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ノスタルジーの在処

 

――『クレヨンしんちゃん  モーレツ! オトナ帝国の逆襲』に関して――



鈴谷 了



 まずは個人的な回想から。

 一九七〇年当時幼稚園児だった筆者の年代は、直接「万博の記憶」を持つおそらく一番下の部類であろう。筆者は当時関西に住んでいたが、万博会場を訪れたのは1度だけである。親が「人混みのするイベント」を好まなかったことがその理由のようだ。それも混雑のピークとなる夏休みを避けて、梅雨が明けるかどうかという時期だった。

 動く歩道から館内に入り、行列のできる「月の石」などは見向きもせずいくつかのパビリオンを回ったことと、エキスポランドでダイダラザウルス(ジェットコースター)の一つに乗ったこと、明確な記憶はその程度だろうか。当時の筆者にとっては「月の石」よりは、日本館に展示されていたリニアモーターカーの模型の方が関心が大きかった。自分では記憶にないのだが、親によると「駆け足で見て回ったはず」であるらしい。万博自体よりは、むしろ帰宅してから導入されたばかりのエアコンをつけて涼んだ記憶の方が印象深い。

 夏休み明けの幼稚園で「夏休みの思い出」という絵を描かせる授業があり、できあがるとそこには太陽の塔がずらりと並んでいたものだ。そういえば当時の筆者には「太陽の塔」の記憶もほとんどなかった。

 それでも万博の周辺にあった様々な「未来」のイメージに接する機会は多かった。昨年(二〇〇〇年)二一世紀を目前に物故された真鍋博画伯のイラストもその一つである。そうしたものも含めて、「一九七〇年頃」のイメージがある。

 

 

   その日本万国博覧会が開かれた翌年の一九七一年に刊行された一冊の児童文学がある。『かえってきたゼロ戦』。作者は砂田弘、ジュブナイルSFシリーズの一つとして世に出た。

 舞台は作品刊行から約二〇年後の一九九〇年の東京。突如飛来した大量のゼロ戦が空を埋め尽くして去っていくと街からは大人の姿が消えていた。その街で残された子どもたちが生きる姿を描いた作品である。

 筆者はこの作品を子どもの頃ぱらぱらと斜め読みした程度なので、正確な内容を覚えているわけではない。かすかな記憶では、大人たちがいなくなったのは「戦争で死んだ人々の望んだような平和な世界が実現されていないので、戦争の犠牲者たちがその世界を作った大人たちを連れ去った」ということであったと思う。

 作品の舞台は一九九〇年だが、実質的には作品が書かれたその当時をモチーフとしていると考えた方が妥当であろう。一九七〇年から三〇年遡ればまさに日本は戦争のさなかだった。そして二〇〇一年の今から三〇年遡ると、『かえってきたゼロ戦』が刊行された時代になる。

 二〇〇一年4月に公開された映画『クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』(以下『オトナ帝国』)を見て思い出したのがこの作品だった。

 ネタバレにならない範囲で『オトナ帝国』の粗筋を書いておこう。野原家の近所に「昭和時代」を売り物にしたテーマパークができ、(しんのすけの両親である)ひろしやみさえを含めた大人たちがそれにはまっていく。やがて、このテーマパークから発せられたテレビ番組をきっかけに大人たちが大挙して家庭や仕事を捨ててテーマパークの中に消えてしまう。

 実はテーマパークの首謀者(ケンという中年男性)が、二一世紀の現在に対する嫌悪から、大人たちを(マインドコントロールをかけて)このテーマパークに「拉致」したのだ。そして残された子どもたちは……というのがお話である。

 ベクトルが正反対とはいえ、「望まれた世界が実現していない」ことを理由に大人を連れ去る「逆ハーメルン」のプロットに共通するものを感じた。だからといって『オトナ帝国』が目新しくない、といいたいわけではない。今の時代だからこそ出てきた作品だ、ともいえる。

