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非・職業アマチュアとしての鉄道

 

 

鈴谷 了


 

 はじめに

 WWFの「鉄道特集」へようこそ。

 読者の中には「なぜWWFが鉄道なんだ?」と思う方もいらっしゃるかもしれない。

 WWFはテーマを限定したサークルではないので、メンバーに興味と関心があれば、一応どのようなネタでも特集の対象にはなる。鉄道もそうしたテーマの一つだったということだ。もちろん、WWFは専門の鉄道サークルではない。WWFなりの切り口で鉄道を語ることになる。

 この文章に与えられた目的は、鉄道に関する概説的な文章ということだが、もとより筆者には鉄道あるいは鉄道趣味の広範な世界すべてについて書くことは手に余る。本特集の他の文章はより各論に近い内容になっているだろうし、それこそ世にあふれる鉄道書(同人誌を含む)やウェブサイトを見ていただいた方が早いということになってしまう。

 そこで、鉄道を語る・愛好するという行為そのものについてざっとおさらいしてみることで、その手がかりを読者の皆さんにつかんでもらおうと考えた。今回の寄稿者には鉄道会社や鉄道関係の官公庁に勤務したり、交通政策を専門とする学術研究者はいない。つまり、鉄道に関してはみな「アマチュア」である。これは世の多くの鉄道愛好者と変わらない。(鉄道を「職業」とする人にも鉄道愛好者はいるが、もちろんそうでない人もいる)「アマチュア」が自らの利害とは別の次元で鉄道に関心を持ち、探求するとはどういうことなのか。以下の文章では(あまり語られることが少ないように思われる)その点を中心に考えてみたい。

 

 

鉄道のある国と鉄道趣味のある国

 

 手近に世界地図をお持ちならば少し開いてみてほしい。地図の上で見ると、世界には鉄道の敷かれている国は結構多くある。ユーラシア大陸に関して言うと、中国・山東省の連雲港からイベリア半島のリスボンまで鉄道を乗り継いでいくことが可能だ。二〇〇一年から二〇〇二年にかけて世界でもっとも注目を集めたアフガニスタンは、ユーラシアで鉄道を持たない数少ない国の一つである。

 アフリカ大陸にも意外に多くの鉄路が敷かれている。さすがにサハラ砂漠を擁する北アフリカは鉄道がまばらだが、コンゴ・タンザニアから南アフリカまでの間は曲がりなりにも線路でつながっている。(実際の運行状況は別としても)

 アメリカ大陸も中米あたりで鉄道は切れてしまうものの、ブラジル南部からアルゼンチンにはまとまった鉄道網が構成されている(地図の上では)。

 しかし、鉄道の存在する国に必ずしも鉄道趣味が存在するとは限らない。いや、「鉄道趣味」というものが公に存在を認められている国の方がはるかに少ない。おおざっぱに言って、鉄道趣味が社会で存在を認められている国はヨーロッパと北米に偏っているように思われる。それ以外の地域はどうだろうか。

 南米一の鉄道王国であるアルゼンチンには鉄道博物館があって、鉄道ファンとおぼしき人たちが来ている、と旅行者の作ったウェブサイトには書いてあったから、南米大陸にも鉄道趣味はあるのかもしれない。ただ、アルゼンチンは数年前の鉄道民営化で地方路線を大幅に廃止し、加えて昨今の経済危機の環境ではその存続が危ぶまれるところではある。あるいは南アジア有数の鉄道大国であるインドなども旧宗主国であるイギリスの影響で鉄道趣味に興じる人々が存在する可能性はある。

 東アジアに目を転じると、台湾では近年線路際で鉄道写真を趣味として撮影する人々が出現し、鉄道趣味団体(鉄道文化協会)も存在しているということだ。しかし、日本と台湾を除く国々に鉄道趣味がまとまった形で存在するようには今のところ見受けられない。古い話だが、約20年に中国が開放政策を始めた頃、日本の鉄道趣味雑誌が見学ツアーを主催した際、中国側には「我々は鉄道について専門的(学術的または職業的)に研究しているメンバーである」という建前で通したという話がある。「趣味として鉄道の写真を撮影したり、列車に乗ったりすることが好きな団体」ではとうてい理解してもらえなかったのだ。おそらく現在でもその点は大きくは変わっていないであろう。(インターネットのサイトによると、蒸気機関車の体験運転ができるところがあるようだ。もっとも、旅行会社を通じてでないと申し込めないらしく、外国人向けである可能性もある)

 その中で日本は欧米以外の地域では例外的な「鉄道趣味大国」と言って差し支えない。月刊の鉄道趣味雑誌が5つ(模型専門誌も含めて)、これだけでも大変な数である。その他、職業的・学術的ではない鉄道関係出版物は毎月のごとくどこかで刊行されている。インターネットの検索エンジンで鉄道趣味関係のウェブサイトを探すと、山のような数のサイトが見つかるであろう。

 では、鉄道趣味が存在する国とそうでない国の違いはどこにあるのだろうか?

