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野田氏からの手紙





野田 真外



前略 へーげる奥田様

 

 暑かった夏がさんざん長引いた揚げ句、秋を3日間くらいで素通りして冬になってしまった感のある今日この頃ですが、お元気でいらっしゃいますでしょうか。webの掲示板などで拝察するところでは、お風邪など召しておられたようで、少々心配もしておりました。

 奥田様と初めてお目にかかった昨年の冬コミから、早いもので一年が経とうとしております。その冬コミの時の私はテレビ番組の取材中だったとはいえろくすっぽ御挨拶もできてなかったような(そもそも取材に協力していただいたことへのお礼をしてなかったような)、そういえば『WWF』19号をいただいたお礼もまだだったような、そしてあなたからいただいた書簡に対する『返事』を書きますなんぞと言っておきながら忙しさにかまけてすっかり放置プレイにしてしまったような・・・う〜む、いかん。そんな数々の不義理に対して、まずはこの場を借りてお詫び申し上げたいと思います。

 

 拙著「前略、押井守様。」が発売されてから1年半が経ちます。発売当初は書店で平積みになっているのを見かけたりしたこともあって、ベストセラーの予感に浮かれ舞い上がる『ひとり世紀末バブル』の日々もつかの間、結局は地味な表紙が災いしたか、「G.R.M(仮題)」の凍結が影響したか、あるいは「人狼」の公開延期の呪詛によるものか、棚に陳列してある書店は無理やり平積みにするという私の営業努力も虚しく、大きな話題となるようなことは一瞬たりともありませんでした。

 でもまぁ、本の後書きにも書きました通り「前略、押井守様。」を著そうとした動機というのはそのほとんどが個人的なもんですから、売れなかったからといってさほど気にしているわけじゃないんですよはっはっは・・・というのはもちろん強がりで、そりゃやっぱり売れるに越したことはないわけです。売り上げが伸びれば当然印税も増え、私の懐も少しはあったかくなろうというもの。そうすりゃあ苦労をかけた妻に温泉旅行の一つもプレゼントし、2歳になった息子にはおもちゃのひとつも買い与え、そんでもって私は妻に内緒で池袋辺りの熟女ホテトルへいそいそと足を運び・・・おっといかんいかん、つい愚痴になってしまいました。ま、そんなような忸怩たる思いを内に抱えたまま今日に至っているわけであります。

 そんな日々の中、奥田様から拙著に対する文章を頂戴いたしまして、率直に救われる思いでございました。いくら強がってみたところで、初期ロットすらはけずに世間的には全く黙殺されているような本の著者としましては、モンゴルの大平原に迷い込んだ軽装の旅行者が三日三晩迷走した揚げ句にようやく遠くに遊牧民のゲルの明かりを発見したような、そんな状況だったわけです。

 実際、ある作品なり文章なりを世に問うて全く黙殺されるというのは、自負や期待が大きかったこともあって思いの外つらい体験でした。いっそこっぴどく批判されるのでも、他人様からのリアクションを頂戴できる方がいいとすら思っていました。インターネットの検索エンジンでキーワード検索をかけてみたりもしたんですけど、単なる引用か、「こんな本を買った」というような記述(余談ですが、本の購買日記のようなものを書いていらっしゃる方は結構な数いらっしゃるようですが、『○○を買った、読んだ』という記述しかないものがほとんどなんですね。どうしてその本に対する感想とか意見とか後悔とかといった記述がないんでしょうかねぇ。意味ないじゃん)しかありませんでしたし。

 奥田様も書いておられるように、オリジナルな「作品の解釈」という表現手法がこの国ではなかなか認められないとは、私も常々思っていました。とはいえ近年そうした解釈系の文章は、いわゆるアートと従来目されなかった作品を中心に数が出ているように思います。しかしその多くは、パロディ的な楽しみ方を主眼としたお笑い系(例えば映画秘宝のような。でもこれはこれで大好きだったりするんですけど)のものか、もしくは作品に対する愛などみじんもない批判系の文章(例えば佐藤健志氏の一連の文章など)がほとんどで、そうかと思うとインターネットなどで見かけるのは作品に対する愛を履き違えた盲目的賞賛の文章しかないという、まったくもって困ったちゃんな状況ばかりだったように思います。

