WWFNo.17のページへ戻る



Le plaisir delicieux et toujours nouveau
d'une ocuupation inutile.




謎のりょーちゃんK










■一九九〇年

 『ふしぎの海のナディア』の放送がある。

 『ナディア』については、非常に入れ込んで見ていた時期とさめていてほとんどいいかげんにしか見ていなかった時期がめまぐるしく交錯していたことを思い出す。

 そのなかで比較的一貫していた感想は「どうして既存の作品に対する異議申し立てをこう執拗に作品のなかで繰り返さないといけないのだろうか」ということだった。「もっと肩の力を抜いてもいいじゃないか」と感じた。

 ただ、そのときに感じた制作陣の「力み」を不快に感じていたかというとそうでもなかった。それを心地よいと感じたこともあるし、やっぱりうっとうしいと感じたこともある。

 不思議な感じだった。


■同年

 『王立宇宙軍』(『オネアミスの翼』)を見る機会があった。『ナディア』を作っているカイシャのむかしの作品っていったいどんなんだろうという動機から見に行く。

 空の大気のなかに開け放された湖岸の国、蒸気機関と「機械」であることを隠しもしない電気装置、愛想がいいわけではない女性キャラの魅力の多面的な描写、作品世界のなかに狙ったようにはみえないように埋めこまれたギャグ――などに酔う。

 同年秋、『王立宇宙軍』がTV放映されたので徹夜明けが暮れたあとに見た。「たしかに見たはずの名場面」――「はりぼて」とか――がごっそり削除されていたことがLDボックス購入の動機となる。


■一九九一年 四月一二日

 某所用が重なり、当時、まだビデオデッキを持っていなかった私は『ナディア』の最終回を見そこねる。


■一九九二年

 『ナディア』のLDボックスと絵コンテ集を某友人と語らって共同購入する。

 『ナディア』最終回をリアルタイムで見られなかったことへの喪失感がいまさらながらにきいてくる。この最終回だけはリアルタイムで見たかったと痛切に思った。

 その喪失感を再び感じることへの恐怖が、のちに自分が『エヴァンゲリオン』に興味を持ってしまうことへの恐怖感につながったように思える。


■一九九二年 夏

 たしか『紅の豚』のガイドブックかなにかに庵野秀明が『ナウシカ』時代を回顧して「いまより一〇年ぶん若く、一〇年だけバカだった自分」というような表現を使っているのを見つけた。

 ――いまより五年ぶん若く、五年だけバカだった庵野秀明がそんなことを書いていた。


■一九九四年 秋

 某友人に根津からちょっと行ったところで岡田斗司夫のトークがあるときいたので、いっしょに行ってきた。

 ある銭湯の跡地で、ある美術家の展覧会だということでわけのわからないものが並んでいるなかでのトークであった。その美術家が「おたく」にあこがれを持っているなどといって岡田斗司夫を呼んだものらしい。

 ダイコンオープニングアニメがすばらしいというので、岡田斗司夫が、「あのコップの水はぼくらの意地をあらわしていたのです」と言うと、なぜか美術家は「あれにはそういう意味があったのですか!」などとしきりに感心していた。

 美術家は『オネアミスの翼』は欠点の多いつまらない作品だといい、その『オネアミスの翼』を褒めそやした宮崎駿というのはよけいにいかがわしい人間だと思ったと言った。

 美術家は『トップをねらえ!』を礼賛した。岡田斗司夫は「あの作品にはどのひとつのカットをとってもオリジナルなものがないのです!!」と自慢した。美術家はその「おたく」性をただひたすら賞賛しつづけた。

 岡田斗司夫というのはずいぶん頭のいいやつだと思った。「熟考型」の頭のよさではなく、その場での立ち回りかたを機敏に判断できる人だと思った。

 その後、岡田斗司夫の著書を読んで、いくぶんその印象は殺がれた。しかし、つねに自分がどう見られているか、自分の書くものがどう読まれるかということを的確に判断する能力はずいぶんある人なのではないかという印象は変わらない。それが「芸人」だからなのかどうか知らないけれど。

 その美術家はニューヨーク在住ということで、『攻殻機動隊』のパンフレットなどに登場し、アメリカでは「ジャパニメーション」ではなく「アーニーメィ」とかなんとか言うのだという知識を披露して喜んでいた。もちろんそれで『攻殻機動隊』がわかったわけでもなんでもない。もひとつもちろん、美術家はパンフレットを手にした者が『攻殻機動隊』を理解する手助けをしようという意図など毛頭なかったであろう。