 

 

鉄道趣味の誕生(日本の場合)

 

 世界で最初に鉄道趣味が誕生したのは、やはり鉄道発祥の地であるイギリスだったらしい。一九世紀末にはすでに鉄道趣味雑誌が世に存在していたといわれている。

 では日本はどうだったか。今(二〇〇二年)からちょうど一三〇年前に日本の鉄道が産声を上げた時点ではもちろん鉄道趣味というものは存在しなかった。「物珍しさ」で鉄道や機関車を見物する人はいたけれども、非職業的な立場から継続的に鉄道を探求するという人がいたという記録はない。以下、ざっと日本の鉄道趣味の歴史をたどってみよう。

 

     ※以下の日本の鉄道趣味史についての記述は、主に雑誌『鉄道ジャーナル』の一九七二年一〇月号に掲載された文章によっている。しかもこの原文が現在手元になく、以前読んだ際の記憶に基づいたものなので、詳細については思い違いがあるかもしれないことをお断りしておく。

 鉄道を趣味とする人々は趣味対象のクロニクルを作ることには熱心だが、鉄道趣味そのものの編年には消極的で、日本の鉄道趣味の通史と呼べる資料は管見ではこの三〇年前の文章以外には記憶にない。

 

 日本で最初の「鉄道趣味人」と呼べる人物が出現したのは、鉄道開業から約三〇年が経過した明治末期、二〇世紀初頭の頃である。岩崎某と渡辺某という二人の人物が協力して、全国の蒸気機関車の写真を撮影し始めた。この二人はともに裕福な家庭の出身で、写真を撮影するための資金や時間的余裕に恵まれていた。その後この趣味活動は二人の個人的な事情から終わってしまうが、彼らが残した膨大な機関車写真は「岩崎・渡辺コレクション」という名前で、明治期の鉄道を伝える貴重な資料となった。

 この時期、日本の鉄道網は約八千キロにおよび、鉄道はきわめて日常的な存在となっていた。夏目漱石の小説『三四郎』(一九〇八年、東京朝日新聞に連載)は東京帝大に入学するため、九州から列車で上京する学生の姿を描く場面から始まる。新聞小説の一場面として使われるほど生活の一部として鉄道はとけ込み、産業革命の進展による資産の蓄積が、鉄道を「趣味」として捉える「趣味人」を生み出した、ということになるだろう。

 また、一九一四年の東京駅開業の日には、一番の切符を買い求めるために夜中から歩いてやってきた人がいたと、当時の新聞は伝えている。「一番の切符を買うこと」が直ちに鉄道趣味と呼べるかどうかは難しいにせよ、「差し迫った必要がないのに、わざわざ切符を買いに来る」という意味においては「趣味」という範疇に入る出来事であろう。

 戦後「阿房(あほう)列車」シリーズを世に送ることになる作家の内田百閨i黒澤明の遺作『まぁだだよ』の主人公)は、大正時代すでに自分の楽しみのために一等車に乗ったり、牽引する機関車の形式に関心を持っていたことを後年の随筆で書き記している。当時の内田も海軍の機関に勤める裕福なサラリーマンであった。

 こうした過程を経て、日本で最初の鉄道趣味雑誌が創刊されたのは、鉄道開業から半世紀あまりが経過した一九二〇年代後半のこととされている。その後日中戦争で紙の統制が行われるまでの間、いくつかの鉄道趣味雑誌が存在していた。また、高価な趣味としての鉄道模型がある程度知られるようになってもいた。(当時日本の工業技術では欧米の精密な鉄道模型には大きく見劣りし、輸入品が中心だったが)

 だが、戦前の鉄道趣味はあくまで一部の特殊な趣味というにとどまり、社会的な広がりを持つものではなかった。日本の鉄道趣味の普及はやはり戦後を待たなくてはならない。

 今日に続く最古の鉄道趣味雑誌が創刊されたのが一九五一年。二年後の一九五三年には全国的な鉄道愛好者の団体である「鉄道友の会」が発足する。これに前後して内田百閧ヘ、「用もないのに列車に乗り歩く」という随筆「阿房列車シリーズ」を執筆するようになった。一九五九年には国鉄の旅客営業路線すべてに乗ったという人が初めて名乗り出た。(石野哲著『時刻表大研究』一九七九年、日本交通公社 による) それ以前にもあるいはそういう人がいたのかもしれないが、公式にその存在が認められたのはこのときが最初である。

