WWFNo.16のページへ戻る

迷宮の迷宮について


「しあわせのかたち 水晶の滑鼠」をめぐって

藤井 隆生


1 作品

 CD「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」は1992年3月、OVAシリーズ「しあわせのかたち」の人気を受け、CD第2弾として、押井守脚本・監督で発表されたCDである。押井作品で言えば、「機動警察パトレイバー」OVAが1988年、「機動警察パトレイバー THE MOVIE」が1989年、「御先祖様万々歳」OVAが1989年、1990年ゲーム「サンサーラ ナーガ」発売、1991年「ケルベロス 地獄の番犬」、そして1992年の10月に「Taiking Headトーキング・ヘッド」が公開された。実写、アニメ、ゲームと多彩な活動が行われている中、合間を縫ったような形で発表されたものである。

 その後、1993年「機動警察パトレイバー2」、1994年小説「TOKYO WAR」、ゲーム「サンサーラ・ナーガ2」、1995年「攻殻機動隊」を発表している。こうみてくると、劇場版アニメが目立っていた最近であるが、活動は多岐に渡り、その中でも、ゲーム関係が目立つものがある。また、アニメにおいても、CGを高度に使いこなし、物語の中でも、コンピュター犯罪、ネットワークなどが中心に来ている。その中で、唯一のCDである「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」もテーブルトークというゲームの形式で物語が進み、中心となるアイテムは、全てのゲームの謎を解くという水晶の滑鼠(マウス)である。他の作品との関係でも注目していい作品である。

 押井作品の特徴といえば何であろうか。出口のない堂々巡りである迷宮のように現実と虚構が絡み合う複雑に巡らされた物語。観ているものを混乱させる暗示、伏線、罠。それは一見、エンターメントに徹しているような作品でも現れ、果たして、「ああ、おもしろかった」と言ってるそばからそんな感想でいいのかと不安にさせるものである。別の言い方をすれば、同じ作品を何度観てもおもしろい。観る度に印象の変わる、新しい発見のある作品である。これが一歩ずれれば、よくわからない。哲学的、独りよがり、夢落ち、と呼ばれるものになる。これはまた、観ているものの資質に大きく関わっている。押井作品というものに万人に共通の感想というものは求めにくい、観ている個人に闘いを挑んでくるそういう作品である。「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」もそういう特徴を備えている作品である。

2 侵入

 はたして「しあわせのかたち」という作品の紹介が必要なのであろうか。知っている人には必要のないものだろうし、知らない人には、上手く説明する自信がないし実は私も余りよく知らない。少しだけ紹介すると、まず、マンガ、OVAの「しあわせのかたち」があった。これは桜玉吉原作のゲーム誌に連載されたゲームのパロディーであり、主人公であるおまえ、こいつ、べるのが中心になっていろいろなゲームのパロディーをするというものである。そして、押井守の出番である。このような「しあわせのかたち」の登場人物を使って押井ワールドを展開するのである。

 では、作品に入って行こう。その前に、解説の中で、桜玉吉が言う、「多重構造を音声でやっている。つまり、おまえ演じるところの探偵のおまえ、演じるところのチョリソのぶ、それらを演じるところの声優の古本新之輔」(文章は少し違う)、さあ、分からなくなってきた。まず、はじめに声優の遊ぶような声がする。タイトル。そして、古本新之輔ら声優がおまえ、こいつ、べるのという役をやり、さらに他の役をやりながら、テーブルトークという形式で話を進めようと言うものである。テーブルトークとは4人ぐらいでやるゲームで、ゲームマスター(ここでは桜ダマ吉)が中心となり、他の人が役になりきり、ゲームマスターが話を仕切りながら、物語を作っていくゲームである。ここで、古本新之輔−おまえ−探偵おまえ−他の役の多重構造になるが、既に罠がある。

 最初に声優の声がすると言ったが、この作品では、よく声優の素の声、NG、アドリブが出てくる。「この役もやるの」、「言い間違えた」など、笑い声、遊ぶ声、などである。しかし、それらは作品の中である以上、すでに作品の一部である。よく聞いていると、NGであっても棒読みのセリフ、つまり、わざとらしいNG、本物のNGらしいものでも、よく聞くと台本じゃないかなと思われるもの、本物かどうか分からないもの、もちろんわざとらしいのも演技だろうし、何が本当の演技で、どこが素か分からない。ここで、本人としての古本新之輔−声優役としての古本新之輔−おまえ−探偵のおまえ−他の役となるが、その間は曖昧模糊として分からない。全て演技といえるかもしれないが、演じている以上、本人の部分が必ずあるわけだから、その部分を消し去る事が出来ない。これが一つの迷路である。4人の声優が、おまえ、こいつ、べるの、ゲームマスターの桜ダマ吉を演じつつ物語が進む。