 そういう「知」の型がだんだんかたちをとりはじめているということに、私はまだ十分に気づいていたとはいえない。

 やっぱり私も三年若く三年バカだったのだ。


■一九九五年 春ごろ

 上と同じ某友人より、ガイナックスがテレビシリーズを作るらしい、ロボットアニメらしい、監督は庵野秀明らしいという話をきく。

 このころにはタイトルは「バンゲリオン」だと思っていた。『エヴァンゲリオン』を聴きそこねたのは、たしか音楽やってる人に「ヴァンゲリス」というひとがいて、それとの類推だと思う。


■一九九五年 初夏

 潮来で開催されることになっていたガイナ祭に参加を申し込んだ。

 しかし! 当時、務めていた職場で波乱が発生し、どうしてもガイナ祭当日に仕事を休めない羽目になった。

 ガイナ祭では『エヴァンゲリオン』の最初のほうのエピソードの放映があったときく。私の周囲のガイナ祭参加者のあいだでは非常に好評で、ガイナ祭に参加できなかったことが悔やまれる。


■一九九五年 夏 コミックマーケット

 さっそくガイナ祭で第一話を見たというひとから「『エヴァンゲリオン』なんか見て喜ぶやつはばかだ」という発言を間接的にきく。

 作品自体を貶すだけならともかく、わざわざそれを見て喜ぶファンまで貶さないと気がすまないような作品とはいったいどういうものかと興味が湧く。

 この年の晴海は異様に暑かった。入り口近くで外の光が横から射しこむ。あの光線のぐあいはいま思い出すとけっこう独特のものがあったように思える。


■一九九五年 夏

 アニメ誌で登場人物紹介を見る。シンジ・ミサト・レイ・ゲンドウが紹介されていたように記憶しているがあまりたしかではない。無表情で生気に乏しい少女役を林原めぐみがやるというのが意外で印象に残った。

 『ようこそようこ』のサキはとても気に入っていたキャラクターだった。サキ役の、おとなしくて少女らしい艶っぽさのある声というのがまたきけるのだろうかと思ったりもした。

 その一方で、ストーリーの概略などをちらほらきくようになると、「ようするにふつうのロボットアニメじゃないか」という感じを深くする。


■一九九五年 九月

 行楽に行く途中で某氏に「インターネット」っていったいなに?――という質問を発する。説明をきいたが、なんかよく理解できなかった。「PPP」と「WWW」ということばだけは覚えた――「おんなじ英文字が三つ並んでいる」ということだけ。

 角川書店などがさかんに『エヴァンゲリオン』についてのキャンペーンを始めた。


■一九九五年 一〇月上旬

 当時の私の仕事のスケジュールによれば水曜日は出勤しなくてもよい日であった。前日の仕事がやたらきつく、疲労が回復せず一日じゅう寝ていた。夕方になって暗くなったころ、ようやく「そういえば、今日がその『エヴァンゲリオン』というやつの第一回ではなかったかな?」ということを思い出し、布団の上にごろごろしたまま部屋の電灯もつけないで第一回の放送を見る。

 「ふつうの」アニメというものがきちんと作られたときの底力というものを思い知らされた気がした。

 いや、そんなことは、とっくの昔に知っていたはずではなかったか?


■同日夜

 大手パソコン通信の『エヴァンゲリオン』会議室を巡回すると、それまでとはくらべものにならない数の書き込みがあり、しかも、「自分の住んでいるところでは見られない」という歎きの書き込みを除くと、そのほとんどが賛辞であった。私はかえって「そう絶賛するようなものか?」と思った。

 半年後からは想像もつかない事態である。


■次の週

 前回を「いきなりピンチ!」というようなところで終わらせておいて、こんどの回を、その戦闘はすでに終わっているというところから始めている――ということを了解するのにしばらくかかる。もちろん、作者が「編集によって操作された連続性(コンティニューティー)」を意識的に扱うもくろみであることなんか当時はわかりはしなかった。

 しかし、次回予告で、主人公が学校へ行くということを知り、特務機関のなかで話が完結しているのになんで学校なんかにわざわざ出ていかなければならん、などと、またまた違和感を持った。そんなわけで三‐四話はいいかげんにしか見ていない。


