのは日本独特の現象なのかな? でもそんなこと言うんだったら、オウム真理教はかなりまっとうで伝統的な宗教観を持ってますからねえ。途中からクルクルパアの方向に行っちゃったけど。

ただですねー、そうした「大きな物語の失調」が、「伝統に支えられた「社会」や「神」の大きさをうまく捉えることができず、その空白を近くのサブカルチャーで埋めようとする」という行動を起こさせ、それが「オタク」なのだ、という説明は、なんかこう……いかがなものかと。似たような説を展開する哲学者ってけっこういますよね、ニーチェの受動的なニヒリストとか、ハイデッガーの非本来的に頽落した「ひと」とか。でもそれって、別に「オタク」だけの問題じゃないし。

 

清瀬 六朗

 まず、「近代」から「ポストモダン」への時代の切り替わりについてです。東氏はこの転換は日本に限らないのだという前提で『動ポモ』の第二章を書いてます。でも、論じている内容は日本だけなので、ほんとうに「動物化」が世界的な規模の動きなのかどうかはわからないですね。アメリカ人やフランス人の「オタク」の多くもアニメやゲームのキャラに「萌え」情を抱くのか? だいたい英語やフランス語で「萌え」ってなんていうんだ? たしかにフランスには「モエ(Moet)」ってスパークリングワインがありますけど ……って関係ないな。

 「ポストモダン」について「モダンに対する不信であり、従って新しい時代が到来したとかモダンそのものが終焉したという事では勿論ない」というのは私としてはわりとすんなり受け入れられますね。「近代」に対する不信とか不安とか抑鬱感とか、そういうのが「ポストモダン」ということばには反映されているように思います。「ポスト〜〜」(「〜〜が終わったあと」)っていうのは、「〜〜」のところにどんなことばが入るとしても、けっして前向きの概念ではないと感じます。だって、「新しい時代が始まった」と感じるのなら、その新しい時代の名まえを言えばいいわけで、それを言わないってことは、その前の時代にまだ軸足を残しているからじゃないのか、と思うわけです。

 「大きな物語」が一九七〇年代ごろに失墜し、その後、「フェイク」として「大きな物語」が「想像」的に回復され、それがまた一九九五年に終焉したという図式には東氏は強いこだわりを持っているようですね。最近、笠井潔氏との対論『動物化する世界の中で』を読んでいます。この対論で東氏と笠井氏が衝突するきっかけは、どうも東氏が「一九九〇年代半ばに世界は変わった」という説に固執するのに対して、笠井氏が「そんな断絶は一九七〇年ごろに終わっていてその後の世界の変わりかたなんかたいしたことないんだ」と繰り返したことにあるように思います。べつに全面的に笠井氏の肩を持つつもりはないけど、ただここの議論を読むかぎり、東氏のほうが説明不足な感じはします。とくに一九八〇年代に「想像」的に「回復」されたという表現で東氏が具体的に何を指しているのか、私にはまったく理解できないです。

 

鈴谷 了

 参入するきっかけをなかなかつかめないでいた鈴谷です。

 「近代化」「大きな物語」のあたりでもう一度『動ポモ』を読み直して気づいたんですが、どうも「スノビズム」「シニシズム」の使い方に恣意的なものを感じるんですね。コジェーヴが、「ヘーゲルの言う『歴史』」の終わったあとに存在する類型として「動物」と「スノビズム」がある、という見方を東氏はまず引いてくるわけです。(この類型の当否についてはすでに前の号での座談会とかでも出てますので飛ばします)ともかくこう分けた。

 で、「動物化」は欲求の充足を至上の価値とする行動様式であり、一方で「スノビズム」はイデオロギーを(実質的な価値の有効性を問わずに)無条件に信奉し行動規範とする様式だと言っているわけです。そこから東氏は「オタク」について片方では「スノビズム」であると書く。それは戦隊ものなど決まったフォーマットの作品を、それを知ってあえて楽しむといったスタイルについてそう言っているわけです。ところが、そのあとでスノビズムが必然的に持つはずの「大きな物語」を、サブカルチャーの中で「捏造」し、それを享受していたのが『エヴァンゲリオン』あたりまでのオタクで、それ以降は「動物化」したデータベース的消費をしているのが今のオタクだ、というわけです。

 しかし、ノベルゲームの享受のあり方は「スノビズム」的ではないのか?という素朴な疑問が浮かびます。戦隊ものを享受するスタイルとノベルゲームを享受するスタイルの間に決定的な差異を見つけることは、少なくとも私にはできない。戦隊ものの全体としての大きなストーリーをその通りの意味で楽しんでいるオタクというのはまずいないでしょう。これは東氏も岡田斗司夫を引用して書いているように「趣向」というものを本来のストーリーから切り離して見ている。そうした「趣向」の元になるものは、「萌えデータベース」と呼んでいるものと実はそんなに違わないのではないか。ノベルゲームの消費者だって、ストーリーの本来の意味ではない部分を消費しているようにみえます。これは清瀬氏も書かれていることですが、一九九〇年代半ばの「断絶」という部分を何とか説明するために、そうした「時代分け」が必要になったという方が正しいように思えます。フェイクの「大きな物語」の有無を媒介にして、このモデルはやっと成立するわけですが、その前提は相当怪しいのではないかと思ったりします。

 「近代」というのは「国民国家」というものと不即不離な関係にあって、「国民国家」が成立するには「大きな物語」が必要だった、ということになるのでしょうか。たとえば日本なら「富国強兵」と国家神道による近代天皇制がそれに当たるんでしょうか。ではそれ以前の社会では、キリスト教圏ならば教会の教える世界観(王権を神が与えるという部分まで)であり、日本の武家社会なら「武士道」……ってことになるのかな。たぶんそれらが近代の「大きな物語」と違うのは、その根拠となる権威を「人間」の外に求めるかどうかという部分だけだ、という気もするんですが、これはちょっと自信ありません。江戸の町人文化の多くが実は様式的でその中の趣向を楽しむものだ、と仮に言い切ったら(自信がないので断言しません)、じゃ「ポストモダン」とどう違うんだってことになるんじゃないでしょうか。「江戸時代との断絶」を強調するために、江戸時代そのものの考察が実は曖昧になっているのではないか、という印象もあります。ちょっととりとめなくなりましたけど。

 

清瀬 六朗

 宗教なんですけどね、日本の宗教のあり方が特殊ということもあるかも知れないけど、欧米のキリスト教の社会的な地位も特殊といえば特殊な気はします。

 先に書いたとおり、中世までは日本人にとっても宗教は人格形成にとって重要な役割を果たしていた。浄土宗系や日蓮宗系、それに鎌倉時代以後の律宗などの仏教は、村の人たちや都市の人たちまでごく普通の人たちに広まって、信仰を集めたわけで、その人たちの生まれてから死ぬまでの主なできごとを管理していたわけです。ちょっと禅宗についてはよくわからないのだけど。で、このあたりの「鎌倉新仏教」と呼ばれる仏教は、多神教だし、日本のばあい、仏教は神道と融合して存続してきたわけだから、一神教ではない。でも、やはり「阿弥陀様を一心に信仰してまじめに日々の暮らしを送っていれば極楽往生させてくださる」というような心性は人間を形成する上で大きな役割を果たしていたと思います。日蓮宗だと「法華経を一心に信じて」ということになるのかな。

 日本のばあい、戦国時代に、浄土宗系や日蓮宗系の仏教は、一向一揆や法華一揆というかたちで、戦国大名割拠のなかで有力な割拠勢力になったわけですね。とくに、一向一揆は、全国の門徒を結集して動くことができたために、織田信長の「天下統一」にとって大きな対抗勢力になった。それで、織田信長から豊臣秀吉を経てその統一者の地位を受け継いだ徳川体制が、浄土宗系・日蓮宗系を含めた仏教が政治的・軍事的な力を持たないように、武家体制下の「儀式仏教」みたいなかたちに宗教を封じこめてしまったわけですね。

