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極私的「鉄道趣味」遍歴

 

 

霧多布 涼


 

 

 はじめに

 この文章を書くにあたって、文中には様々な鉄道に関する専門用語が使われていますが、この同人誌を購入、あるいは立ち読みするような方々であれば多少の知識はお持ちのことと解釈して、用語に関する説明及び注釈は特に付けないことを予め、おことわりしておきます。不明な点は自力にて調査、解明をお願い致します。

 

1 躍動

 高校二年の夏に突然、その本は私の前に出現した。その頃私は仙台に住んでいたが、仙台駅前の書店の旅行書の片隅に無造作に置かれていた、その本のタイトルは私の眼を釘付けにするには十分だった。私は夢中で本を手に取り、一頁目を開いた。 

『鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。時刻表ほんらいの用途からすれば愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかもその数は少なくないという。私もそのひとりである。』 

体内の血液が沸騰するかのような感動を覚えた。小学校5年生のときから毎月時刻表を買い始め(もちろん全国版の大型)毎日それこそ貪るように読み、眺め、暗記し、頭の中でダイヤを組み立ててはばらし、「のべやま」の逆回が「すわ」で、「特牛」が「こっとい」で、「笑内」が「おかしない」であることを知ってしまった身にとってはこの冒頭の一文は思わず私に心の中でこう叫ばせていた。

「ついに我々の時代が来た!!」

 

 時刻表と同時に鉄道関連の書籍もできるかぎり集めていたが、この一冊は特別だった。もちろん種村直樹氏の「鉄道旅行術」は心の友であったし、石野 哲氏の「時刻表名探偵」も頭の中に染み込ませた。だがこの宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」は、私の頭脳の一部となっていた「時刻表を読む」という行動がメインテーマであったし、いわゆる「乗りつぶし」という行為を初めて体系的に書き記した書籍として、その一冊は私の眼には燦然と輝いて見えた。

 それからの私はひたすらその道を突き進んだ。回りの白い眼もまったく気にせず、夏休み中は北海道をワイド周遊券を使って放浪するわ、運行開始したばかりのSL「やまぐち号」に学校に黙って乗りに行くわ、今となっては完全に忘れ去られた形になっている仁堀航路の連絡船を体験するわ、高校卒業後に予備校生となっても旧型客車を追い求めるわ、全国版の時刻表には載っていない仮乗降場のリストづくりに奔走するわ、大学入学後は自ら進んで鉄道研究会に入るわ、とにかく自分自身のエネルギーのほとんどをこの道に投入していた。

 

2 発芽 

 そもそも「時刻表を読む」という行為は何が面白いのか? これは愛読者ひとりひとりによって様々な意見があるだろう。「電車の名前を覚えるのが好き」「日本全国の地名が駅名に反映されている」「東海道線の駅名は全部暗記したので次は山陽線にトライ中」「実は温泉大好き人間なので巻末の旅館リストを活用してます」「あのザラ紙の香りがタマラナイ!」などなど……

 では私はと言えばそれは、「作り手と受け手の面白さを同時に体感できる」という一言につきる。この言葉をうまく説明するには、時刻表を「料理」に置き換えてみると話が早い。時刻表とは鉄道のダイヤを時間軸に沿って路線ごとに表記しているもので、その中には主義も主張もまったくない。料理に例えれば、それは未だ人間が手を付けていない「素材」の状態であるわけで、おいしい料理がつくれるかどうかは「料理人の腕」=「読む人間の頭脳」にかかっている。料理においては料理人と食べる人は別々の場合も多いが、時刻表では「料理人」=「ルールをつくる人」と、「食べる人」=「そのルールで遊ぶ人」はほとんどの場合は、同一人物である。これは「時刻表で遊ぶ上でのルールを自分で設定し、そのルールを使って自分で遊ぶ」ということになる。

 ここで少し説明が必要なのは「ルール設定」である。実例をあげると、時刻表愛読者がよく行うゲームに「日本県庁所在地代表駅早回り」というものがあり、その中では「新幹線を使ってもよいか?」「同じ線区を二度通ってもよいか?」「代表駅では停車せずに通過してもよいか?」「夜行列車はOKか?」「高速バスや飛行機を使ってもよい回数はいくつにするか?」といった様々な「縛り」=「ルール」があり、この設定の有無によってゲームは面白くもつまらなくもなる。また、「自分でルール設定しているのなら、やる前から結果が見えてしまって、つまらないのでは?」という意見もあると思うが、そんな事はまったくない。たとえ自分でルール設定したとしても、時刻表の中に詰め込まれている情報量はあまりにも膨大で、人間の頭の中で「先を読む」ことはほとんど不可能に近い。それほど時刻表とは奥深いものなのである。

 物心がつき始めた頃から私は時刻表と接してきた。もちろん最初は家庭内に置かれていた小型のポケット時刻表であり、次は親と一緒の書店を訪れた際に、平積みされた全国版の大型をパラパラとめくった。NHKの名物番組「新日本紀行」に触発されて、小学校五年生の正月に初めて自分の小遣いで時刻表を買った。(一九七三年一月号で当時一冊二五〇円だった)それから今日まで、毎月必ず新刊を買って読んでいるが、不思議と飽きるということがない。毎月何かしら新しい発見があるのだ。そもそも「時刻表を読む」という行為も発見と呼ぶにふさわしいものがある。時刻表とは本来、実用書に分類されるべきもので愛読の対象になるはずの無いものであり、その「情報の固まり」でしかない物の中から「至福の面白さ」を見出すことこそ正に発見である。私は現代社会という情報の海の中から「時刻表」という宝箱を引き揚げ続けている。