 しかし、その世界の外側に録音監督の千葉繁がいる。これがもう一つ虚構であり、多重構造である。そのために録音監督である千葉繁の指示がこの世界に侵入してくる。先ほどの多重構造でいえば、本人としての古本新之輔と声優役としての古本新之輔の間である。たとえば、本当にNGにしか聞こえない言い間違えがある。しかし、そこに千葉繁の指示「もう一回行こう」というものが入ってくるわけである。またひとつ、虚構が増え、曖昧模糊とした部分が増えたとする一方で、千葉繁の登場は、「ここは虚構である」と宣言している訳であるから、わかりやすいとも言える。その中で出前が登場したり(千葉繁は叫ぶ「出前したければ、虚構の外側に出ろ」となんてわかりやすいんだ)、最後には、おまえ、こいつらが千葉繁の世界に侵入して、射殺したりするわけである。

3 物語

 話はテーブルトークで進む、桜ダマ吉がゲームマスターになって、探偵おまえ、相棒のこいつのところに、謎の女べるのがやってくる。そして、妹のぷりもをセミ人間(こういう登場人物が出現する)から救って欲しいという。その中で、相棒のこいつが殺され、セミ人間も殺され、探偵のおまえがこいつを殺したセミ人間を、復讐のために殺したと疑われる。その中で、最初のべるのの話は嘘だと分かりぷりもという人物はいなかったことが分かる。さらに謎の男、チョリソのぶが出現して、この事件が、水晶の滑鼠(マウス)を巡るものであることが判明する。そして黒幕、キンレイホウ(どういう字を書くかよくわからない)、また、水晶の滑鼠(マウス)の元の持ち主である双生児オリマーがからんでくる。理解できただろうか。

 こういう物語が、テーブルトークという形式で、いちいち桜ダマ吉が物語の方向性を指示しながら、さらに、いろいろな役を同じ声優がやる。こいつが死んで、佐久間レイ(べるの役)が、「楽ねー」と言うが、他の役をやるのを知っているのだから、これはセリフである。そして、こいつそっくりのこいつが登場して、同じ声優(山寺宏一)が、「同じ人物だと考えて結構だ」と言う。そこに、千葉繁、出前がからみ、アドリブぽい会話が物語を包む。そして、おまえがオリマーを射殺、ついにはおまえ、こいつが録音スタジオに乗り込み。千葉繁らを殺し、録音スタジオにいた声優らに、物語を終わらせるように脅迫する。

 それぞれの役が、もしくは声優が物語りの収拾をはかり、真実と共に、物語は終焉を向かえる。しかし、このCD、一度物語が始まると、最後まで聞き終わるまで、終わらない、途中で、区切りのない形式である。まるで現実の時が戻らないように、舞台を観て、一回限りライブを楽しむように。話し合いの結果、物語の収拾が図られ、キンレイホウの早口の説明が終わり、おまえが叫ぶ「見事に辻褄があった」。しかし、どう辻褄があったかよく分からない。そんな聞き手の嘆きをよそに物語はさらに進んで行くのである。何度か聞き直すと、マウスを手に入れようと、キンレイホウの部下シモンが、セミ人間を殺し、べるのを脅迫しようとした。さらにチョリソのぶの案内でべるのの後をつけ、オリマーを見つけだし、騒ぎになり、オリマーを死なせ、マウスを手に入れたおまえを電話で呼び寄せたのである。辻褄があっているのだろうか。しかし、おまえの手に入れたマウスは偽物であり、物語は終わるのである。

 しかし、ここで物語は終わらず、さらなる真実が暴かれ、物語は感動的な終わり向かえるのである。実は、こいつを殺した犯人はべるのであり、真実を暴かれた以上、この世界の物語は終焉を向かえるのである。この場面では、今までとは逆に、アドリブ的なものは廃され、こいつによりべるのについてのうそが暴かれ、嘘に塗り固められた物語も真実と共に終わり、全ての虚構が物語に収斂するのである。