 

     ※ただし、「鉄道乗りつぶし」という「遊び」の存在が広く知られるようになるのは 一九七八年に『中央公論』の編集長だった宮脇俊三氏が国鉄完乗記を綴った『時刻表二万キロ』を刊行してからである。一九八〇年からは国鉄が完乗者を認定・表彰する「いい旅チャレンジ二〇〇〇〇キロ」キャンペーンを行い(一九九〇年まで)国鉄(JR)完乗者の数は大きく増えた。

 

 一九六〇年代、国鉄が蒸気機関車の淘汰を進めていくにしたがって、消えていく蒸気機関車を写真や音に残そうという「SLブーム」がわき起こる。一方、新幹線(一九六四年開業)に代表される新時代のスマートな車両も鉄道への興味をかきおこした。また、日本でも欧米に引けをとらない高品質の鉄道模型を製造できるようになり、鉄道模型の愛好者も大きく広がった。ここに、鉄道趣味は社会的な存在となったのである。一九七〇年代以降、「鉄道百年」イベント・蒸気機関車全廃・ブルートレインブーム・国鉄財政悪化と分割民営化といった出来事が続くが、趣味活動の流れはほぼ一九六〇年代の延長上にあると考えてよい。

 高度成長で高品質のカメラが安価に手に入るようになり、旅行に出かける余裕を持った人々も増えた。社会現象として「鉄道趣味」を導いた原因はそういった点に求められるであろう。

 ただ、もう一つ重要な要素がある。戦前と戦後を比較した場合、鉄道を趣味の対象とする上での社会的な制約がなくなったのだ。その制約とは軍の存在である。

 戦前、鉄道の隠れた使命の一つが軍事輸送であり、そのために鉄道に関する資料を収集することは「軍事機密」への抵触を意識しなければならなかった。国鉄のダイヤには、時刻表には掲載されない軍事列車が常に設定されていたし、「要塞地界」と呼ばれた地域では写真撮影などの行為に制限がついた。単に「軍隊があること」ではなく、その社会的な影響力の存在が、「趣味で鉄道を追求すること」への障害となっていたわけである。その裏には戦前の日本が「戦争」をどこかで意識した社会だったこと、その「戦争」への対応として軍の社会的なコミットメントを高める施策が採用されたことが要因としてあげられるが、ここでは詳述は避ける。

 この日本のケースを参考に考えれば、鉄道趣味が社会的に存在する条件とは、経済的な余裕と、軍の影響力の少ない平和な社会であるということができそうだ。近年鉄道趣味が成立した台湾の場合も、そのきっかけは一九八七年の戒厳令停止とその後の民主化にあったといえる。

 その点から見ると、韓国は北朝鮮との軍事的な緊張緩和が鉄道趣味成立の条件といえるし、中国の場合は政府や軍の社会的な「統制」がネックとなっている。(中国に返還された香港には鉄道趣味が存在するかもしれない)アフガニスタンは二重の意味で鉄道趣味から最も遠い国だと言うことになるだろう。

 日本に限らず、一九世紀から二〇世紀半ばまでの間、鉄道はしばしば経済的・軍事的な利権を伴って建設・運営されるものでもあった。歴史教科書でおなじみの南満州鉄道や帝政ドイツが計画した3B鉄道(ベルリン・ビザンチン・バグダッド)などはその代表例である。軍隊が鉄道を利用する以前に、鉄道は軍事的な性質を合わせ持っていたともいえる。(より直接戦争と関わる装甲列車や列車砲というものもあった)

 それが第二次大戦後、他の輸送機関(自動車・飛行機)が発達し、鉄道の地位が相対的に下がった結果、鉄道は軍事利権という悪しきくびきからかなりの部分で解き放たれた。つまり「鉄道の斜陽化」と呼ばれる現象が、皮肉にも鉄道を平和な趣味の対象に変える契機にもなったわけである。

 「戦争」が鉄道趣味と両立しない、という事実は、図の4コママンガに端的に表現されている。(より卑近な表現で、ということもできる) 「鉄道趣味を持つ工作員」というものがおよそ現実にいそうにないことが、このマンガのおかしみを生んでいるわけであるから。

 

 

鉄道を「趣味」とするとは

 

 鉄道を愛好する人は圧倒的に男性が多い。そして、男の子の多くは子どもの頃、一度は「電車」で遊ぶ時期を持つ。それが自然な成り行きなのかどうか、これは簡単ではないらしい。育児番組で、子どものおもちゃや遊びの性差について取り上げたとき、専門家の説明は「周囲がそういうものを与えていけば、そちらに染まりやすくなるので、生まれつき男の子はこれが好きだとは言い切れない」というものだった。