 ヨーロッパでも宗教勢力に対する啓蒙運動は起こりますし、教会が現世に持っている権力をどう封じこめるかがヨーロッパ近代のなかで重要な課題になります。また、教会の側も、プロテスタントの宗教改革やカトリックの対抗的宗教改革を通じて、古代や中世と違ったキリスト教論理や倫理を組み上げていくわけですけど、日本のように徹底的に世俗体制の下に封じ込められてしまうというのとはちょっと違った展開をたどった気がしますね。

 しかも、日本では、「儀式仏教」のようなかたちではあっても、人びとの生活に密着していた仏教というあり方が、明治維新でもういちど崩された。日本国家は、その崩したあとに国家神道を定着させようとした。その国家神道は政治的宗教としては成功したかも知れないけれど、生活に密着した宗教にはならなかったように思います。しかもその国家神道がまた敗戦で崩れてしまった。日本では、宗教が意味を持つ状況が、戦国時代が終わった時期以後、何度も何度も否定されてきたんですね。それで現在の「ファンクラブ」的な宗教のあり方ができてしまったのだろうと思います。

 日本の宗教状況とヨーロッパのキリスト教の違いは、政治権力と宗教との関係の違いが関係している気はします。このへんはもっと調べてみないとわからないような気はするけど。

 一神教かどうかという面についていうと、ヨーロッパのキリスト教は土俗宗教と結びついて、キリスト教を信じる前の信仰を「聖人」信仰や聖母信仰のようなかたちで取りこみながら一面で実質的に多神教化していったわけですね。イスラム教もじつは中世には同じような過程をたどっていまして、教祖ムハンマドよりも「聖者」のほうが信仰を集めていたという時代もあるのです。それに、インドのイスラム教はインドの多神教の伝統と結びついて受け入れられていったといわれていますし、東南アジアのイスラム教も地元社会の精霊信仰みたいなのと結びついて受け入れられていった。だから、キリスト教でもイスラム教でも、一神教と多神教の融合みたいな現象は起こっていたのですね。

 で、キリスト教のほうでは、近代に入ったところで、宗教改革や対抗的宗教改革でそれを引き締めて、一神教原理主義っぽい方向に行きます。とくにプロテスタントには一神教原理主義っぽい傾向が強いですよね。イスラム教も一八世紀末から原理主義的な方向性が強まって「聖者」信仰みたいなのを否定する方向に行ってしまいます。それが近代のキリスト教やイスラム教の一神教的な峻厳さにつながってるんかな〜という見通しを私は持っています。

 近代思想とかポストモダンとかが対抗してきたのはそういう性格を帯びたキリスト教だったんで、まつもとさんが言われるように、近代思想とかポストモダン思想(ポストモダニズム)とかはそれを強烈に意識しなければ形成することができなかった。日本のばあい、そういう緊張感は無縁なところにありますね。近代ヨーロッパの市民社会というやつの形成も、その時代のキリスト教のあり方との緊張関係の下で作られてきたわけで、近代特有の「大きな物語」の存在も、そういうキリスト教との緊張関係のなかで必要になってきたといえるかも知れません。となると、日本の「近代」に「大きな物語」の存在は必要だったのかという疑問が湧いてきたりします。というより、そんなものがほんとに存在したのか、と。国家や政治のレベルでは確かに必要だったわけで、それで国家神道を作ったりしたわけです。でも、エリートじゃない人たちの国家や政治に関係のない生活の面では「大きな物語」は必要だったのか? もし必要だったとしても、そのあり方はヨーロッパ社会の「大きな物語」とは違うのではないか? そんなことも考えつきますよね。このへん、やっぱり考えてみないといけないところかもしれないですね。

 鈴谷さんが指摘しておられる「スノビズム」から「動物化」へというあたりの議論は、東氏の言いたいことはなんとなくわかるし、東氏がそう言いたいと思う気分は理解できるんですが、議論としてど〜かな〜と感じるところはありますよね。

 とくに、鈴谷さんが書いておられる「戦隊もののファンとノベルゲームのファンとでそんなに物語の享受のしかたが違うのか」という点は、たしかに東氏の議論はあまり説得的でない気がします。東氏の整理だと、戦隊ものの「オタク」的ファンは、型どおりの展開でとうてい感動できないような物語に無理やり感動していたので「スノビズム」的であり、ノベルゲームのファンはもはや「型どおりの物語展開」であることなんか気にしないで「萌え」感情に身を委ねているので「動物」だというわけなんですが……鈴谷さんも指摘しておられるとおり、「オタク」が戦隊ものを物語レベルで楽しんでいたというよりは、やっぱり個々の要素に分解して自分が興味を持ったり熱中したりすることのできる要素に集中して楽しんでいたのではないかという気はしますよね。

 鈴谷さんや私に深く関係することでいえば、東氏が「虚構の時代」から「動物の時代」への分水嶺として挙げておられる一九九五年という年は、『赤ずきんチャチャ』の放映が終わり、『ナースエンジェルりりかSOS』や『愛天使伝説ウェディングピーチ』や『とんでぶーりん』(たしかに「ぶひっ」とか言って動物化はしてましたけど……)や『飛べ!イサミ』や『魔法騎士レイアース』が放映されていた年、それから『スレイヤーズ』シリーズがアニメ化され始めた年にあたりますよね。で、たとえば『チャチャ』は「虚構」的に、『りりか』以後の作品は「動物」的に享受されていたかっていうと、そんなことはないと思います。多少のぶれを考慮して、『姫ちゃんのリボン』・『赤ずきんチャチャ』・『りりかSOS』・『こどものおもちゃ』(この作品は東さんも当時ご推奨だったらしい)の放映されていた一九九二年から九八年までとっても、そのあいだに「オタク」的ファンのこの一連の『りぼん』アニメへのつきあい方がそんなに変わったとはいえないと思いますし。それは勇者シリーズでもそうだし、『マーマレード・ボーイ』から『クレヨン王国』・『おジャ魔女どれみ』シリーズにいたる日曜朝の『なかよし』枠でも同じだと思います。

 ノベルゲームのばあいは、システム的な制約で、テキストがどどっと流れて、あとは背景とキャラの絵だけで、特別のイベントがあったときだけ「一枚絵」というその場面を精密に描きこんだグラフィックスが出てくるというシステムになっていたわけですね。うん。『To Heart』でテキストがずらずら出てくる画面を見たときにはたしかにたまげましたよ。でも、それは、東氏も書いているように、システム的な制約から来る要素という面がある。それに「全シナリオコンプリート」という方向性は売る側が戦略的に意識していましたからね。これは東氏が特筆している『YU‐NO』に限らない。特別のイベントに遭遇したときだけ、しかもばあいによっては恋愛値とか関係値とかいう隠しパラメーターが高くないと見られない「一枚絵グラフィクス」というのは、全シナリオをコンプリートしないと全部は見られないしくみになっていたし、ばあいによっては、一回目のプレイでは現れない選択肢があとで出てくるとかいう仕掛けを作っているゲームもあった。そのかわり、一回ずつのプレイはわりと短い時間で終われるように設計してあったと思います。「全シナリオコンプリート」というのは売る側の戦略としてあったわけで、それを販売戦略どおりに享受したからって別に「オタク」が特別だなんてことにはならない。消費者が販売戦略に応じた行動をとったという点では、カメラつき携帯電話が出てそれで撮った写真を送り合うユーザーが出てきたのと同じです。

 しかも、それを画像レベルに分解してマッドムービーを作っている「オタク」もいましたけれど、旧来のように同人誌を作ってコミケで売ってるファンもそれに劣らずたくさんいるわけですね。その片方だけとり上げてそっちを典型だというには、ちょっと議論の進めかたが強引な気がします。