 三〇年前の当時にあっては、大人たちにとっての「子どもの頃の理想の未来」は戦争の恐怖が再現しないことであった。その時代に生まれ育った宿命としてマイナス面にもノスタルジーを感じるという部分はあるとしても、空腹と空襲、親との離別という恐怖が持続することを望んだ子どもはいなかったはずである。彼らが大人になったとき、「子どもの頃」は否定されるものであり、過去の否定の先にこそ理想の未来はあった。

 だが、三〇年が経過した現在の大人たち(筆者もその一員だが)にとって、子どもの頃は決して否定されるべき時代として捉えられてはいない。その三〇年の違いが、そのまま両作品のスタンスに反映している。

 

 

 筆者は『クレヨンしんちゃん』をほとんど見たことがない。ただし、今回の劇場版の監督である原恵一氏には馴染みが深い。藤子アニメの(いささか偏った)ファンであった筆者は、『エスパー魔美』、『21エモン』等でその手腕を堪能していたものだ。(余談ながら『オトナ帝国』はエスカレーターの上の場面から始まるが、原氏の劇場初監督作品である『エスパー魔美 星空のダンシングドール』[一九八八年]もエスカレーターの上から始まっていた)

 その点から『オトナ帝国』を見れば、その構成が劇場版の『ドラえもん』と似ていることに気がつく。スケールの大きなテーマを扱いながら、ストーリー自体は元となる作品の世界の枠内で展開し、結末も「元の世界に戻る」というスタイルである。ただ、『ドラえもん』が誰にも受け入れられる、いわば万人向けのテーマであるのに対し、『しんちゃん』はしばしば、万人受けとは言い難い少しひねったテーマを持ち込むことが多いようだ。(「傍目から見た印象」だが)これは『ドラえもん』が基本的に「善人の世界」とされているのに対し、『しんちゃん』が「いたずら好きのマセ餓鬼」が主人公という、一種の「反道徳」を前提とした作風であることと関係があるのだろう。「どうせナンセンスだから」という「色眼鏡」がついていることで、かえって際物なネタを扱うことができるのではないか。

 テーマはともかく、おそらく他の『しんちゃん』の映画も基本的にはそういった構成を取っているのだろう。少なくとも『しんちゃん』の映画という基本そのものは踏み越えていなかったようだ。(筆者が見に行った劇場でも、「本来の視聴者層」のお客は『しんちゃん』らしいギャグの場面ごとに大笑いしていた)ただ、今回の場合その仕掛けが相当に凝ったものだったことは確かである。

 『しんちゃん』のレギュラーキャラからは異質なデザインのゲスト。ケンとその連れ合いの女性は『しんちゃん』の作品世界に属していながら、最後まで顔を崩されることがない。それは「作品世界の調和」という観点からは明らかな「破調」である。他の映画版『しんちゃん』のゲストキャラにもそのような例はあるのかもしれないが、あえてそのようなバランスを欠いたキャラクターが使われている。

 そして、明らかに『しんちゃん』本来の視聴者層には理解困難な素材を使い、あたかも「本来の視聴者層」の親の世代を狙ったかのようなプロット。万博、特撮ヒーロー、白黒テレビ、スバル360、トヨタ2000GT、足踏みミシン、当時の流行歌……とその時代の事物が画面にあふれる。

 いわゆる「一九六〇年代」もしくは「昭和三〇〜四〇年代」と呼ばれる時代(まあ「高度成長時代」といってしまえばよいが)には厳密にはそれなりに幅がある。筆者の場合白黒テレビを見た記憶はほとんどないし(筆者の家庭ではそのころ「セカンドマシン」だった)スバル360もどちらかといえば「古い車」になっていた。前述したように、万博で「月の石」に執着することもなかった。一方で東京五輪も万博も享受した年代もいる。したがって、同じ「あの頃に幼少時代を過ごした者」といっても、その印象や受け止め方にはある程度の差はある。

 ただ、一九七三年の(第一次)オイルショックに至るまでの「繁栄」の記憶が抜きがたくある、という点においてはおそらく共通しているといえる。それらを集めて最大公約数的に描けば、『オトナ帝国』が示した世界になるだろう。

 

 ※

 