 現在幼稚園児の筆者の愚息は、特にあれこれ教えた覚えはないが、それでも電車好きになっている。しかし周りの親族などが電車の玩具や絵本を買い与えたという事情は影響しているようだから、やはり後天的な部分が含まれているといえる。ただ、「走る物体への興味」や車窓風景(「パノラマ効果」という言葉があるようだ)への素朴な快感といった感覚的な刺激という部分はやはり否定できないし、鉄道に興味を抱く原点になっているのは確かなように思われる。

 そうした幼児期はさておき、自我を知り思春期を超える時期になって鉄道を愛好するには、それなりの理由付けがあるようだ。これは人によって千差万別であり、筆者の個人的な例を書いたところでさして意味があるようにも思われない。そこで、他者の書いた分析を手がかりに考えてみよう。

 アニメヒロイン像の分析『紅一点論』などで知られる評論家の斎藤美奈子が、週刊誌『AERA』に「男性ジェンダー」に属する雑誌の評を連載している。(一つの雑誌を三〜四回連続で取り上げる形式) その中で、二〇〇一年一二月に鉄道趣味雑誌『鉄道ジャーナル』が俎上に上った。

 斎藤の文体や視点を知っている筆者には「なるほど、こう言いそうだなぁ」と思えるものだった。しかしそうではない鉄道ファンには刺激が強かったらしく、途中で「抗議が殺到した」と書いていた。他の雑誌が対象のときにはそういう例はあまりない。確かに、列車ルポで電車の運転台の後ろにかぶりついて喜んでいる模様を「幼稚園児じゃあるまいし」と書かれてむっとしない鉄道ファンは少ないだろうが、それを抗議するのも大人げないと言えば大人げなく、それ自体が斎藤のネタにされてもいた。(余談だが、斎藤の鉄道ファンそのものへの視線は、抗議した鉄道ファンの想像とは違って、結構好意的である)

 それはともかく、この連載の中で斎藤は一つ鋭い指摘をしている。曰く、鉄道趣味の特異な点(限界)は、どんなに頑張っても実物の鉄道を個人で所有することはできず、趣味としては写真撮影であれ模型であれ二次的なものを対象とせざるを得ない部分にある。それを斎藤は「中途半端な男らしさ」と表現しているが、「対象を所有できない」という点は鉄道趣味を考える上で重要なポイントである。

 つまり、大多数の鉄道愛好者は常に鉄道を「外から」見ている。もちろん、「利用者」あるいは「模倣者」として限りなく「内」に近い部分に行くことはできるが、あくまで「外部者」であることに変わりはない。いいかえれば、自分が入ることのできない自己完結した「世界」を常に外部から「観察」することによって成り立つ趣味ということだ。

 これは鉄道趣味に限らず、たとえばミリタリー趣味などもそうした性格を持つ。ただ、鉄道はその「敷居」がきわめて低いことと、「世界」内の多様性が広いという点で際だっている。前者から説明すると、日本の場合ほとんどの大都市では鉄道は日常的に見聞できるし、廉価な運賃で利用可能である。つまり、ほぼ万人に開かれている。(それが公共交通の性格だが) 後者は、鉄道を運行するための技術工学的な側面(車両や線路)、駅舎や車両のデザインという建築学的な側面、実際に列車を運行するための制度的な側面(運賃・料金・ダイヤ・列車種別など)、書物としての時刻表や乗車券類などの書誌学的な側面、果ては駅弁や食堂車のメニューといった食文化的な側面まであり、それらすべてのジャンルごとにその歴史を語る側面がある。しかもジャンル自体もさまざまな区分によって細分化されている。多くの鉄道愛好者は個人によって偏りはあるにせよ、これらの側面の複数について関心を持っている。

 さらにもう一つ付け加えると、鉄道は目に見えて区別されるという部分が多い。線路や駅という半永久的な構築物が鉄道を外部から強く識別させる。道路や海や空には路線バスや定期船や定期航空便のルートが描かれてはいない。

 これらの点は、対象に興味を持ってその中にある「差異」を認識し、それを「分類」する上で非常にやりやすい条件である。鉄道愛好者の中に、そうした行為の経験がない者はまず皆無であろう。自分が愛好する対象が「何かよくわからないけど電車」だという人はいない。「どこの鉄道会社の××という形式」であったり、「××という種類の列車」であったりする。今まではっきりしていなかったものが、「あれは××という形式」であったり、「運転区間は××から○○の間」であることを知ることが、おそらく鉄道趣味への第一歩である。