■一〇月 下旬

 巡回するだけでめちゃくちゃに時間がかかるという理由で、大手パソコン通信の『エヴァンゲリオン』関係の「会議室」の巡回をやめる。


■一一月

 「ヤシマ作戦」前後編で、日本中の電力を止めて決戦場に回すなどという発想のばからしさがたいへん気に入り、「いやぁまともにエンターテイメントしているではないか」などと思ってまた熱を入れて見始める。

 某友人よりレイに人気が集中しているという話をきく。もちろん嫌いなキャラではないが、キャラに人気が集中するような作品ではないと思っていただけに意外であった。


■一一月末

 アスカはいいね。


■一九九六年 新年

 前日の飲み過ぎその他の結果、寝そべったまま朝の『エヴァンゲリオン』を見る。

 なんか朝に見るとへんな感じだ。

 だが、エピソードの傾向が「アスカ編」から大きく変わってきていることにはまだ気づかない。

 ――ともかくアスカはよい。これは不変だ。


■そのすこしあと

 たまたま自動車で箱根湯本駅前を通過する。

 金網越しにホームがよく見えることを確認した。だからどうってこともないけど。

 箱根登山鉄道はあじさいの季節がいいと聞いた。


■一九九六年 厳冬

 一六話「死に至る病、そして」を見る。

 直前の「嘘と沈黙」が加持とミサトの「若くない」連中の悔恨の物語だったので、今度は少年時代の自分との出会いって話か――ということもさることながら、最後の帰還・復活(再誕生)の場面にあれだけ念の入った描写をしてモノローグには「縦線」「横線」描写を使うなどという技に感心する。

 しかし、いちばん驚いたのが、このエピソードの脚本が、どっちかというとギャグに長じた脚本家だと思っていた山口宏さんだったことである。

 「碇シンジはいっぱいいる」――というセリフの意味はまだわからなかった。その人の像を心の中に持っている人間の数だけその人が「いる」のだというのは、それはそう考えればあたりまえのことだ。しかし、そのことが、その「いっぱいいる」碇シンジがみんな対等の関係だとか同じ性質の人格だとか、そういうことを意味するわけではない。では、その「いっぱいいる」碇シンジの関係はどうなのか――ということが問題じゃないのか。

 ――なぁんて考えたりする。

 なお、山口宏さんは、シンジが幼い自分に出会ってそれと対決する話のつぎには、アスカが幼い自分に「汚される」話(どうして自分に接触して自分が汚される!?)を担当した。そのつぎが、レイの身替わりたちの物語で、それをめぐってミサトが自分の一部分であると思っていたリツコに銃を向けるという話だった。どれも「自分どうしで傷つけあう」「自分が自分に傷つけられる」という方向の強いエピソードだ。

 それぞれの話にキャラの「幼」モードが登場したのは、ただ山口宏さんが「××××の勇者王」だからという理由だけではあるまい。


■一九九六年 三月一七日

 「さよなら晴海 コミケットスペシャル2」に行く。雨がしっとり降っているまだ寒い感じ(ほんとに寒かったかどうかはよく覚えていない)の日で、いつもの「コミケ」とずいぶんちがうと感じた。もっと極太明朝があたりを踊り回っているかと思ったがそうでもなかった。いつもよりコスプレの規制が緩いらしく、ふだんのコミケでは見られない気合いの入ったコスプレの人びとに出会う。


■「最終マイナス一」話と最終話の放映

 じつはこの二つのエピソードについては見たときの印象があまり残っていない。他のゲームにはまっていたというようなこともあるのだが、何よりプライベートな要件がこの時期に重なりすぎて、『エヴァンゲリオン』にかぎらずこの時期に最終回を迎えた作品の印象がいまほとんど残っていない。カヲルを殺したことがシンジにとって傷になって残っていたということにすら私は気づかなかった。

 林原めぐみのおかーさんもさることながら、パンくわえて走ってる綾波がけっこう愛らしかった。あの場面だけがほとんどフルカラーのアニメーションだった(台本そのものとかイメージボードとかもあったけど)ことが妙な「なつかしさ」の演出になっていたこと――意図したわけではある……のかな?

 高畑勲さんのホルスは迷いの森から戻ってきたときには革命的民衆の指導者になっていた。シンジくんは「おめでとう」で迎えられただけである。

 あの世界の中心に戻ってきたことは、シンジにとって、いや世界にとってすら、いったい何だったのだろう?


■放映終了後

 素粒子のレベルまで降ると、右と左はかならずしも対称ではないことがある、という話をきいた。

 かなり精確さを欠く表現ではあるが、とりあえずそれは問題ではない。

 「おめでとう前」の世界と「おめでとう後」の世界も、やはり対称ではないのだとしたら?