 だから、この時期を生きてきた(東氏のいう)「オタク」の実感から言えば、一九九五年の断絶というのはあんまり実感できないんですね。

 これも『動物化する世界の中で』を、第六信まで(奇数号が東氏、偶数号が笠井潔氏の発言)、つまり東氏と笠井氏がケンカを始めるところまで読んだ印象で言うと、東氏はどうも発言の対象を非常に細かく区切って文章を書いているらしい。東氏が書いているところによると、ウェブの読者は二〇歳代以下、新書の読者は四〇〜五〇代ぐらいって感じでしたか(『動物世界』三五頁)。この点についても、「ウェブに掲載してから新書版で出版する」という形態の対談で「どこに主要な読者を想定すればいいか」ということに戸惑いを表明する東氏に対して、笠井氏が、大げさに言えば「ものを書くときなんて、たいていどんな読者に読まれるかわからないもんで不安になるもんだよ。自分もそうだった」的な応じかたをして、それでまた東氏が怒ったって文脈があるみたいなんですね。

 そういうことを考えると、東さんとしては、『動ポモ』はやっぱり「オタク」体験のない四〇歳代以上の人間に「この現在の日本社会には「オタク」っていうのがいて、それは動物化していてこんな生態をしていて、それがけっこう重要なんですよ」ということを説得するために書いたというつもりがあるんじゃないかな。それに対して当の「オタク」からクレームをつけられても、「それは読者としてサポート対象外です」という意外感が東氏にはあるんじゃないかな、という感じもするんですね。

 あと、これは私にとっても他人ごとではないということを前置きして言うんだけど、東氏はやっぱり『エヴァンゲリオン』を見た個人的体験が大きな衝撃だったんじゃないかと思います。それが、『エヴァンゲリオン』画期説、ひいては一九九五年の「虚構時代/動物時代」画期説の基礎にある。

 ところが、私にしても、もしかすると鈴谷さんもそうかも知れないけど、『エヴァンゲリオン』はたしかに大きな作品だったけど、『無責任艦長タイラー』や『赤ずきんチャチャ』のほうがよほど画期的な作品に思えるわけです。それに、『タイラー』の平田智浩さんや、『チャチャ』の山口宏さん、桜井弘明さん、大地丙太郎さん、佐藤竜雄さん、たなかかずやさんが、一九九〇年代末から現在に至るアニメの中堅的な担い手になっている。九〇年代より前から活躍している人では、『セーラームーン』シリーズや『おジャ魔女』シリーズの最初の部分を手がけて長期シリーズの基礎を作った佐藤順一さんも重要ですよね。『エヴァンゲリオン』で活躍した庵野さんや前田真宏さんも八〇年代から活躍しているし、少なくともあのイラク情勢と北朝鮮に翻弄されて放送スケジュールがずれまくった作品『ふしぎの海のナディア』ではそれぞれ「作家性」を確立していました。

 そういう人的な連続性を考え、それをファンがどう見てきたかということを考えると、一九九五年に大きな画期があったとはちょっと思えないんですね。私自身が『エヴァンゲリオン』の大ブームのときに感じたのは、いままでアニメになんか何の興味もなかった人がいきなり『エヴァンゲリオン』の話をし始めて、しかもその多くが『エヴァンゲリオン』や庵野秀明に口々に悪口を投げつけて、そして『エヴァンゲリオン』のブームが去るとまたアニメには何の興味も示さなくなったという現象でした。つまりあれは「社会現象」ではあっても「オタク」の現象ではなかったと思うんですね。

 だいたい、『エヴァンゲリオン』がずっとアニメを見てきた人たち以外に爆発的にブームとして受け入れられたのは、放映開始の一九九五年ではなく、再放送から最初の劇場版があった一九九七年の年頭あたりだったと思いますね。そういう意味でも一九九五年画期説っていうのはへんだと思う。

 ノベルゲームにしたって、同じグラフィックで描かれる娘を何度も違う育てかたをして、女王にしたり将軍にしたり夜の女王にしたりして楽しむという『プリンセスメーカー』は一九九五年より前からあるわけでしょ? ギャルゲーとかノベルゲームとかはその発展型だというのが、『プリンセスメーカー』をプレイしていた私(あのころ鈴谷さんにはたいへんお世話になりました!)の実感であるわけで、そんなに違いがあるとはちょっと思えないですね。いや〜私は「2」の娘がいちばん好きなんだけどなぁ。キャラクターデザイン的にわりと内向的な感じで、いまでも一〇歳代の娘らしい「萌え」を感じます。「1」の娘とかユーシィとかももちろんいいんだけど、「1」は自分ではプレイしていないしね。

 それとも私なんかは「一九九〇年代前半の時点で九五年以後のオタクのあり方をすでに実現していた動物の先駆者」ってことになるのかな? 違うと思うんだけどなぁ……。

 

へーげる奥田

 う〜ん、話がなんか天下国家系になりがちですねえ。まあいいか。

 さて、鈴谷氏の指摘された「スノビズム」について一言。「戦隊ものなど決まったフォーマットの作品を、それを知ってあえて楽しむといったスタイル」がスノビズムというように用語定義するならそれもいいけど、それはひとえに「プロトコル」といいますか、意思疎通の規約の問題だと思いますね。たとえば私は関西の吉本演芸とか観ても何が面白いのかぜんぜんわかりませんが、これを観て面白いと思うような世界観を持っている人、思考のシステムを持った人は面白い。これを称して「イデオロギーを(実質的な価値の有効性を問わずに)無条件に信奉し行動規範とする様式」と言っていいのか。う〜んなかなか難しいですねー。

 あと、私にとって「画期的」なアニメ作品と言えば、『魔法のプリンセスミンキーモモ』ですねー。それまではアニメなんかあんまり観なかったですし。この作品は日本のテレビアニメ史的にもけっこう大きい作品だと思うんですけどねえ。

 

清瀬 六朗

 「大きな物語」とかいう話をするとどうも話が天下国家系になりますね。まあ東氏の狙いそのものが「天下国家系」にあるような気もしますけど。

 東氏の議論というのは、一九六〇年代からずっと放映されているアニメの一部の作品だけ切り取って、それを日本社会にとって画期的な作品だと断言する傾向があります。とくに、『動ポモ』では『エヴァンゲリオン』とか『デ・ジ・キャラット』とかだけを大きくとり上げている。『郵便的不安たち』ではもう少していねいに日本のアニメ史を追っていますけれども、『エヴァンゲリオン』に大きな画期を置く議論は同じだと思います。

 でも、『WWF26』で鈴谷さんがまとめてくださったように、アニメはいろいろな作品が放映されて来ているわけで、ファン一人ひとりにとって画期になる作品は違うはずです。一人ひとりにとって違うから社会全体で画期となる作品を決められないということもできないと思いますが、なぜそれが画期なのかの説明がちょっとよくわからないところがありますね。

 ノベルゲーム論のほうでは、『YU‐NO』というゲームがそれほど広く認知された作品ではないことを前提として作品の構造や内容を分析し、ポストモダン社会の多様な側面を一つの作品のシステムや物語上に表現した周到な作品であると結論しているわけですが、『エヴァンゲリオン』や『デ・ジ・キャラット』に関しては議論の運びにそこまでの慎重さがないような気はします。

 『エヴァンゲリオン』のファンがそれまでの「オタク」の中核であって、その中核部分が五年後には『デ・ジ・キャラット』に「萌え」たというのならわかるのですが、私自身はそうではないように感じています。きっちりした統計データがあるわけじゃないですけど。まず、『エヴァンゲリオン』では、それまでのアニメやガイナックス作品を観てきたファンと、それまであまりアニメに関心がなかったのに『エヴァンゲリオン』をともかくも熱心に見ようとしたファンとでは、作品への接しかたが違っていたように思います。また、『エヴァンゲリオン』のファンが『デ・ジ・キャラット』のファンに重なっているかどうかもわかりません。『デ・ジ・キャラット』は、「オタク」の人たちはともかくも存在は知ってると思いますが、社会現象になるほど「オタク」界外の人に知られているわけではないですし。作品の社会のなかでのあり方が違うと思うし、アニメファンのなかでの位置づけも『エヴァンゲリオン』と『デ・ジ・キャラット』では違うんじゃないかな〜と思いますね。