 「世界」を分類し、理解したいというのはかなり一般的な知的欲求であろう。もちろん、対象となる「世界」は場合によっては自分がその内部である場合もあるし、より日常生活にとって切実な(つまりは、職業的な形での)営為となる場合もある。あるいは、まったくそうした欲求を持たない人もいるかもしれない。そういった例外やバリエーションの差はあるとしても、普遍的な知的欲求の一つの形として鉄道趣味という活動が存在していることは事実である。しかも、自らの利害にかかわらず、また自らがその「世界」の外に位置している点において、比較的純粋な形での「知的欲求」ということもできよう。

 戦後の日本社会で、思春期初期にもっとも関心を持ちやすく、かつ把握しやすい知的欲求の対象の一つが鉄道だった。これは先に挙げた特質(敷居の低さと世界の多様さ)から見ても、否定しがたいことだろう。鉄道愛好者を代表する形で「鉄道少年」という言葉がしばしば使われたのは、こうした事情を反映していると思われる。

 ただ、(少なくとも日本においては)「純粋な知的欲求」を趣味にすることへの理解が決して十分ではなく、鉄道趣味を大人の趣味と見なさない風潮があった。知的営為を趣味とする場合、それが「教養」の蓄積につながるか、あるいは「上達」を他人に対して公にできるものであることが必要とされたのだ。ところが、鉄道趣味は二次的に付随する写真技術や模型工作の腕前の上達以外には、そうした要素が皆無に近い。しかも、趣味の対象はあくまで鉄道事業者の「事業」であって、さまざまな施策は事業運営の要請から行われているに過ぎない。それをいわば受動的に「おもしろい」「残念」だのといって「分類」「理解」する趣味である。(斎藤の言う「中途半端な男らしさ」というのはこういった点であろう) 「世界」を「分類」「理解」するという点できわめて純粋な(つまり「受動的」であることが本質である)この趣味は、逆にその純粋さ故に現実の世界で受け入れられないという立場を(日本では)背負わされてきた。

 ここに、鉄道愛好者のジレンマが生じることになる。

 

 

鉄道趣味の「限界」

 

 さて、前節で記したような鉄道趣味の立場にあって、鉄道愛好者の中にはそれを変えたいという欲求を持つ者も当然ながら出てくる。その一つの方向が、何とか自分の趣味が社会的に有意義であることを知らしめるというものであった。

 それはすなわち、鉄道に関する知識を使って、現実の鉄道施策への「提言」を行いたいという方向である。あの駅の線路配置を変えればもっとよいダイヤになる、こういう車両を入れた方が乗客は快適になるといった比較的身近なものから、より大局的なの交通政策まで、いろいろなアイディアが語られてきた。

 もちろん、ほかのジャンルの趣味においても、愛好者が対象に対して主張を述べることは珍しいことではない。ただ、鉄道趣味の場合、他の趣味に比べて「愛好者同士の談義」という部分にとどまらず、非・愛好者へのアピールという面が色濃い。

 この背景には鉄道趣味の社会的認知という点のほかに以下の事実が指摘できる。まず、戦後の多くの期間、鉄道は他の交通機関、とりわけ自動車と飛行機からの攻勢を受ける立場にあり、鉄道の地位を維持し高めることが鉄道事業者に求め続けられてきた。このため、鉄道の競争力向上は常に大きな課題として存在してきたのである。

 だが、にもかかわらず(日本においては)鉄道施策は事業者や官庁・政治家の裁量で決定されることが多く、利用者がそこに介入することが容易ではなかった。政治家の鉄道利権を象徴する「我田引鉄」(自分の選挙区に鉄道を通して利益誘導をはかり、自らの議席を維持すること)という言葉すらあった。(それが後には道路や新幹線に変わる) その結果総合的な交通政策が確立せず、利権に応じた不透明で非効率な施策がしばしば行われてきた。

 こうした点が、日本の鉄道趣味において「鉄道施策の提言」に大きなポジションを与えてきたのは否定しがたい。

 しかし、ここでもう一つの壁がある。それは、鉄道愛好者は膨大な鉄道利用者の一握りに過ぎないという事実だ。鉄道事業者にとっては、好むと好まざるにかかわらず鉄道を利用せざるを得ない非・鉄道愛好者よりも彼らの意見を優先する理由は何もない。かくて、鉄道愛好者の切実な「社会へのアピール」は、いわば「片思い」のような扱いを受けることとなる。

