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存在としての『BLOOD』



へーげる奥田



 この映画についての事前に話は訊いていた。セーラー服の女子高生が日本刀振り回して大暴れ――何だそりゃ? 普通の企画だったらわざわざ劇場へ出かけようとは思わないような話なのだが、押井的模倣子を受けついだ作品であるからそれで済むはずはない。そう確信して観に行ったが、やはり成功だった。

 実際、「美少女」が刀を振るって……という作品は嫌になるほどある。それ自体は斬新でもなんでもないのだが、私にとって最初に目を引いた点は、「刀」の描き方だった。どうも日本の物語では、日本刀というものをひどく神格化というか伝説化というか、過剰な神秘性をもって描くことが多い。だがこの『BLOOD』においてそれは、どうやら徹底して「単なる道具」として描かれている。また主人公小夜の斬撃は、剣術の高位有段者のそれには見えない。あくまで人体の切断を目的として「刃物を振り下ろす」という多分に野卑な実践的行為として私の目に映った。

 私には剣道や居合いなどの本格的なスキルはないし、実際に人を斬ったこともないので知ったかぶりになるのだが、真剣で本気で人体を両断しようとする斬撃は、剣道の斬撃とは少々違った形になるらしい。剣道においては、相手の特定部位にある程度の勢いで打突を決めればポイントとなるが、真剣で人を斬ろうとする場合、そこからさらに刃を引いて「斬」らなくてはならない。斬撃を加える部位も、剣道でそうするように頭部を狙うのは疑問だ。頭部は堅く、またその形状からうまく斬ることが難しそうである。実際、第二次大戦中の記録として、軍刀で敵に斬撃を加えたところ、敵の頭部で跳ね返ってしまって致命傷を与えられなかったという話があるようだ。したがってそれよりむしろ、頭部を避けて肩から斜め下に斬り下ろす、いわゆる「袈裟斬り」に斬ったほうがおそらくは効率的ではないかと思われる。

 劇場版『BLOOD』の小夜の斬撃は、「おさむらい然」とした優雅なものとは言えない。刀を持ったその構えも、相手がこちらと同等な条件の得物を持っていることが前提のスポーツのそれとは異なっている。獲物を狙う獣のような表情とともに思い切り振りかぶっての一撃は、まさに「相手を斬殺する」という目的のために「刃物」という道具を使用している、といった無造作なものとして描かれているように見えるのだ。

 ためしに、実際に手持ちの真剣で、人を本気で斬るつもり(ぐらいの力と気合いを込めて)の素振りを試みてみたのだが、まあきちんとした訓練をしていないせいもあってか、たしかにそれは野卑な「ぶん回し」に近いものとなった。それはむしろ、金属バットやメタルフェイスのドライバー等で人に殴りかかるような雰囲気ですらあったと思う。「相手に打突を入れてポイントを取る」のではなく、本気で(武器を持っていない)相手を斬殺するための斬撃というかぎりにおいて、少なくとも私の実感では、マンガやアニメ、また伝統的な時代劇に登場する剣客のような優雅な斬撃より、『BLOOD』のあの斬撃の描写のほうが、定型化していない粗野なリアリズムを強く感じさせたのである。

 あえて述べるが、日本刀というものは、約900グラム程度の鋼鉄によって形成された、刃物という「道具」だ。しかもそれはある意味非常に脆弱なもので、場合によっては一度「使用」したらダメになってしまう。それはよくあるマンガやアニメと違って、万能的になんでも斬れるものではない。押井守著の小説版である『獣たちの夜』の作中においても、小夜は一度相手を斬るたびにしきりに刃毀れを気にしているが、それは妥当な態度であろう。実際問題として、相手が身につけている金属片や、周辺の構造物などへの誤撃によって、日本刀というものは実に簡単に刃毀れを起こしてしまう。私の場合も、自室で素振りをしていて蛍光灯のカサを斬ってしまった時、非常にあわてつつ最初に頭をよぎったのが、刃毀れやヒケが起きていないかということだった。劇場版『BLOOD』の作中では、小夜の刀はスチール製のロッカーに当たっていとも簡単に折れてしまうが、実際の刀でもこうした現象が起こることはありそうに思う。ここでも小夜は、折れた日本刀にさしたる感慨を抱かず、単なる「道具の破損」といった感じで即座に新たな「道具」の調達に走るのだ。

 さて、「日本刀の神格化」などと書いたが、ある物品や行為を神秘的に、すなわちある種の定型として描くということ、この形式化・記号化という手法は、日本のアニメや漫画文化の得意技のひとつであった。行為の定式化や身体描写の記号化は、それをひとつのモジュールとして知的共有することを可能ならしめるという利点がある。