 結局この国では「私は○○を観て、こう感じて、いたく感動した」というような意見を独自に発言するということは、今んところ、ていうかまだまだ当分難しいんでしょうね。それがお笑いのような、ある種の照れ隠しの文章だったりすればまだいいんでしょうけど。この件に関しては、この国の教育環境とか伝統的気質とかも大きく関係しているんでしょう。しかしそれ以前に、「他者をリアルなコミュニケーションの対象として認知することの出来ない『彼ら』」には、作品を「消費」するという選択肢しか持っていないわけで、「作品に対するオリジナルな客観的意見」という選択肢がそもそも存在しないんでしょうけどね。

 

  「否、断じて否だ! 時はただそこにとどまり、我々だけが移ろいゆくのだ」

  (映画『紅い眼鏡』より紅一のセリフ)

 

ところで奥田様、人は何故映画を観る(撮る)のでしょうか? 映画を観る(撮る)ことで、何を得ようとしているのでしょうか?・・・ていうか、そもそも何かを得ようとしているのでしょうか?

 まあ、こんなケツの青いことを言っていると、師匠にしかられそうな気もするんですけど、どうなんでしょうか、実際のところ。

 恐らく大多数の人は2時間なら2時間、その映画を観ている間だけ楽しければいい、という風な気持ちで映画を観ているのだと思います。もちろんそうした態度に問題があるなどとはまったく思っていません。自分の貴重な時間と金銭を消費して、眼前で繰り広げられる壮大な虚構の世界に登場人物の一人となることを夢想しながら、つかの間浮世を忘れて空想の世界に旅立ったとして、いったい誰がそのことを責められましょうか。つーかそれが当たり前だと思います。

 一方私は、そのような楽しみ方が出来ない少数民族の一人です。映画を単なる娯楽としてのみ受け取ることは不可能な人間です。お気楽極楽にポップコーンなんぞほおばりながら、頭をすっからかんにしてナオンと一緒に「タイタニック」を観るなんてことは、金輪際不可能です。そのことはどっちかというと、かなり面倒臭くってかなり鬱陶しくって涙が出ちゃう男の子だもん、なんですけどやっぱり仕方のないことです。

 もちろん私だって、以前は「そっち側」の住人でした。中学生の頃私は友人達と田舎の映画館で「ブッシュマン」やら「キャノンボール」やら、「そっち側」の映画ばかり観ていました(田舎だからそーゆーのしかかかってなかったというのもありますが)。そんな私が「こっち側」の人間になってしまった原因は「ビューティフル・ドリーマー」でした。それはもう確実に。あの映画を高2の冬に観て「何じゃこりゃあ?」と優作チックに考え込んでしまったことが、このイバラの道に足を踏み入れる直接の引金となったのは疑うべくもありません。

 奥田様も御存知だとはおもいますが、「こっち側」であり続けるというのは「苦しいことのみ多かりき」です。何といいましょうか、何故こんなしなくてもいい苦労をしてしまうのか、うらめしくなることが多々あります。ちょっと彼女とデートで映画でも観ようったって、観ている間中いろんなことが頭に浮かんでは消え浮かんでは消え、とても隣に座っている彼女と共有できるようなことは考えていないため、観た後に「ディカプリオ良かったね〜」なんて話はできやしません。「ちょっと学があるかと思いやがって、何スカしたことぬかしてやがんだ」と仰せの向きもございましょうが、こればっかりは仕方がないです。もう一回純粋に「タイタニック」を楽しめるようにこの因業を洗い流そうとするならば、師匠の様に年間1000本以上の映画を観て、その後映画を撮る側に回って、尚且つある程度頂点を極めるくらいのことはしなくちゃいかんのでしょう。しかしあいにくそれだけの根性も才能も持ち合わせていない私は、賽の河原で石を積み上げるが如く、映画について考え続けるしかないわけであります。

 