 『動物世界』を少しずつ読みすすめています。この第三信と第五信で、東氏は、対論相手の笠井潔氏の応答に相当に苛立ちながら「八〇年代には「大きな物語」がフェイクとして想像的に回復された」という論の説明をしています。

 それによると、国民が共同に追求できる目標が消滅したのに、みんなが同じ「消費社会」に属しているという幻がメディアを通じて流布され、その結果、八〇年代の人間はみんな同じ目標を目指すという共同性を持っているかのような錯覚に陥った、それが「八〇年代には「大きな物語」がフェイクとして回復された」ということの意味なんだそうです。そして、一九九〇年代になると、そういう消費社会への幻想も崩れて、一人ひとりが自分の「萌え」に閉じこもるようになり、「大きな物語」はフェイクとしても存在しなくなったというわけです。

 一九八〇年代に日本人がみんな「消費社会」という目標を追求しており、それが日本社会の共同性を形づくっていたと東氏は強固に主張しています。しかし、一九八〇年代を生きてこられた方には「ほんとうにそうでしたか〜?」と聞いてみたいと思います。少なくともそれは私の実感からはずれています。東氏の主張は、バブルのほんの数年の社会の一面である狂躁状態を一九八〇年代全体の日本社会全体の現象として拡大解釈したもののように私には感じられます。

 それはいいとしましょう。

 より本質的な問題だと思うのは、「消費社会に向けてメディアで煽られている」というのが、たとえフェイクとは言え、それ以前の「大きな物語」に代替するような質のものなのかということです。そのことを問い始めるとこんどは一九七〇年代まで共有されていたという日本社会の「大きな物語」が何なのかがじつはよくわからないという問題に直面する。少なくとも「マルクス主義」というような「イデオロギー」ではないらしいのですが、では何なのか?

 しかも、日本国民が全体に共同性を失いながら、「メディア」の煽動によって「消費社会」という方向に揃って向かわされていたことを「フェイクとしての大きな物語」というのなら、みんなが同じように「萌え」感情に動かされていることだって「フェイクとしての大きな物語」ととらえることだってできるかも知れません。どうして「消費社会」は「フェイクとしての大きな物語」で、「萌え」は違うのか? その説明が不十分な気がします。少なくとも、東氏が紹介している大塚氏の「物語消費論」と「消費社会が大きな物語のフェイクである」という議論は、東氏は結びつくように書いているのだけど、結びつかない気がする。だって、「消費社会」には、大塚氏が「物語消費」の典型として挙げているガンダム世界のような物語は存在しないわけでしょ?

 ついでに言うと、なんでも一九六〇年代の話にしてしまう笠井氏の話に東氏が苛立つのは、それはそれでよくわかる。何の話をしていてもすぐにそのへんの話にしてしまうオヤジは私の身のまわりにもいるので、それに辟易したり苛立ったりする気もちもよくわかる。けれど、いま第六信までを読んだ感想から言うと、東氏のほうだって、笠井氏が提起しているマルクス主義とルカーチとスターリニズムの違いと共通性みたいな話題にぜんぜん理解を示していない。相手に「私の言っている七〇年代と八〇年代と九〇年代の違いを理解しろ」と言うのなら、自分も相手の言っていることを理解する姿勢が必要だと思うんですけど、違うんだろうか……?

 

鈴谷 了

 八〇年代の「消費社会」ということに即して言うと、一九八二年に西武百貨店(セゾングループ)が糸井重里の「おいしい生活」というキャッチコピーを出して一世を風靡しました。このコピーは、耐久消費財がほぼ普及して「終わった」と思われていた消費社会が、別の価値観で持続しうる可能性を知らしめた、という点で今でもメルクマール的な扱いをされています。私個人は当時関西に住んでいたので、このコピーはパルコ(ここもセゾン系だ)の出していた『ビックリハウス』のパロディで初めて知ったんですけどね。ともかくそれがかっこよかったわけです。私も就職活動の時はセゾンの説明会聞きに行ったし。

 で、東氏が念頭に置いているのはその辺のことではないか?と思ったりします。即時的(家庭内労働の軽減とか、利便性の向上とか)な消費の時代が終わり、消費それ自体に価値があるような時代が来た、とセゾンをはじめとするメディアによって語られた。その流れを「国民によって共有された」と東氏は言っているのかもしれません。一九八二年だとまだバブルは来ていないじきですし。

 ただ、それが国民全体の共同意識になっていたか? という点ではやはり疑問符が付く。東京という場所や、特定の職業といった層では当てはまったかもしれませんけども。逆に七〇年代以前として東氏が想定しているものは、「消費」という言葉をキーワードにすると、「消費は美徳」ということになるんでしょう。このスローガンのニュアンスは、「たくさん消費をすれば経済が発展してGDP(当時はGNPか)が伸びるよ」という、国家的目標とリンクしていたわけです。この点だけ捉えれば、「消費のあり方(指向性)が変わった」とはいえるかもしれない。ただそれが「物語」さらには「萌え」に結びついていくあたりは論証が薄いというのは私も同感です。

 あと東氏は「世代論」に持っていくのがお好きなようですが、たとえば子どもの頃にテレビアニメなんかなかった、という人が長じてからアニメファンになるのはかなり困難です。しかし、それを見て生まれ育った人々が出てくると、その中に成長しても興味を持ち続ける人がある程度出てくる。作り手側もそれを意識したスタイルを取り入れる、という現象が「アニメブーム」以降ということができます。しかし、これとほぼ同じような軌跡をコミックというジャンルでもたどっているわけですね。いわゆる団塊の世代のオヤジたちがその担い手でした。なのにその享受のあり方が違うと言われている。ならば、その「違い」の由来をもう少し突き詰めた方が、「おまえの言うこと理解できん」と突っぱねるよりは建設的だし、東氏の論証としても必要なことじゃないかと思います。

 あ、それで今思いついたんだけど、この辺の意識は東氏の日頃の研究や教育生活での実感と深く結びついているんじゃないかな。「団塊世代」の先輩研究者は「オタク」に冷たく、一方で自分の学生たちのアニメやゲームの享受の仕方がどうも自分が経験してきたものと違っているように見える。それを何とか説明できないか、という意識があるのかなと思います。この辺は近い立場にいる清瀬氏やまつもと氏のご意見もうかがいたいところです。

 

清瀬 六朗

 八〇年代の「消費社会」化について、東氏はたしかに『動物世界』で糸井重里の「おいしい生活」の話に言及していますね。で、対論相手の笠井潔氏が、六〇〜七〇年代の思想状況との関係で批判的にこの糸井重里を含む何人かの名前を挙げて、それがまた例によってケンカのネタになっているという……。

 たしかにセゾン系の八〇年代の栄光と九〇年代後半の苦悩と没落というできごとは二〇世紀末期から二一世紀初頭の日本を大きく象徴していると思います。西武百貨店のグループはいまそごうとひとまとめになって再生されている過程だそうです。この組み合わせが私にはとても唐突なものに感じられます。西武百貨店グループは八〇年代に急速に目立つようになった企業だし、経営のトップが詩人・文学者・批評家でもあり、その「感性」を活かすという方向性を売り物にして成長した会社です。そごうのほうは、老舗だし、専制君主化した老経営者が状況を見失って失敗したという古い企業にありがちな壊れかたをしている。八〇年代に「新しさ」を感じさせたセゾンがそういう企業と組みになって再生されなければならない―八〇年代の「新しさ」は二一世紀初頭ではぜんぜん意味を持たなくなっている。そういうことはたしかに感じますね。もっとも、経済学的にいえば、むしろ同じ体質の企業ではなく異質の企業だから組み合わせて再生させる意味があるんだ、ということになるんで、ほんとうはそごうと西武の違いがなくなったわけではないんでしょうけど。

