カプセルの中の金太郎飴
――『APPOOOH!!』外伝――
あべし
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男は苦渋に満ちた目をしばたたかせ、無表情という極めつけの顔をつくって、人群れをかきわけてくる。場内の不思議とも思える興奮に、男は一瞬怪訝そうなポーズを見せたが、気を取り直したように歩みをすすめ、ゆっくりと腰をおろした。
男は現在のプロレスゲーム界で何はともあれ世界最高峰と言われているWWFという組織のチャンピオンであり、つまりは世界一のプロレスゲームプレイヤーということになっている。 台にむかった男の顔には、まだ苦渋に満ちた表情が浮かんでいる。それは、これから始まる試合に対する歪んだ表情というよりも、ゲームセンター全体の苦渋を背負ったような表情だ。プロレスゲームとは何か……何度も襲っては空回りして砕けるこの疑問に、男はいまだ悩まされているのだ。 コインを入れて、画面をそのままにしていると、異常に手足が細い大男が姿をあらわした。両手を上げ、上目づかいでいずこともない中空を眺める独特の仕種も心なしかぎこちなく、茫然とした顔つきで画面のリングからこちらを見ている。 大男の名はバブ(BABU)。
煌々たる照明がリングを照らし、試合前の儀式が始まっても、これから闘うべき両者の表情には、奇妙にとぼけたものがただよいつづけている。
表情のうすい男の顔とはうらはらに、大男(BABU)は勢い込んで攻勢にでた。大男は糸のような足でいきなり得意技の十六文カウンターキックを放った。 プロレスゲームの一面はやさしい。しかし目的は、クリアすること、すなわち勝利ではない。コンピュータ相手にいかに「見せる」試合をすることができるか? それが問題なのである。
コーナーポストから飛び降りて(スゴイ)ボディスラム、脳天唐竹割りと呼ばれる空手チョップ、ダメージスターが点滅したところでひきおこして膝蹴り、さらにショルダースルーつまり肩越しの投げ。どういうわけか威力のあるダイビングボディプレス、とどめは相手をロープに飛ばしてはね返ってくる首に腕を絡めてヘッドロックから椰子の実割り《ココナッツクラッシュ》であった。 一本目を先取し、大男の勝利への期待が盛りあがった画面をながめながら、男はそっと指で三つのボタンをなでる。
男はこうして得点が加算される瞬間が好きだった。 画面では背後でコーナーポストにのぼっているイノケを無視し、例の表情を浮かべて虚空を睨んでいる大男の顔がこちらを見ている。 虫みたいだな。 そう思って眺めた大男はとても弱々しくみえた。男の内面は複雑だった。
点数はパターンの利用しだいでいくらでものばすことができる。
二本目のゴングが鳴った。「見せる」試合をしなくてはならない。
イノケはこまかく前進、十六文を受けると後上方後退をくりかえし、パンチをくりだしてくる。大男の反応はにぶい。イノケとぶ。ドロップキックだ。ヘッドロック・パンチ、場外へ大男を落としてエルボー、場外でブレーンバスター。
またもや男の眉根が寄り、苦渋の表情が浮かんだ。無法者で鳴らした自分がこれからパターンを利用して点数をかせごうとしている。
三本目、コーナーズ・オープニング。
大男はぎこちなくリングにもどる。 カ――ン ウワ――ッ
背後で取り巻いている子供達があきらめたように立ち去るのを感じて、男はチッと舌打ちを放った。
男はすでに動くつもりはない。
男の、いかにも会社訪問用にあつらえたようなスーツの脇にある小さなカバンの中には、公務員試験の参考書と書きかけの卒論がひっそりと息を殺していた。
1984/12 |
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