 「おめでとう後」の世界では、ずっと「おめでとう後」がつづくのだろうか?

 「おめでとう」というあいさつはそういうものではないように思うのだが。


■一九九六年 初夏

 パソコン通信などで最終二話がめちゃくちゃに叩かれていることを人づてに知る。

 ありていに言って叩かれるのはしょうがないとは思うけど、なんでそんな世界の一大事のように問題にしなければならないのかよくわからない。

 庵野監督について中傷が出回り、某スタッフが作品の出来に文句を言っているというまったく根拠のないうわさまで出回ってスタッフが迷惑した――ということは、ずっとあとになってインターネットでたまたま『エヴァンゲリオン』関係スタッフのインタビューで読んだ。


■下見〜♪

 コミケの前に、DTPとか印刷とかインターネットとかのイベントに参加するので行ってみた(もちろん下見のために)。

 ADOBE社のアクロバットというのを会場ではじめて見る。

 水上バスで帰るのがなかなか楽しいことを発見した。


■夏コミケ

 こんどこそ新会場に極太明朝がたくさん出回っていた。

 しかし――。

 こんどの会場、移動するだけでけっこう疲れるぞ。


■一九九六年 秋

 某友人の結婚が決まり、某友人の友人たちがあつまり、某友人をかこんで拍手して「おめでとう」を言う。

 ……某友人が喜んだかどうかは定かでない。

 ちなみに某友人はいまでも「おめでとう後」の幸せな日々を送っているはずである。


■同じころ

 某地方に住む旧友からひさしぶりの電話がある。用件は別のことだったが、「『エヴァンゲリオン』のビデオを貸してほしい」といきなり言われる。エアチェックしていたビデオはいくらか残っているはずだが、LDで持っているエピソードなどのエアチェックぶんはどこへやったかわからない状態だったので、「残ってはいない」などと答えると、「まわりで探して借りられたら送ってくれ」などと言われる。

 自分の知っている中学生たちがいきなり「人類補完計画」などと騒ぎだしたのでなにごとかと思ったら、その地方で『エヴァンゲリオン』の本放送が始まったというのだ。それでレンタルビデオ屋に行ったらぜんぶひとに借りられていた。だから私に貸してくれと言ってきたらしい。

 ――買えよ、自分のカネで……。

 しかし、三鷹市ポスター事件や最終回の顛末などは彼はすでに知っていた。何かの雑誌(アニメ誌ではない)で知ったらしい。最終回が「終わらない」まま終わったということについて、彼は

「そんなやり方を許してはいけない」

というので、私が

「ま、最終回を見てしまった者としてはあんまりネタバレ的なコメントはできないけど、どうして許せないと思うの?」

ときくと、

「そういうのを許すことは作り手を甘やかすことになると思うのだ」

と答えた。

 ――おい。

 貴様はいつから作品の作り手を許したり甘やかしたりすることができるほどえらくなった?


■一九九六年 晩秋

 某地方の旧友からは定期的に電話がかかってくる。「アスカ編」などはけっこう楽しんでいたので、さあ、どうなるかな、と思っていたら、案の定、一六話あたりからあとになると一方的に貶すようになってきた。すくなくとも私には貶しているようにしか聞こえなかった。

 ――わかりやすいやつである。

 ネット局地域での本放映当時の情報を知っているくせに、自分で見るとけっきょくそのネット局地域で何か月もまえに起こったのと変わらない反応をしている。

 「おもしろくないのなら見るのをやめれば?」

と言うと、

「いや、おれは『エヴァンゲリオン』を認めていないわけではない」

などという。しかし何を認めているのかよくわからない。使徒とかいう敵の正体がわからない。敵の正体を隠すようなご都合主義な作品はだめだという。使徒などというキリスト教のことばを使うことには何の意味があるのか明らかにされない。だからだめだという。そんな作品の何を認めているというのだ?