 ただ、鈴谷さんが書いておられるように、その「消費社会」志向が「国民」全体の共同意識になっていたか、というと、私はよくわかりません。それに、繰り返しになりますが、かりにそうなっていたとしても、それが「大きな物語」に代替したと言えるのかどうかが疑問です。たとえば、東氏によると「大きな物語」が機能していた時代、太平洋戦争末期(一九四四〜四五年)の特攻隊員は日本の民族や国家や天皇のためならば死ぬことを厭わなかった。六〇年安保闘争・七〇年安保闘争で「闘争」の先頭に立った学生たちも、自分の政治的目標のために命を引き替えにする情熱を持っていた。ほんとうにみんながそうだったかどうかは知らない。周囲の雰囲気でそういう立場表明をしなければならなかったとか、落ち着いて考えて判断をする余裕がなくてそういう立場に追いこまれていったとか、そういう例も多いと思う。けれども人をそういう方向に持っていくことこそが「物語」の機能なんでしょう。ともかく、「大きな物語」が機能していた時代(と東氏が時期分けしている時代)には、その「物語」上、必要だと思ったときには、命さえ引き替えにすることが当然とされたわけです。

 じゃあ、「消費社会」が危機にさらされたら、八〇年代の日本国民は「消費社会」を救うために命を投げ出す覚悟だったのか? そんな覚悟のある人がどれぐらいいたのでしょう? そういうことを考えると、この「消費社会」志向が「大きな物語に代替していた」という議論にはやっぱり納得しにくいものを感じます。

 東氏が強調する「一九九五年ごろまでとそれ以後の日本社会の違い」という実感は私にもないわけじゃないし、それがセゾングループ的なものに象徴される一九八〇年代資本主義のあり方と深く関係しているのも理解できる。だから、それをなんとか説明し位置づけなければならないと考えているらしい東氏の姿勢はほんとうに立派だと思いますし、肯定的に評価したい。わからないことがあったらともかく説明しようと試みるというのは知識人として誠実な態度です。ただ、やっぱり、「大きな物語の時代〜ニセの大きな物語の支配する虚構の時代〜ニセの大きな物語すら不在になった動物の時代」という図式の内容そのものには同感できないというのが私の感じているところですね。

 端的に言って、『ガンダム』の受け入れられかたと、「セゾングループ」的なものの受け入れられかたは違うような気がするんですけどね〜。

 繰り返しますと、一九八〇年代(一九八〇年代前半から一九九〇年代の初めごろまでの時期)の独自性については、東氏の言うようにきちんと評価し直さなければいけないと思います。これは東氏に教えられた点ですね。一九七〇年代までの社会や一九九〇年代以後現在までの社会を説明するための枠組に押しこんでは、何かたいせつなものを見落としてしまう。そのことは、東氏の文章を読んで、あえて言えば東氏が『動物世界』で笠井氏にしつこくケンカ売ってくれたおかげで、はじめてはっきりと気づくことができました。

 この時期はバブル経済の時代と言うこともできるわけで、バブル経済というのは、経済学的には金融政策の大失策によってもたらされたと説明されている。つまり、景気が十分によくなっているのに、当時は不調だったアメリカ合衆国の景気への配慮から、景気拡大に向けた金融政策を継続してしまったんですね。それで過剰に景気がよくなり、バブル経済が発生したと説明されています。

 ただ、この時代の「バブリィ」な雰囲気というのは、そういう金融政策の誤りからだけもたらされたものなのかというと、やはり違う気がします。もっと大きな社会的な変化がかかわっていたというのが実感です。たとえば、東氏のいう「ポストモダニズム」の流行がこのバブル現象に並行しています。『動物世界』での東氏のまとめによると、「ポストモダニズム」は一九八〇年代に急速に拡大し、一九九〇年代には絶滅してしまった。浅田彰や柄谷行人といった「ポストモダニズム」の先導者たちはいまでも活動を続けているけれども、現在のこの人たちの活動はとても「ポストモダニズム」とは呼べないというのが『動物世界』での東氏の位置づけです。だとすると、一九八〇年代に大発展して九〇年代に凋んでしまった日本の「バブル」的景気と「ポストモダニズム」の盛衰とは一致することになるわけですね。これはいったい何なのだ、と。

 この経済の盛衰とポストモダニズムの盛衰は、実際にはある程度の成果を残しているのに、それが現在の時点からぜんぜん評価されていないという点でも共通しているように思います。いくら日本経済がダメになったと言っても、世界第二位の経済大国という経済規模はいまでも維持しているし、ナノテクノロジーなど日本が世界のトップクラスである分野も存在している。私たちはいまでも「バブル経済の残したもの」の上に現在の経済生活を成り立たせていると思うのです。しかし、「バブル」は悪だ、汚点だという方向でしか言及されない。同じように、「ポストモダニズム」があったために、日本の現代思想はいろんな思考の道具を手にすることができたわけです。しかし、『動物世界』での東氏の文章を読んでいると、現代思想の世界ではやはり自分たちが八〇年代「ポストモダニズム」の遺産を継承しているという認識が薄いように思います(東氏はそのことには自覚的で、「ポストモダニズム」の擁護者を自任しています)。

 なんでこう一九八〇年代って「なかったこと」にされるんだろう? 東氏の思考は、そういう問題意識に向いており、それが「動物化」論にも影響しているのかなという気はしています。

 

鈴谷 了

 一九八〇年代の認識についてですが。

 思想の上では「ポストモダニズム」だったわけですけど、それ以外の若者文化の世界でも「七〇年代(以前)」の否定というのが風潮だったという印象はあります。「まじめ」は「ださい、暗い」と思われて、「おもしろく楽しい」ことがよい、という価値観が支配的だった。今は「改革派」の知事とされている田中康夫の『なんとなく、クリスタル』がそうした時代の象徴のように言われたりもしました。

 で、アニメファンが若年層の間に一定の基盤を持つようになったのも一九八〇年代のことです。つまり、バブル・ポストモダニズムと同じ時期に発展した、という歴史がある。それが偶然の一致だったのか、それとも何らかの連関があるのかについては慎重に判断する必要があるのではないか? というのが私の認識です。

 一つ例を挙げると、東氏は「オタク」の行動がポストモダンを象徴するような書き方をしている。しかし、一九八〇年代においては「オタク」は若者文化の主流ではなく、むしろ傍流といった方が適切だったと思います。東氏はそれが連続少女誘拐殺人事件をきっかけにネガティブなイメージをつけられた、と書いていますけども、それ以前においても若者文化の中ですら、「オタク」はしばしば嘲笑と軽蔑の対象になっていました。(「オタク」には「まじめ」なことへの指向が初期には特に強かった)

 もし、「オタク」の動向が時代の潮流に即したものだったのだとしたら、それはもっと大きなスパン(「クリスタル」系から「オタク」系まで含めた若者文化全般とか)で論じる必要がある。あるいは、「クリスタル系」(「ホイチョイ系」と言ってもいいかもしれません)と「オタク」系の違いというのは表面的なことで、両者に通底する要素があるといったような論証がないと説得力に欠けるんじゃないかという気がしています。

 

清瀬 六朗

 そうそう。一九八〇年代の田中康夫ですねぇ。田中康夫が、当時はまだ存在した『朝日ジャーナル』の執筆者の一人として出てきたとき、「なんでこの人がこんなまじめな雑誌に?」と思った記憶があります。『朝日ジャーナル』というと、筑紫哲也がこの雑誌の編集長だったころ、そのころ各界で活躍をはじめていた注目される若手の人たちへの連続インタビューシリーズを「新人類の旗手たち」と名づけたら、その「新人類」ということばが「価値観も考えていることもわけのわからない最近のワカモノ」というイメージで広がってしまったということもありました。筑紫の意図としては、とくに『朝日ジャーナル』の古くからの読者層が考えているような「若者は(左翼的な意味で)ラディカル」という思いこみを覆し、これまでの価値観とは違う価値観を打ち出すにしてもいろいろなやり方があるのだということを打ち出したかったんでしょうが、そういうふうには理解されなかった。東氏が関心を寄せている浅田彰なんかもこの欄でとり上げられていた記憶があります。若者文化が「軽い」と言われ、「若者」の側でも「軽い」ことが自己肯定的に語られ、これからの時代は「重厚長大」よりも「軽薄短小」がいいというように言われていた。浅田彰の本も「軽やかさ」という価値観の下でもてはやされていたところがあります。