 こと「作品」を作るものにとっては、この「モジュール化」は効率の点からたいへん重宝である。たとえば実際の銃の発射音は「パン」という乾いた破裂音であるが、かつて誰かが作成した「ドキューン!」などというようなオノマトペの情報共有によって、たとえそれが実際の銃の発射音と遠くかけ離れていることを皆が知っていたとしても、それが「銃の発射音を表しているのだ」という共通認識を得ることが可能だ。日本の絵画における富士山の稜線の角度は、実際の富士山のそれよりもかなり急に描かれることが多い。絵画が戯画化・記号化するほどその傾向は強くなる。これも、「イメージ画としての富士山」がひとつの情報モジュールとして共有された結果であろう。

 映像系作品においても、当然こうしたモジュール化は指摘できる。ただその傾向は、アニメーションのように高い工数と分業による制作を必要とするジャンルでは特に強いと言えるかもしれない。

 映像系作品というものは、基本的に「見え」の連続による構成という基本言語によって記述されている。ここでいう「見え」とは、実際の映像がどうあれ、鑑賞者の感覚に映ずるその映じ方自体のことをいう。絵画など静止した映像系作品も実は「見え」の追求という点では同じで、現実を単にそのまま写実すれば「リアル」な「見え」に到達するかといえばそういう訳でもない。実のところ、写真のほうが「デッサンが狂っている」(ように「見え」る)という状況は意外とよくある話だ。

 「見え」による構成という点に関して、絵画の写真に対するポジションは、アニメーションの実写映画に対するポジションに近い。もちろん、「見え」の構成という問題に関して写真や実写映画がまったくものを考えていなかったとは言うつもりない。だが少なくとも、基本的に「現実に存在する被写体」を撮影していればそれで済んでしまう写真や実写映画に対して、一からおのれの手で描き、すべてを構成していかなくてはならない絵画やアニメーションは、常に「見え」の問題と対峙し、問いを問いつづける必要があった。例えば、アニメーションにおけるおよそ現実にはあり得ないような動きの描写なども、「見え」の追求の結果による表現技法のモジュール化とその情報共有の帰結とみることができる。現在われわれの目の前にある多くの作品群は、こうして蓄積したひとつの文化圏の成果物なのだ。

 しかし、むろんこうした動向には功罪がともにある。

 「見え」の構成技術のモジュール化による共有は、その利得の反面、それが原的に描こうとしたはずの「物自体」や「行為自体」を、現実的空間から「言葉」や「思考」の空間へと押しやってしまうという思考技術的な欠点があった。

 われわれ人間は、視覚に大きく依存するタイプの生物であるから、その思考は常に視覚を中心に展開するという盲信がある。人間の感覚世界というものは、ともすれば3次元的な視覚的世界として構成されているように考えられがちだが、実際のところわれわれの思考空間としての「世界」は、むしろ言語的空間のなかに延長したものなのである。体験的現象は記憶となる過程でいったん言語的な情報として保存され、ふたたび「思い出」される際に視覚的情報として再構成されるという。

 「見え」を構成する技術の発展が作品文化を多彩にする反面、その記述が作品表現を現実の背後に広がる思考空間に押しやり、より記号的に、より実存的「でなく」、変貌せしめてしまったのもまた事実である。かくて、日本刀はなんでも斬れる神秘の武具として描かれ、剣客はナントカ流の使い手だとかいいながら芸術的なフォームで華麗に敵を斬ることとなるのだ。

 押井作品における、体躯や行為や場―ひいては世界の緻密な描写は、単に実写ないしは現実への収斂の結果としてあるだけなのではない。元来が記号としてのキャラクターの演じによって表現されるアニメーションにおいて、その身体性を中心としたより精緻な「見え」の構成によってなる記述は、作品の内部に実存を引き込むことに一定の成功を収めているように感じられる。押井監督のその模倣子を多分に受け継いだ作品『BLOOD』はこの点においても十分に成功している作品だ。実際のところ、多分に単純な、感覚的「所見」として観ても、『BLOOD』はそれを観る者にセンス・オブ・ワンダーをもたらすのに十分な作品であった。さらに、その作品を構成する隠された記述言語に耳を傾けるような見方においても、それは身体性を媒介とする存在の獲得に成功した秀作と言えよう。

 そしてさらに特筆するべきことは、これが表現方法のモジュール化という従来の方法にとどまらず、その制作手法といったレベルでの情報共有のもとに生まれた作品であるということである。むろん、劇場版アニメーション『BLOOD』における手柄は北久保監督を中心とするスタッフのものであり、押井氏は企画協力のみであるのだが、問題はその関与の仕方である。技術を共有しつつ作品記述方法の記号化を最小限に押さえるには、従来より高度なレベルでの共有化された手法が必要なのかもしれない。むろんそれはまだ模索の段階かもしれないが、押井監督の試みはさらに続いていくことだろう

 

 (2001年8月) 


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