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押井ギャグの世界 ――序論

 

 

野田 真外


 

全くの私事で恐縮ですが、先日長女が生まれました。第二子です。

 

・・・とまぁのっけから、自著の拙いパロディを披露したくなるほどに、第14回東京国際映画祭の押井守レトロスペクティブ・スペシャルイベント「All About Mamoru Oshii トーク&映像作品」で上映された押井守脚本作品「ミニパト」は面白かったわけです。あ、念のため申し上げておきますが、長女が生まれたのは冗談ではなく本当ですけど。

まだ御覧になっていない方のために解説いたしますと、この「ミニパト」は押井守が脚本を担当した全3話・各12〜13分の短編アニメで、内容は押井守版「機動警察パトレイバー」の世界観をベースにしたセルフパロディ作品、言うなれば「SDパトレイバー」。この日上映されたのは第2話「あヽ 栄光の98式AV!」。主人公である特車二課整備班副班長・シバシゲオ(っつーか、登場人物はほぼ一人のみ)が、98式AVイングラムが作劇上どのような過程を経て成立していったのかを、日本ロボットアニメ史から特車二課のキャラ設定まで駆使して語り倒す!というような作品です。多分、初期OVA版パトレイバーや劇場版パトレイバーの1&2を見ていない人には何がなんだかさっぱりわからないシロモノでしょう(前知識を持たないと楽しめないアニメがあっていいのか?という議論も当然あるかとは思いますがここでは割愛させていただきます)。

登場人物が一人で全てを語って語って語り倒す超長台詞や、物語世界をキャラ自身が相対化して自らの存在に疑問を投げかけることによってウケをとる自虐的ギャグの数々。そしてオールドファン驚愕&必笑のラストは大必見。久々に押井節大爆発の怪作であります。監督はこれがデビュー作(いいのか?)となる神山健治(「人狼」演出)、作画監督の西尾鉄也(「人狼」作画監督)は筆ペンを駆使して全カットの作画(!!)も担当しています。音楽はもちろん川井憲次、諸事情で劇中歌はなかったものの(残念至極)遊びまくりです。曲で笑いがとれるなんて、セルフパロディ作品ならではの・技・ですな。

ちなみにこの「ミニパト」現在のところ3話製作されています。プロダクションIGの公式HPによると、この第2話の他にレイバーの「銃」について教育番組ふうに検証する第1話「吼えろ リボルバーカノン!」と特車二課の台所事情を報告書形式で綴る第3話「特車二課の秘密!」があるとのこと。「WXV機動警察パトレイバー3」との併映で2002年春に1話分公開予定(2001年11月現在)とのことですが、早いとこ3話全て見たいものです。

押井監督曰く「今回のコンセプトは『自分がやってきたことをどれだけ茶化せるか』」。他人の作品をいじろうとするとやりにくさが先に立ってどうしても突き抜けた感じがしないものですが、自分の作品を自分で、それもテッテーテキに茶化しているため相当に突き抜けた作品に仕上がっている。押井監督自身が持っているパトレイバーに対する愛憎入り交じったモノをすべて吐き出せたとのことなので、面白くないはずがないのであります。

 

    「大バカをやるのは命がけって言うか、自分の中の何かを賭けないと本当のバカはできないですよ。自分が築きあげてきたこと、かつてやってきたことをどう考えているのかっていう。血が出るようなことをやらないと本当には笑えない。バカ話だから簡単に作ったとかいうことはなくて、楽しかったけれど非常に緊張感もあったし、そういう意味ではいい仕事ができたと思う」(押井監督)

 

考えてみれば押井作品でギャグ作品はずいぶんと久しぶりです。多少でもギャグの入っている作品としても93年の「パトレイバー2」あたりが最後かと。まぁここんとこ「寡作期」に入っていたのも事実ですが(苦笑)。映像作品以外の小説やエッセイなどではギャグもたくさんありましたが、ここまでお笑い全開で作った映像作品は本当に久しぶりでありました。私なんぞはどっちかというと「シリアスの押井」よりも「ギャグの押井守」の方が好きだったりするんですが。

ところが。そう考え始めてようやく私は「あること」に気が付いた、というか「あること」を思い出したのです。その「あること」とは・・・そう、押井守という監督は、元々はギャグの監督だったんだということを。

だってよく考えてみて下さい。押井監督はタツノコプロ出身、最初に担当した作品は笹川ひろし総監督のギャグ大爆発「ヤッターマン」だし、デビュー作だって「一発貫太くん」です。確かにタツノコ入社の動機は「ガッチャマン」でしたが、その後は順調にギャグ畑を歩んできたといってもいいのではないでしょうか。ぴえろ移籍後も、タイムボカンシリーズには参加を続けていますし、出世作だって「うる星やつら」というギャグ系の作品なわけですから、むしろベースはギャグにあると考える方が自然です。

それに、きっぱりとギャグ一切抜きの「シリアスの押井」作品と呼べるものは、実は「天使のたまご」「攻殻機動隊」「Avalon」(「人狼」と「Blood」も入れてもいいけど)位しかないはず。にも関わらずどうも世間一般の「押井守」像は「シリアス」のイメージの方が強いような気がします・・・つーか「難解」や「理屈っぽい」というファクターを「シリアス」と混同している人がかなり多い気もしますが。うーむうむ。

まぁ、確かにここんとこギャグ抜きの作品が続いてましたからねぇ。当初の「紅い眼鏡」や「ケルベロス・地獄の番犬」ではギャグやパロディも満載だった「架空戦後史シリーズ」も、「犬狼伝説」や「人狼」ではすっかりギャグが陰を潜めていましたし(立喰いネタが少しだけ入ってましたが)、同じく前記のイベントで上映された「G.R.M.(凍結中)」のパイロットフィルムからもシリアスの匂いがプンプンしていましたから、押井守自身の興味がそっちにすっかりどっぷり傾きつつあるのかな・・・と思っていた矢先の「ミニパト」だったので、本当に嬉しかったわけです。

 

    「『Avalon』というあまりにも重たいものを片付けた、そしてさらにこれからまた重たいモノをやりつつあるわけで、今しかないぞと思わずやっちゃった。人間そういうことをやんないと身体によくないっていうか・・・必要なんだよね、羽目はずすっていうかタガはずすっていうか」(押井監督)

 

もちろん「シリアスの押井」も好きなんですけど、実際どれだけシリアスな作風を続けていても、一丁事あらば即座にパッとこういう引き出しを開けることができる(しかもそれを作品にしてしまう)ところが押井作品の真骨頂だと私なんかは思ってしまうわけです。そういうクリエイターって案外少ないんじゃないでしょうか?なのに、私を含めてそうした笑いの部分に言及した文章は、実はほとんどなかったような気がします。少なくとも私は読んだことがありませんし。

自戒を込めて書きますが、やはり「押井守」について、作品の思想的なものや構造的なものについて、作品世界について、語ろうとする時に「ギャグ」への言及がないのは片手落ちというか、やはりマズイと思ったのです。何つーか、評価の方向性として「シリアス」なものへの言及しかないというのは、全体としてみた場合にはちょっと貧しいかなと。この本は「押井学」なんていう、奧○恵とイイ仲の某男優の名前みたいなタイトルがついているわけですし、ここは一丁私が・・・と勢い込んでいたのですが、実は既にタイムアップでありまして、今この部分の文章を書いているのが、最初の締切をとうに過ぎて、真実のホントウのデッドエンドの締切の30分前という為体でして。申し訳ない。正直、すまんかった。とりあえず今回は序章ということで、次回をお楽しみに(こらこら)。

 

 2002/07

 


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