 一九六〇年代のただ中に、藤子・F・不二雄はこの時代が将来懐古の対象となる時が来る、という題材の作品を『21エモン』(一九六八年)に描いた。題して「昭和村」。もちろんこれはその少し前の一九六五年、愛知・犬山に開村した「明治村」に材を得た「パロディ」である。だがそのエピソードが(『オトナ帝国』の)原恵一監督によってアニメ化された(一九九一年)とき、「昭和」はすでに「過去の時代」になっていた(注)。そして同じ年に公開された『おもひでぽろぽろ』は、一九六〇〜七〇年代を「歴史的な対象」として描いた最初のアニメ作品となった。(『ちびまるこちゃん』も入れてもよいかもしれないが)そうした試みはここ一〇年の間、年を経るにつれて増える傾向にある。現実とは世界設定の異なる「一九六〇年代」を舞台とした『人狼』(二〇〇〇年)もその中に加えてよいかもしれない。そこで試みられているのは過去の再現と、その現代からの(作中人物によるかどうかは分かれるが)位置づけという点では共通しているといえる。

 ただ、『オトナ帝国』が少々特異なのは、過去を眺めるまなざしそのものを相対化していると思われる点だ。

 中年で眼鏡をかけ無表情で冷酷そうなケンは、いきなり司令室のような椅子に座って手を組んでいる。『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウを連想させるこの構図だけなら単なる「お遊び」かもしれない。しかしひろしが扮したウルトラマンもどきが顔面丸出し(後から合成するという設定)という部分では意趣返しか?とも思えてしまう。知っている向きも多いと思うが、後のガイナックスメンバーがアマチュア時代に制作した自主映画『帰ってきたウルトラマン』(一九八三年)には、庵野秀明扮する顔面が露出したウルトラマンが登場する。

 これについては、好意的にオマージュと取ることもできるだろう。彼らのこの作品(および『ダイコンオープニングアニメ』)を皮切りに「自分が見て育った作品を再生産する」という手法がアニメや特撮の世界に導入されることになったからである。「過去への郷愁とその再現」という題材を扱った映画を作るに当たり、その「元祖」となった作品に敬意を表したとしても不思議ではない。

 そして何よりケンの抱いた野望が「過去による現在の否定」だったことにある。つづめて言えば「昔の方がよかった(のに現在はよくない)」から「昔に帰ろう」というテーゼを(やや滑稽すぎるほど)正直に実行しようとしたのだ。ケンの一応の敗北によって、「過去の再現」はストーリーの上では阻止される。それは同時にノスタルジーの甘美さに対する異議・警告として多くの観客には受け止められただろう。過去を眺めるまなざしそのものの「相対化」とはそういうことである。では、ケンは単なる懐古趣味者だったのだろうか。

 「高度成長時代」へのノスタルジーを語る上で難しいのは、時代そのものへのノスタルジーと、当時描かれた「未来図」へのノスタルジーとが混ざり合いやすい点にある。「人情味」と「昔っぽいもの」が色濃く残り新しさの一方でどこか泥臭さの残る「高度成長時代」と、万博に象徴される超近代的な「未来」に同じように注がれる、ある意味では奇妙なノスタルジーがそこにある。

 ケンはそのどちらを夢見たのか。一九六〇年代の街並みを復元し、「二一世紀は明日で終わる」という言葉を聞く限りでは、「過去の再現とその持続」が彼の本意だったと取るのが自然ではある。「いつまでも終わらない時間」の表現として、ケンの作った世界は常に「夕暮れ」であるという設定などはその象徴ともみて取れる。(「昭和三〇年代」をモチーフとした「新横浜ラーメン博物館」の館内はまさしく夕暮れ時にされている)けれども、その過去を起点としてその時代に語られた「未来」をやがて実現することに思いを致していた、と考えてみることはできないだろうか。彼がめざしたものが一種の「革命」だったとすれば、「実現していない未来」の実現こそが「革命」である。

 これは決してアニメの中の話だけではない。過去の何らかの理想をもとに、その理想が「実現していない」ことをきっかけにして政変や革命が起きた例は少なからず存在する。

 二〇〇一年の元日を迎えたとき、「これが二一世紀なのか?」という違和感を持ったのは筆者ばかりではあるまい。ケンが抱く「現実の二一世紀」の居心地の悪さは、ある程度までは理解できるものだ。

