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押井映画についての一考察





鞍馬十字



〔前置〕

 〔魚〕・〔鳥〕・〔犬〕・〔窓〕・〔水〕・〔少女〕その他色々・・・・・

 誰でも気付いているとは思うが、押井作品には奇妙な共通点が多い。同じ人間の監督作品なのだから、共通点が多いのは当たり前だろう。しかし、『全作品一気見』などという馬鹿な事をしでかすと、単なる偶然とは思えないような共通点が見受けられる。前記したイメージの羅列ではない。もっと明確なモノなのだが、なかなか正体が掴めない。そんな感じだった。しかし〔攻殻機動隊〕(現時点での最新作)を見た瞬間、その正体が明らかになった。否、明確すぎて見えなくなっていたモノが、少しだけ陰る事によって判っただけに過ぎない。

 最初から〔少女〕=〔娘〕が重要人物になっていたのだ。そして少女の傍らにあるのは〔父親〕である。

 

〔うる星やつら・Only You〕

 過去に飛んだあたる達が、エルとあたるの婚約の場。つまり影踏みの儀式に立ち会ってしまった時。

 その時の〔過去のあたる〕は〔少年〕であり、ラムは〔母親〕役、あたるは〔父親〕役の様に振る舞っていた。〔少女〕=〔娘〕である〔過去のエル〕は、もう一人の〔母親〕役になったエル自身に促され、歪んだ過去から消えていった。

 

〔うる星やつら・Beautiful Dreamer〕

 ラムの夢の中でさまようだけだった〔少女〕が、螺旋の部屋であたるに話し掛けた時。

「お兄ちゃん、どうしても帰りたいの?」

「お兄ちゃんはね、好きな女を好きでいたい為に、その女から自由でいたいのさ・・・・・。わかんねーだろーな・・・・・、お嬢ちゃんも女だもんな・・・・・」

 まるで自分の〔娘〕に対する言い訳のように聞こえるのは、私だけであろうか?

 父親にとって娘というのは、自分の心情を母親(父にとっては配偶者)よりも相談してしまう存在である。(幼い娘には特に。これと同じような現象が、母と息子で見られる)

 父の相談を聞き入れ、娘は知恵を授ける。

「教えてあげようか・・・・・」と・・・・・

ただし、〔少女〕=〔娘〕は幼いながら女である。それも大抵の娘は外見が父に、中身が母に似るものである。だからこそ最後の

「せきにん、とってね♪」

で〔父親〕は痛恨の一撃をくらうのだ。

 

〔天使のたまご〕

 これは、父親が二つに分離している。〔少年〕と〔漁師〕=〔父親〕であり、〔少女〕=〔娘〕である。

 雨の中少年と歩いている少女が、魚の影を追う漁師の姿に脅える。その時の少年に対する仕草・表情が、幼い娘そのものである。

 そしてもう一つ父親としての存在、漁師。幼い娘が自分の遊びすら忘れるほどの脅えた姿にも気付かずに、漁に出かけて行くだけの存在。否定的な父親像である。

 少年の方は理想的な父親像になり得たのだが、少年が望んでいたのは父親役では無く、配偶者役だったのだろう。他者のたまごを壊す姿が、配偶者を得る為に雌が育てている〔他の雄の子供〕を殺す雄の姿と良く似ていた。

 最後に少女は配偶者としての姿を現し、数多くのたまごを生む。そして彼岸の中、神の席を与えられる。少年はその祝福を受け、別の土地へ行こうとする。が、その世界全体が漂流している箱船の一部に過ぎなかった。少年もまた、たまごの中にいるのだろう・・・・・

 

〔迷宮物件 File 538〕

 これは簡単だ。〔娘〕=〔娘〕・〔父親〕=〔父親〕である。

 しかし、これはあくまでもオチを基準にした事で、本編(脚本家である父親の創作)で考えると、また奇妙な関係に陥る。

 娘は父親と二人で暮らし、それを見張る一人の探偵。その探偵を雇ったのは父親本人である。この辺りまではまだ問題は無い。異常なのは父親が魚に変化した後、新たな父親役となるのが探偵であると言う事だ。簡単に言ってしまえば、自分の血を引かない娘の面倒を見ている事である。しかも自分が魚に変化するまで逃げもせず、後の守り役まで用意する。

 この娘の何処に、ここまでさせる力があるのだろうか?