・・・何を書いてたんでしたっけ?・・・ああ、そうそう、本の話ね。はいはい。

 

 自分が「前略、押井守様。」で行った行為が何だったのかについて、今さらながら考えてしまうことがあります。以前、奥田様からうかがった「批判垂れ流しサイト」の文章を読んだときも感じていたのですが、自分の文章というのはあれと全く同じカテゴリーのものに見られているのではないかと思うのです。すなわち、別に言わなくてもいい類の身勝手な批判やら、幇間同然の盲目的賞賛の感想文やらと大差ないんでしょ? みたいな。・・・あ、いや、別に奥田様が(『WWF』19号で書いておられたように)一見で拙著を購入して下さらなかったからこんなことを言っているのではありませんからね。いやマジで。ホントだってば。為念。

 もちろん、書いた本人にとっては、そんな薄っぺらい文章とは全くの別物であるという自負はあるのですが、じゃあ何処がどう違うのかと言われても、一言で返答するのは難しいようにも思われます。ただ少なくとも、私がやりたかったことは垂れ流し系の「批判」とか「褒め殺し」の類いのものでなかったことだけは確かです。

 その二者は、作品という「被告」に対する評価のベクトルが180度違いはするものの、「被告」に対して全く何の責も負うつもりがないという無責任さは一致しています。そして、その無責任さとは、私が注意深く避けたつもりのものでした。

 押井作品について何かを語りたいと思ったときに、しかし私は奥田様のような思想系知識の蓄積も全くの皆無の無教養な人間ですから、先達の構築した思想や理論をベースとした分析や解読といったことは当然出来ません。では私が押井作品に対峙したときに手にしていた得物は何かといえば、30年にわたって細々と蓄えてきたわずかばかりの知識と、押井作品に対する愛情しかありませんでした(いや、過去形で語っていますが、今だってそうです)。ほとんど徒手空拳と言っていいこの状態で押井守の作品群と格闘しようというのは、今考えてみればあたかもドン・キホーテの如き愚行でした。今風に言えば、手ぶらでヒクソン・グレイシーに闘いを挑んだ安生洋二のような(どこが今風だ)、もしくは無名のバーリ・トゥーダーに秒殺されてしまったケンドー・ナガサキのような(だからどこが今風じゃっちゅうねん)。しかし、あの時の私は、何だか知らないけど前に進まねばならないという強迫観念のようなものにつき動かされていたのです。

 そしてその結果生み出された、私にとっての「巨大な糞塊」があれだったわけです。それは「評論」でもないし「感想文」でもない、ましてや「批判」や「褒め殺し」でもないわけで・・・別にカテゴライズしなくてはいけないわけではないのですけどね。でも人様に「で、何を書いたんですか?」と問われたときに、素直に「押井守の作家論です」とも言い難い気がして、「いや押井守さんについて、ちょっと・・・」などといつも奥ゆかしくお茶を濁してきた私にとっては、そこそこ切実だったりもするのですけれど。

 

 

つらつらと愚痴のようなこと(スミマセン)を書き連ねて参りましたが、結局は閉じたコミューンの中で自慰と消費に明け暮れる『彼ら』に対して、私はめちゃくちゃ不満なわけです。それで、なんとか状況を打開すべく風穴の一つもぶち開けたいなという今日この頃なわけです。あの本を書いた頃から既に、少なからずそういう意識はありましたが、その後今日に至るまでテレビ(CSですけどね)のディレクターとして取材の中でシーンに踏み込んでいくにつけ、その思いはますます強くなる一方です。

 ただ、そういうことを考えている人が割と少なくないんだな、という淡い期待もほんの少しずつではありますがしかし確実に増えてきています。まあそんなわけでして、今後どうなるかはわかりませんが、私は私なりに現状に対する不満を少しでも改善していく努力をしていかにゃいかんなぁという思いを新たにする99年の暮れであります。

 

 奥田様、そしてWWFの皆様に置かれましても、どうかお体に気をつけていただいて、ますます御活躍下さいますよう、心からお祈りいたしております。くれぐれも御自愛のほどを。

 

平成十一年師走   野田真外拝


(1999/12)



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