 

3 泡沫 

 ここからはかなり細かい事について、いろいろ書きますので話がコロコロ変わります。

 これだけ鉄道趣味にエネルギーを注入していると回りから様々な圧力を受けることが過去に何度もあった。私はそれを悉く跳ね返してきたが、どうやらそのような圧力をかけてくる人々というのは、私の鉄道趣味に対する覚悟の程がわからなかったらしい。以下にその具体例を書く。

 ある人が「そんなにひとつの事ばかりやっていないで、若いうちはいろんなことにトライしてみたら? 今のままだと時代に取り残されるよ」と私に言ってきた事があったが、ハッキリ言ってかなり的ハズレである。鉄道というのは多少なりとも、時代を反映していて、世の中の動きを時刻表のページからこちらに伝えてくれる。臨時列車のネーミングによって春夏秋冬の流れを知り、運賃の上がり具合によって世間の経済成長を感じ、路線延長や廃止の進行スピードによって政治的動向をつかむ、なんてことも出来るのだ。私に対して苦言を呈してきたその人にとっては、「時代を知る」という事は「流行の波にのる」という認識だったらしい。

 また、こんな事を言ってきた人もいた。「そんなことはいつだって出来るじゃない。だったら今はもっとほかにやる事があるんじゃないの?」どうやらこの人も鉄道の時代性というものが理解できていなかったらしい。以下は私の戦歴の一部であるが、ある共通点がある。はたしてそれは何か?

○五能線の弘前→東能代間を旧型客車で乗り通した。

○583系寝台電車で一晩を過ごした。しかも「明星」や「はくつる」ではなく「金星」である。

○青函連絡船の、貨物改造船を除く、すべての船に乗った経験あり。ついでに「青函走り」も経験済。

○寝台特急「富士」の西鹿児島→東京間を24時間かけて堪能した。

○中央本線の東塩尻信号場に降りたことあり。

○夜行急行「だいせん」にて客車A寝台のグリーン車使用にすわったことあり。

 賢明な読者諸氏ならおわかりであろう。以上の事項は今現在(二〇〇二年)では絶対に経験出来ないことばかりであり、それがわかっていれば「いつだって出来るじゃない」なんて発言は口が裂けても言えないはずである。鉄道趣味とは常に「今しか出来ない事」に直面していく流動体である。

 国鉄がJRになってかなりの時間が流れた。今となっては国鉄時代の痕跡を見出すのもかなり難しくなったきた。時代はまさに「重厚長大」から「軽薄短小」になってしまったが、JRの車両についても正に同じ事が言える。特にJR東日本においては、基本的なコンセプト&デザインが国鉄時代とあまり変わっていないため、JR化以降につくられた通勤用新車両はどこかしら「国鉄時代の安っぽいコピー」という印象がぬぐえない。たとえ軽薄でも、JR九州のように国鉄時代からの伝統をきっぱりと捨て去り、斬新なデザインで独自色を打ち出せば、それはそれで評価に値すると思うのだが。

 またJR化以降の通勤用新車両は、基本的に「窓が開かない」構造になっていて、車内の空調はすべてエアコンに頼ることになっている。ただこの「窓が開かない」というのはかなりのクセモノで、通常の場合は特に問題はないが、万一事故または故障によって電力供給が断たれた場合、車内がサウナ状態になるのは確実であり、また車内にて犯罪事件等が発生した場合、「自分で窓を開けてそこから車外に逃げる」ことができない。ましてや地下鉄サリン事件と同様の事件が発生したら一体どうなるのか? あまり深く考えたくない事態である。(地下鉄サリン事件のときは、窓が開く車両だったためそれで助かった人もかなりいるはずである)

 そしてその頼りのエアコン、通称ラインデリアであるが、これもかなりヨロシクナイ。円柱形の筒が回転して風を車内の全て方向に送ることになっているのだが、その風がかなり弱い。あれでは車内の空気があまり対流せず、特に夏期の場合は涼しさが体感できない。やはりここで必要なシステムは、国鉄時代に行われていた「冷房プラス扇風機」ではないだろうか。このシステムは元来、冷房の付いていない車両に後付けでエアコンをのせたいわば「窮余の策」だったのだが、実はこれが車内の涼しさという点では最高である。今からでも遅くはない。ぜひ「冷房プラス扇風機」を復活させてほしい!!

 それからこれは、私ではなく友人のY君の意見であるが、「世の中には弱冷房車両というものが存在するが、それならば強冷房車両があってもいいのでは。俺は無類の暑がりだからどうしても強冷房車両が欲しい!」というものである。かなり強引な意見に思われるかもしれないが、私としては大賛成である。寒がりの人だけが優遇されて暑がりの人が我慢を強いられて良いという法はない。さあ、みんなで電鉄各社にどんどん投書しよう。

「強冷房車両が欲しい!!」

 念のために言っておくがこれは私ではなくY君の意見である。

 

2002/06

 


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