4 真実

 この物語は、テーブルトークで始まり、いきあたりばったりのように進行した。さらには、そのため、物語がめちゃくちゃになり、虚構と現実が交錯し、無理矢理の決着が計られ、辻褄合わせが述べられ、物語が終結する。その後、さらなる真実が述べられ、物語は感動的なクライマックスを向かえる。この物語はこのような形式で語られたのである。しかし、物語が最後まで来て、真相が明らかにされると同時に、この形式自体、嘘であることが暴かれるのである。「単なるゲーム」とかそういう言葉とは裏腹に、全てが最後の物語の終末のための準備に過ぎなかったのである。全てが必然、伏線であったのである。これは何を意味するか。物語のまわりも多重構造を持っているのである。中心となる物語、物語の周りには、演じる演技者がおり、また、テーブルトークという形式があり、録音スタジオという飾りがまとわりつき物語にもとわりつき、物語を覆い隠す。では、そういう飾りの中の物語は何だったのだろうか。

 しかし、この物語自体、登場人物のほとんどがうそをつき(しかも何度も嘘をつくのである)、はたして嘘の中に真実が見えてくるのであろうか。実を言えば、何度も聞き直したのに、このCDの中心となる物語が解明できないでいるのである。聴き方が悪いのか、何か罠があるのか単なるミスなのか。しかし、語ろう。この物語の真相を。

 マウスの持ち主は、オリマーであった。そのオリマーの元から、マウスを奪うため、キンレイホウは、べるのとセミ人間を使って、奪い取ろうとする。そのマウスを、チョリソのぶも狙っている。上手く盗み出した、べるのとセミ人間であるが、べるのはマウスを独り占めしようと考える。そしてセミ人間を罠にはめるため、探偵を雇い、セミ人間を尾行させ、セミ人間に探偵を撃ち殺させ、セミ人間をやっかい払いさせようとする。しかし、セミ人間が撃たないので、自ら探偵のこいつを殺し、セミ人間を犯人にしようとしたが、キンレイホウの追っ手がかかり、セミ人間が殺された。こうなると自分の身が危ない。今度は探偵のおまえを頼み、身の安全を図ろうとするが、それでも、キンレイホウの手が伸びてくることを知って、今度はオリマーをたよろうとする。しかし、マウスはオリマーの手からおまえに移り、終焉を向かえることになったのである。しかし、そのマウスも偽物であった。果たしてこれで辻褄があっているのだろうか。実は誰がマウスを持っているかが謎のままである。べるのがオリマーからマウスから奪ったはずなのに、マウスはオリマーの手にあった。オリマーのマウスが偽物であったとき、べるのが言う「私の見せられたのはそのマウスよ」。では、べるのはマウスを手に入れなかったのか。そうすると、又話は辻褄が合わなくなる。

 しかし、この物語の最大の謎は、最後にやってくる。べるのの手に殺されたこいつのために、「相棒を殺された男は黙っていない」、「好きなそぶりをしたのは全て嘘だったのね」と、べるのと言い合い、べるのを追いつめるのは、相棒を殺されたおまえではなく、この事件とは無関係なこいつのそっくりさんなのである。いったいこれはどういうわけなのであろうか。私は「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」のラストを思い出す。全てが終わり、うる星やつらの日常に帰ったと思わせておいて、友引高校が2階建てだったラストを。「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」においても、物語が感動的に終わろうとしているそばから、物語は破綻しているのである。

5 迷宮

 「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」において、骨格となる物語でさえ、破綻している。嘘ばっかりの証言、語られない真実。しかも、そのまわりを、幾重にも、いろいろな多重構造が取り巻き、いろいろな罠を張り巡らしている。迷宮を迷宮が取り巻いているのである。登場人物が言う「俺は真実が知りたいだけだ」と、しかし、真実は迷宮に隠れて出てこない。真実などないのかもしれない。

 しかし、この作品は、逆に言えば、すごいわかりやすいかもしれない。罠が音声だけだからである。そのため、迷宮が迷宮として見えてくるのである。この現実と虚構が入り交じる世界が楽しめるとすれば、押井守の他の世界も又見えてくるかもしれない。

 「しあわせのかたち 水晶の滑鼠(マウス)」の聴き手は、いつの間にか、真実を追い求め、登場人物や物語の嘘に振り回される。見せかけの感動に酔い、実は追い求める真実に意味がないことに気づかされる。それならば振り回されるだけなのだろうか。ジェットコースターに乗った客のように、「ああ、良かった」というだけなのであろうか。もちろん、それでかまわないのであろうが。しかし、迷宮をぶちこわすという手も残っているはずである。充分、私は楽しんだ。後はどうぶちこわすかである。



(1996/12)


WWFNo.16のページへ戻る