 何代目かの父親が打った、ワープロ文章中の中にあった言葉が、この疑問を少しだけ解いてくれる。

『神さまは時々寝小便をする・・・・・』

 この父親=探偵にとって、この娘は神さまも同然の存在(否、神そのもの)なのだろう。例え血を引かない、何の繋がりも無い娘であっても、それ以上の存在になってしまっているのだ。自分達が弾き出された世界から逃げる場所を提供して下さる神さま。その見返りとしてそのお世話を仰せつかり、最後には魚となって生涯を終えるのを望んでしまったのだろう。

 案外脚本の最後に、おおきなおさかなになってしまった飛行機の後をついて行く、ちいさなおさかなになってしまった父親達が空を優雅に舞う姿と、それを見つめる父親と娘のオチにしてしまえば、依頼者は判ってくれたかもしれない(笑)

 

〔パトレイバー・風速四十米〕

 奇妙な作品だった。〔父親〕と〔娘〕がなかなか見つからないのだ。そのため、この作品だけは別物だと思っていた。が・・・・・

 ある日、何の気無しにこんな事を考えた。

『帆場は何故、鴉を解き放ったのだろう・・・・・』

 聖書に準えて考えてみると少しは判る。

『四十日を経てのち、ノアその箱船に作りし窓を啓きて鴉を放ちけるが・・・・・』

 この文章を、悪意をもって模倣したのだろう。しかし、帆場ほどの男が、そんな程度の低い悪戯をするとは思えない。それに鴉を放すのは〔エホバ〕では無い。〔ノア〕である。そこまで考えた時、突然閃いた。

『そうだ、野明がいた・・・・・』

 ここで全てが繋がった。〔野明〕=〔娘〕であり、〔帆場〕=〔父親〕だったのだ。表向きとしては後藤が父親役になりそうだが、野明との繋がりが薄すぎる。というより、二課小隊全員の父親役を引き受けているので、野明個人に充分係る事はない。

 すると、野明個人に多少でも関わったのは、鴉を媒介にしてではあるが、帆場だけである。しかも聖書を利用した悪戯をものの見事に実践したのである。

 本来神に対して(陸地を探すのが目的だが)箱船から鴉を放つのはノアである。そして鴉はノアの元へと何度も帰り、最後には何処にもいなくなってしまうのが聖書の内容である。

 帆場は、神である自分として鴉を箱船から放した。そして帰ってきた(若しくは、自分に対して送られた)鴉を迎えるのが野明である。

 しかし、この悪戯だけが統べてであろうか? さらに考えてみると、もう一つ面白い謎が解ける。

 鴉の足には、帆場のプレートがついていた。何故その様な事をする必要があったのか・・・・・?

それには、帆場の印象が必要になってくる。個人データは消えているので、留学先での印象だけで判断すると、自分のあだ名である〔エホバ〕が、実は〔ヤーヴェ〕と発音を間違われて広まってしまった話を聞いた時、狂喜した。という部分から、悪戯好きな性格をしていると思われる。

 帆場が悪戯心も入れて犯罪計画を立てたならば・・・・・

 本編では箱船が一定以上の風にさらされた時、発生する音が首都圏一帯の建物から発生する音と共鳴を起こし、レイバーを起動させる事となっている。そして、箱船を破壊すれば被害を未然に防げるとなっている。が、運悪くその時期、箱船に乗り込んだ人間達はどうするのだろう。

『少し位アイテムがあってもいいか・・・・・』

 そう考え、普段から自分に慣れていた鴉に自分のプレートを託したのである。(しかも嵐の日は箱船のサブコン〔=真下にはバックアップの集中点火線〕に避難する習性を持っていた)

 それは帆場という〔父親〕が望んだ通り、野明という〔娘〕に届けられた。そして、野明は帆場の願いを引き継ぎ、叶えたのである。

 