 そんなに「だめ」な作品なのであれば、さっさと見るのをやめるのが普通ではないかと思うのだが。

 「いや、おれは最後まで見届ける義務がある」

 ――ないって、そんなもん。

 もちろん、そう感じた私のほうが普通ではないらしいことに、まだそのころの私は気づいていない。

 そのうち、次回予告の絵の動きが少ないなどと文句を言い出したので、あとでどういう反応をするか。

 あんまり聞きたいとは思わなかった。

 こちらの予想どおりの反応だとしたら、よけいに腹立つから。


■一九九七年 新年

 前日の飲み過ぎその他の結果、寝そべったまま朝の『魔法少女プリティサミー』を見る。

 なんか朝に見るとへんな感じだ。

 エンディング「調子に乗っておりました」はなかなかよい曲だと思った。

 しかし、真夜中の一二時に何もかも消されたあとには、何もない日が来るのではない。

 税金とか、借金の返済とか、そういうものがやってくるのである。


■一九九七年 冬

 東京湾に某友人とともにはじめて出撃し、寒風吹きすさぶ羽田空港沖で鰈釣りを敢行して釣果はボーズに終わる。やはり東京湾はよい。


■同じころ

 テレビ東京が土曜日の深夜枠で『エヴァンゲリオン』を四話ずつまとめて再放送だと!?


■冬はつづく

 これまで『エヴァンゲリオン』はもちろんアニメの話などしなかった旧知の女の人Oさんが電話をかけてきて、「『エヴァンゲリオン』って知ってる?」などと言ってきたので驚く。

 「ビデオを借りに行ったら一週間先まで予約済みだったの、なんとか見る手だては思いつかない?」

 「使徒なんてことば使ってよくキリスト教の教会から文句が来ないね」

 ――なんかどっかできいたようなことばっか。

 ハッ! やはり年会費五千円の某組織の陰謀かっ!?


■しばらくあと

 Oさんからまた電話がある。『エヴァンゲリオン』についての本を集めているという。

 「『エヴァンゲリオン』は多重人格の物語らしい。シンジくんは抜け殻であって、たとえばその攻撃的な性格がアスカとして現れているんだって」と言う。

 言われて書店で注意して見ているとたしかに『エヴァンゲリオン』というタイトルのついた本がたくさん平積みになっている。まじめな本か反体制的な本しか出さず、まちがっても人気便乗本など出さないと思っていた出版社の広告にまで『エヴァンゲリオン』の名が載っていたのにはちょっち恐れ入った。

 「『エヴァンゲリオン』の魅力は謎なんだって」と言う。

 「謎」が多いことが『エヴァンゲリオン』の欠点だときかされつづけていた。

 べつに「謎」が多いことなど映像作品にとって何の欠点でもないと思う。もちろん物語にとっても欠点ではない。なんだったら真に前後に何のつながりのない映像とか場面とかを並べたってそれはそれでちっともかまわないのだ。「始まりがあって、導入部からクライマックスにいたる展開があって、終わりがある」という定型化された物語性を要求するとしても、物語のなかの「謎」がすべて解明されていなければならないなどというきまりはないと思う。それに「謎」なんて見る側や読む側で見つけだして、それを手がかりになんか考えるためのものだろう?

 こんどはその「謎」があることが「魅力」だということにされているらしい。

 こんなことで「うーみゅ」などと言っていてはいけない。

 やはり私は愚かであった。


■一九九七年 やっぱり冬

 『エヴァンゲリオン』が劇場版の映画になるというような話は昨年からきいていた。そして、これまでのストーリーの再編集版とストーリーの完結編になるというような話もきいていた。ところが、なんか知らないが「完結しないらしい」といううわさが伝わってきたと思ったら、その直後に庵野秀明の記者会見があったらしく……やっぱり完結しないそうだということがわかった。

 べつに驚きはしなかった。「予測」していた範囲のうちのひとつが的中したというだけのことだった。

 間に合わないものをむりやり完成させるよりは、時間をとって作ってほしい――いまのガイナックスにはそれだけのことが許されているのだから。もちろんそんなことをさせてもらえるスタジオはガイナックスだけである。もっともスタジオジブリならば公開そのものを先延ばしするという手段を使うだろうけど、それはできないのか、それともやらないのか。他のアニメスタジオならばむりやりでも完成させられて、静止画のままでもなんとか体裁をつけて劇場に引っぱって行かれるところだろうが――しかし、考えてみれば、「静止画でもいいから」とか言ったらアフレコ台本を撮影したのを持ちこむとかいう対応をするかも知れないな、あの制作陣なら。べつにいいんだけども。