 戦後の「鉄道政策」のいわば頂点というべき国鉄解体をめぐっては、鉄道愛好者の間でも賛否が割れた。だが、分割・民営化という手法に賛成だった鉄道愛好者といえども、そこに至るあまりに政治的な経緯と手法を手放しで歓迎したという向きはほとんどいないであろう。国鉄解体までの間には鉄道愛好者の間でも議論は百出したが、現実はそういったものに何の考慮も払わず、純粋に政治の課題として処理されたのである。その事実は多くの鉄道愛好者に一種の「敗北感」を与えたのではないか、とすら筆者には思える。とはいえ、JRに移行した今日もなお鉄道施策論が鉄道趣味に大きな地位を占めていることには変わりなく、インターネットを見てもそうした提案や議論はいくつも発見できる。

 ちなみに『AERA』で斎藤美奈子が取り上げた『鉄道ジャーナル』は、鉄道趣味雑誌の中でもっとも鉄道施策を論じる傾向が強い。だが斎藤からはそれが鉄道会社の主張を読んでいるようだと揶揄された。もっと純粋に「鉄道趣味」に徹すればよいのに、というのが斎藤の言わんとするところに思えるのだが、ここまで書いたような鉄道愛好者のジレンマと屈折を彼女が理解していたかどうかは興味のあるところだ。

 欧米の鉄道趣味ではこうした議論は交わされているのだろうか。

 ドイツでは公共交通について事業者・行政・利用者の三者による協議組織があり、利用者が意見を述べて施策に反映することが可能であるという。この協議組織がどの程度の規模で、参加できる条件がどのようなものかは筆者の知るところではないが、仮にその敷居が非常に低いとすると、鉄道愛好者もそうした場所で鉄道施策の持論を発言し、客観的な評価を受けて、実際の施策に反映することが可能だろう。またそれ以前に鉄道施策の透明度が高まり、外野の議論が起きる余地が少なくなる。だとすると「鉄道趣味」の一ジャンルとして鉄道施策を論じることの意味はあまりなくなり、鉄道愛好者はより純粋な「趣味」に近い活動を展開できるはずだ。

 

 

鉄道趣味の将来

 

 今から約一〇年前の九〇年代はじめ、日経新聞の大阪版社会面に「鉄道少年はどこへ?」という記事が載った。かつてJR大阪駅に数多くいた鉄道写真を撮影する少年たちがめっきり減ってしまった、という内容だ。書いた記者自身がおそらく鉄道愛好者だった経験があることをうかがわせる文面で、中学や高校の鉄道研究会が休廃部に追い込まれたり部員の減少に悩んでいるという点にも筆は及んでいた。

 ちょうど同じ頃さる鉄道関係のライターから聞いた話では、就学前後の子どもを対象にした鉄道書(絵本の類)は従来通り需要があるが、それ以上の小中学生クラスを対象にした部分が以前より大きく落ち込んでいるとのことだった。これは日経新聞の記事とも符合する。

 その原因は複数考えられる。筆者が注目するのは、テレビゲームの普及だ。鉄道趣味の本質が、完結した外部の「世界」を「分類」「理解」することだと書いたが、テレビゲームにもこうした要素は多く含まれる。従来鉄道に向かっていた知的な興味が、テレビゲームによって代替された可能性は高いのではないだろうか。

 また、自動車の普及率が上昇し、都市部でも日常的に鉄道を利用しない層が増えた。地方においてはこの傾向はさらに顕著で、国鉄民営化前後のローカル線廃止で鉄道に接することもない地域が広がった。このままでは鉄道趣味は衰退するのではないかという危惧が半ば真剣にささやかれていたのである。

 しかし、九〇年代後半以降、鉄道趣味はとりあえずの小康状態を保っている。その要因はかつての「鉄道少年」たちのかなりの部分が、社会人となっても趣味を捨てずに投資を続けるというライフスタイルを選択したことにある。いわゆる「オタク」の高年齢化が鉄道趣味の世界においても起きたのだ。(かつては「受験・就職・結婚」が鉄道趣味の三大障害とも言われた) 鉄道出版の世界はこれによって息を吹き返した。鉄道運転のシミュレーターという画期的なゲーム「電車でGO!」でも、その利用者にはサラリーマンが目立ったと聞く。

 鉄道事業者のスタンスが変化したことも見逃せない。少子化と自家用車の普及(さらに偶発的要因としての不景気)により、都市部の鉄道といえども乗客減少が深刻な課題となりつつある。この結果、鉄道事業者は未来を担う世代が「鉄道に親しみを持たなくなる」ことへの対策を余儀なくされ、従来では考えられなかったような一般向けの企画を催すようになった。日本最初の鉄道開通記念日(一〇月一四日)を「鉄道の日」として、全国の鉄道事業者がイベントを開くようになったのはその典型である。このほかにも関西の私鉄共通カード「スルッとKansai」の参加各社などが共通グッズの販売やイベントの開催を行っている。会社同士のライバル意識が強かった昔からは隔世の感がある。かつての「鉄道少年」が親となった今が最後のチャンスという思いもあるのだろう。