 むろん、実際の「高度成長期」にもさまざまな社会問題はあった。偶然にも『オトナ帝国』が上映中だった4月末に、NHKの衛星放送で万博の記録映画が放映された。その中で、万博のパビリオンの中でそうした社会問題を訴えた展示も紹介されていた。とはいえ、万博全体のイメージが「高度成長の延長上にある未来図」だったことは確かである。

 それが浅薄であると指摘するのは今日から見ればやさしい。大阪万博のモチーフが、それ以前の万博ですでに使われていたものの焼き直しだという指摘もある。

「高度成長がそのまま続けば」という前提でなされた「未来図」のむなしさはあえて筆者がここで書く必要もないだろう。

 だがその未来図にあった「夢」と「希望」を当時の人々、とりわけ若い世代はかなりまじめにとらえていた。「こんなの実現するわけないよ」という感を抱いた人の方が少なかったに違いない。言うまでもなく当時においては「終わってしまった過去」「捨てられてしまった未来像」などではなく、眼前の現実と未来だった。

 当時の事物や未来像そのものは陳腐化してしまった。しかしそれを実現させた(させたい)という精神(夢と希望)は、今日においても(感傷と哀れみのこもった懐古ではない)積極的な評価と憧れの対象となりうるだろう。NHKの『プロジェクトX』に寄せられる支持はその現れの一つといえる。この番組自体ははかなり広い時代を取り扱っているが、高度成長時代に取り組まれた事業や成果が多く目に付く。今はリタイヤした当時の「大人」たちが披露する苦労話の裏には「明日はきっと今日よりよくなる」という共通した信念がうかがえる。

 ケンが作中で行う企ては肯定できないにせよ、もし彼が「未来を築く力」を渇望していたのだとすれば、その限りにおいては多くの人の共感を得ることができるかもしれない。

 『プロジェクトX』だけではない。たとえば(架空の一九六九年の日本を舞台とした)『ゲートキーパーズ』は『オトナ帝国』の支持者から「高度成長期はこう描かないとダメ」といった類の、半ば蔑みを持った比較を受けた。しかし、『ゲートキーパーズ』が描こうとしたものも(表面的な事物の描写はともかく)、やはりこの時代に存在した「未来を築く力」であったように思われる。その点で『オトナ帝国』と『ゲートキーパーズ』は優劣や対比の対象ではなく、通底したテーマを持った作品だと筆者は認識している。まあ自らの信ずるノスタルジーに拘泥して『ゲートキーパーズ』はダメで『オトナ帝国』はよい、という人にはどうぞ御勝手にと申し上げるしかないが。

 

 ※

 

 先に書いたように、この映画の中ではケンの敗北によって、ノスタルジーにひたることへの疑問や警告を観客に訴えているようにみえる。「いつもの両親、いつもの大人」に戻ってほしいというしんのすけの立場もそれを補強するだろう。

 何も『オトナ帝国』に限らない。「虚構の世界」を否定し、「現実」への回帰を促すような映画はいくつもある。映画の虚構は現実に敗れ去る、というのが多くの作品においてほぼ共通するスタンスである。ではケンは哀れな狂言回しで、スタッフは彼をコケにするためにこの映画を作ったのだろうか。

 たとえばケンが他の『しんちゃん』のキャラクターと同じようなデフォルメされた容貌を持ち(しかも頻繁にギャグを演じ)、作中に描かれた過去の事物が不出来でみっともないものであったらどうだろう。そうした過去は否定されるべきだ、と見た人は誰もが思うに違いない。しかし、それでは(ある世代以上の観客に)ノスタルジーを引き起こすことは難しいと思われる。『オトナ帝国』を見た(特定世代の)観客が、その結末に心動かされるとすれば、作中で緻密に再現された過去の事物もその大きな要素である。

 ここに一つのパラドックスが生じる。ストーリーとして「ノスタルジーへの逃避」を否定するために、その対象となる過去は微に入り細をうがつごとく精緻に再現されなくてはならない。それを行っているのは他ならぬこの作品のスタッフだ。