 その制作陣相手にりっぱにおつきあいするおーつきさんという人はなかなか「キング」の名にふさわしいのかも知れない。


■早春とでもいうのだろうか

 Oさんから電話がある。「庵野記者会見」のことは知っていたようだ。


■そのちょっとあと

 某地方の旧友から電話がある。すこし前に、「いまその程度のことに不満なのなら、二五〜二六話には怒るんじゃないかな」と言っておいたら、「怒りはしなかった。べつにああいう終わりかたなんだと納得しただけだ。認めるつもりはないけど」。

 ――あ〜。なにを言っているのかわからなひ〜。

 べつに「怒らないこと」と「認めないこと」は概念的には矛盾しない。しかし、ある個別の作品についての感想のなかにその両方が併存しているとはどういう状態なのか。

 いや、そもそもその二つが「併存」なんかしていないのだ、おそらく。

 私が先に「あれを見たら怒るかも知れない」と言っておかなかったら、たぶん彼は怒りをあらわにして

「あれはなんだ!!」

と言ったであろう。たぶん、同時に笑いを含ませながら。


■一九九七年 春

 『エヴァンゲリオン シト新生』公開。

 公開当日に見に行った人から「映画が終わったときの観客の拍手はものすごかった。みんな興奮して映画館から出てきた」という話をきく。

 庵野秀明を評価しているというこの人の話のようすは、打ち上げの成功を確認した宇宙軍士官たちのようだった。


■そのすこしあと

 Oさん夫妻に『エヴァンゲリオン』の映画を見に行かないかとさそわれ、せっかくなので行くことにする。

 Oさんはすっかり浮かれて、バルタザル・メルキオル・キャスパーの名について「聖書に出てくる、東方から贈り物を持ってきた賢者なんだよ」などといっしょにいったみんなに教え、自分は子どものころからキリスト教徒だったからその知識にまちがいはないと言っている。なかなかものしりな人だと感心する。

 それにしても女の人のあいだであんなにカヲルくんに人気があるとは思わなかった。ま、チケットおまけドラマに特別に招待されていたぐらいだから――といえばそうなんだろうけど。

 Oさんはちなみにシンジのファンなのだそうだ。


■そのさらにちょっとだけあと

 『魔法学園ルナ』を見る。

 白鳥由里の勝ち気な女の子もさることながら、やっぱ小西寛子の沙絵ちゃん『ルナ』バージョンよね〜。

 そういえば、

 七香七香七香七香七香七香七香七香七香七香ぁーっ!!

 ――ってドラマを、「死に至る病、そして」の脚本家さんが書いていた。

 けっきょくバレンタインにはCDは間に合わなかったようである。


■そのさらにすこしあと

 Oさんが映画を見終わると「欲求不満だ!!」と繰り返す。

 「だって新作の部分でシンジくんのせりふいくつあった? シンジくんが主人公なんだよ!」――としきりに怒っている。

 ――やはりそこは「ごめん」と謝っておくべきだったのだろう、シンジくんは。

 映画館から出て分かれるまでのごく短い時間に「欲求不満」ということばを百回ちかく聞かされる。

 映画の内容を思い起こし、それについて自分のなかで感想をまとめるだけの時間がほしかった。

 映画との出会いの時間を汚された気がしてどうにも気分が収まらず、寝つけないままあちこちに苛立ちをぶつけているとさらに抑えがきかなくなった。

 そういえばアスカ型の人間って壊れるとああなるのに対して、シンジ型の人間って壊れるとああなるのね。ふむふむ。勉強になるぞ。


■そのまたちょっとあと

 Oさんより電話がある。「『エヴァンゲリオン』の夏の映画も見に行こうね」などと言うので、

「欲求不満だった映画のつづきなんかどうして見たいの?」

ときくと

「だって気になるじゃん」

という。

「欲求不満だった映画のつづきなんか気にしてどうするの?」

ときくと、

「だって最後まで見届ける義務があるって思わない?」

 ――ないって、そんなもん。

 「いや、そうはおもわないけど」

ときくと、

「深く考えないの!」

と一蹴された。


■一九九七年 春

 読書をしていてふと気づく。

 碇シンジがいっぱいいることはまったく問題ではない。そのことを知っている自分と、そのことを知らない自分とがいるだけだ。

 そのことを知らない自分は、そのことを知っている自分に出会ったからといって消滅するわけではない。「知」に出会って消滅するほど「無知」というものは弱体ではない。それはとてもねばり強く、はんぶん固まりながら、缶をひっくり返して一日経った茶色のペンキのようにしっかり下のほうにこびりついている。

 いや、まあ、雨降ってたらまだ固まってないかも知れないけど。


■一九九七年 四月末

 鴬谷方面に行った帰り、知らないところを見当をつけて進んでいると、ほんとに見覚えのない道に入ってしまう。

 やみくもに進んでふと気づいてみれば、あのとき、岡田斗司夫の「トーク」をきいた銭湯会場のすぐそばだった。

 「道に迷ったの」とはこういうことを言うのであろう。


■一九九七年 五月

 プリクラでエヴァンゲリオン?? なんじゃそりゃ?