 とはいえ、九〇年代はじめ頃の「鉄道少年」の減少が下げ止まったのかどうかは定かではない。鉄道書も「過去の回顧」に近い内容が目立つのも気になる。(そのターゲットがかつての「鉄道少年」であることはおそらく間違いないが) 果たして鉄道趣味が今後「大人の趣味」として定着していくことはできるのだろうか。

 斎藤美奈子は、鉄道趣味が対象とあくまで二次的にしか関与できないことを指摘した。だが、世界的に見た場合これは必ずしも当たっていない。そうではない鉄道趣味が存在するのだ。

 欧米には「保存鉄道」と呼ばれるものがある。中でも鉄道発祥の地であり、鉄道趣味が誕生したイギリスはその先進国といってもよい。保存鉄道もまたイギリスで生まれた。今から約五〇年前、廃止となった鉱石運搬鉄道を産業遺産と観光のために残そうと立ち上がった人々がいた。運営はボランティアが行い、地元自治体などからの援助を受けて鉄道を甦らせた。この世界最初の保存鉄道であるTalyllyn鉄道(日本での表記は「タリリン」「タリスリン」の二通りあるようだ)のボランティアには一人の作家も加わっていた。いまやテレビの「機関車トーマスシリーズ」として有名になった「汽車のえほん」シリーズの原作者ウィルバート・オードリー(一九九九年死去)である。彼は「汽車のえほん」の中にTalyllyn鉄道をモデルとした路線を登場させ、実際のエピソードを作品に取り入れることもした。

 この成功に刺激され、今ではイギリス国内だけで一〇〇を越える保存鉄道がある。ボランティアによる運営は実に幅広く、線路の保守や運転といった日本では「専門家の領域」とされる部分までボランティアの手によって行われている。ボランティアがそうした技術を取得するプログラムも事業の一部だ。鉄道車両の運転資格がボランティアでも取得できるあたりは日本との制度の違いなのだろうか。

 

     ※保存鉄道といかなくても、指導者つきで「運転体験」できるコースもある。日本でも「碓氷峠鉄道文化むら」で電気機関車の体験運転が行われるようになったが、英国の例では世界最高速の蒸気機関車「マラード号」の同型機を運転できるコースがある。日本ならさしづめ国内最大・最速の蒸気機関車「C62型」を運転できるというのに等しい)

 

 また、ボランティアは出資者として鉄道の運営に参加することもできる。企業並にちゃんと事業計画書があり、運転計画や車両の補充はもとより、新線の計画まで盛り込まれた例も存在するということだ。もちろん、ボランティアの出資以外に地元の自治体や企業の援助を受けているケースが多いが、運営の主体はあくまでボランティアである。こうなるともはや「二次的な関与」などではなく、立派に事業者の一員として「鉄道趣味」を行っているといってよい。その姿は、日本のJリーグが理想とする欧米のスポーツクラブにもたとえられよう。

 実は日本の鉄道愛好者の間でも、こうした保存鉄道は鉄道趣味の理想形としてその実現を望む声が古くからあった。しかし、いまだに欧米並の保存鉄道は存在していない。ただし、それに向けた地道な努力は少しずつ続いている。

 古いところでは、産業遺産の保存団体である「日本ナショナルトラスト」が運営するトラストトレインがある。ボランティアの出資などをもとに廃車となった車両を整備し、定期的に運転するものだ。列車の運行自体は大井川鐵道(蒸気機関車の保存運転で有名な私鉄)に委託しているが、車内の安全監視や車両清掃などはボランティアの仕事である。すでに一五年の運行歴がある。

 廃止となった鉄道の一部(駅構内)を使った部分的な動態保存も、岡山県の片上鉄道(一九九一年廃止)や青森県の下北交通(二〇〇一年廃止)で行われるようになった。

 

     ※それぞれの保存団体は以下の通り。(二〇〇二年六月現在)

     片上鉄道 「片上鉄道保存会」

     http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/index.htm

     下北交通 「大畑線キハ85動態保存会」 

     http://www.akan.co.jp/kiha22.htm

     ちなみに下北交通の動態保存を手がけるグループは民間機の現役機長が中心となっている。他の交通機関の関係者が鉄道保存を手がける点が興味深い。

 

 また、JR西日本は保存している蒸気機関車を復活運転するために、一般からボランティアを募集した。「機関車の体験運転」を日本で初めて実現した碓氷峠鉄道文化むら(群馬県)の取り組みも注目される。