〔御先祖様万々歳!〕

 〔麿子〕=〔娘〕だが、〔父親〕は三名もいる。曾祖父である甲子国・本来の父親である犬麿・そして祖父にあたる犬丸である。

 血筋の順に並べてみると〔甲子国→犬丸→犬麿→麿子〕だが、麿子と犬丸が結ばれる事となると、話はおかしくなってくる。それで生まれるのは犬麿であり、麿子にとっては実の父。つまり〔犬麿→麿子→犬麿→麿子・・・・・〕の無限ループに陥ってしまうのである。

 この作品では、本来の〔父親〕・犬麿が最後に自分自身を拒絶(自殺)して、役目を放棄してしまっている。そして別の形の〔父親〕・甲子国は、全てに絶望して消えてしまい、最後の〔父親〕・犬丸は自身の『配偶者になる』という欲望の為に〔父親〕役を捨ててしまい、大事な〔娘〕=〔麿子〕を失ってしまった。

 この作品には、この格言だけを捧げたい。

『娘は父の宝物だが、娘は決して父の所有物にはならない』

 

〔パトレイバー・TOKYO WARS〕

 〔忍〕=〔娘〕・〔柘植〕=〔父親〕である。

 しかし前作の野明と帆場とは違い、二人の間には別の意思が疎通している。そのため、本来〔父親〕として送った言葉。

『我、地に平和を与える為に来たと思うなかれ。我汝らに告ぐ。然らず、むしろ争いなり。今から後、一家に五人あらば、三人は二人に、二人は三人に別れて争わん。父は子に、子は父に。母は娘に、娘は母に』

 これの意味が、〔娘〕に正確に伝わる事が出来なかった。しかも伝わった時には、自分達の関係を終らせなければならない。〔御先祖様万々歳〕で残された〔犬丸→犬麿→麿子→犬麿→麿子・・・・・〕の無限ループを終らせる為に必要な儀式なのだろう。そして、もう一度〔父親〕と〔娘〕の関係からやり直す為に、二人は並んで歩き出した。

 

〔攻殻機動隊 Ghost in the Shell〕

 〔素子〕=〔娘〕・〔バトー〕=〔父親〕である。

 もう一度〔父親〕と〔娘〕との関係からやり直しているが、二人の意思が噛み合わなくなってきている。若しくは、〔父親〕のバトーを〔娘〕の素子が無視し始めていると思われる。

 娘は一定年齢を過ぎると、父親を無視し始め、母親を意識し始める。(息子は母親を無視し、父親を意識しだす)

 そして、血縁者(若しくはそれに近い関係)では無い異性を求め始める。

 素子にとってのそれは、〔人形遣い〕だった。そして、〔人形遣い〕からのメッセージ。

『今我らは鏡をもて見るごとく見るところ朧なり』

 これの意味を正確に感じ取ったのは、素子だけであった。共に聞いていた〔父親〕・バトーには意味が感じ取れていない。この辺りから素子との意思疎通が困難に、若しくは同じ視点でモノを見る事が出来ない事が感じ取れる。

 そして娘は自分を理解しない父親よりも、自分を理解する別の男を選ぶのである。例え父親が自分を大事に扱っていても、娘にとって必要でない(子供に対する様な)扱いならば、それはまったくの徒労である。一定年齢を越えた娘は、自分に必要な扱いを選ぶのである。だからこそ、〔人形遣い〕との〔融合〕=〔結婚〕を選んだのである。例え自分を〔半消去〕する扱いをした〔人形遣い〕であっても、現在の自分に一番相応しいと思えるのならば選ぶのが娘である。

 

 そして、娘は別の男と結婚した・・・・・ 

 父親の目の前で・・・・・

 

 〔父親〕・バトーに残されたのは、元〔素子〕である〔黒い少女〕のみであった。だが、〔配偶者〕=〔人形遣い〕の血を引いた〔黒い少女〕は、その血に突き動かされるようにバトーの元を離れて行った。

 彼女は一体、何処へ行くのであろう・・・・・

 

〔追記〕

〔攻殻機動隊〕を初めて見た時、

「ネットは広大だわ・・・・・」

と嘲笑する〔黒い少女〕が、〔天使のたまご〕の〔少女〕と繋がってしまった。と一瞬思った。が、それは単なる気のせいだったのだろうか? それとも、繋がったのでは無く、螺旋の様に繰り返しているのがそう見えただけなのだろうか・・・・・?

 

 

(1999/11)



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