 そういうなかでいわゆる「オタク」系文化は若者文化の主流と思われていなかったのは確かですね。というより、当時の「若者文化の主流」というので受け入れられていたものというのは、いろんな分野でメディアの宣伝に巧く乗った一部分の集合体だったような気もします。それぞれの分野に詳しい人から見れば、「主流」に受けているのはその分野のごく一部に過ぎないし、しかもその分野に詳しい人たちからは、一般受けするものは「つまらないもの」と受け取られていた。逆に、べつにアニメなどでなくても、一つの分野に集中して関心を持ち、それ以外のことに無関心だという人たちは傍流視されているような雰囲気もあったように思います。一九八〇年代の「オタク」というのはそういう傍流の一派だったように思います。

 そういう「主流」・「傍流」の対立はいつの世にもあるんじゃないかという気はしますが、八〇年代のばあい、やっぱりメディアの役割が、七〇年代までや現在と違って独特だったのかなという感じはします。それまで「若者文化」を軽視してきた大きなマスコミなんかが、それに積極的に乗り始め、広める側に回ったのがこのころかなというふうに思うんですね。フジ‐サンケイ(産経)グループがいまの『SPA!』につながる方向へ大きく変わったのもこの時期だし。

 東氏自身は『動物世界』でしきりに八〇年代を語らなければならないといいつつ、対論相手の笠井氏とケンカしているうちに紙数が尽きてしまったようなかっこうになっていて、あんまり自身でも語ってないんですね。語っている内容もポストモダニズムのこと(浅田彰や柄谷行人のこと)が中心で。それと、『動物世界』の東氏の文章を読むと、東氏は八〇年代以後の変化には強いこだわりを見せるのに、それより前については非常に通説的・図式的に割り切ってしまっている感じがしますね。

 東氏の議論を叩いているだけではしようがないので、私のほうから「オタク」的な人間とその文化の特徴を一つ挙げるとしたら、意外と学術の通俗化みたいなところがあるんじゃないかと思うんですね。

 学術というのは、自分の好きなものについて、資料とか情報とかを集めて、それを分析して、それを世のなかに対して公表するという行いであるわけです。学術のばあい、そこに、史料批判とか、先行研究を参照しなければならないとか、すでに言われていることの繰り返しではいけないとか、いろんな規則が加わり、厳格さというのが保たれているわけです。しかし、そのために保守的になりがちな傾向があって、いままで言われていたこととまったく違うことを言ったり、いままでとり上げられなかった題材を採りあげたりすると、非常に強い抵抗に遭遇するという構造があります。これは、学界の権威を保持するための自己保存行動みたいな一面もあるのでしょう。また、電子メディアが普及するまでは、発表メディアが学術誌などに限られているために、内容を厳選しなければならないという事情もあったのだと思います。だから、「自分の好きなものについて調べてその成果を発表したい」という意欲はあっても、学術的方法論をきちんと身につけていない人はその意欲をなかなか満たせない実情がありました。

 ところが、電子メディアの普及で、自分の調べた成果をかんたんに公表できるようになったし、また、それまで少しでも専門的な資料を調べようと思ったら紹介状とかを書いてもらってその専門の図書館に通って資料を見せてもらうとかしなければならなかったのが、インターネットでわりとかんたんに調べることができるようになりました。また、いったん市場が成立すると、それまでよほど詳しいその道の専門家しか知らなかったような知識が、ゲームの攻略本を出しているような出版社から一般向け書籍として販売されるようになってくる。『三国志』などについては、私が高校生のころにけっこう苦労して調べた知識以上のものがいまはごくかんたんに手に入りますからね〜。

 そうなると、学術の手続を経ないで「自分の好きなものを追求してその成果を公表する」ということができるようになってくる。あるいは、発表しなくても、自分の好きなものをどこまでも追求するということがわりとかんたんにできてしまう。しかもそれが何についてもできてしまう環境ができたわけですね。

 そういう学術の根本にあったような知的興味が、学術の厳格さに阻まれることなく解き放たれたのが「オタク」現象じゃないかと思うわけです。

 東氏本人は、一「オタク」だった自分がどうして現代思想研究家でもあり得るのかということになんらかの戸惑いを持っているように見受けられます。それが『動ポモ』を書いた一つの動機のようでもあります。けれども、私から見ると、学術と「オタク」では根底の心性は共通していることがあるわけで、「オタク」が一流の研究者でもあるというのはそんな不思議なことには思えないんですね。

 

へーげる奥田

 なるほど、「学術の通俗化」ですか。それは、少なくとも私にとっては、いくつかのすっきりしなかった点がすっと説明できるような概念ですねえ。

 バブル経済の時期について、ひとつの象徴的な位置にあるコンテンツを挙げるとするならば、ホイチョイプロの『見栄講座』だと私は思っています。

ひとくちに「オタク」といっても、1980年代当時はそんなに一元化されていなかったようにも思えます。インターネットはおろかパソコン通信もあまり普及していなかったし、「場」の提供はいくつかの雑誌によるものがせいぜいで、情報の扱い方などは今から考えるとずっと遅く、また稚拙だったように思います。今だったら、間違った情報を流したりするとたちまちツッコミが来ますが、当時は雑誌のコラムに堂々と間違った情報を書くライターなども多かった。たとえば「オタク族」の語源について、「相手をおたくと呼ぶなんて言ってるバカもいるけど、玄人はコミックマーケットが大田区で行われたから大田区族だという正しい語源を知っている」などと偉そうに主張したライターもいました。もちろんガセネタですね。この時代は、こういう感じで、かなりいい加減な情報が存在を許されていた時代だと思うんですよ。

ところが、ホイチョイプロが新しい方法を提示した。それは、おそらく清瀬氏の言う「学術の通俗化」という説明がすっきりくるんですが、学術的な手法で文化を語ったり利用したりする、具体的にはいろいろな文化という「場」において、「えらそうにふるまう」ための方法論的手法の提示だったわけですね。その代表格が『見栄講座』だったわけですが、この「方法」は、相当なインパクトがあったと私は考えています。これは、のちにバブル経済の象徴とされるいくつかの文化現象についてマニュアル的に指南しているもので、巷の「トレンディーな若者」にとどまらず、こうした専門的な(専門的に見える?)アプローチは「オタク」と称される人々の「方法」にも多大な影響を与えたのではないかと、私は勝手に思っています。それまでは、「オタク」というくくりはそれほどの集約力をもっていなくて、いまよりずっとバラバラの「ファン」と「マニア」の延長だったように記憶しています。だから、私らなどは、長いこと自らを称して「アニメファン」とか「マンガファン」などと称してきたわけですね。そしてこの方向性が、後のインターネット等による情報の高速流通によって爆発的に発展したというシナリオなんですが、まあちょっとツジツマの合わせすぎでしょうかねえ。

 

清瀬 六朗

 そういえばたしかに1980年代には「オタク」ってそんなに集約力を持っていることばではなかったですね。「アニメファン」とは言っていましたし、自分がそうだという自覚もありましたが。だから、「オタク」ということばが流通しはじめたころ、自分がその括りに入るのかどうか、かなりとまどった気がします。というより最初は他人様のことだと思ってたですよね。相手のことを「おたくさぁ」とか呼ぶ人じゃなかったし。1991年に、私の家に来たある昔からの友だちから「おまえオタクか?」と言われて、ああそうか自分はオタクってものだったのかと思ったのを覚えています。

 『見栄講座』は、当時は私は存在しか知らなかったんですが、のちの「オタク」に大きな影響を与えたと言う話にはそのとおりのように思いますね。

 80年代について、情報の与え方が限定されていた上に拙かったのもそのとおりだと思います。一部の情報通に情報を頼るとか、アメリカから流れてきた情報をそのまま流すとか。それで、宣伝に巨費を投入した製作会社の方針がわりとそのまま通用していた時代だったのかなという気はします。