 ――でもアスカのなんかほしいかな、うん。


■そのすこしあと

 某友人と『エヴァンゲリオン』の映画を見に行く。

 座ってみると、隣の客がこちらの席まではみ出したまま眠って、

DEATH 編はもちろん REBIRTH 編が終わるまで起きない。なにより物理的に不愉快である。

 ――思い出してみれば、ここの映画館って、一〇年以上前に見に来たときにもなんか不愉快な思い出があったんだよなぁ。


■五月も後半に入ってから

 Oさんがパソコンを購入した。仕事にパソコンを使いたいというので、某マイクロソフトの製品のインストールを手伝いに行く。

 帰りがけに「目から鱗が落ちた評論」というのを紹介してくれる。どう聴いても、「『エヴァンゲリオン』のような、閉塞されたおたく的環境に安住した作品に感動しているやつはばかだ」という論旨にしか聞こえないその評論をOさんは「目から鱗だよ!」と得意げに紹介してくれる。

 その評論の論旨はともかく、自分が好きだ、欲求不満にされても見に行くほど好きだ、と言っている作品を貶されて大喜びしているのだ。

 それに対して「あなたの感じかたはふしぎだ」といった私は、まだ事態の展開に十分に気づいていたとは言えない。


■一九九七年六月

 某地方の旧友より、「ようやく『エヴァンゲリオン』の映画を見た」という電話がある。

 「『エヴァンゲリオン』の前にわけのわからないアニメがついていたことに納得がいかない」

 ――あんたを納得させるために『ルナ』やってるんじゃないって。

 「『 DEATH 編』は弦楽四重奏の場面に本編の断片をつないだだけでわけがわからない」

 「『 REBIRTH 編』はすごかったと思う。でもいっしょに見に行ったやつは「あれはおれの思っていた終わりかたとちがうと大不満なようだった」

 「しかし新作部分はほんのちょっとだけだったではないか」

――などなど、とのこと。


■そのすこしあと

 WWFのへーげる奥田氏より、ある準プロの評論家(というのだろうか?)が『エヴァンゲリオン』劇場版をこき下ろしている文章を紹介される。

 この評論家は押井守作品のファンであるらしい。以前にこの人が書いた押井作品に対する評論を読んだことがあった。押井作品と過去の洋画の類似点を見つけてそれをとくとくと書き並べていることばかりが印象に残った。押井作品のことなんかまるでわからない。それは私が洋画について基礎的なことすら知らないからだろうとこの評論家は言うであろう。却下である。私が敬意を抱いてきたimaginary press inc.の登坂氏の押井作品論は、クラシック音楽を知らなくても、素粒子物理学を知らなくても、ちゃんと押井作品についての新しい知見をもたらしてくれた。それどころか、押井作品だけでなく、クラシックや量子力学についても知ろうという意欲を喚起してくれた。その評論家の文章にはそういう喚起力がまるでない。べつにそういう評論なのならそれはそれでかまわないのだろう。悪い、というつもりはない。

 この『エヴァンゲリオン』に対するこき下ろしも似たような印象の文章だった。『エヴァンゲリオン』がろくでもない映画だとして、どこがろくでもないかということを読者に説得する文章ではない。わかるのは、この評論家が読者に対して

「おまえは『エヴァンゲリオン』のくだらなさもわからないのか」

と言いたいのだろうということだけであった。

 読者を説得するつもりもない評論、自分が好きな作品を貶されることを喜ぶ観客――『エヴァンゲリオン』という映画が見せてくれたいちばん斬新なものは私にとってはそういうものだった。映画はまことに映画館のなかだけ完結してはいない。もちろん映画館と制作現場とのなかだけで完結しているわけではない。

 そういうものとして『エヴァンゲリオン』を仕組んだ者がいるとしたら、それはたいしたやつだと感心する。

 ところで「エヴァンゲリオン」とは福音書のことらしい。ただ英語では普通は gospel ということはゴスペルミュージックとかいうことばがあるから知っている人は多いだろう。