 ここから欧米並の保存鉄道に至るまでには、政策的なものも含めたバックアップと社会の理解が必要だが、それが全国的な規模で実現した暁には鉄道趣味のあり方や世間の見方はかなり変わるだろう。鉄道愛好者は、自らの趣味を楽しみながら、社会に観光や娯楽といったサービスを還元することができる。(こうした保存鉄道は、日本ではまだ理解の浅い「利潤を追求するボランティア・NGO」のわかりやすいケースとなりうる点でも効果的だ)

 一方専門外の人々が鉄道施策に関わるという方向も、LRT(新型改良路面電車)の推進団体などのNPOが組織されるようになってきた。これもまだドイツのようなものではないにしろ、鉄道政策から非・専門家がまったく排除されていた過去からは大きな進歩である。いずれの方向にせよ、非・専門家として鉄道を愛好することに社会の中で相応の地位が与えられていけば、鉄道趣味は老若を問わない趣味として定着することが可能になる。

 日本の鉄道趣味に欠けているものをあと一つあげるとすれば、国際的な広がりである。こう書くと反論もあるだろう。海外旅行の敷居が低くなり、海外の鉄道に触れ、またそれを愛好する人々も増えてきた。外国の車両(特に蒸気機関車)を撮影に行くことはさして珍しいことでもなくなっている。だが、それはあくまで日本の鉄道愛好者がその趣味の延長として海外に赴くにすぎない。中にはインターネットなどを通じて欧米の鉄道愛好者とコンタクトをとっている人もいるかもしれないが、それは少数であろう。筆者も含めた日本の大多数の鉄道愛好者は日本の中で、自分たちがよく知っている鉄道を対象としてきた。海外の鉄道愛好者に、日本の鉄道の素晴らしさを語ったり、逆に相手の国の鉄道についての話に耳を傾けたりする機会を持つことはまずない。

 日本の周囲に鉄道趣味の確立した国がほとんどない、という事実が日本の鉄道趣味を国内に閉じられたものにしてきた。これはやむを得ないことではある。だが、時代は変わりつつある。台湾にも鉄道趣味が勃興し、やがては韓国や中国でも鉄道愛好者が社会的に認知される日が来るかもしれない。そのときには、近い国の鉄道愛好者同士での交流によって、日本の鉄道趣味がより開かれる契機が訪れるだろう。

 もっとも、鉄道はそれぞれの国で固有の社会背景と体系があるため、同じ「日本産」を国際的に愛好するアニメや芸能界のようにはいかないかもしれない。戦後、冷戦構造と航空輸送の発展のため、東アジア諸国の鉄道はほぼその国ごとの輸送に専念してきた。その結果、たとえば乗車券の体系ひとつとっても日本・台湾・中国・韓国でみな違ってしまっている。日本のアニメや芸能人に憧れるように、周辺国の鉄道愛好者が日本の鉄道に憧れるとは限らない。だが、そうした差異を認識しながら「鉄道を愛好する」という共通の話題を語れるだけでも、今までとは違った鉄道趣味のありかたがもたらされるはずだ。

 これをお読みの鉄道愛好者の中には「今まで通りでもいいじゃないか」という向きもいるだろう。もちろんそれは否定しないし、今後も従来のような鉄道趣味は続いていくに違いない。筆者もまた、そのような鉄道愛好者の一人だったのだから。ただその状態が続けば、かつての「鉄道少年」たちが世間からリタイヤしたあとに、鉄道趣味が大きく衰退してしまうのでは、という不安をぬぐい去れないでいる。(現在の少子化を考えればなおさら)今はまだまとまった鉄道愛好者がいるので目に見えないだけなのではないか、と。

 

     ※もっとも筆者ですら同じ鉄道愛好者でも「世代による感覚の差」を感じることはある。一回り下あたりの世代が作ったインターネットサイトで、筆者の少年時代の時刻表に掲載されている長距離の鈍行列車や急行列車を「こんな列車に乗る人がいたのだろうか」「自分なら乗りたくない」などと書いているのを見ると、そうした列車を乗り通すことに憧れ、また乗ることを誇りに思っていた筆者(同世代の鉄道愛好者にはそれがごく普通だった)には逆に理解しがたい。若い鉄道愛好者がいるだけましだと思うしかない、というのが正直なところだ。

 

「規制緩和」によって鉄道の廃止手続きが簡略化され、国鉄末期以上の勢いで鉄道路線が減少する事態が予想される中で、鉄道趣味が生き延びていくにはこうした質的な転換が不可欠だろう。鉄道事業者がそう考えているように、取り組むならば元「鉄道少年」たちが社会人として、また親として現役でいる今がおそらく最後のチャンスに違いない。あと五〇年先に、より社会に密着した形で鉄道趣味が存在しているだろうか?そうであることを筆者は願っている。

 

(終)

 2002/06

 


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