 それが電子ネットワークの普及でそれ以外にもいろいろ情報の流れが生まれたわけで、「ツジツマの合わせすぎ」じゃなくてあたっていると思いますよ。

 

鈴谷 了

 『見栄講座』的なスタイルが、「オタク」系の文化に形を変えて入ってきたのが、衒学的な物言いであったり、「俺はこれだけものを知っている」的な感覚だったとしたら、確かに通底していたといえますよね。

 それと、情報が流通するタイムスパンがずっと長かった。雑誌なら投稿して誌面に載るのに二ヶ月、またその反論が載るのに二ヶ月、という具合でしたから、読者が肝心の議論の元ネタを忘れてしまったり、「旬」を逃してしまったりと言うことが珍しくなかった。純度の低い情報が堂々と行き渡ったのもそうした背景があったからですね。

 同時に、作り手と受け手の間がまだかろうじて画然と別れていた。アニメスタジオなんかに近づけるのは東京在住の限られたファンだけでしたし、スタッフの声を知ることができるのはあとはせいぜい雑誌に載ったインタビューくらいしかない。したがって、制作サイドが作品についての情報をコントロールすることがかなりできた。今ではスタッフ自らがホームページ持っていたり、匿名掲示板に製作裏事情とかがいとも簡単に流出したりしてしまう。「シミュラークル」論に近い話になってきますが、そうした議論が成立する前提として、作品の複製技術以前に商業作品を権威づけていた要素のいくつかが希薄になったということもいえるんじゃないかと思います。

 清瀬氏の「学術の通俗化」という観点は、いわゆるIT化によってもたらされるとされる変革の「典型例」ですよね。一般企業の場合はまだIT化で組織が完全にフラットになったり、プロパーの内部社員と外部の人間を分け隔てなく扱うというのはまだ少数派でしょう。しかし、学術の世界では、扱うものが「情報そのもの」だったために、そうした変化が早く訪れた、ということもできるんでしょうか。

 

へーげる奥田

 いや、「衒学的な物言い」とか「俺はこれだけものを知っている」的な感覚もたしかにそうなんですけど、どちらかというと問題なのは、そのソフィスティケイテッドな情報の精度、きわめて精緻で、従来なら捨象されていたであろう要素も対象とするアプローチというような方法なんですねえ。

その具体的な展開は、たとえば「と学会」の方法などへの発展に見ることができると私は考えています。もちろん、「と学会」がホイチョイの影響下だとかそういう直接的な話ではないんだけども。

 補足すると、まえに例を挙げたような曖昧な情報の存在を許さない、徹底した「情報の品質管理体制」の確保、とでも言いましょうか。

ホイチョイの『見栄講座』の衒学性の方向への発展形として受け入れられたのが『なんとなく、クリスタル』だったとすると、厳密学的な方法論(まあそこまで大げさなものではないかもしれませんが)の方向への発展形が「と学会」、といった感じです。

 

清瀬 六朗

 鈴谷さんが書いておられることですけど、情報のタイムスパンが長かったというのはそのとおりですよね。雑誌の投稿欄とかでえんえんと議論が続いたりしてるんだけど、鈴谷さんの書いておられるように、そのうちに元ネタを忘れてしまうんですね。あるいは、アニメについての議論なんかのばあい、元ネタのほうが新たな展開に入ってて議論しててもあんまり意味がなくなったりして。で、「まだやってるのか、もの好きだなぁ」ということになってしまう。いまだったらその夜のうちに「Re:」とか「Re^2:」とかで掲示板に延々と書き込みが積み重なってしまうでしょう。それが作品の理解につながっているかどうかは別ですけど。

 鈴谷さんの書いておられる作り手と受け手の関係も重要ですね。それに、これは前の鈴谷さんの書きこみにあった点ですけど、最初からアニメが好きでアニメやゲームの制作現場に入っていったという人が飛躍的に増えたということは大きいんじゃないか。1980年代ごろまでは、「絵が巧かったから」とか「絵を描くのが好きだったから」とかいう理由でアニメーターになっていく人はいるし、その動機づけにはアニメを見たことが大きく作用していたかも知れないけど、「アニメが好きだったからアニメーターになった」という人はそう多くないんじゃないかと思う。「声優」だってもとは舞台俳優の仕事の一つだったわけですね。芦田豊雄が『成恵の世界』のDVDのブックレットで「声優なんて仕事はない、役者の仕事の一つだ」なんて話をぶってますけど、でも、現在では最初から役者業なんかには何も関心がなく、「声優になりたい」という動機でこの世界に入ってくる人がたくさんいるわけです。

 アニメ・特撮好きがアニメや特撮を作るというのが目立つ運動として出てきたのがダイコン〜ガイナックスの流れであるわけですが、現在ではすでにガイナックスの作品を観ていてアニメーターやゲームデザイナーになろうとする若者がたくさん出てきて、現場を担っているわけですね。

 だから、これを考えると、「オタク」界が日本社会の代表で、「オタク」界を分析すれば「ポストモダン」の日本社会がわかるという東理論はどうかな〜という疑問が生まれてくるんですね。アニメにしてもゲームにしても、日本社会のなかで、80年代以降、非常に変化の速い、特殊な変容を遂げた世界なのですから。もちろん変化が速いから例として使えないということはなくて、そこに日本社会の変化が凝集されていると言うこともできるわけですが……でもやっぱり東理論は「それは特殊な分野で起こった特殊な動きに過ぎない」と言われたときに、現状では反論しうる要素が弱い感じはありますね。

 あと、東理論の弱いところはやっぱり経済とか産業とかいう観点かな〜と思いますね。80年代から90年代への移り変わりというのは、経済のグローバル化とか、産業の生産現場の海外への流出とか、デフレとか、いろいろあるわけですよね。それは当然ながら文化にも影響しているはずです。産業の動きだけから社会を見るというのはいろんな論者がやっていることで、わざわざ東氏に期待するようなことじゃないのかも知れないけど、もうちょっとそういう要素を入れてもいい気がしますね。

 学術についてですが、学術本体のほうは意外と変化が遅い気がしますね。少なくとも日本ではインターネットが学術的な成果の発表手段としては位置づけられていない気がします。ホームページを持ってなかったり、持っていても雑談的なことしか書いてなかったりという大学研究者も多いですからね。理系のほうでは違うのかも知れないけど、文系の学術雑誌で電子版を持っている雑誌ってすごく少ないんじゃないかな。学術雑誌とか、内容の構成はそれこそ一〇年前、二〇年前、いやもしかすると五〇年前と変わらなかったりする印象があるし、発行主体のホームページアドレスが書いてあっても、そこのホームページを見ても雑誌本体の内容と連動しているっていうのはほとんどない気がする。

 いまの専門の学術っていうのは、情報発表の手段が多様化したために、かえって「学術の厳格さ」に固執する傾向が強まっているんじゃないかなという感じがしています。つまり「いいかげんな情報は巷やインターネットに溢れているけれど、厳格な手順を踏んで組み立てられた成果はここにしかないんだ」ということで自分たちのところから出る情報を特徴づけようとしている。「差別化」しようとしているわけです。それにはおそらく「いいかげんなものを学界の名で通用させるわけにはいかない」という良心は働いているんだろうと思うけど、怠慢や保身もあると思うんですよね。

 「学術の通俗化」というのはその学壇の外側で急速に進んでいる気がするんですね。むしろ学術の専門家がそれについていけていない。

 東氏なんか、東大の大学院を出て、三〇歳代前半で、しかも単著もあって雑誌掲載論文もすごく数が多いのに、大学に就職してないんですよね。これは東氏自身の意思かも知れないから、東氏の例が適当かどうかわからないけど、学壇の外で活躍して広く大衆に受け入れられているということは、日本では必ずしも大学教員になるために有利に働かない。学術界のほうが「通俗化した学術」をわざと遠ざけているところがある。そういう学術の側の閉鎖性と、「オタク」的な知の全盛状態というのは、やっぱり表裏一体の関係があると思ったりもします。まあ東氏のばあいいきなり東大教授に迎えられるなんて展開も考えられなくはないですけど。