 福音書というものを「仕組んだ」のはだれなんだろうか。

 反戦後派の戦後知識人を「関係の絶対性」の認識に導いた「マタイによる福音書」から、造物主への反逆を宣言して長いあいだ砂に埋もれていた「トマスによる福音書」まで、多様な福音書を仕組んだのは「子」なのだろうか「神」なのだろうか「父」なのだろうか「霊」なのだろうか。


■原稿執筆進まず

 私にとってはアニメについての「評論」活動の先輩格にあたる某友人に「評論が書けない〜」とこぼすと、「評論などという肩肘を張ったものにこだわる必要はない」という励ましのおことばをいただく。そこでうさぎねこみゅーてーしょんにより謎のりょーちゃんとなる。ちなみにりょーちゃんは局所的には実在しない。なぜなら、りょーちゃんを観察するためにはりょーちゃんにニンジンを投げてやらないといけないが、りょーちゃんはそのニンジンを食べてしまうから、反応が返ってこないので観察することができないのだ。これをりょーちゃん力学と呼ぶらしい。

 局所的に実在しないものは捉えどころがない。

 捉えどころがないものに対しては考察を中止するしかない――のだろうか?

 そんなことはないようだ。

 この世界が成り立っている仕組みを探ろうとすると、そこで直面する問題には、適切に設問された数学の問題の解答のような、ほぼそれ以外にあり得ない正答が用意されているわけではない。しかし、地平線の果てまでの距離があるように見える前途に対して、一歩だけ踏み出すような「解決の手がかり」を見出すことはどんな場合でも不可能ではないように見える。

 人間が解決しようとするから問題は解決されるのか、それとも人間が解決しようとするから問題は永遠に解決されなくなってしまうのか?

 ――閉ざされた箱のなかに青酸ガスを封じた壷といっしょにとじこめられて、りょーちゃんはいま生きているのだろうか死んでいるのだろうか。


■締切ちょっと前

 アスカの出てくる夢を見る。

 どうも私とアスカは知り合いという設定らしい。

 ところで夢の設定ってだれが「設定」するんだろう?

 アスカに「ふん、あ、そう」とそっけない態度をとられて、それでなんか心温まって目が覚めた。

 考えてみれば「他人に無関心なアスカ」の姿って本編で見たかな――なんて思ったりする。


■とりあえず

 『エヴァンゲリオン』は、あれだけ悪口を言われながら、たんに受け入れられているどころか、強く求められているのだ。

 自分が必要としているものに接して、その悪口を並べること、どうしても見たいから見に行くのではなく、べつに見たいと思っているわけではないけど義務として見に行くのだということ――それがこの世界のノーマルな流儀なのだ。

 そんなのに不快になっているほうがおかしいのであるらしい。

 これはおもしろいことだと私には思える。


■そして

 私は愚かにもどうやらまちがっていたようである。

 「あんたばかぁ!?!?!?」とは、このことを言うのであろう。

 いまとなってはほんとうに愚かに思える。

 私は『エヴァンゲリオン』が開示する世界を『エヴァンゲリオン』物語のなかの世界に求めていた。

 その世界についてよく知りたいと、私はいろいろな試みを繰り返し、そのたびに自分の成果のあまりに乏しいことを知って引き返し、苛立ってきた。

 しかし、『エヴァンゲリオン』が、その作品の開示する世界にアプローチしようとする者に対して示した答えは単純なものだった。

 アプローチしなければならない世界は、スクリーンの彼方の幻影のなかにあるのではない。

 スクリーンのこちら側の「ここ」こそ、アプローチしなければならない世界なのだ。

 「ぼく」は、「ここ」にいなければならないのだ。

 ――そんなことはとっくの昔に知っていたはずのことなのに。


 ありがとう。


■一九一一年五月九日

 パリ、サル・カヴォーにて独立音楽家協会の室内楽曲発表会が開かれる。

 ボックス席にいた「スイスの時計職人」ははたして幸福を感じていただろうか。

 たしかにある種の幸福を感じていただろう。そしてその経験はその後の人生にとって有益なものとさえなったであろう。

 でも、そんな幸福なんか感じることがなければ、もっとよかったにちがいないと思っていたのではあるまいか。


■題辞

 「役に立たないことに専心することの、つねに変わらず新しくそして心地よい楽しみ」

 ――どうしてそれが楽しいか、私が贅言するまでもないだろう。






(1997/07)










WWFNo.17のページへ戻る