 「虚構と現実」を暑かった作品の一つ、『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(この作品の場合、回帰した先が「現実」なのかどうかが実は明確ではない。本号にも寄稿しているまつもと氏がNo.21で詳述している)について、「理想の夢の世界」を築きながらそれを破壊されてしまう夢邪鬼の姿が、実は作品世界を作ってはさまざまな「現実」によって妨害されるスタッフ(特に押井監督)自身のモチーフではないか、という意見がある。(セリフ「一つくらい自分の夢があったかてええやないか」)

 そのたとえで行けば、ケンの姿はある意味でスタッフ自身(のある部分)だと言うこともできるかもしれない。あの懐かしい光景を本当は描きたくて仕方がなかった、だからこそ、その「魔力」を懸命に否定する作品を作ったのだ、というと言葉が過ぎるだろうか。

 ひろしがケンのマインドコントロールから解かれるのは、しんのすけの「説得」(コミカルな味付けがしてあるが)であった。その点について、私とほぼ同世代で独り身の知人が「家族という存在がキーになる、という部分で家族を持たない身には少しつらい」という感想をもらしていた。筆者は所帯を持つ身だが、もう少し広く考えてもよいのではないかと思う。

 ここまで縷々述べてきたように、「高度成長期」を幼少期だった筆者たちの世代は「ごく当たり前にあった世界」として受け入れた。(そしてそれはノスタルジーの対象となる幸せな世界だった)だが、よく考えてみれば当時の世界は、その時代の大人によって作られたものだ。「小さい頃は神様がいて」(荒井由美)世界をお作りになった、わけではない。その大人たちとは、すなわち『かえってきたゼロ戦』を書いた世代の人々、三〇年前の戦争の恐怖から抜けだそうとした人々である。自分の子どもの世代にはその恐怖を味わわせたくない、平和と繁栄をもたらしたいという思いで築き上げられたのが当時の社会だった。次の世代にどんな形でノスタルジーの種となるのか、などと考えていたわけではむろんない。何もこれは特定の「親・子」という関係だけではなく、「世代」という社会的な意味においても当てはまる。

 家族持ちであるか否かを問わず、今の自分が行っているごく当たり前の(意識すらしていないものも含めた)営為が、次の世代にとってのノスタルジーの種となる。『オトナ帝国』においてしんのすけとひろしという関係になったのは、作品の設定上やむを得ないものでもあるだろう。

 ノスタルジーの否定といえば非常にシビアになるが、「今度はあなた達が作る番なんですよ」というメッセージと捉えればネガティブなものではない。とはいえ、かくいう筆者もどのような社会を築くことがノスタルジーの種となりうるのか、という点については大いに頭を悩ませている身の上ではあるが。

 

 ※

 

 「高度成長期」を歴史的対象と捉えた作品が増えていることは先に述べた。今後もそれは続いていくだろう。ただ、筆者の個人的な希望をいえば、高度成長期ではなく「一九七三年の挫折」をテーマとした作品を見てみたい。

 一九七三年の(第一次)オイルショックは高度経済成長時代に終止符を打った。経済史的には日本経済はその後省エネを含む技術革新やコスト低減によって立ち直り、多少の出入り(イラン革命による「第二次オイルショック」や、ドル安・円高政策による不況)はあったものの八〇年代末期にバブル景気の繁栄を再び享受したということになっている。そうした目で見ると、オイルショックの「躓き」は大したものではなく、日本は一貫して成長経済を前提に戦後を進み、現在の不況は戦後始まって以来というようにとらえられる。

 だが、「高度成長期」を「ごく当たり前にあった世界」として育ちつつあった筆者の世代には、オイルショックとそれに前後してやってきた終末論ブーム(『ノストラダムス』もその一つだがすべてではない)は、「世界の終わり」を幼くして知らされたような衝撃があった。戦争中の少年が「ポツダム宣言受諾」で受けた世界観の変転にもたとえられるかもしれない。

 その挫折こそが、「高度成長期」への特異なノスタルジーを形作り、どこかシニカルな視点を与えたように思えてならないからである。

 

 (2001年7月) 


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