 

鈴谷 了

 奥田氏の発言「どちらかというと問題なのは、そのソフィスティケイテッドな情報の精度、きわめて精緻で、従来なら捨象されていたであろう要素も対象とするアプローチというような方法なんですね」。

 この部分について、もう少し具体的に教えてください。(「従来なら捨象されていた要素」の例など)

 それとは直接関係ないんですが、今から20年ほど前、『笑っていいとも』に田中康夫が出演するコーナーがありました。(ほかにタモリと所ジョージが出て雑談する)その中で、田中康夫が理路整然と難しい知識を披露したりすると、残る二人が半ばバカにする(そんなくだらないことをよく知っている、という感じ)形で「すんごいですねー」と呆れ叫んでいました。のちに「すごいですね」というレコードも出ましたが、そのときには「ほめ言葉でバカにする」という部分は飛んでしまい、ただ単に「すごい」ことに驚嘆する、という意味にすり替えられていたのは残念でした。で、そうした当時の田中康夫の発言は、今で言うところの「トリビア」(筒井康隆先生の『乱調文学大事典』でその頃でも「トリビアリズム」という言葉は知っていたけど)なわけで、どちらもタモリ絡みというのが何となく因縁めいて見えます。しかも『トリビアの泉』はと学会員でもある唐沢俊一氏がオリジナルでもありますし。

 ちょっと寄り道なネタでした。

 

へーげる奥田

 と、まずひとつ訂正。『見栄講座』の受け入れられ方(つまり読者側の空気)の発展が『なんとなく、クリスタル』と書きましたが、『なんとなく、クリスタル』が先です。『見栄講座』の一節に、「売れっ子コメディアンの田中康夫サンの不朽の悪作『なんとなくクリスタル』」という文言がでてきます。「どーでもいいよーな比較文化論」とか、もう完全にバカにしてますね。おかしいなあ、調べたつもりだったのだが、よく見ると『なんとなく、クリスタル』は1980年みたいですね。『見栄講座』は1983年ぐらいということで。しかしまあ、要は当時そういう空気ができあがってきていたというこってす。

 で、鈴谷氏のご質問なんですが、まあ具体的な記述を挙げるのがなかなか難しいんですけど、なんて言いましょうか、過剰なほどの情報量(細かさ・具体性)、あと、情報の出所なんかもそれなりにきっちりと押さえられていたりする(かなりの部分ギャグなので、本当に正しいのかどうかは疑問ですけど)ということです。こういう方法は、先に出した『と学会』とか、あるいは『ゴーマニズム宣言』なんかの方向性を作っていったのではないか、などと思ったりしますがどうでしょうか脳内妄想でしょうか。

 

清瀬 六朗

 私自身は近代主義者だし、人間のあり方は「近代」から少しも変わっていないと思うし、「オタク」という集団が出現してそれが「近代」後の社会のあり方を典型的に表現しているとはまったく思わないんですけどね。ただ、「近代」に肯定的な面しか認めないという意味の「近代主義者」ではありません。「近代」には、いいこともあるし、悪いこともあるけど、いまはともかく「近代」的な考えを出したり引っこめたり修正したりしながらやりくりしていくしかないんだというのが私の基本的な姿勢です。

 だから、私の「オタク」という集団についての捉えかたも、東氏よりは、東氏が否定している岡田斗司夫氏なんかにむしろ近いところがあります。人間が「芸能」を楽しむ方法の一つとして昔から「オタク」的な方法はあったと思うんですね。歌舞伎の楽しみかたなんかディテールを楽しむという楽しみかたがあったわけです。それが直ちにいまの「萌え要素」につながっているとは言えないけれど、「大きな物語」はまったくの題目にすぎず、ある場面だけ見るとか、ある役者だけ見るとか、そういう興味の持ちかたはあったわけですね。東氏は1945年の敗戦での断絶ということを強調して江戸時代からの連続性という議論を否定するんだけれども、私はこの議論には納得していません。

 むしろ、江戸時代以来の日本の「文学」の伝統のなかに、ヨーロッパ文学の伝統がいきなり持ちこまれて日本の「近代文学」が生まれたわけです。もちろん、それが「日本の」近代文学として根づくためには、森鴎外とか夏目漱石とかをはじめとする文学者たちの努力があったわけだけれども、しかし、日本の江戸時代までの「文学」がそのまま発展して日本の近代文学になったのではないのは確かなことです。だから、文学のなかで「大きな物語」が一つに確定していて、その「大きな物語」を読み解いていくのが文学だ、というような考えかた自体が、日本にとっては外来の考えかただったわけですね。

 だから、ヨーロッパ人がその「近代文学」のお約束に従わずに「文学」を書いたり読んだりし始めたら大事件なんでしょうけれど、日本のばあい、百何十年の伝統で根づいたものが相対化されたというだけのことで、「オタク的なデータベース消費」というのが「ポストモダン」時代の特徴だと言われてもちょっと全面的には受け入れがたいところがあります。

 「オタク」的なあり方は昔から人間の「芸能」の楽しみかたの一つとしてずっとあった。そして、そこに、経済的な条件やら技術的な条件やらが加わって現在ではそれが目立つようになっているというのが私の基本的な見かたかな。だから、「データベース消費」とかの図式を否定するわけではないけれど、それは最近になって出てきたものではないと考えるところが私と東氏の違いですかね。

 それとは別に東氏が関心を持っているのが「オタク」の「セクシュアリティ」(性的なものごとをめぐるいろんな感覚とか)の問題ですね。それが東氏の最近の仕事である表現の自由の問題につながってくる。これについても議論したいとはずっと思っているんですけど、ちょっと私にはそれを語ることばが乏しすぎて十分には語れない状況でした。いずれ東氏の表現自由論にはなんらかの形でコメントしたいとは思っています。

 

へーげる奥田

 近代というもののとらえ方や人間性の概念については、私は清瀬氏に近いと思います。

あと問題は「セクシャリティ」についてですね。今回はちょっと時間切れで論じられませんでしたが、『網状言論F改』では結構つっこんで言及していましたし、ぜひいろいろ論じたかったところではあります。あ、あと「単子論」についても論じるの忘れたですな! これは、人間が興味をいだくいろいろな「要素」―そのなかには「萌え要素」ももちろん含まれますけど、ヒトの「興味の対象」って萌えばっかじゃないですよね―を、最小単位として抽出した情報の単位を、私がものを考えるために勝手に命名したものです。パソコン的に「オブジェクト」といってもいいんですが、objectにはちょっと納得できる日本語訳がない。Monadはライプニッツの用語なんだけど、その感覚的な部分を借り出してきて「単子」と呼ぶわけです。まあ、これも話すと長くなるんですけどね。東氏のデータベース型だと、押井守なんかのようなタイプのモデルがちょっと説明しにくいと思ったもので。

あと、「セクシャリティ」についての今回言い忘れたことがあります。東浩紀氏の言われるところの、物語を必要としない「萌え要素」中心の消費態度に実にピッタリと合致する消費形態が、別の分野に昔からあったものだという(これも異口同音でみんな言ってるみたいですが)ことです。それは、まあ端的に言ってしまえば、「エロ本」の「消費」形態なんですね。東氏の提示するモデルというのは、結局この「エロ本」や「エロビデオ」の消費モデルとしてなら非常に違和感なく合致する。なんでみんなこのことに言及しないデスカ!? という感じですね。エロビデオなんかも、一応ストーリーがありますけど、誰もそんなの問題にしません。用はヌキポイントがどこかということであり、すぐ「効用」を失うその「作品」の中に内在する根底的な「好みの要素」をもつ系列の作品をつぎつぎと求める。そういった消費行動は、東理論に非常に近いですね。まあ、次の機会にはそういったところも含めて論じてみたいと思っております。

 

(終)

2003/12

 


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